57計画
「愛してるぜ、キュリア!」
しかし反応は予想の範疇から一歩も出なかった。
「聞き飽きたですの」
それでもグレフはくじけない。にんまり笑って余計なことをいった。
「ははっ、本当は嬉しいくせに」
女魔族が本気で怒り、ぶっきらぼうな声で指図する。
「さっさと行くですの!」
グレフは手振りでおどけてみせた。
「おお、怖い怖い。じゃあついてきてくだせえ、シモーヌさま! ムンチの旦那!」
滑空するように飛んでいく背中を、シモーヌは全力をあげて追っていく。
グレフによれば、魔界にそびえ立つ棒のような塔の群れは、互いの監視用に千数百年前から建てられてきたという。地震や地滑りが滅多になく、また自力で飛べるものが多いこの世界ならではのもののようだ。
「ああした塔には、たいてい黒い炎の玉がありやす。約200年間隔で人界に魔王が生まれるたび、塔には火球が灯るんでやすよ」
俺たちは、まずは手近な塔の最上階に辿り着いた。グレフが見張り役のカブトムシ頭に問いかける。
「おいラディス、虎男のバリーはいねえか!」
ラディスと呼ばれた魔族は、何を今さら、とばかりに俺たちをあしらう。
「バリーさまなら死んじまいましたぜ。そこのお二人の手でね」
「えっ!」
俺とシモーヌはグレフの視線にそれぞれあさってを向いた。彼には結構衝撃的だったみたいだ。
「マジでやすか? あの無限回復魔族を……! 信じられやせん……!」
鳥人はその後も「へーっ」とか「ふーむ……」とかうなりつつ、やがて時間がないことに思い至ったらしい。
「まあ、それはともかく。なあラディス、人界に通じる黒い火の玉はまだあるか?」
「この塔のやつなら3日前に消滅しましたぜ。人界の魔王が死んで、どこも急速に閉じていってますよ。もう2、3箇所ぐらいしか残ってないんじゃないですかね」
そんなに少ないのか? 俺は愕然とした。グレフも状況がかんばしくないことに緊張感を高めているようだ。
「分かった、ありがとうよ」
俺たちはその後、あちこちの塔を訪問した。だがどこの守衛も、黒い火の玉はまったくないか、数日前に消え去ってしまったという。
全員が重苦しい空気をまとう中、特に焦ったのはケストラの亡霊だ。
「このまま魔界に取り残されては、人界に勇者一行の装備を届けられぬ。何としても探し出してくれ」
そうはいっても、こればかりはいかんともしがたい。こうなったらシモーヌやキュリアと一緒に、あの『円柱』で暮らす毎日も視野に入れなければならないか。それは嬉しいような悲しいような……
「もう二つ目の太陽が沈みますよ」
シモーヌが憔悴しながら日没の近さを指摘する。グレフが慰めるように彼女へ呼びかけた。
「疲れたでやしょう、シモーヌさま。ムンチさまをあっしが抱えやす」
「ああ、大丈夫です。この杖を振れば……」
光がまたたき、シモーヌの腕に力が戻ってくる。
「このとおり、疲労を回復できるんですよ」
グレフは苦笑して首を振った。降参だ、といわんばかりだ。
「まったく、不思議な力でやすね。……とりあえず、今日のところは帰りやしょう。今さらドタバタしてもらちが明かねえでやす。あっしもそろそろ自分の領地に戻らないと……」
俺はうなずいた。高いところはそれほど苦手ではないにせよ、落ちたら死ぬことは確実だ。その恐怖をはぐらかすのも限度があるというものだった。
「分かった。ありがとよ。明日は朝いちで頼む」
「ありがとうございました、グレフさん」
俺たちの感謝に、グレフは照れたように頬をかく。
「なあに、いいってことでやすよ」
俺はその姿に感心する。魔族にもキュリアやグレフみたいないい奴らがいるんだな。ケストラが『円柱』で熱心に研究していた際、気まぐれに訪れたであろう孤独感を、彼らはいたわってくれたのだろう。
「それじゃ、旋回して……」
そのとき、彼に大声で呼びかけるものがいた。
「おーい、グレフ! お前、黒い火の玉を探してるんだってな!」
さっき空振りした塔の屋上から、カバ頭が叫んでいた。グレフは大声で返す。
「おう、ブゼのおっさん! それがどうした?」
「部下の勘違いだった。この塔の屋上じゃなく、最上階に黒い火の玉が浮かんでやがったぞ! 暗がりにあったせいで見過ごしていたんだ! それがこれだ!」
カバ頭はトーチを掲げた。そこには今にも消えそうな黒い玉が浮かんでいた。俺もシモーヌもその存在に色めき立つ。
「あれだ! ……でも変だな。あのトーチは火の玉に接触しているのに吸い込まれないぞ」
「恐らく『円柱』のように何らかの結界が張られているのでしょう。ともかく急いでください!」
火球は力尽きようとしている。もう本当に今にも消えてしまいそうだ。シモーヌが急降下する。グレフが真後ろについてきた。
「飛び込めば間に合いやす! 早く、早く……!」
ケストラの亡霊が叫んだ。
「急ぐのだ! 急ぐのだ!」
ああ、もうこぶし大の大きさにまで小さくなってしまった。俺は信じてもいない神さまに祈る。
「お願いします神さま!」
そして、世界はいきなり暗転した。
■計画
まただ。人界から魔界へ渡ったときのような、虹色の輝きが暗闇に揺らめく。その洞穴のような細い道を刹那の時間で抜けていくと、見覚えのある濃緑色の世界が目の前に現れた。勢いは急減され、転がりもせず地面にうつ伏せで落とされた。
俺は思い切り首を振り、思考を白紙に戻す。そうしなきゃいけないぐらい、変化の唐突さについていけなかった。俺は天高く光る太陽が一つだけなのを確認する。と同時に、鼻に届く草花の匂い、背中に重たいシモーヌや右に倒れるグレフの存在、うっそうと茂る木々の涼やかさを感じ取った。
どうにか黒い炎の玉へ、それが消える直前に間に合ったらしい。ここは人界だ。特に、遠くに王都ルバディの威容が見えるところから、ジティス王国へ帰還したことが了解された。空は雲ひとつないすがすがしい好天だ。




