05ムンチとシモーヌ
■ムンチとシモーヌ
微風がくすぐったい。春らしいぽかぽかとした陽気が、俺の体に熱を送ってきた。薄目を開けると、雲ひとつない青空に太陽が鎮座している。その光がまぶしくて、俺は数回まばたきした。
「あれ……どうなってんだ? 俺は確か……」
魔王ウォルグと勇者一行の戦い。そのさなか、シモーヌが発光して、それで――
俺はがばっと起きる。風薫る丘の上、大木の根元に俺はいた。隣にはシモーヌが寝ており、そのかすかな寝息が聞こえてくる。見下ろせば、遠くに村のようなものが見えた。
え? ここどこ? 確かについさっきまで、魔王の地下迷宮最下層にいたはずなのに。シモーヌはいいとして、ライデンたち勇者一行は? 魔王ウォルグは? どこに行っちまったんだ?
――いや、こう言うべきか。俺たちは、どこに飛ばされたんだ?
その鍵を握る人物は目の前にいる。薄青色の髪の毛と白い衣服が、空気の流れに楽しそうにそよいでいた。俺はつい乱暴になって肩を揺する。
「おい起きろ、シモーヌ。起きろってば」
「う、うーん……。おじさま……」
「起きろってば」
そういえばこのシモーヌとやら、急に発光し出したんだっけ。魔王モーグに養われていたし、いったい何者なんだ? 疑念は深まるが、ともかく起こさないと。
シモーヌが薄目を開けて、幸せな夢から引きずり出した狼藉もの――すなわち俺を見つめる。
「あれ、ムンチさん。えっ、ここは……?」
衣装の胸元をぎゅっと掴んで起き上がったシモーヌ。その視線はせわしなくきょろきょろと動き回った。彼女にも見覚えない土地らしい。俺は手がかりが得られないと分かってがっくりした。
「俺もどこだか知らねえよ。お前の能力なんじゃないのか? いわゆる瞬間転移ってやつ。どこで誰から教わったのか知らねえけど……。俺も巻き込んだみてえだな」
シモーヌは自分の両頬を平手で挟み、二、三度強く叩いた。夢うつつの状態から、急速に現実へと意識を引き戻したのだろう。その声に張りが戻った。
「そうです、私はモーグおじさまが殺されて……もう誰も殺させない、と誓ったんです。そして立ち上がったら、次の瞬間にはもう気を失っていたんです。ムンチさん、お怪我はありませんか?」
「大丈夫だ。お前こそ負傷してないか?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
俺は背負い袋をかついで身を起こした。両足の裏から大地の力が伝わってくるようだ。深呼吸すると新鮮な空気が肺を洗い、全身の細部まで活力が浸透する。
まずは自分の現在地を知る。すべてはそれからだ。後はまあ、おいおい考えていくか。
「それじゃあばよ、シモーヌ。達者でな」
俺が丘を下りようと歩き出すと、シモーヌが仰天して俺の裾をつまんだ。かなり焦ったのか、どもって尋ねてくる。
「ちょ、ちょっと待ってください。私をおいていかれるのですか?」
何を当たり前のことを、と俺は振り返った。
「ああ、そりゃそうだろ。お前は魔王モーグの手先だろ。そんなやつと一緒に歩けるかよ。まあ魔王モーグは俺を人間として認めてくれたし、その点はありがたかったけどな」
ここが正念場とばかり、シモーヌは早口でまくし立てた。独りにされるという恐怖で声が震えている。
「なら! その魔王モーグ――おじさまの養子である私を連れて行ってくださるのは、おじさまに救われたあなたに課される当然の義務ではありませんか? 私はあの地下迷宮でこの5年間大事に育てられました。それにより、魔物たちは顔パスで私を通してくれます。私に危害を加えてくるようなことはありません。こんな便利な女子、他にいないでしょう? どうですか?」
当然の義務、ねえ。俺はどうすべきか悩んだ。
「うーん……」
「お願いです、何でもします。私一人では生きていけません。お願いです、私の用心棒になってください! どうにか……!」
こうまで必死に訴えかけられると、さすがに良心の呵責に捉われる。男として婦女子を見捨てるのも情けないといえた。
そうして――俺は根負けした。しょうがねえ。
「……ちぇっ、分かったよ。連れていきゃあいいんだろ? 何があっても知らねえからな」
シモーヌの顔に歓喜があふれた。まるでバッタのように、ぺこぺこと頭を下げる。
「ありがとうございます……! では早速あの村に行きましょう」
そこで俺の腹部からしまらない音がした。
「俺、お腹ぺこぺこなんだよな。お前も腹は空いてないか?」
「はい、私は問題ありません。でもムンチさんの食事に付き合いたいです」
「……そうか。でも金がないぞ」
「金? 金とは何ですか?」
「駄目だこりゃ……。ま、『あれ』を買い取ってくれそうな裕福な商人にでも出会えれば、金の問題は一発で解決するんだが」
「『あれ』とは……?」
「何でもねえよ。よし、行くぞシモーヌ」
こうして俺たちは新たな一歩を踏み出した。
村へ下りていく途中、シモーヌは養父である魔王モーグの死を思い出したらしい。
「おじさま……。5年もの間、親切にしてくださったのに……。あ、あんな酷い最期を迎えるなんて……」
彼女は絶えず涙を流し、俺の背後で泣きじゃくった。まあ、あの死に方はショックだっただろうよ。俺はしかし、シモーヌに慰めの言葉をかけなかった。なんというか、できればこのまま泣き続けてほしいぐらいだった。
村に入る。継ぎ接ぎだらけの衣服を着た住民たちが、見慣れぬ俺たちへ好奇の視線を送ってきた。一向泣き止まないシモーヌには憐憫の目を向けてくる。俺は彼らなどどうでもよかった。ただ注目を浴びるのは恥ずかしく、早足で進んでいく。
やがてセキュア教のシンボルである三権神の偶像を掲げた、小ぢんまりとした教会に辿り着いた。シモーヌは何も見えていないのか、一人「おじさま……」とつぶやく。そして相変わらず慟哭していた。俺は彼女の背中を押す。
「さあて、無信心な俺たちに、三権神の使徒は施しをくれるかな……」
直線を基調とした広壮な建物は、深みのある室内を擁していた。どこの三権神の教会でもそうなのだが、一番奥にある祭壇には三権神の像がまつられ、中央に聖別されたオーク材の杖が置かれている。秘蹟や儀式に使う、大変な貴重品だった。