49巨人
「なかなかの切れ味ですが、『伝説の武具』にしてはたいしたことありませんね」
立ち上がったダルモアは、早くも負傷箇所が治っていた。ケストラの亡霊は歯噛みしたように軋み音を奏でる。
「駄目か……!」
ダルモアは立ち上がった。自分の赤い血潮で、青白い体がまだらに染まっている。ふと何かに気付いたようにはっとした。
「そうですそうです。思い出しました! そちらの娘は、魔王モーグさまが可愛がっていた人間のシモーヌですね!」
シモーヌはいきなり思い出されて困惑する。ただ、別段嘘をつく必要はないとその場の誰もが考えたことだろう。
「はい。人間ではなく天使ですが。モーグおじさまには5年間、本当にお世話になりました。私の一番の理解者でした」
ダルモアは彼女に一歩詰め寄った。その目はもう殺気を内包していない。
「シモーヌ、今でもモーグさまを蘇生させたいと思いますか?」
「それは……」
シモーヌは言いよどんだ後、逡巡を断ち切るようにきっぱりとうなずいた。
「はい。勇者一行の皆さんを復活させられたら、その後にでも」
ダルモアは愉快そうに笑う。何がそんなにおかしいのか、俺は往復ビンタを食らわせた後に質問したい感じだった。
「ムンチ、シモーヌ。どうぞ魔界へお行きなさい。わたくしは手助けはしませんので、自力でどうぞ。強かったですよ、あなた方。……ではまたお会いしましょう」
ダルモアはそれだけ述べると、紳士然とうやうやしく敬礼する。そして羽を生やすや、俺たちに背を向けて飛び去った。その姿は急速に崖の影へと紛れ込み、やがて見えなくなる。
とりあえず助かったか。俺は安堵した。あの無限再生能力はやっかいだ。『鋼の爪』だけでは対処しきれない。俺がほっと胸を撫で下ろしたゆえんだった。
すっかり忘れていたケストラの亡霊が、『勇者の剣』の中からぼやく。
「何だったんだ、あやつは……。それにしても小僧。その爪は一体全体どうなっておるのだ?」
「『鋼の爪』か? あんたがこの源である銀の指輪を完成させたんじゃないのか?」
「わしはそんな『伝説の武具』を作った覚えはないぞよ」
「そうなのか?」
「ああ」
俺は何となく、右手人差し指を折ったり伸ばしたりした。銀の指輪は10年前に溶け込んで、以来一度も離れたことがない。
「セイラって天使が地上に間者として紛れ込んでたんだ。俺は彼女からこの指輪をもらった。じいさんが作ってセイラに渡したんじゃないのか?」
「いや、そんな覚えはないのう」
シモーヌが亡霊に尋ねた。
「ケストラさん、私の養親であるモーグおじさまは、『万物意操』の能力を使える『金の首飾り』を首にかけていました」
「『万物意操』とは?」
「ああ、すみません。生きていない物体を自由自在に操れる力です。……これも製作した記憶はないですか?」
「ないのう。そんな凄いもの、自分には到底――未来においても――、理解や製作ができない代物だよ」
■巨人
峡谷をさらに先へと進んでいく。もう東の谷と呼ばれる場所には、とっくに到着していていいはずなんだけど……。俺は馬を歩かせながら、周囲に黒い火の玉がないか探していた。『勇者の剣』に宿る、ケストラの亡霊に質問する。
「本当にここであってるのか? おっさんの勘違いとかじゃないのか?」
「あってるよ。下見に来たことがあって、そのとき黒い火の玉をこの目で見ておるからの」
そんなとき、茶色の岩壁に一体の巨像が彫り込まれているのを発見した。その身長は大人6、7人分に匹敵する高さだ。筋肉ムキムキの巨体は今にも動き出しそうに想像されて、少し怖い。
「すげえな。まるで生きているようだ。誰が作ったんだろう」
俺たちは馬から下りて、徒歩で近づいた。シモーヌが彫像の頭部を指差す。
「両目に緋色の丸い宝石が埋め込まれていますね。おかげで何だかびっくりしたような顔つきになってます」
「うーむ……嫌な予感がするな」
そのとき、巨人の両目が妖しく光った。と同時に、地響きと地震が俺たちを襲う。何と石像が本当に動き出していた。びっくりした馬が揃って逃げていく。俺は妙な納得をしていた。
「やっぱり……」
「動き出しますよね……」
巨人が――ゴーレムが、壁から離れて前進し、俺とシモーヌを見下ろす。分厚く硬く重そうな拳が、ゆっくりと振り下ろされた。
「危ねえっ!」
俺はシモーヌをかばいつつ鉄拳をかわす。巨体は地面に大穴を開けると、こちらへ視線を向けてきた。どうやらゴーレムは俺たちを敵だと認識したらしかった。それならそれで、こっちも容赦する必要はない。
「この野郎っ!」
俺は『鋼の爪』を相手の鈍重な腕に連射した。だが爪がどれだけ撃ち込まれようが、巨人はお構いなしに動いている。
「くそっ、まったく効いてねえ!」
ゴーレムは第二撃を放ってきた。今度は足のつま先だ。
少し意地になって爪を撃ち続けていたのがまずかった。俺は回避が遅れてかわし切れず、頭部をかばった左腕の骨を砕かれる。
「ぐああっ!」
すさまじい激痛が神経をかき乱し、俺はぶざまに地面へ転がった。シモーヌが悲鳴を上げる。
「ムンチさん!」
「ちくしょう、これならどうだ!」
俺は爪を鞭状にして、接地した巨人の足を切断しようとした。だがこれも少し食い込んだだけで、芯にすら届かない。
「くそ、こいつも駄目だ! 通じねえ!」
爪を戻す間に、巨体がもう一方の足を持ち上げて踏みつけてこようとした。俺は逃げようとするが、腕の怪我の痛みに思わずよろめいてしまう。見上げればゴーレムの足の裏が、今まさに俺を踏み潰さんとしていた。
「うわああっ!」
そのときだ。最初は何が起きたのか分からなかった。物凄い体当たりを横から受けて、気がつけば空を飛んでいたのだ。俺はぽかんと、骨折の激痛も一時的に忘れて、ただただ宙を舞って巨人を見下ろす。




