30勇者とムンチ
「それだけじゃない。俺たちを瞬間移動させた、あの娘――シモーヌがさらわれたんだ。今頃ウォルグの地下迷宮に閉じ込められているに違いない。あいつも助けたいんだ。なあ勇者ライデンさんよ。『勇者の剣』を扱えるのはあんただけなんだろ? 頼むからパーティーに加わってくれ。このとおりだ」
俺は頭を下げた。こんなに真摯な気持ちで誰かに協力を乞うなんて、かつてなかったことだ。勇者は無言だった。俺はさらに深くこうべを垂れる。
「頼む、ライデン!」
■勇者とムンチ
静寂の中、話を盗み聞きしていた他の客たちまで、耳をすませてライデンの返答を待った。
やがてそれは訪れる。もう泣き声ではない、力強い声音だった。
「そこまでいうなら……。分かった。パーティーに戻ろう」
俺は願いが通じて喜び見上げる。
「本当か?」
ライデンはそんな俺を制するように人差し指を立てた。
「ただし、条件がある。この僕と一対一で闘って、君が勝ったら、だ」
「何……?」
「今の僕は酔ってはいるが、それでも君を負かす自信がある。ふふ、もちろん殺し合いじゃない。先にまいったといったほうの負けだ。どうだい?」
俺はごくりと唾を嚥下した。今度はこちらが睨みつける。
「……それで戻ってきてくれるんだな?」
「ああ。男に二言はない」
「いいだろう」
俺は金のつまった袋をカウンターに置いた。
「親父、これはライデンの飲み代だ。あと、店の前でちょっと騒がしいことをする迷惑料も込みだ。足りなければ後日払う」
「あいよ! ……っておい、こりゃお釣りが出る額だぜ」
「ならチップだ、取っとけ」
こうして俺とライデンの闘いが行なわれることになった。
二人揃って表に出る。酒場の客がまず「勇者が喧嘩をやるぞ」と盛り上がり、酒そっちのけで俺たちを囲った。次いでその騒ぎに好奇心を刺激された野次馬が足を止め、俺らの周りにたちまち人垣を作る。
ライデンは相変わらず、裸の上半身にボロボロのズボン、腰に佩いた『勇者の剣』といういでたちで、周囲を見渡した。
「ムンチ君、条件を追加しよう。周囲の一般市民に傷を負わせても敗北。どうだい?」
「承知した」
「では、早速だけど終わらせようか」
ライデンが剣を抜く。俺は身構えた。しまった、硬貨を一枚残しておくんだった。それがあれば、宙に投げて地面に落ちたときの音を開始の合図とできたのに。
などとどうでもいいことを考えたのが裏目に出た。ライデンが物凄い速度で俺目掛けてダッシュしてきたのだ。
「食らえ!」
まばゆい剣閃を、俺は大きく横に転がって回避した。危ねえ、殺す気かよ! 俺は起き上がると同時に『鋼の爪』を鞭のようにしならせる。流血なしでは決着がつかないと感じたのだ。
ライデンは身を屈めてかわしざま、『勇者の剣』で鞭を叩き切った。俺の親父ガランとは比べ物にならない鋭利さだ。
「切れるのか! 俺の爪を!」
「この剣に斬れないものはない!」
ライデンは建物の石壁を背負っている。彼の背後は無人だ。なら、あれが使える――。俺は人差し指を向けて『鋼の爪』の塊を高速連射しようとした。もちろんライデンをまいったさせるのが目的であるため、急所を外すように発射するつもりだった。
ところが――
「また鞭かい? そうはさせないよ」
勇者はすぐ近くにいた一般女性の手首をつかみ、自分と俺の間に引っ張り込んだのだ。俺は慌てて射撃をやめた。「周囲の一般市民に傷を負わせても敗北」とは、このための提案だったわけか。
「おいコラ、卑怯だぞ!」
俺の抗議と女性の悲鳴が重なった。
「は、放して!」
ライデンはみすぼらしい格好だというのに、まるでいっぱしの紳士のように気取ってみせる。
「すみませんレディ。少しお手伝いをお願いします」
「あら、いい男……」
ライデンは女性をお姫様のように抱きかかえると、素晴らしいばねで俺へと飛びかかった。
「うおっ!」
俺はバックステップしたが間に合わない。『勇者の剣』はその切っ先で俺の左鎖骨を切り裂いた。激痛が弾けて気が遠くなる。真っ赤で温かな血が服を染めていった。
「くっ……!」
勇者は余裕しゃくしゃくだ。こいつ、本当にさっきまで飲んだくれていた男と同一人物か? それとも、これが勇者というものなんだろうか。
「どうだい、まいったするかね? これ以上君を傷つけたくはないのだが」
「抜かせっ!」
俺は頭にきたまま、ライデンの耳を切り裂いてやろうと右手人差し指を突き出した。だが……
「ぐあっ!」
次の瞬間、ライデンの剣が俺の右手人差し指の、第一関節から先を斬り落としていた。鋼の爪は、俺から指先ごと取り除けられてしまったのだ。あまりの痛みに声も出ず、その場にうずくまってしまう。
ライデンは抱きかかえていた女性を下ろした。
「ありがとうレディ。失礼をお許しくださいますよう」
勇者は女性を群衆の中へ戻し、俺を見下ろした。周囲はやんやの喝采だ。どうやら賭けている奴もいて、「どうだい、やっぱりライデンだったろ!」と鼻高々に正しさをアピールする声が聞こえてきた。
ライデンは俺の前に仁王立ちした。その裸足が目の前にある。
「これで爪も使えまい。勝負は僕の勝ちだ。僕に挑んできたのが間違いだったね」
俺は右手の傷口で暴れ回る激痛を、手首を掴んでどうにか押し殺した。
「……まだだ」
「え?」
俺はいきなり足払いを放ち、油断していたライデンの足を払う。仰向けに転倒させた。
「むうっ!」
俺は倒れたライデンに覆い被さり、『勇者の剣』を持つ彼の右手首を、左手で掴んだ。そして渾身の力をこめて、右前腕でライデンの喉を押し潰そうとする。
「がっ……!」
「この野郎……! よくも俺の指を切り落としやがったな……!」
「ぐぐ……っ!」
「苦しいだろ? 『勇者の剣』を手放せ! そうすればそれを『まいった』として、殺さずに許してやるよ」




