03堕天使
やがて魔王モーグに疲れが見え始めてきた。一方、ライデンたちは適度な間隔で僧侶の治療を受け、その体力は満タンである。俺はライデン、ピューロ、ゴルドンがとどめを刺しに躍動するのを目の当たりにした。
「さあ、そろそろ観念しろ、魔王モーグ!」
「ボクの拳を受けろっ!」
「火の玉連打じゃ!」
魔王は『万物意操』で防ごうとするが、防ぎきれない。とうとうライデンの『勇者の剣』の一閃で、その右腕を真っ二つにされた。
「ぐうっ!」
断面から真っ赤な血が噴き出し、モーグは床に転がる。決着がついたな――俺がそう思っていると、たまらないとばかりにシモーヌが飛び出した。
「あっ、おい馬鹿! 出るな!」
俺の叫びをよそに、シモーヌは苦痛にうめく魔王を守るように仁王立ちする。悲痛な声で嘆願した。
「殺さないでください! おじさまは、おじさまは私のかけがえのない人なんです!」
勇者ライデンは血気逸って怒鳴り散らす。
「どくんだ! 僕たちはそいつを倒すために長い旅をしてきたんだ。どけ!」
「やめてください!」
必死なシモーヌを前に、武闘家ピューロが拳を下ろした。その目に憐れみが入り混じっている。
「お嬢さん――シモーヌ、だっけ――君は魔王に育てられたのかい?」
「5年前に、記憶喪失の私を拾ってくださいました。命の恩人なんです。どうか、どうか……!」
僧侶メイナは自分のあごをしきりとさすって、今の言葉を脳裏で反芻するかのようだ。
「って、まさか、魔王が人間の娘を……?」
魔法使いゴルドンは皺深い顔の奥で、両目を丸くした。にわかには信じられない、と言いたげだ。
「こいつぁ驚いたわい。魔物の長が人間の娘をかくまっていたとはな」
賢者カシマールが足で何度も床を踏みつける。怒りを隠せないようだった。
「関係ないですよぉっ! その小娘を殺しちゃってくださぁい、ライデン様ぁっ!」
ライデンはシモーヌを眺め下ろした。まるで今の言葉が本当であるかどうか、心を見透かして確認するように。
本来ならさっさと殺したいところなのだろう。そりゃそうだ。相手は世の魔物たちを従えて人間支配をもくろむ、悪の権化の魔王である。それを倒すために、選ばれし5人の『勇者一行』はここまで旅を続けてきたのだ。その長い旅路を終わらせるには、魔王を殺す以外にない。
俺は固唾を飲んで見守った。魔王モーグが激痛に苦しみながら、シモーヌの背中に必死で声をかける。
「いいんだ、シモーヌ。余の負けだ。これ以上恥をさらしたくない。どいてくれ」
「嫌です!」
ライデンは音が聞こえてきそうなほど歯軋りし、その内部の葛藤を如実に知らしめた。時が過ぎていく。
やがて、彼は長く息を吐いた。脱力して剣を鞘に収める。
「……駄目だ、僕には殺せない。誰か代わりにこの2人を殺してくれないか。一生のお願いだ……」
勇者一行は困惑し、誰もがうつむいて無言だった――と思いきや、前に進み出るものがいた。ハイテンションな賢者、カシマールだ。
「あああっ、腹立ちますねぇっ! どけ、この小娘ぇっ!」
カシマールがシモーヌの頬げたを全力で殴り飛ばす。憤激を込めた一撃だった。
「うぐっ!」
シモーヌは半回転して、あっけなく床に転がる。いきなりの暴挙に、魔法使いゴルドンがすっとんきょうな声を上げた。
「な、何をしとるんじゃ、カシマール!」
賢者カシマールは耳を貸さず、苦悶する魔王モーグの襟首を掴んだ。彼の首飾りを強引に引き千切る。そしてそれを自分の首にかけた。モーグが青白い顔で悲痛に訴えた。
「貴様、我が秘宝を返せ……!」
俺も勇者一行も、カシマールの行動に呆気に取られていた。彼は邪悪な笑みを浮かべると、両腕を怪鳥のように広げる。
「死ねぇっ、モーグっ!」
天井がまた一部剥がれ落ちた。『万物意操』だ。その岩石はモーグを真上から、文字通りのぺちゃんこに押し潰してしまった。真っ赤な血潮が投げつけたように地面に飛び散る。
シモーヌが頬を押さえながら、その様子に悲哀の詰まった叫びを上げた。
「いやああっ! おじさま、おじさまっ!」
彼女は石塊にしがみつき、『おじさま』を救出しようとする。だがシモーヌの非力では、岩はびくとも動かなかった。
魔法使いゴルドンがあんぐりと口を開けっ放す。目の前の事態が信じられないといいたげだった。
「カシマール、貴様、何を……っ!」
約30歳の賢者は、こめかみに血管を浮かせて興奮に酔いしれる。
「……知ってますかぁっ? 魔王は魔族や魔物に殺されると、その殺した相手に代替えするんですぅっ! ただし人間に倒された場合に限り、いったん魔王は滅ぶのですぅ……っ!」
僧侶メイナが目をしばたたいた。理解できないのだろう。
「カシマール、あんた何を言ってるの?」
賢者は恐ろしい横顔を俺にさらす。
「私は人間カシマールではありませぇんっ! 『堕天使ウォルグ』が真の名前ですぅっ! 見ていなさいぃっ!」
次の瞬間だった。カシマールが爆発し、血や骨、内臓を散乱させたのだ。
「うおっ!」
勇者一行は驚愕して数歩退いた。俺の手元に何かが飛んできた。それは『賢者の王冠』だった。
■堕天使
室内に血煙が漂う。それを吹き飛ばしたのは、カシマールの――いや、『堕天使ウォルグ』の黒い翼の羽ばたきだった。器用にも首飾りだけは胸元にとどめている。
勇者ライデンがたじろいでいた。
「カ、カシマー……」
「ウォルグだと言っているでしょう」
堕天使の、腰まで届く滑らかな薄黄色の髪は、まるで清流のようだ。これ以上ない美男子であり、その低い声がなければ女と見間違えてしまうであろう。切れ長の瞳、高い鼻梁は素晴らしいが、引き結んだ唇はやや性根の酷薄さを感じさせる。背が高く、赤黒い外套を着込んでいた。
「ふう……。この姿も約30年ぶりですか。どうやら人間とは判定されず、堕天使すなわち悪魔と認定されたようですね。みなぎる……! 魔王としての力が全身にみなぎるっ! 我輩の計画はここでも完璧だったようですね!」