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26悪夢

 するとどうだろう。爪が一直線に伸びて、木の表皮に突き刺さったではないか。このときの驚愕と恐怖、怯えといったら、生涯初だったといってもいい――ロザリナに殺されかけたときを除けば。


 旅芸人一座の頭領・セイラが俺にくれた銀の指輪。『鋼の爪』の発生源。それはなくなったのではない。俺の指の中に浸透し、埋没して一体化していたのだ。


 それから俺は、ひと気のないときを見計らって、色んな(まと)を相手に『鋼の爪』を試してみた。


 俺の右手人差し指の爪は、念じるとおりに伸びたり縮んだりし、また鋼のような硬度を持ち合わせた。それから、爪をまるで弓矢の速射のように、塊で連射することもできた。弓矢と違い、いちいち弓に矢をつがえる必要もなく、念じるだけで、だ。


「凄いや……! まるで神様みたいな能力だ!」


 俺はこの能力を、親父が喜んでくれるものだと思った。三権神さまが、俺に特別な力をくれたんだ。セイラはきっと神さまか何かで、いつも親父を想い、悪さもしないこの俺を(たた)えて、この能力を与えてくれたんだ。


 俺はそう信じた。信じきった。有頂天だった。あの頃の俺は、馬鹿な7歳のガキだった。


「よし、父さんに打ち明けよう!」


 俺は親父へ報告する――というより、それによって得られる賛辞をちょうだいするために、浮き浮きと家に帰った。


「カイ……。お前が亡くなってもうすぐ8年が経つなんて、未だに信じられないよ。俺もムンチも元気でやってるぞ……」


 ドアを開けると、居間で親父が独り言をつぶやくのが聞こえてきた。3年前に買った三権神の彫像を前にしているのだろう。そういえばもうすぐ俺の8歳の誕生日であり、お袋の命日がそれに続く。俺はすこししんみりしたが、こちらには大報告があるんだ。すぐに気を取り直し、居間に入っていった。


「ただいま、父さん」


「おう、ムンチか。お前も母さんに祈れ。俺に愛を、お前に生を授けてくれた、大事な大事な人なんだからな」


「うん」


 俺はお袋に祈った。でもその後の出来事が衝撃的過ぎて、何を話しかけたか覚えていない。


「ところでね、父さん。僕はあることができるようになったんだ。何だと思う?」


 父ガランは微笑んで問いかけてきた。


「それは俺がびっくりすることか?」


「うん、かなりね」


「そうだな――逆立ちとか?」


「残念、違うよ」


「じゃあ手品だろう」


「いいえ、外れです」


 俺は無邪気に笑った。親父も(なご)んだ顔になる。両手を挙げてみせた。


「分からんな。降参だ。教えてくれ」


 ついにきた。俺は買ってきていたリンゴを机の上に置いた。親父は俺が何をしようとしているのか判断できていない顔だ。俺は両手をこすり合わせた。


「見ててね、父さん!」


 俺は右手人差し指をリンゴに向けた。きっと驚くぞ。当時の俺は愚かな期待と明白な錯誤を抱えて、一世一代の馬鹿をやったんだ。


『鋼の爪』が一直線に伸び、リンゴを貫いた。そのときの親父の表情は『硬直』という名の絵画だった。俺は爪を引っ込める。驚いてるな、親父。しめしめ。さらに俺は調子に乗った。


「こんなこともできるんだ!」


 塊状の爪が飛び出し、リンゴを直撃して半壊させた。破裂音とともに果汁が机に飛散する。親父は目を丸くして、ただただその様子を眺めていた。


 どうだい親父、息子はこんな凄い技を手に入れたんだよ。俺は胸を張って、親父の賞賛を待った。だがそんなものは、いつまで経っても得られなかった。


 親父は深いため息をついて、右手で顔半分を覆った。机に肘をつき、何やらぶつぶつつぶやいている。俺は期待していた反応が返ってこないことに首を傾げた。


 やがて親父は立ち上がった。顔面蒼白だ。壁に立てかけていた剣を手にしたかと思うと、それをいきなり抜き放った。俺は意味を了解できず呆然とそのさまを見守った。


「ムンチが……俺の息子が悪魔の手先だったとはな……」


 振り向いた表情は何と表現したらいいのだろう。嘆き。(いきどお)り。悲しみ。怒り。それらを混合したもの――敵意が、隅々まで皮膚を覆っていた。


「この悪魔がぁっ!」


 親父はまるでロザリナのように、俺に向かって剣を振ってきたんだ。殺される――! 俺は伸ばした爪を横に構え、父ガランの渾身の一撃を受け止めた。一瞬爪が()がれるのではないかと心配したが、そんなことはなかった。親父は躍起になって第二撃を送り込んでくる。


「ようやく分かったぞ! お前が悪魔だから、俺の妻カイの命は奪われたんだ!」


 それは見えない(きずな)を断ち切る台詞だった。俺のせいでお袋は死んだと、そう親父は叫んだのだ。それは俺にとって、これ以上ないショックな言葉だった。


 俺は第三撃も防御すると、涙を噴き出しながら叫んだ。


「やめて! 僕は悪魔じゃない、父さんの息子のムンチだよ! やめてよ!」


 だが親父はまったく聞き入れることなく、今度は突きを見舞おうとしてきた。


「死ねぇっ!」


 そのとき俺に働いた精神作用は、ごく単純な生存本能だった。死にたくない。生きたい。たとえ親父を殺してでも……!


「いやだぁっ!」


 俺は『鋼の爪』を真横に振った。それはほとんど手応えのないまま、俺の親父――ガランの首を真っ二つにしていた。親父の頭部が血飛沫とともに俺の目の前に転がる。彼は虚空を眺めたまま、濁った目をさらして微動だにしなかった。遅れて、首の断面から噴水のように血潮を吹き出す体が、仰向けに倒れた。


 俺は過去最大級の恐怖にすくみあがり、声の限り絶叫した。


「うわあああぁっ!」


 そこへ下女のキャロットが市場への買い物から帰ってきた。俺の大声に「どうしたんですか?」と驚いて、ドアを開けるようノックする。俺は動転していた気をいくぶんか取り戻した。親父を殺したことがばれたら、俺は死刑になる――そう直感した。


 親父が先に切りかかってきたことを訴えても、結局俺の『鋼の爪』を説明しなければならない。セキュア教の熱心な信者である親父が「悪魔」と(ののし)った力だ。やはり俺は処刑されるだろう。

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