21ザルフェ
■ザルフェ
丘を越えるとそれはさらに鮮明になった。草原の遠くで砂煙が立ち上っている。金属音や擦過音に、人間の悲鳴と怒号、獣の雄叫びや馬のいななきが混合して、それだけで戦闘中と知れた。集団と別の集団が戦っているのだ。そして――
「魔物だ! 魔物の群れだ!」
俺は半ば腰を浮かし、空飛ぶ巨大な翼竜、人間の2倍はあろうかという一つ目巨人、緑色のウロコが特徴のトカゲ人間などを見晴るかした。彼らは半ば一方的に人間の群れを蹂躙する。血飛沫や絶叫が宙を舞い、人間側は立ち向かうもの、逃げ出すものが現れて、結束のなさを示していた。
手綱を握るピューロが額に手をかざす。春の日差しで遠くを見つめた。
「あれは隊商じゃないですね。旅芸人一座でしょうか?」
旅芸人一座? 俺はその言葉でかっと頬に血が上るのを感じる。俺は御者台に前のめりで移動した。いてもたってもいられなかったのだ。ピューロに思い切り怒鳴る。
「どけ、ピューロ! 連中を助ける!」
俺は手綱を奪い取って、馬に鞭を入れた。俺の血相が変わって見えたのだろう、ピューロは慌ててどきながら質問してきた。
「きゅ、急にどうしたんですかムンチさん!」
もしかしたら、やられているのは漂白の民『ツェルモ』かもしれない。その危機感が俺の内にあった。
メイナが迫り来る騒擾の現場に声を裏返す。
「ちょっと、このままあの中に雪崩れ込むっていうの?」
ゴルドンは風にフードをなびかせながら、景気のいい声を張り上げた。
「わしゃあ別に構わんぞ。なまった体をちっとばかし運動させてやりたいからのう!」
ピューロが俺やゴルドンに感化されたか、奮起の気合を放った。
「ボクも戦いますよ! 今のボクは全快状態ですからね!」
メイナは深いため息をついた後、真面目に命令してくる。
「ちょっと男ども! あたしとシモーヌをちゃんと守るのよ!」
シモーヌは怯えを隠せない震え声で、しかしはっきりと宣言した。
「私が人間の怪我人を治します!」
彼我の距離はどんどん縮み、人間や魔物たちの姿がはっきり識別できるようになる。と同時に、魔物たちの一部がこちらに気付き、飛びかかってきた。
俺は手綱を操りながら、右手人差し指を構えた。
「食らえっ!」
鋼の爪を真っ直ぐ伸ばしながら振り抜く。真っ二つになった数匹の翼竜が、叫びを上げて落ちていった。馬車を停めた俺は、爪を弓矢のように速射し、一つ目巨人の頭をふっ飛ばし、トカゲ人間を鎧ごと撃ち抜き、翼竜の胴体に風穴を開けた。
ゴルドンが陽気に笑った。『魔法使いの腕輪』を右腕にはめつつ、馬車を降りる。
「よし、わしからも魔物どもにプレゼントじゃ! 受け取れぃ!」
彼の手の平に燃える火球が現出し、近寄ってくる魔物たちに連射された。紅蓮の炎に包まれたトカゲ人間が七転八倒して息絶える。
「ぃやっほう! ざまあみさらせ!」
今や魔物たちの照準はこちらに向けられていた。しかし俺の爪とゴルドンの火球を前に、ろくな反撃もできずに絶命するしかない。
ピューロが口笛を吹きながら、俺たちに告げた。
「ボクは旅芸人のみなさんを助けに行きます! シモーヌ、ちょっとごめんよ」
「きゃっ」
ピューロは新『僧侶の杖』を握り締めるシモーヌを、お姫様のように抱きかかえる。そして疾風のような速さで草原に駆け出していった。人間たちのうち、逃げたものや死んでしまったものはもうどうしようもできないが、そうでないものは助けられる。シモーヌの杖によって……
この頃になると、魔物たちはだいぶその数を減らしていた。彼らは怒りの矛先を俺とゴルドンに向けて、その打倒を最優先としているようだ。しかしそんな野望はいともたやすく打ち砕かれた。爪が空を飛び、炎の球が乱舞する。拳が魔物を打ち倒し、発光とともに瀕死の人間が蘇生する――
メイナが馬車の中で寂しそうにつぶやいた。
「あたし、見ているだけしかできないのね……」
とにかく俺たちの戦闘能力の高さが際立つ戦いだった。魔物たちはみるみる死体の山を築き上げていく。圧勝は固かった。
だが、そのとき。
「キヒャーハッハッ! すげえ! すげえぜムンチ!」
血煙や土煙の向こうから、奇妙な格好の男が姿を見せた。赤いモヒカン刈りで唇にピアスを通している。上半身裸で、タトゥーをびっしり刻んでいた。三白眼で、ちらつかせる舌は蛇のように長い。
彼は両手を広げてこちらに近づいてくる。まとう空気の微妙な違いに、恐らく旅芸人一座のものではないと気付いた。俺は馬車を降りて対峙する。
「おいお前、人間か魔族か? 何で俺の名前を知っている? 答えろ!」
モヒカン野郎はこきこきと指の骨を鳴らす。頭を突き出して軽い口調で言い放った。
「俺さまは『天使殺し』のザルフェ! 魔王ウォルグさまの忠実なしもべだ! てめえのことは主人から教えられてる! キヒャーッ! 強いねえ! 痺れるねえムンチ! その力、魔王さまのために生かさねえか? どうだ?」
『天使殺し』のザルフェ……。聞き覚えはなかった。しかし、魔王ウォルグの下僕というなら、別に生かしておいてやる必要もない。魔物があいつだけを避けて人間を攻撃している事実からしても、その素性は発言どおりのものなのだろう。
俺はふぅ、と微小のため息をついた。
「ザルフェか。よく分からんやつだが、魔族なら死亡決定だな」
俺は『鋼の爪』を振るい、ザルフェの胴を爪の刃で真っ二つにする。
しかし――次の瞬間、信じられないことが起きた。何とザルフェの上半身と下半身が、すぐに吸着して元どおりに繋がったのだ。
「何っ?」
俺は仰天した。こんな奴は初めてだ。ゴルドンも目をこすって二度見、三度見する。
「な、何じゃ、あいつはっ?」
ザルフェは甲高く嘲笑する。痛みも感じていないらしい。




