10金持ち
■金持ち
それからどれくらい過ぎただろうか。やがて扉がノックされ、ピューロの声が聞こえた。俺は扉を開ける。武闘家の少年がにこやかな顔で立っていた。
「ムンチさん、シモーヌ、遅くなりました。……って、シモーヌは寝てるんですね」
ピューロはさっきまでの俺と同様、彼女の顔を見つめる。俺はろうそくの明かりで天井に影を投じながら、さすがに疲れて木椅子に座った。
「今日はもう店は閉めたんだな」
「はい、お客さんも帰ったり泊まったりしてます」
俺はせっかくだからと少し話してみることにした。うまくいけば金欠状態から脱出できるかもしれない、とある考えについて。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが……。その『武闘家のピアス』は、使用者の行動速度を2倍に引き上げるんだよな?」
ピューロはシモーヌから目を外すと、両耳のピアスを撫でた。
「はい、そうです。魔王ウォルグにはかないませんでしたが……」
「これを見てくれ」
俺が自分の背負い袋から取り出したのは、くすんだ金色の冠だ。ピューロが仰天して近寄ってきた。信じられない、とばかりに二度見、三度見する。
「これは、賢者カシマールさんの『賢者の王冠』……! 地下迷宮での戦いで、カシマールさんが爆発したとき、こっそりくすねたんですね?」
「くすねただなんて人聞きの悪い。こいつが勝手に俺の方へ転がってきたんだ。貴重品っぽかったし、とりあえず背負い袋に放り込んでおいたんだよ」
誰かに聞かれたら嫌なので、心持ち声を潜める。
「で、どうだ? 俺はさっき何度か被ってみたんだが、冠の能力である索敵はできなかった。どうも俺には使えねえらしい。ピューロは使えるか?」
ピューロは俺の差し出した冠を、被りもせず平手で押し返してきた。沈んだ声を発する。
「いいえ、無理です」
「どうしてだ?」
「ボクの『武闘家のピアス』もそうですが、伝説の武具の使用には素養が必要なんです。たとえばボクは武闘家の修練を積んだから、『武闘家のピアス』が使える、といったように。『賢者の王冠』は、賢者の修行を重ねたカシマールさんだから使えた、ということなんです」
まあ、うすうす分かっていたことではあるが。
「そうか……。でもカシマールは賢者のふりした堕天使ウォルグだったんだぞ。いわば悪魔だ。悪魔でも使えるってのか?」
「はい。勇者一行として華々しく王城を出発してからこっち、カシマールさんは確かに索敵してましたから。人間として、王冠の力を使って……」
俺は頭髪をゆっくりとかきむしった。
「じゃ、こいつは俺たちには無用の長物ってわけか。それなら一つ提案なんだが……」
「ええっ? 『賢者の王冠』を売っちゃうんですか?」
それぞれ休みを取った俺たちは、朝早くから露天商の広場を訪れていた。シモーヌが話を聞かされて驚愕している。まあ、そりゃそうだろうな。国宝というより人類の財産のようなものを、これから金に換えるというんだからな。
「ああ、それ以外に使い道ねえだろ、こんなもん。金のない今、贅沢はいってられないからな」
ピューロは苦笑した。それ以外に彼の心情の表現方法はなかっただろう。
「ボクは反対したんですけどね」
シモーヌが食い下がる。
「でもでも! こんな貴重な武具を、そんな独断で売却するなんて……!」
俺は王冠を指に引っかけてくるくると回した。
「どうせ俺たちが旅の途中でのたれ死んでも同じことさ。なら少しでも俺たちの役に立てばいい。どうせお前も使えないんだからな」
「まあ、そうですが……」
「議論は終わりだな」
俺たちは金持ちそうな商人を見つけて声をかけた。誰が相手でもいいというわけではない。それなりに大手の、なおかつ目利きである人物が好ましかったのだ。
「おっちゃん。この冠を引き取ってほしいんだけど」
露天商は『賢者の王冠』とは気付かなかったようで、受け取った冠を仔細に眺めた。
「ほう、これはこれは……! 立派な冠ですな。……いや、この宝石といい素材といい、こいつは……!」
彼の部下らしき人たちが、何ごとかと集まってくる。露天商は仲間内で王冠を回した。その誰もが驚愕している。ギシュリー王国の宿場街『ピークス』で巡り合えるような、そんじょそこらの安物ではないと悟ったのだ。
感嘆の声を上げる彼らに、俺はタイミングを見計らって尋ねた。
「どうだ? 50万ゼニーぐらいで引き取ってもらえるか?」
露天商たちは一斉に無形の平手打ちを受けた顔をした。誰もが度肝を抜かれている。
「へっ? そんなに格安……じゃなくて、その額をご希望なのですか?」
「ああ、十分だ。もちろん色をつけてくれたら嬉しいけどな」
商人は前傾姿勢になってこの奇跡にかじりついた。
「で、では60万ゼニーで! よろしいですね?」
「よし、交渉成立、だな!」
「ありがとうございます!」
こうして俺たちは60万ゼニーの金持ちになった。
「それじゃお二人さん、旅の無事を祈ってます」
ピューロはじゃっかん寂しそうに笑った。
「北の出口で準備しているジョーンズさんの隊商が、どうやら北のジティス王国へ向かうらしいです。それに乗せてもらえれば旅もはかどるでしょう。ボクは仕事があるので戻りますね」
俺は『風見鶏亭』へ戻ろうとするピューロの手首を掴んだ。こちらへ向けられた不審そうな目に、当然の言葉を投げかける。
「おい、何言ってるんだ。お前も来るんだよ」
「えっ?」
驚愕が彼の顔を満たす。こいつ、本当にお人よしだな。
「一宿のお礼だ。旅の連れは一人でも多いほうがいい。ゼペタ店長に話して、今日で仕事を辞めちまえ。俺たちと一緒にジティス王国へ戻るんだ」
「ムンチさん……! で、でも、急にやめるわけには……」
「いくらあればやめても大丈夫なんだ?」
「そ、そうですね、10万ゼニーあれば何とか……」
俺は黙って10万ゼニーをピューロに握らせた。彼はまた衝撃を受けている。
「ほら、早く行ってこい。俺たちは北の出口で待ってるからな」
「あ、ありがとうございます! では、行ってきます!」




