01魔王モーグとムンチ
■魔王モーグとムンチ
「お前が魔王か?」
巨大な玄室だった。今まで通過してきたこの地下迷宮の中でも、これはひときわ大きい。その奥のまがまがしい玉座に座る男に、俺は尋ねた。
「もう一度聞く。お前が魔王か?」
男は整えられた黒髪をYの字に伸ばしている。その下の岩石のような顔はかなり硬質そうに思われた。深すぎる彫りで究極に奥まった両眼は、ぎらぎらと粘っこい光を発している。何重にも黒衣をまとい、黄金の首飾りを胸元に垂らしていた。
「そうだ。余が魔王だ。よくぞここまで来たな、『勇者』よ。たった一人で我が魔物の群れを突破するとは、さすがに違うな」
その声は野太く、俺の腹の底に響いてくる。一般人ならこれだけで恐れおののき、土下座して寛恕を乞うだろう。だが俺はへいこらせず、背負い袋をかけ直すにとどめた。
「……俺は『勇者』じゃねえ。ムンチって名前の、しがない放浪者だ」
「ほう、ウンチか」
俺は瞬時に沸騰して魔王を睨みつける。
「てめえ、俺をウンチ呼ばわりするのはやめろ! 気にしてんだぞ、これでも! 俺はムンチだ! ム・ン・チ!」
気圧されたように魔王が謝った。
「あ、ああ、悪かった……」
心からの謝罪で俺は少し機嫌を戻す。分かればいいんだ、分かれば。
「ところで魔王、お前の名前は何だ? 一応聞いておきたい」
魔王は気を取り直したか、ふてぶてしい態度で改めて俺に迫った。冷笑すら浮かべている。
「余は魔王モーグだ。……それで? 『勇者』でないお前は、いったい何をしにここまで来たのだ? まさか手下に加えてほしいというわけでもあるまい。ここまで立ち塞がってきた余の配下どもを、散々に殺しまくってきたのだからな」
俺は上から目線のモーグに本心を打ち明けるべく、呼吸を整えた。
「じゃあ聞かせてもらうぞ、魔王」
心臓の鼓動がことさら高くなる。緊張が見えない鎖となって俺の体を縛り上げた。びびるな、俺。かすれた声で、しかしはっきり発音する。
「魔王、お前は俺が悪魔に見えるか?」
一瞬の静寂。破ったのはモーグの間抜けな声だった。
「は?」
俺はもどかしくなり、苛立って問いを重ねる。一回で伝われよな。
「は? じゃねえよ。教えろよ。俺が悪魔に見えるかどうかを、な。どうしても確かめたいんだ」
そう、俺は悪の権化であるモーグに、今の質問に答えてもらうべくここまでやってきたのだ。それは狂おしいほどの欲求だった。生死を懸けて、俺は返事を切望したのだ。
魔王は呆れ返っている。
「おい……。そんなくだらんことを聞くために、この魔王モーグの地下迷宮を突破してきたっていうのか? 余の大事な部下である魔物や魔族を、すべて倒して……!」
その言いぐさにむかついて、俺は怒鳴りつけた。
「くだらんとか言うな! 俺にとっちゃ、これでも真剣な悩みなんだよ!」
床を蹴りつけて憂さを晴らす。その様子を見やりつつ、魔王は意味を持ったため息をついた。
「やれやれ、訳の分からんことを……」
他人にはそう見えるだろう。だが俺には死活問題なのだ。それがモーグには理解されておらず、俺は地団駄を踏みそうになった。歯がゆい。
「どうなんだよ。答えろよ。答えなきゃ魔物ども同様、お前もぶち殺すぞ」
魔王は肩をすくめておどけてみせた。処置なしといわんばかりだ。
「おお、怖い怖い。……そうだな、では教えてやろう。おいシモーヌ、出ておいで」
「シモーヌ?」
モーグの玉座の後ろから、15歳ぐらいの女の子がこわごわと出てきた。今までずっと隠れてたのか。その美貌に、俺の視線は我知らず惹きつけられた。
薄青色の髪の毛は肩にかかる程度の長さ。ぱっちりした目元は睫毛が豊富で、碧眼を艶やかに彩っている。まだあどけない顔つきは、それでも十分美しく、将来性に富んでいた。肩を出した白い衣は、そのまま両膝の下辺りまで伸びて、裾にフリルがついている。
俺は頭を振って、不覚にも見とれていた自分をたしなめた。せいぜい余裕ぶってみせる。
「こ、子持ちの魔王ってか? 冗談きついぜ」
モーグはそんな俺をよそに、シモーヌに尋ねた。穏やかな、父親のようなしゃべり方だった。
「どうだねシモーヌ、今目の前にいるあの少年は、悪魔に見えるかい?」
少女はその設問がおかしいと感じたのだろうか。くすりと笑って明快に答えた。
「……いいえ、おじさま。普通のお方に見えます。そう、とっても普通な人間の少年に」
俺はその回答の温かさに、半歩たりとて動けない。
「…………」
魔王は苦笑して、無言のこちらを見やった。相変わらず野太いが、微量の優しさを含んだ声を投げかけてくる。
「余も同感だ。どうだ、ムンチとやら。お前はとても悪魔には見えん。余は魔物の人間型であり、れっきとした魔族だ。だがその余の目から見ても、お前はごく一般的な人間に思える。……どうだ、参考になったか?」
俺は身のうちに高まる感動が、涙腺に波及してそれを打ち壊すのを感じた。鼻の奥がつんと刺激される。
そうか。俺は、悪魔の元締めである魔王の目から見ても、人間そのものなのか。探し求めていた答えが今与えられて、俺は、俺は――
「うう……」
「へ?」
「ううう……うぇええ……」
止められなかった。あまりの感激に俺はしゃくり上げ、次から次へとあふれる涙を頬に伝わせる。この10年の放浪生活が、いや、今までの人生が、遂に認められたのだ。こんなに嬉しいことはない。
シモーヌが呆然としていた。
「おじさま、この人泣いてますよ」
「な、泣き出した……。何なんだ、この少年……」
俺は腕でごしごしと目元を拭った。だが零れる水滴は容易には尽きない。
「魔王モーグ……それと、その子シモーヌ……二人ともありがとう……うぇええん……」
と、そのときだった。
「ここもだ……。守衛の魔物たちが残らず殺されている……。むっ、あれが魔王か?」
玄室の入り口から人間の声がした。振り返れば、5名の武装した男女が身構えつつ室内に入ってくるところだった。