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さいしゅうわ 冬が終われば春が来る

 私は2020年現在のヤパンの人口ピラミッドを見ていました。


「見事なまでにひょうたん型ですわね……」


 そこへお父様がそっとやってきて言いました。


「この国にはもはや希望はないのかね?」


 私は首を横に振ります。


「むろんそんなことはありませんわ。

 お父様」


「ふむ?」


「人はいずれ老いて死にます。

 ですが死因は時代によって移り変わります。 

 1947年においては結核、肺炎及び気管支炎、胃腸炎、脳血管疾患、老衰の順でした。

 1960年では脳血管疾患、悪性新生物、心疾患、老衰、肺炎及び気管支炎に代わります。

 1990年では悪性新生物、心疾患、脳血管疾患、肺炎及び気管支炎、不慮の事故になります。

 2019年では悪性新生物、心疾患、老衰、脳血管疾患、肺炎です。

 脳血管疾患や心疾患では死にたくないと思い、血圧を下げればガンになります。

 ガンの早期発見に努めていても、肺炎になります。

 肺炎も防ぎたいとワクチンを打っても薬剤耐性菌による敗血症は防ぎようがありません。

 あらゆる病気を予防しようとしてもいずれは人間は必ず死にます。

 ですので今の団塊ジュニア世代が90代に差し掛かる、50年後にはおそらく出生数もある程度回復するでしょう

 日本の総人口予想は2060年には8674万人、2100年には4700万人と予測されていますが、そもそもその程度の人口が適正である可能性が高いとも思います

 ヨーロッパに比べれば土地の広さに比べて現在人口はおそらく多すぎるのですから」


「身もふたもないがそういうことなのかもしれぬな」


「1700年ごろの江戸時代中期には、全国各地で出生率が著しく低下しました。

 それまでは治水や干拓などにより農地開拓ができていました。

 ですので分家などもどんどん増えていったわけです。

 ですが、1700年ごろになると手作業でできる農地開拓については限界になりました。

 江戸時代は乳幼児の死亡率がまだまだ高かったので、少なくとも4人、できれば5人の子供を生まなければ、家の継承や村落の人口規模を維持することはできなかったのですが、人口が増加していた17世紀では、女性は一人あたり5~6人は生んでいたのですね。

 しかし18世紀になると多くの地域で4人を下回るようになりました。

 それによって江戸時代の半ばから幕末までは人口がほぼ増えない状態でした」


「ふむ、現状のヤパンは明らかに人口が減っているがな」


「それは戦後の爆発的な出産増加が原因ですので致し方ありません。

 それに現在では機械化自動化が進み人出は以前ほど必要出ない業務も増えていますから、人口がある程度まで減るのはもはや致し方ないでしょう。

 ですが、おそらく5000万人前後で安定するのではないかなと私は思います。

 そこまでは冬の時代かもしれませんが、いずれ春は訪れるものと私は思いますわ」


 (わたくし)がそういうとお父様はうなずきました。


「まったく、そう願いたいものだな」

これで終わりです。


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星5評価なら小躍りして喜びますし、星1評価なら部屋の隅っこでいじけて体育座りすると思いますw


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― 新着の感想 ―
[良い点] 公爵令嬢と公爵の会話から現代の日本の少子高齢化問題に迫る。データをあげて過去の日本の歴史から未来を俯瞰する。すごくいいと思います。特に縄文時代晩期の人口減少問題への言及が良かったです。
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