そのよん 学校教育
さて、本日の私は自室にて勉強の最中です。
貴族すなわち支配階級の妻は家の管理が主な仕事ですが、当然一般家庭の家庭管理とは次元が全く違います。
家の中の使用人に命令を出し、彼らに払う給料や職位などの様々な金銭を管理し、こまごまとした雑用をかたずけ、ほかの家の女性との儀礼的な付き合いを行いますし、夫が家にいないの間は領地やその領民、徴税や祭りの開催、領地における紛争などの問題の解決もしなければなりません。
ですので金の管理や法律の勉強も必要ですし、社交の場おいて必要な礼儀作法、ダンス、ピアノ、詩、刺繍、馬術などの技術も必要です。
さらには菜園で簡単な所業を行え、作男と理解し合えるほど農作業に精通している必要もあり、狩りでとれた獲物の種類や裁き方調理方法などにも精通し、少しばかりの薬と医術の知識も持っている必要もあったりします。
領主の妻など笑顔でにこにこしていればいいんだとしか思わない男にはわからない苦労ですね。
法律にせよ、話術にせよ礼儀作法にせよそれを熟知することで己と領民を守ることができる武具なのですから手を抜くわけにはいかないのですが。
そんなところへメイドを伴いお父様がやってきました。
「ずいぶんと勉強に精が出るな。
しかしそんなに根を詰めて勉強をしなくてもよいのではないかと思うが。
まあお茶でも飲んで休憩しようではないか」
お父様の言葉に私はうなずきます。
「ありがとうございますお父様。
では少し休憩することにいたしますわ」
「それでだが、以前にお前は”まあ、学校教育に関してはもはや時代遅れも甚だしいとだけ今は申し上げますわ”といっていたな?」
「ええ、そのように申し上げましたわね」
「具体的には何が問題であるのか説明してくれるか?」
私はお茶に口をつけてのどを潤したあと一息ついてから言います。
「わかりましたわ。
まず一つは現代は教育期間が長すぎることですわ。
そしてもう一つは主要産業が変化したり、そもそも人口や世帯数が減少しているという時代の変化に合わせた教育制度の変化がないことですね」
「ふむ」
「現代では最低でも高校、ほとんどは大学まで行くのが男女ともに当然となっています。
ですので、18歳や22歳までは教育の期間となっていますが、そもそもDNAや心臓の鼓動の回数的に定められた人間の寿命は40歳程度、細胞分裂の鈍化による身体の老化や免疫力低下から考えても、55歳程度と考えられています。
しかし大学を出てから就職し結婚するのが30歳になることも珍しくない状況ですと、出産は当然それ以降になります。
社会的に身体の本来寿命に比べて晩婚化が行き過ぎる原因が学校教育の期間の長さによるものであるのは間違いないでしょう。
そして教育機関が長びけば扶養者の金銭的負担も当然長く重くなります」
「確かにそうかもしれないが……」
「子供が15歳で中学校を卒業して就職して自立した生活をできるようになるのと22歳で大学を卒業してようやく就職して自立した生活をできるようになるのとでは親の負担はけたはずれにちがうのです。
しかも現代では大学を卒業したからといって必ずしも大企業の幹部候補生として採用されるわけではありませんし、むしろ高卒のベンチャーの社長の方が稼いでいたりもしますわ。
そしてさらなる問題は學校の教育を受けても学生には現代における就労してから役に立つ知識や技術はほとんどついているわけではないということです」
「それはどういうことだ」
「日本の教育システムは約150年もの間ほぼ変化がありません。
そして元は上官の命令に忠実に従う優秀な兵士を育成するための制度であったといえるでしょう。
戦争に敗北した後は徴兵制度がなくなった代わりに基幹産業が炭鉱を主とした鉱業、建築土木業や製造業に移ったためこれまた指示に従って作業ができる者が育てば十分でした」
「確かにそうであろうな。
日本人社員は指示待ちしかできないと諸外国にも揶揄られていたりするのが実情だ」
「ええ、それもそのはずですわ。
1920年には農業・漁業・林業などの第一次産業が55%、鉱業・建築土木業・製造業などの第二次産業が20%、その他サービス業が25%でした。
しかし1965年には第一次産業が25%、第二次産業が30%、その他サービス業が45%で、現在では第一次産業が5%、第二次産業が25%、その他サービス業が70%にもなっています。
ですので現代では指示を受け言われた通りの作業ができればいいといい時代ではないのです。
しかしながら日本の教育は教師が話し、生徒がそれを書き記すだけの受け身のスタイルのまま変わりませんし、生徒が授業内容を理解していなくても勝手に進み、反対に分かっていても飛ばすことができません。
子供一人一人の能力を伸ばすよりも集団で足並みを揃えることに重点が置かれていますすがこれが兵隊を育てるためのものである名残なわけです。
そして日本の教育は暗記学習に重点を置きすぎていることです。
なので、自ら考えたり疑問に思ったり、提案したりする能力がほとんど伸びませんし、いやいや勉強するため嫌いになったり苦手だったりすることも多いです。
歴史について「〇年〇月に○○」が起こったという事実を覚えることだけしかしないので、その背景や何故そのような事になったのか、それで結果としてどう変わったのか、それが現代にどのようにつながるのかなどはほとんど理解されないわけです。
結果として、社会人になった時には学校で学習した事はほとんど覚えていませんし、覚えていても実際に仕事には役に立たないという結果になってしまうのです。
さらには2002年の規制緩和により学区の撤廃や、従来は国・地方自治体・学校法人しか学校を設置できなかったものが、規制緩和によって株式会社とNPO法人も学校を設置できるようになったために学校の教育ですら公的サービスとは考えがたく、もはや市場原理主義によって供給されるものとなったため学費の高騰が止まらなくなっております」
「うむむ……」
「私としては小学校や中学校教育はともかく高等学校教育は暗記中心ではなくもっと将来就業予定の職業教育や性教育的なものを増やすべきだと思います。
またそのためにも中学校卒業ぐらいには将来における就業先をある程度決めておけるようにもしておくべきでしょう。
ただ漠然といい大学を出ていい会社に入ればなんとかなる時代では今はありませんので」
「確かにそうなのかもしれぬな」
「個人的に成年年齢は16歳として中学校卒業後は結婚や出産を推奨していった方がよいと思いますけどね」
「うーむ……それはどうかと思うのだが……」
お父様は歯切れ悪く答えました。
「人間の前頭葉は20歳が発達ピークなのでそれ以前の飲酒や喫煙・賭博行為は危険であるというのが20歳成人の根拠だと思いますが、ニュージランドのように成人年齢とそういった行為の可能な年齢は別とすることで問題は解決するかと思いますわ」
「ふーむ……とはいえそう簡単には変えられぬぞ。
そうしようとするには学校だけではなく会社組織や親の意識もすべて変えなければならないはずだ」
「ええ、問題はそこなのですよね。
いい大学を出ればいい会社に入れるという幻想を、まずは親や祖父母が捨てなければならないわけですが、そう簡単にはいかないとわたくしも思いますわ」
・・・
というわけで個人的には大学にさえ入れば人生の勝ち組になれるという幻想を高齢者が持ちつづける限りは学校教育は変わらないだろうけど、今のままではどんどん学校教育に意味がない割に莫大な金がかかるというものになっていくように思います。