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誘い水LINE  作者: 氷室
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第四話 汚染された川

 2018年8月1日 6時23分

『偉大な記録が今月生まれる……かも……』

『偉大な記録……俺たちの残業時間が偉大なる記録へ……』


 2018年8月5日 2時31分

『もう誰にもついていきたくねー俺笑笑』

 これまで飲んでたん? と返信。

『今釈放されたんどす!』


 2018年8月6日 12時15分

『また飲み会で面倒くさいことが起こりそうや』

 マジか! と返信。

『支店長がお盆明けバーベキューやろうと言い出して、シュークリームを運転要員として北海道から呼ぶとかいう謎の計画を立てだした』


 2018年8月16日 10時16分

『お盆明け最初の仕事。タイムカード切って一時間もたたずにトラブル続出! いや~休みボケから一気に解放してくれるなんてさすがやで笑』

 どんなトラブル? と返信。

『荷物がないとか、指示書がないとか安定感のなさがヤベー笑笑。しかもバーベキューも会社の正式なイベントだから絶対参加しろってよー。ただの取り巻き引き連れた飲み会やん笑』


 2018年8月18日 23時13分

『明日のバーベキュー、汚れても良い服装で来いと連絡があった。どんだけ大暴れする気なんだよ笑』


 2018年8月19日 17時34分

『やられた笑。放置された笑』

 どった? と返信。

『バーベキュー場で先に帰られたけど、まあこっちもタクシーで帰ったから何とかなった笑』


 2018年8月21日 12時14分

『高林さん、悪いことは言わないっす。ベッド買うとき〇〇だけは辞めた方がいいっす』


 2018年8月23日 19時24分

『本当どんだけ酒すきなんだよ笑笑。飲み会誘われて俺断った笑笑』

『もう酒の付き合い本当辛いわ。1人になりてー笑。なんで社会人になってあんなつるむの好きなんだろうあの人達』


 2018年8月24日 0時42分

『好き勝手しやがってよー。今飲み帰りの奴に部屋入って来られたわー』

『さすがに非常識すぎねーかな』

 不法侵入! と返信。

『好き勝手やり過ぎ。自分が思ってる以上に周りが怒ってることに気づいて欲しい』

『どんだけ人の迷惑考えねーんだよ笑』


 2018年8月24日 21時6分

『また飲みですこぶる面倒なことになった』

『しんどすぎるな』

 毎日飲み会があんのか、と返信。

『アル中が感染するわ』

 怖いな、と返信。

『ホラーなんですけど笑』

 フィクションぐらいのレベル、と返信。

『そして巻き込まれるのは俺! 犠牲になるのは……俺のプライベートの時間!』

 そしてお金は発生しない! と返信。

『めんどくせえ、めんどくせえ、めんどくせえ!』

 スタンプ対応。

『もう勝手に俺の予定決められたからさ』

 スゲーな、と返信。


 2018年8月28日 19時40分

『今日電話越しでクズ(シュークリーム)の声を久々に聞いてしまった……。鼓膜腐るかもしれない笑』


 2018年9月8日 12時30分

『酒飲みひき逃げの〇〇〇〇〇ってタレントは酒癖相当悪かったらしい笑。うちの会社の人もいつかやりそう笑』


 2018年9月13日 20時24分

『今日努力が実ったのか何なのか、今月最大のピンチを乗り切ったぜ笑』

 どんなピンチだったの? と返信。

『仕事で八王子方角に行ってさ、生まれて初めて行ったんだけど、帰るときスマホの充電ほとんどなく、地図とモバイルバッテリー電源持ってきてない状態に陥ってさ笑』

 それは怖い! と相槌LINE。

『でさ、俺道路とか勉強してるって話したじゃん。だから高速に乗っちゃえばなんとかなるかなって思ったけど、近くのインターまでの行き方が分からなくてさ笑』

 ふむふむ、と相槌LINE。

『コンビニで地図立ち読みして、なんとか帰ってきた笑。3時間かかった笑笑。半年前の俺なら無理だったと思うわ笑』


 2018年9月15日 0時26分

『いやー今日もなかなかやばい日やった笑』


 物流業界なのに電気工事の仕事をさせられていて、その件の愚痴を聞いてあげていた時期に、その日始めてのLINEとして誘い水ってきた。

 2018年9月20日 11時30分

『久々に辞めたいって四文字が脳内に浮かんできたな笑。腹立ち過ぎて仕事が手につかない』

 また考える機会なのかもしれん、と退職を仄めかすような相槌LINE。


『俺はこの話まだ支店の人には言ってないけど、話したらさすがに皆怒ると思うわ』

『もの運ぶのなんて誰でも出来るとか、〇〇支店はクソとか普段MTも運転してない人(本部の営業部の人)に言われたりとかさ。まあ、そういう俺らは営業なんてしてないから向こうの言い分はあるんだろうけど、意地でも黒字出したいんよ』

 説明会とかしないのかね、と相槌LINE。


『12月に低圧電気なんちゃら講習を受ける予定ではある。でもその前にこの案件を勧めるようとしてる人達と〇〇支店とで話合いというか、会議の場とか普通は設けるよ。それもなしで、ただ現場行けって言われていずれは自分達だけでやれるようになれって、コッチの言い分とか聞いてもくれないのかよって話だよね笑』

 資格取れたんなら別の会社の方が稼げそうだね笑 とそそのかすように返信。


『だから資格まで取るんだったら今の会社にいるメリットがもうないんだよな笑。仮に資格まで取ったところで給料上がらないなら、ますます辞めて本当に電気工事士なるのが普通の判断でしょ笑』

 そうそう、と相槌LINE。

『付加価値をつけなちゃいけないってのは分かるけど、資格を取らせたり教育にかかるお金とか時間考えたらやるべきじゃねーよ笑』


 2018年9月26日 22時56分

『てか話変わるけど、もしかしたら俺も左遷されるかもしれない』

 え!? 逆に都合いいから、退職したら? と返信。

『うん。まあ、まだ分からないけどクレーム処理の件でトラブルが多くてさー。ろくな引継ぎすらもされずに押し付けられてこれだからなー。さすがに左遷ってなったらすぐ退職するわ』

 確定してるわけじゃないんでしょ? と確認。

『確定はしてないよー。ただこの仕事でトラブル多くて左遷されてる人は何人もいるから、ヤバいかなー』

 コエー、と相槌LINE。

『だから押し付けられる前に、この仕事だけはやりたくねーって思ってたんだよねー』

 その時が来ちまったのか、と相槌LINE。

『うんー。そうそう左遷されるかうつになるかどっちかなんだよね。シュークリームは後輩に丸投げって新たな極地を開いたみたいだけど笑笑』

 ここから既にいなくなった係長の悪口が長々と綴られる。


     ★


きゃぴきゃぴした若い女性の声が躍るように響いている。

 場違いな空間に座らされる僕の眼前には、ご覧くださいと盛りに盛られまくったパンケーキがふんぞり返っている。


 口に入れる前から甘いんだなと断言できるくらいの匂いが充満している。

覆い隠された主役が終盤に差し掛かってから飛び出してくるような皿の構成。

 生クリームやハチミツが彩りを湛えながら、最奥に鎮座するホットケーキが僕を睥睨している。ここに辿り着きたいのなら全ての敵を倒して見せろと言わんばかりに。


「っふ」

 小さく息を吐き、覚悟と決断を強いる。

 慣れないナイフとフォークを握りしめ、この柔らかくも積み上げられた高層に銀の刃を振り下ろす。


 音も無く切り裂かれ崩れるパンは、最期の抵抗とばかりにクリーム達がナイフにしがみつくように吸い付いてくる。

 捉えられたナイフを助けようと、フォークが串刺しにしてハチミツとパンの両者に突貫した。するとフォークも身動きを封じられる。


 けれどフォークも銀で出来ているほどに精神は堅く、肉を切らせて骨を断とうと、標的もろとも地獄の入り口にダイブした。パクリと扉が閉じられパンたちは地獄に落とされる。

苦労の末、フォークは唾液まみれになりながらも生還した。


「高林さんっていつも無言で食べるんですか?」

 真剣な食事戦争を妨害するように江野さんが話しかけてくる。

「……ああ。食べ終わってから喋ればいいやって考えてるタイプ」

「ふ~ん。それって皆に嫌われません?」

「……」

 自覚ありありのあり。図星だったから言葉もでない。


「最近は楽しく食べるって言いますよね」

「……」

「ちょっと、返事くらいはしてくださいよ」

 返事もなにも、まだ食べてる途中でしょうが……なんて物理的にも言えるはずもなく、咀嚼そしゃくして飲み込んでから声帯を震わせる。


「楽しく食べるんじゃなくて、楽しく喋るために食べてるんでしょ」

 一瞥もせずに僕は言い放った。

 当然、彼女はきょとんとしている。

「食べる目的ではなく、喋るために共通行動を取ることで円滑に会話を成立させる目的ってことさ。食べるための〈楽しく食べる〉ではなく、喋るための〈楽しく食べる〉。つまりはそうゆうことでしょ?」


 “楽しい”は喜怒哀楽の一部だ。だが、楽しいかどうかはやってみないと分からない時もある。

 それを鑑みた場合、食べてから楽しいかどうか判定されるケースもあるってことだ。しかし〈楽しく食べる〉って言葉は、判定以前に楽しく振舞うことを最低限の条件としている。

 十人十色の楽しみ方、ないし様々な感情や感覚があるのに対し、〈楽しく食べる〉という言葉は勘違いしやすい厄介な単語の並びだ。


 食事が楽しいかどうかではなく、楽しむために食べる。

 つまりは食事にきているのは二の次で、その人と一緒に同じことをすることが一位なのだ。

 けれど〈楽しく食べる〉と一括りで皆が言うものだから勘違いしやすい。

 “楽しくコミュニケーションを取るために食事をしよう”って言えばいいだけではなかろうか? 長いかな?


「高林さんって、たまに屁理屈言いますよね」

「そう思っても本人には言わないで欲しいな」

「素直な感想なのでご遠慮しときます」

 江野さんについて、理解できていたつもりだったが、時折迷ったり困ったりすることがある。

 最近になって彼女には馴れてきたけど、まだまだのようだ。


「江野さん。僕からも素直な感想言っていい?」

 今度は僕が切り出すことにする。一矢ぐらいは報いるつもりだ。

「何ですか? 文句は聞きませんよ」

 僕から仕掛けてくるのを予知してか、初手を出させる前に牽制をしかけてきた。

 でも、怯まずに僕は心を声に乗せる。


「ありがとう」

 まっすぐに言った。彼女の瞳を見ながらまっすぐに。


「な、なんですか急に」

「急ではないでしょ。最近ってか、数カ月前から愚痴聞いてくれてるし」

「そ、それはLINEが面白いからで、愚痴を聞いているつもりはありません」


「江野さんとしてはそうなんだろうけど、僕としては助かってるんだよ。誘い水ってこられるの、屁理屈野郎にはしんどくてね。真面目に考えれば考えるほど、堂々巡りになっちゃってさ。同じような返信をしないようにしてるの馬鹿らしく感じてたら、江野さんがどうでもいいから適当に返信したらってアドバイスしてくれたじゃん。最初はアドバイスじゃねーって思ってたけど、人間関係って案外そんなもんだなって感じててさ」

 すらすらと言えた自分に驚いていた。

 それだけ困り果て、彼女に依存していたのかもしれない。


「本当に甘ちゃんですね。優しすぎると自分を殺しますよ」

「…………ま、そうなるね」

「なんですか今の間は。気持ち悪いです」

 ちっとも目を合わせようとしない。照れている江野さんは片手で数えられる程度しか見たことがなかったので新鮮な気持ちになる。


「お礼を言うのはコッチですから、やめてください」

 江野さんの反撃の狼煙が上がる。しかし僕も無抵抗で成すがままにするつもりはなく、純粋な気持ちを言葉にしてみた。

「あ~。これはお礼ってか、適材適所とか両者両得みたいなもんだし」

「両者両得って言葉ないですよ。適材適所はありますけど」

「バレちゃったか」


「大学生バカにしないでください。一挙両得のパロディのつもりですか?」

「そんな深い意味はないけど、僕らの関係の利害を単語にしたら何になるのかなって考えてたら思いついただけだよ」

「……ふ〜ん、そうですか。考えて思いついた、ですか。じゃあ利益じゃなくて利害ってのも、考えた結果なんですね」

 彼女の台詞にトゲを感じる。

 屁理屈に仇なすのは屁理屈だと示すように、幼稚な言葉選びを重箱の隅をつつく様に刺激してくる。


「すみませんでした」

 勝てる要素が見当たらないので即刻降伏を呈する。

 江野さんは満足げにロイヤルミルクティーを飲み干していた。


     ★


 7月に初めて彼女と二人だけでご飯を食べた時の記憶を反芻する。


「江野さん、結構食べるね」

「半日何も食べてなかったので。普段は小食ですよ」

「休憩中のお弁当、女の子みたいな可愛いやつだもんね」

「みたいじゃなくて女の子です。というか、やっぱりわたしのこと狙ってるんですね」

「弁当のことだよ」


 無理なシフト変更を許容してくれたお礼だったから、沢山注文されて支払いが膨れても気にはならない。

 そんなつもりもあって、僕は一通り食べ終わったのにもう一度メニューを凝視する。


「まだ食べるんですか? 高林さんも食べますね」

「僕は普通の人よりは食べちゃうからね。いっつも痛風か糖尿病に恐怖してるよ」

 なんて中身のない会話をした後、僕はウエイトレスを呼び2回目の注文をした。


「ここに載ってるデザート全部で」

「「え?」」

 横と前の女性二人が唖然としている。

 何を驚くことがあるのだろう。珍しいことではあるけれど、驚くことではない。


「高林さん。お金を払うからって、無理に注文して残すのはダメですよ。しかも絶対に食べられない量を注文するなんて論外です」

「大丈夫だよ。あの、すみませんが宜しくお願いします」

 注文は撤回せず。バイトと思われる女性は引きつった笑みのまま、抗議もせずに去っていく。


「高林さんって、甘い物好きなんですか?」

「うん。お菓子はそんなに食べないけど、デザート系は大好物だよ。アイスとか家の冷蔵庫に常設してるよ」

 男なのに珍しい、と江野さんに反論されるかと思いきや……

「三度の飯より好きですか?」

 まるでテストのような問いだ。再度確認するような。


「そりゃあ、まあ」

 曖昧に答える僕に、彼女は続けざまに詰問してくる。

「デザート無しご飯と、デザートだけの二つならどっちの一食を選びます?」

「金額によるけど後者かな。さすがに2000円も違ったら馬鹿らしい。500円くらいなら誤差範囲内だね」

 1000円の定食と1500円のアイスなら、即決でアイスだな。


「っ!」

 まるで固唾を呑むように、何かを吸う動作をしている江野さん。

 具合でも悪いのか、それとも食べ過ぎて胃の調子でも悪くしてしまったのか。

 リバースされても困るしなぁ……女性に変なことは言えないから、ちょっとボカす感じになるけど確認しておこうかな。


「もしかして苦しい?」

「お願いがあるんですが!」

 食い気味に江野さんが強く発言する。


 早朝で客が少なくて助かったが、少ないせいと朝の静けさも相まって、悪目立ちしてしまいちょろちょろと見られている。

「落ち着いて。で、なに?」

「パンケーキって好きですよね」

「食ったことないから知らん」

「食べたことないんですか!?」

「ホットケーキはあるけど」

「似た食べ物です。それどころか同一に等しいです」

「そうなんだ。じゃあ好きだよ」


「ほあぁっ」とカンフーみたいに高野さんが唸る。

「不躾ですがお願いがあります!」

「怖いな。落ち着いて言ってくれ」


 逆に僕は非常に冷静になっていた。

 こんな江野さんは激レアだぁなんて俯瞰的に感じていた。

「食べに行きたいパンケーキ屋さんがあって、1人では食べきれないので一緒に行ってくれませんか!?」

 情熱的な願いだ。というか懇願に近い。


「ヤダ」

 即答で断る。

「なんでですか!?」


「そうゆうのは小坂と行っておいで。僕はわざわざ店に行くほど甘い物好きじゃないし、江野さんと行って勘違いされても困るし」

「……じゃあユウくんがOKしたら高林さんもOKってことですね」

「なんでそうなるの。行きたくない理由は他にもあるよ。パンケーキってあれだろ、女性だらけでしょ。そんなの男が行くのは目立つから嫌だ」


 メディアで取り上げられている光景を思い出す。

 大行列になっていて、後方の人なんてどの店の列か知らずに並んでいることもあるらしい。出不精でぶしょうの僕は外出どころか、大行列に何時間も並ぶなんて苦行でしかない。


「最近は男女で行くケースも増えているのでそこは問題ありません。ではOKということで」

「勝手に話を進めないでいただけます? 小坂がOK出すとも限らないし」

「それも大丈夫です。きっと了承してくれます。高林さんと違ってユウくんは心が広いので」


「悪かったな矮小な許容範囲で。ってか前提が間違えてないか? 小坂と行けばいいだけでしょ」

「ユウくんと行けたら高林さんになんて頼みませんよ。ユウくんって甘い物嫌いらしくて、ファミレスとか沢山の食べ物があればいいんですけど、パンケーキしかないお店に一緒に行くのは抵抗があるらしくって」


 なるほどね。小坂は辛い物が好きで、甘い物を食べてるところを見たことがなかったから肯ける理由ではある。

「で、沢山食べたいけど1人では難しい。だけど残すのはお店に迷惑がかかる。加えて人よりも食べる僕だからこそ、白羽の矢が立ったと」

「そうゆうことです。いちいち言ってくれてありがとうございます」

 おちょくっとんのかコイツ。江野さんのこうゆうところが、バイト先でも距離を置かれる一因なんだよなぁ。


「小坂が良いって言ったらだぞ」

「ありがとうございます!」

 その日一番の、というか今までで一番の笑顔だった。


 そんな一悶着の直後、僕が注文したデザートの群れが運ばれてきた。

「食べたいのがあったら食べていいよ」

「いいんですか?」

「ああ、そのために沢山頼んだんだ。好きな物を好きな分だけ食べてくれ。残った分だけでも僕は十分だよ」

「本当ですか! 小さい器の中でも大きい方の器ですね」

「それって褒めてる?」


 なんてことがあり、江野さんと甘味探求関係が始まった。

 当初の僕は小坂が否定するだろうと思い込み、さらには一度だけの関係だと思い込んでいた。

 まさかの小坂から「頼むわ!」なんて両手を合わされてしまうくらいに、話が進んでしまっていた。


 小坂から聞いた話では、付き合い始めた時から料理や食べ方の揉め事があったらしい。

 江野さんは家庭の躾が原因か、食事のマナーがしっかりしている人で無駄話をしない人らしい。軽く喋るには喋るが、食事をしに来た場合は顕著に声が減る。


 それからは江野さんとパンケーキを食べに行き、彼女が女友達と一緒に行かない理由を痛感した。

 注文の品が届いた瞬間、言葉を収めるどころか雰囲気と空気が変貌するのだ。

 当時は息をのんだが、僕も喋る方ではなかったので居心地が悪いとは思わずに、互いに手を止めることなく食事を終えた。


 すると彼女の方から「明日って空いてるんですよね?」と誘い水みたいに脈絡なく訊ねてきた。

 まさかと思ったが、既に一日空いてて暇であることを雑談で話をしてしまっていたため、自ら逃げ道を塞いだ状態になってしまう。

 結果、季節が変わってしまうくらい、彼女とは甘味探求関係は繋がっていた。


     ★


「だからさ、江野さんの手伝いをしてるつもりだったけど、僕の悩みを聞いてくれている方が多いなって思ったんだ。ありがとうね」

「や、やめてください。面白いと思っただけですから」

 彼女の反応が面白いと思った。


「本当に僕としか食事できないの?」

「……そうです。友達は……というか、最近の人たちってテーブルマナーなってないです。カタカタ音鳴らしながら食べるし、人が食べてるの勝手に凝視したり、一口頂戴とか急にいってくるし」

 僕はテーブルマナーがちゃんとしてる人間ではないが、一部は納得もできる。


 僕の母親が箸のマナーを大切にしている人だった。母方の祖母が厳しい人だったからだ。

 例えば、肘をついて食べたときはすぐ指摘される。体罰はなかったが、ちょっと口うるさい方だったかもしれない。


 江野さんの家はもっと厳しい家だった。

 箸の扱いや、ナイフとフォークも躾けられ、今もその癖が無意識に出てしまう。

 出来る限りは現代の人に合わせたいと思っているみたいだが、どうしても息苦しさが隠せないらしい。

 で、近場に似た考えの僕が居たってわけだ。


「食事時に喋らない人って少数派だったんですね。大学生になってから気づきました」

「どうなんだろう? 外食は喋って、家では喋らないって人もいるだろうし、その逆だって少なくないと思うよ。白黒はっきりとはいかないんじゃない?」

「そうなんでしょうけど、テレビとかはべらべら喋るし」

「あれは演出もあるからね。テレビでは食べた感想を言うけど、実際の人たちは美味しいとしか言わない。喋るのは真似して、どう美味しいのか感想を言うのは真似しないってのが不思議なのは共感できるけどね」

 ははは、と誘うように笑う。

 喋りながら己の心の闇が出てしまっていることに気付いたからだ。ネガティブな話題は避けたかった。


「高林さんとは意見が一致することが増えましたね」

「そう? そもそも喋る機会が増えただけでしょ」

「仕事を始めたばかりの時は、屁理屈野郎だなって思ってました。高林さんの中で、高林さんとしての根幹を担う考えがちゃんとあるんですね」

「いまのさ、狙って言ったんだよね? 自分でならいいけど、他人から屁理屈野郎って言われると真実に肉薄しててキツイんだけど」


 そんな僕の悲痛の気持ちなど無視するように、江野さんが手を差し出してきた。

 無言の威圧が凄く、その意図がどれを欲しているのか予想できる。


「何度も言うけど、誘い水LINEのだけだよ」

「わかってます。それ以外の人とのLINEは見ません」

 渋々と僕は彼女にスマホを渡す。

 江野さんと食事をする際は、友人からのLINEの悩みを聞いてもらうと同時に実際のLINEを見せることがあった。それが当たり前になってしまったからか、彼女の方から見たいと進言するようになってしまう。


 2018年10月5日 20時20分

『ヤベー話変わるけど、また会社でだるいことに巻き込まれた笑。上にいる人間が、下っ端を自分の掌中に収めようとするから、巻き込まれた側が辞めてくんだよなー。ここ数年の辞めた若い社員が全員ここ〇〇支店の人なのも頷ける』


 2018年10月7日 0時46分

『今日の飲み、窓ガラス以来のヤバさだった。俺は大丈夫だけど、チンピラみたいな連中に暴行受けた。詳しくは会った時に』

 スタンプで相槌。

「自分から送信してきたのに会った時っておかしくないですか? 高林さんが困り果ててスタンプ対応するの理解できちゃいます」

 江野さんの毒舌が嬉しい。

 包み隠さず表も裏もない台詞は真実を露出する。


 2018年10月11日 19時38分

『先輩が一カ月前から土曜休み申請してたのに取り消された。怖すぎ笑笑』

 先輩とは窓ガラスを割られたAと思われる。


 2018年11月2日 19時29分

『てかまた明日電気工事だわ。すっげー憂鬱』


 2018年11月5日 20時34分

『今日飲みの誘い断った。酒の付き合い辛すぎる』

 またですか、と相槌LINE。

『ネットで調べてみたんだけど、

 1カ月で飲みに行く回数(仕事とプライベート含む)は、

 1位、ほとんど行かない、行かない……32%

 2位、2~3カ月に一回程度……22%

 3位、月1回程度……15%

 3位、月2~3回程度……15%

 5位、週に1回程度……9%

 らしい。

 やっぱおかしいと思うんだよな俺のところの環境笑。このランキングに俺は当てはまらないよ。多い時で週に2、3回。少ない時で週に1回だから』

 常識破りですな、と相槌LINE。

『こういうランキングみると俺がストレス感じてるの変ではないよな笑』

 確かに、と相槌LINE。

『飲み会が嫌なわけじゃなくて、頻度が多過ぎてしんどいんだよなー。今日はさすがに付き合いきれないと思ってしまった。朝6時出勤で明日も6時出勤なのに。22時までだからいけるでしょって勝手なこと言ってんじゃねーよ』


 ここから怒涛の飲み会とそれに関わる先輩の愚痴LINEラッシュで、それらに相槌LINEラッシュで対応。

「凄い。高林さんの返信を見なくても要点が分かってしまうLINEですね。でも最初のLINEでは何が起きているのか分からない。これが誘い水LINEの特徴ですね」


 2018年11月7日 19時58分

『ブラック企業の理不尽! 炸裂!! ブラック企業のグダグダ感に電気屋さんも引き始めてる今日この頃笑』

 おもろいことがあったのか笑、と相槌LINE。

 内容は、僕に関係のない会社事情がつらつらと送られてきただけだった。


 2018年11月8日 8時36分

『今までと違って何が起きても驚かない笑。メンタルが強くなったのか、感覚が狂ってるのか……俺は後者だと思う笑』

 どちらにしても良いことではない、と相槌LINE。

『取り敢えず3年頑張るにしても転勤したい笑。もうここまで自分の時間ないんだったら東京にいる意味すらないと思ってる』

「じゃあ辞めればいいだけですよね?」

「江野さん、彼はそれが出来ないから愚痴ってきてるの。ブラック企業で3年とか関係ないって5回は言ったんだけどね」


 2018年11月9日 21時22分

『飲み会でまたアル中がクズみたいなことしてる笑』

 またですか、と相槌LINE。


 2018年11月12日 20時37分

『やべー会社崩壊寸前なんだけど笑笑。去年の今頃もやばかったけど、超えてるやばさかもしれない笑』

 なにがあった? と相槌LINE。

『いや色々あり過ぎるんだけどさ、まず過去に話した辞めた奴用に持ってきた仕事のせいで人手が足りなくなってる。それと鬱になった人がやってた仕事があって、またそこに穴が開いたから埋めるために人手を使う。〇〇と〇〇に行く路線が最近不足していて、頻繁に事務員が行かなきゃ行けなくなる笑。いつも明るい支店長が病みだしてきている。ヤバくね? 簡単に言うと、せっかく新しい仕事がバンバン入って来てるのに、いなくなる人も多くてキャパオーバーし始めてきてるってことやな』


 2018年11月13日 8時41分

『今の状況なんとかしなかったら繁忙期破綻するわ笑』

 3月だっけ、と相槌LINE。

『繁忙期は3月。残業時間140時間。頭おかしい笑笑』

 こえー、と相槌LINE。辞めればいいじゃんとツッコんではいけない。

『でも世の中には毎月200時間とかの人もいるからね。俺はそうなったら冗談抜きで絶対死ぬと思うけど』

『社畜過ぎて怖いわ笑』

 逃げる段取りどう? と煽りLINE。

『正直ここ最近考えてなかった笑。でもいよいよ視野に入れ始めないとなー』

「比べる対象がおかしいですよ。無理な残業自体を避けるのが企業の責任でもあるわけですから。それといよいよって何度目ですか! いつになったら辞めるんですか!?」

 江野さん、本当にありがとう。


 2018年11月20日 8時34分

『今日会社のアンケート書いたんだけど、例えば、今の仕事内容に納得してますか? とか、勤務地希望とか。俺は転勤したいですかの欄の“はい”に〇をつけた笑』

『転勤して、転勤先に馴染む前に辞めるのが誰とも揉めずに去れる方法だと思う笑』

「転勤以前に、辞めればいいだけですよね?」

「それを言ったらあかんで笑」


 2018年11月21日 20時28分

『今、仕事への熱と飲み会への嫌悪が交差してめっちゃ変な感情になってる笑』

 飲み会多いね、と相槌LINE。

「交差って、仕事は嫌いじゃないってことですか?」

「みたいだね。車の運転は嫌いじゃないとか言い訳してるし、80時間残業する仕事が嫌いじゃないってどうゆうことなんだろう?」

『明日から4日連続飲みやで』

「「辞めろ」」


 2018年11月28日 20時49分

『今日久々に事務仕事だったけど、やばかった笑』

 仕事たまってた? と相槌LINE。

『たまってたよ笑笑。今終わったけど、全部やり切れていない笑』

『てか最近毎日5時間くらい残業してるから、あと2日だけど今月は夢の3桁いくな笑』


 2018年11月30日 20時9分

『マジでブラック過ぎてやべー笑。ブラック会議が今日開かれた笑。今日の議題は俺らの今月の残業時間100超えてしまったのをどう処理するかというものだった笑』


「はあ。面白いですけど、疲れちゃいますね」

「でしょ。僕が悩んでるのも、そのせいなんだよね。だから江野さんが一般論を言ってくれると面白いし楽しいんだよ。いつもありがとね」

「すらりと気恥ずかしいことを言わないでください」


 僕だって恥ずかしいよ。

 でも、これだけネガティブな情報を見せてしまっていることに、罪悪感を一つも滲み出ないのはありえない。

 江野さんの精神にも悪影響はないか心配になってしまう。


「高林さん。今週あと一回付き合ってくださいよ。いいですよね?」

「……またかい。オーディションがないからいいけど、そろそろクリスマスだろ? 小坂とデートとかしないの?」

「それはスケジュール確定しているので大丈夫ですよ。デザートを探すのは別腹です」


「わかったよ。時間と場所が決まったらLINEしてね」

「はい。2日前にはお知らせします」

「助かるよ。当日にいきなりLINEきても返信に困る」

「誘い水と一緒にしないでください」


 江野さんは最近、僕の友人のことを誘い水と呼称するようになった。

 そのまんまで雑なあだ名。でも彼には相応しい代名詞だと思える。


「本当に都内のデザート店を網羅するつもり?」

「時間とお金が許す限りは頑張りたいです」

 頑張るって……それ僕の台詞なんですけど。


 彼女が指定してきた駅に集合し、お店に入って江野さんが注文をする。そして出てきたデザート全てに一口ほど食べ、食べきれない分を全部僕が処理する。

 決まり切った流れに僕も馴れ過ぎて当然と錯覚している。


「今日はここまでにしてよ。僕のお腹が破裂するよ」

「亡骸は処理するので、もう一軒行きませんか?」

「……ヤダ」

「仕方ないですね。今日はお開きにしましょうか」


 なんで僕が我が儘いったみたいな空気になるんだよ。

 喧嘩するつもりはないため、ここは僕がぐう~と堪えることにする。


 店から出る前に精算しようとレジに立つ。

「いくら?」

 僕は財布を出しながら訊ねた。


「いりません。わたしが払いますので」

「ええ~それはそれで困るんですけど」

「毎度毎度しつこいですね。わたしが頼んで来てもらってるんですから、これくらいは当然ですよ」

 江野さんは真面目な人だ。お金の管理は律儀に守る。


 利益のない会話を続けてしまうと、店員さんが困るだけだから僕が引くことにする。

 この店員さん、僕と彼女の関係を疑うだろうなぁ……江野さん、“毎度”とか“頼んで来てもらってる”とか言っちゃってるから勘違いしてそう。


 店を出て最寄りの駅の帰路にむかう。

「送ってくよ」

「いいですよ。夕方くらい大丈夫ですって」


「小坂やご両親に悪いから、頼むよ」

「……わかりました。それとソレ受け取りませんからね」

 あちゃ……彼女も僕に馴れ始めてるな。


 僕の手には、さっきの割り勘分のお金が握られている。

 さらっと渡すつもりが、釘を打たれてしまった。

「本当にいいの? 他にも行きたいお店あるんでしょ?」


「いりません。わたしがそんなに節操ないと思ってるんですか?」

 立ち止まるや否や、両手を腰に当てふんぞり返るように江野さんが威圧してくる。


「そんなこと思ってないし、言わないでよ。節操とか甲斐性とかの話じゃなく、僕たちの微妙な関係についてだよ。家族でもないし彼氏彼女でもない。ただのバイト先の先輩後輩で、休日に互いにとって助かる役割を担ってる関係。僕は友人のLINEの悩みを聞いてもらい、江野さんは食べきれないデザートを食べてもらう。僕が甘い物が嫌いならお金を払ってもらうのは理解できるけど、僕も望んで来てるんだからお金は別だって」


「……高林さんって本当に面倒臭いですね。いいったらいいんです。集合場所とか時間にも文句言わずに来てもらっちゃってるわたしとしては、お金は出すのは当然ですから」

「律儀だな。僕のスケジュールを知ってて調整してるのは君だろ? その手間代として受け取ってよ」

「い・や・で・す」

 やれやれ、毎回このやり取りをしていて彼女も飽きないのだろうか?

 僕も大概だけど、お金のトラブルは嫌いなんだよな。


「わかったよ。今回も僕が折れるよ。でも、送るのは認めてよ」

「……はいはい。毎度毎度、甘々ちゃんですね、高林さん」

「何とでも言ってくれ。可愛い女の子が1人で暗い道を歩くのは危険だって」

「……さらっと可愛いとか差し込まないでください。キモイ」

「社交辞令って知ってる?」

 すると何故か腹パンされた。


 冗談が通じない女の子と二人きりで電車にのり、彼女の家の付近まで一緒に歩く。

 手を振って別れるのは、かれこれ10回目は過ぎ去っていた。


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