海賊と伯爵
<黒銀の栄光>号は、6時間の全力加速を行った後、80%推力での加速を続けた。宇宙空間では、物体は加速すればするだけ速度を上げる。約半日の加速で、<黒銀の栄光>号は秒速20キロメートルの速度を得ていた。
星系防衛隊の艦隊がその正面に姿を現したのは、全力加速開始から10時間後のことであった。
防衛隊はワープ阻害圏から抜け出そうとする<黒銀の栄光>号の軌道を塞ぐようにワープアウトした。
「なんてきっちりしたワープアウト」
ワープアウトの状況を見て、キティはため息をついた。ワープアウト後の隊列の乱れは最小限で、非常に美しいワープアウトだったのだ。
「きっと指揮官は几帳面の悪魔に魂を売り渡したのね」
「思うんですが、なんで軍ってやつはもう少し適当な奴を出世させないんですかね」
「適当な奴を参謀にすると、勝っちゃうからな」
「じゃあなんですか、軍っていうのは負けたいんですかい?」
「生来の気性がそうさせちまうのよ。ドMな連中だ」
<黒銀の栄光>号のブリッジではすぐ話が脱線する。
「で、そのドMどもの構成は?」
その話を本筋に戻すのはキティの仕事である。
「フリゲート20にドラグーン10。これここの防衛隊の騎兵隊ほぼ全部ですぜ」
「ドラグーン、ね」
ブリッジの目がセツトに集まった。
「いるの?」
キティの問いかけの意味を間違える者はいない。
「ちょっと待ってくだせぇ……。えー、あぁ、いやした。伯爵家の虎の子<ディア=ヴァイド>です」
「そう、ならセツトをこれまで育ててくれた恩ってやつを返してやらないといけないね」
キティの声音に危険な色が混じった。
絶対に「恩を返す」という言葉の意味通りではない。
「やってやりやしょう、お頭」
「どのコースでいきやすか?」
「いやいや、ちょっと待ってよ……」
セツトは慌てた。
「おっと、こいつはいけねぇ。こればっかりはぼっちゃんの意見を聞かねぇと」
「どうする、セツト。おれら何でもやってやんぜ」
「待ちなって」
キティが逸る海賊達を抑えた。
「あんた達が怖い顔して聞いたら、素直に答えらんないじゃない。ねぇ、セツト」
「はい」
セツトは振り返って、キティを見た。キティはソファから身を乗り出して、膝の上で頬杖をついた。
「ぶちのめす、ぎたぎたにする、とっちめる、どれがいい?」
(何が違うの?)
セツトに選択肢などないようだ。
「できるだけ、穏便な奴で……」
「だって、キューク。立案よろしく」
「なんであっしが」
「私みたいに純情な美女には、穏便にお礼を言う方法なんて思いつかないもの。この船一番の陰険さに期待するわ」
「へいへい。おひねり期待してやすよ」
10分後、<黒銀の栄光>号は進路を変えた。
これまでの軌道に対して船を真横に向け、メインスラスターを噴射させる。船が横向きの力を受け、軌道を曲げていった。
その情報はすぐに伯爵に知らされることとなった。伯爵の艦隊はすでに<黒銀の栄光>号を光学系と電波系で監視していた。
伯爵の決断は早かった。
「ドラグーンのみで<黒銀の栄光>号を追う。フリゲートは待機して隊列を整え、ワープの用意をしておくように」
伯爵の命令が艦隊に伝えられた。
フリゲートはドラグーンに随伴するために作られた艦だが、性能的にドラグーンに劣った。ドラグーンのみで追跡を行った方が<黒銀の栄光>号に切迫できる。
ドラグーンとフリゲートが入り交じった艦列から、10隻のドラグーンが抜け出した。操るのはヴァイエル伯爵を始め、ヌーブ星系に封じられている10人の貴族たちである。
ドラグーン隊は整然と紡錘形の隊列を組むと、大きな噴射炎をあげ、全力での加速を開始した。
ドラグーンの加速の方が、<黒銀の栄光>号の加速よりも速い。
「申し訳ありません。計算したところ、追いつく前にワープ阻害圏を出てしまいます」
伯爵の元に報告が上がってきた。
「届かぬか」
「はい。ワープジャマーの射程でも1時間足りません」
「良い。それよりも阻害圏を出た後の<黒銀の栄光>号の動きに注意しろ。ワープするか、ワープしてくるか、2つに1つだ」
それは、<黒銀の栄光>号の方から敵艦隊のいるところにワープするか、敵艦隊がワープしてくるかということだ。
「それまでは半休だな」
伯爵は乗組員の半分を休ませることにした。<黒銀の栄光>号がワープ阻害圏を出るまであと15時間。何も起こらなければ、それまで戦闘はない。
伯爵自身も休むことにした。伯爵は艦との接続を解除し、自室に戻った。
晩酌にウィスキーをたしなみ、いよいよ休息しようとしたころ、操縦室から呼び出された。
「どうした?」
「<黒銀の栄光>号が加速を止めました」
「ほう、すると?」
「8時間後に射程に入ります。何が狙いなのでしょうか?」
「……たしか、<黒銀の栄光>号は先日賞金稼ぎと戦闘をしたのだったな?」
「そう聞いております」
「その際の損傷が響いているのかもしれん。このタイミングで意図的に加速を止める理由はないはずだ」
そのまま加速すればワープ阻害圏から無事に出て、ワープできたのだ。あえて加速を止めて追いつかれるなど、戦闘を望んでいるとしか思えないが、さすがにそれはありえない。
ドラグーンを、それも10隻を相手に、単艦で。
無謀である。
帝国が知る限り、ドラグーンは帝国が星間国家となって以来この200年、宇宙最強の戦闘艦であり続けている。
ドラグーンは大規模な建艦工廠であったと思われる遺跡で、奇跡的に唯一使用可能であった生産ラインから生みだされた戦闘艦なのだ。
いくつかの技術は解析と模倣によって遺跡によらない自前での製作が可能になったが、いまだにドラグーンには遠く及ばない。
理論、技術的理解、製錬技術、工作精度、そうしたものが圧倒的に不足していた。
「死にたがりでしょうか?」
「宇宙海賊が、かね。連中は商売人だ。我々のような玉砕趣味はない」
帝国貴族には、生きて虜囚となりドラグーンを敵に渡すくらいなら潔く散るべきだ、という発想が浸透していた。伯爵の言葉はそれを揶揄してのものだ。
「失礼いたしました」
「構わん。故障だとしても我々が手心を加えてやる必要はない。射程に入り次第攻撃を開始するだけのことだ」
「はい」
1時間後、<黒銀の栄光>号は再び加速を開始した。
しかし、1時間加速を得られなかったロスは大きく、ワープ阻害圏を出る直前のところでドラグーンの射程に入るだろう。