選択の劇薬
「これが珈琲というものか」
皇帝の前に黒い液体の注がれたカップが置かれていた。
真面目な話を手早く済ませ、あとはすこしリラックスタイムとしよう、という皇帝の提案だった。
皇帝の飲み物は、セツトが土産で持ってきた要塞農場特製の珈琲である。
「はい。地球連邦で流行っていた飲み物だそうです」
「濃く入れすぎた茶のようにしか見えんな……」
皇帝は恐る恐るカップを手に取った。
「香りは……茶とは大分違うが、香ばしいよい香りだ」
そう言って一口。
「ふむ……。苦みと酸味が心地よいな。わずかに甘みもある。面白い飲み物だ」
「恐れ入ります」
「なるほど、これを帝国に売ろうというのか。面白い。皇帝陛下大絶賛の売り文句をつけることを許そう」
冗談だと思ったので、セツトは笑った。パッケージにそんな文句が書かれていたら、かえってうさんくさいだろう。
「冗談ではないぞ。余の御用達の紋章の使用を許すといっているのだから」
「本当ですか。ありがとうございます」
「うむ」
皇帝は満足げに頷いて、珈琲をもう一口飲んだ。
「これはどういう飲み物なのだ?」
「元は植物の種子です。それを乾燥させた上、高温で煎り、粉末に粉砕した上で、湯で抽出するのです」
「ほう。帝国領でも栽培可能かな?」
「もとは惑星上に生育していた植物ですから、可能ではあるかと」
「苗木を少し分けてくれんか」
「それは高く付きますよ」
「なんだと。商売する気か」
「もちろん。商売ですから」
「むう、まぁいい。流行るようだったら栽培したがるものも現れよう。誰かに買わせるとするか」
「そうですね。その時は高く買っていただきます」
そうした多愛のない会話を続けていく。
「私も飲んでみようかしら」
「ぜひ試してみたらいい」
そう会話がなされるだけで、しばらくするとメイドが飲み物を持ってくる。
「私には少し苦みが強いわね」
「ミルクと砂糖を入れるとまろやかになりますよ」
「へぇ?」
と、メイリアはコーヒーにミルクと砂糖を注いだ。
「あら本当。こちらの方が私好みですわ」
「それはよかった」
微笑んで、セツトは皇帝が浮かない顔をしていることに気づいた。
「陛下?」
「ん……むぅ、すまんな、なにやら体調が」
皇帝は口元を押さえながらソファーの背に深くもたれた。
「大丈夫ですか?」
メイリアが気遣う。
「あぁ……」
皇帝は見るからに具合が悪そうだ。
セツトは不安を覚えた。
急にどうしたのだろうか。
持病があったようには見えない。ついさきほどまではまったく通常で、元気そうだったのだ。
(まさか、毒?)
馬鹿な。
皇帝に提供するためのコーヒー粉末はミツキに用意して貰ったものをそのまま渡している。セツトは毒を含ませるような指示はしておらず、決して要塞側では毒が入れられることはない。
「一度部屋に戻りましょう」
「そうだな……」
メイリアの肩を借りて建ち上がろうとした皇帝の体が崩れた。
「陛下?……父様!?」
メイリアの声が跳ね上がった。
その声を聞きつけたのだろう、奥から5人の護衛官たちが飛び出してきた。
護衛官達は皇帝に駆け寄り取り囲むと、様子を調べ始めた。
「危険な状態です。早く医師に連絡を」
「殿下、お離れください」
メイリアは女性の護衛官の一人に引かれ、皇帝から離れてソファーに座り込んだ。
自分になにかできることはあるだろうか。
考えていたセツトの前に、護衛官の一人が進み出てきた。
「閣下、申し訳ありませんが一時身柄を拘束させていただきます」
確定事項のように告げてくる。
「……なぜ?」
「陛下が飲まれていた飲み物は、閣下がお持ちになった物です。念のためです」
セツトはその護衛官の男の目を見た。
突然の出来事に混乱している風を装っているが、そうではない。この男は混乱などしていない。セツトの目にはそう見えた。
「お待ちなさい」
護衛官を止めたのはメイリアだった。
「殿下も二口飲まれております、はやく医師へ」
「いいえ」
メイリアは、血の気の引いた青白い顔をしながらも、立ち上がって護衛官に反論した。
「飲み物自体が原因なら事前の分析で問題が出ているはずです」
「未知の成分かもしれません」
「まさか。そんな空想をしているときではないでしょう。一刻も早く陛下の治療を」
「毒殺の容疑者確保も最優先事項であります。……まさか」
護衛官は初めてメイリアを見た。
「殿下もグルなのですか?」
「っ!?」
メイリアは絶句した。
「だから庇われるのですか? もしや自身で飲まれたことも発覚を防ぐための細工なのですか?」
「な、なにを言っているのですか」
「あぁ、なんということでしょうか。申し訳ありませんが、こうなっては殿下も拘束させていただかなくてはなりません」
護衛官はメイリアの話を聞いていない。
そんなことがあるだろうか。ただの一人の護衛官が、特に守るべき対象であるはずのメイリアにまでこのような決めつけを行ってくるようなことが。
「……本当に陛下の護衛なのか?」
セツトの漏らした言葉に、護衛官が一瞬セツトを見た。
その目でセツトは確信した。
こいつは違う。
ということは、今この場にいる護衛官全員も違う可能性がある。いや、そう思うべきなのだろう。
セツトは深呼吸した。
こういうときこそまず冷静さが大事だ。
大きな陰謀に接したとなれば、なおさら。
「そうか、違うんだな」
セツトに睨まれて、護衛官は、演技をやめた。
「聡いガキだな」
「天才だってよく褒められるよ。ありがとう」
心の余裕は言葉の余裕から。
<黒銀の栄光>号の連中がよくやっていることだ。あれはひとつの落ち着くための儀式なのだ。
「役に立たない賢さは発揮しない方がいいぞ」
周りを見てみろ、と護衛官は手を広げて室内を見渡した。
護衛官、いや偽護衛官は5人。皆武器を装備している。
こちらはセツトとサツキ、場合によってはメイリアの3人。
武器は持っていない。
ただし表向きは。
「むしろ君たちにこそ考えてもらいたいね。なぜ僕がのんびりここに座ったままでいると思う?」
「は?」
「サツキ」
セツトは、隣に座るアンドロイドの名を呼んだ。
海兵隊仕様の白兵戦用ボディを持つアンドロイドを。
「はい、セツト様!」
ようやく呼んでくれましたねとばかりに、サツキが勢いよく立ち上がった。
「無力化しろ」
命令は下された。
「りょ!」
短く応えつつサツキは、電光石火に目の前の護衛官の首元に手を伸ばした。
速い。
人間が発揮できる速度ではなく、人間が反応できる速度でもなかった。
男は反応できず、サツキに首元を掴まれた。
バチ、と雷光が走った。
男の巨体がびくりとけいれんし崩れ落ちた。
「こいつ、武器を!?」
腰の銃に手をやった男がサツキの跳び蹴りを顔に受けて吹っ飛んだ。
次の護衛官は、腹部に肘打ちがめりこみ、その次の護衛官は顎を掌底で突き上げられていた。
一人残った女性の護衛官は銃を抜きサツキに向けることに成功した。
引き金が引かれる。
放たれたエネルギー弾はサツキの個人用シールドに阻まれ散った。
「そん―――」
な馬鹿な、という言葉は最後まで発せられなかった。とん、と腹部にサツキの手が当てられ、電撃が走った。
「無力化完了です!」
護衛官全員、気絶するか、床に転がってうめき声を上げて苦痛をこらえている。
「うん。陛下の状態をみてくれ」
「はいっ」
サツキがひとっ飛びに横たわっている皇帝のところにいき、脈を診つつ、目をのぞき込んだ。
「脈拍、対光反射共にありません」
静かなサツキの言葉に、しばしセツトは目を閉じた。
「……対処できることは?」
「医療用の装備は内蔵してないです。仮にあったとしても、私の持ってる知識では外傷性ではない毒物への対処は出来ません」
サツキはちら、とカップに残っている珈琲を見た。
この場で最も毒物が含まれている可能性が高い物だ。
毒が入れられるとしたら、抽出から提供までの間であるはずだ。
セツトはポケットからハンカチを取り出し、一端を皇帝の飲んでいた珈琲に、もう一端をメイリアの飲んでいた珈琲につけてしみこませた。
「保存を」
ハンカチをサツキに渡すと、サツキはハンカチを2つに切り裂いて左右のポケットにそれぞれ突っ込んだ。
「殿下」
セツトはメイリアを見た。
いまだ顔面は蒼白。ただ、目には動揺を抑えようという意志の強さがある。
「体調は問題ありませんか?」
「私は、大丈夫です」
よかった。
偽護衛官の言葉からして、暗殺犯の狙いは皇帝暗殺の疑いをセツトとメイリアにかぶせることだろう。それならメイリアの飲むものには毒が入らないようにされているはずだ。
そう考えつつ、セツトはメイリアに対して尋ねる。
「では、共に逃げますか、それとも留まりますか?」
辛い二択だ。
護衛官たちは一時的に無力化したに過ぎず、考える時間的余裕もない。しかし、重要な決断に対して常に時間が優しいとは限らないのだ。
初めて要塞の主砲を撃つと決めたときのセツトがそうだったように。




