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宇津田宮前の男たち

 

 ひき丸は橘宮に連れられて、宇津田宮に来た。宇津田宮はあさひ姫の居所である。あさひ姫が入内してから足を踏み入れるのは初めてだった。

 若者は訪れて驚いた。以前、無人だった宮が主を得た途端に生き生きしているように見える。女東宮がいらっしゃったころのようだ。

 宮へ続く石畳の道を歩いていくと、中から人影が出て来た。黒の直衣のうし姿の三郎君である。

 三郎君は橘宮に頭を下げた。


「宮様、あさひ姫に何か御用でいらっしゃいますか。先触れなどはなかったようですが」

「そうかね。朝に使いの者を出した気がするよ」

「そうでいらっしゃいましたか。なにせ、存じ上げなかったもので」


 双方ともがふふふ、と面を突き合わせて上っ面で笑う。

 ひき丸は橘宮の後方で静かに立っていた。三郎君の目がひき丸へ行くや、あからさまに逸らされた。

 ひき丸はあくまで従者であるから「いない者として扱う」。それ自体はこれまでもあったことなのだが、三郎君のやり方はそれとは意味合いが違う気がした。

 三郎君はいまやあさひ姫の「父」なのだ。三郎君とて、あさひ姫がわらびに似ていることぐらいわかっているだろう。何かが起こるかもしれないと警戒し、ひき丸を近づけさせまいとするのも道理なのだ。


「あさひ姫も入内から日が経ち、落ち着かれただろう。この機会にご挨拶申し上げたいのだ。そうだろう、ひき丸」

「はっ」


 三郎君は眉根をひそめた。ぶっきらぼうにこう言う。


「申し上げにくいのですが、宮様。あさひ姫はただいま、就寝されています」

「こんな真昼にか」

「よく寝ていらっしゃる御方です。それはもう、ぐうすかと。日の大半はそうしております。本日はお帰り下さい」


 半分呆れたような声で三郎君は言う。

 本音か冗談かわかりにくい言いぶりである。


「ふむ。では待たせてもらおうか。ひき丸もそれでよいな」

「はっ」


 前へ進もうとするふたりに、三郎君が立ちふさがる。


「宮様、どうかお察しください。本日は難しいのです」

「そなたの手を煩わすことはあるまい。濡れ縁の端っこでしばし待たせてもらうだけなのだ」

「困ります」


 声に拒絶の意が混じる。橘宮はふう、と息を吐きだす。

 そなたに訊ねたいのだが、と橘宮は遮るように告げた。


「なぜあさひ姫を養女としたのだ」

「妃に上げるべき娘がおりませんでしたから。それだけのことです。ところで」


 三郎君はひき丸を見ながら、


「この者を連れてきたのは?」

「三郎君も知るとおり、この者は絵を嗜む。秋の絵合えあわせにおいて披露したほどの腕前だ。あさひ姫の前で描かせるのもよいだろうと思った。道具も持たせておる」


 祝いだ、と橘宮はしっとり微笑む。


「絵ならば間に合っております。玄家は金人を抱えておりますゆえ」

「その金人が能力を認めたのだ。不足はあるまい」

「……宮様が、そこまでなさる必要はないかと」

「何がだ」


 申し上げなければなりませんか。三郎君は迂遠な言い方をする。


「わたしはあさひ姫の『父』として、不穏な芽を摘みたいのですよ。姫は規格外の方ですから、会話の相手も慎重に選ばれなければならないのです。ですので」

「僭越ながら」


 ひき丸は勇気を持って割って入る。橘宮がここで引き下がるとは思わなかったが、ひき丸も言いたいことは言わねばならないと感じた。


「あさひ姫は『失せ物探し』をしていらっしゃると伺いました。このひき丸にも『失せ物』があります。それをあさひ姫に申し上げたいのです。ぜひともあさひ姫にお目通り願いたいのです」

「おまえ、不敬とは思わぬか」


 三郎君がひき丸へ睨む。化人ひととも思っていない眼差しだった。せりあがる思いをぐっと押し殺し、ひき丸はつとめて冷静を装った。


「不敬を承知で申し上げております。これもやむにやまれぬ事情のためとご理解くださいませ」


 しん、と辺りが静まり返る。三郎君の喉仏が上下し、何かを言おうと口を開きかけたところで。

 調子はずれの大声が響く。


「あさひひめさまぁー! 沢蟹が参りましたぁ! お知らせしたきことがございまする! お、三郎! と、宮様っ!」


 大音声が耳にわんわんと響く。

 大男が猪のように突進する。橘宮の前で直立不動になり、深々と頭を下げた。昨晩も逢ったばかりの巨体がずかずかと寄ってくる。

 黒々とした髭を蓄えた、恰幅のよい男である。野太い声が大地を震わせるようだ。


「昨晩は大変なところを助けていただいた! 宮様とそこな若者にも御礼申し上げる!」


 昨日助けた沢蟹大将もあさひ姫に逢いに来たらしい。

 沢蟹は昨晩、蛭子国からの帰還ついでに知人や親類に挨拶回りをしていた帰り道に狂ヒに遭遇したという。逃げ足早い家人は一目散に牛車の主人を置いていき、沢蟹はもたもたしていたのであわや命の危機を迎えていたというわけだ。

 沢蟹が人懐っこい笑みを見せている。橘宮は尋ねた。


「そなたもあさひ姫に御用があるのかね」

「ちょいと野暮用がございましてっ」

「『失せ物探し』かね」

「そんなところでして!」


 沢蟹は包みを抱えていた。寺の儀式で使われるようなたいそう派手な柄の布である。

 沢蟹の身にはやや不釣り合いなそれを橘宮は見つけたようだ。こんなことを言う。


「実はそなたが都を下った後、あまりよい噂は聞かなかったのだ。横暴はよしなさい。そなたはもう少し、人に対して誠実に生きることだよ」


 大男は急に神妙な顔になる。


「耳が痛いですな。わかっております、つい先日も気づかされました。ひとり寂しく都から離れていたら、己が惨めに思えてきたのですな」


 大男はにかっと歯茎を見せて笑うと、橘宮、三郎君、ひき丸をぎょろ目で順繰りに眺めていき、


「ところで、宇津田宮で何を言い争っているので? まったく、剣呑な雰囲気でありましたぞっ。わっはっは」

「わしはあさひ姫にご挨拶に来たのだよ」


 橘宮は穏やかに言う。


「沢蟹はすでに挨拶を済ませたのかね?」

「はい、先日、用事ついでに三郎君に取り次いでもらいましたので。三郎君があさひ姫に逢うよう勧めてきたのですな」


 な、と三郎君へ同意を求める大男。三郎君はちっ、と舌打ちした。


「そなたはもう『失せ物探し』をしてもらったかね?」

「はあ、まあ。ただ、なかなか見つからぬものでこうして日参しているわけでしてなあ」


 そうなのかい、と相槌を打つ橘宮は、三郎君へいわくありげに微笑んだ。


「こいつはあさひ姫の見立てに納得できぬ馬鹿者なので。鉢が壊れたのなら、ほかに何か言うべきこともないのだ」


 三郎君は知らん顔である。


「おい、三郎。馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。馬鹿だという方が馬鹿だというのに。つまり、おまえは馬鹿なのではないか!」

「五月蠅い」


 ふん、と鼻息荒くした沢蟹だが、何か思い出したのか、にやあとした。


「まあ、よいぞ。わしは実に機嫌がよいのだ」


 たしかに沢蟹は嬉しそうな顔をしている。


「三郎君、あさひ姫に逢わせてくれぬか。ぜひとも申し上げたいことがある!」

「……何だ」


 押し殺した声音の三郎君を気にすることなく、沢蟹はふふん、と大事に持っていた包みをはらりと解いた。


「あさひ姫さまには、申し上げたいのだ。先だっての『失せ物探し』で、すでに壊れたとおっしゃった鉢が、こうして見つかりました、と! 蛭子国の空を飛び、我が家の米俵をまるっとかっぱらっていった鉢が、こうしてわしの手元に来たのだと!」


 男が布をめくると、土器の鉢があらわになる。つるりとした何のへんてつもないただの鉢に見えたが。

 沢蟹が、そう高らかに宣言したのだった。



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