対面
出仕から戻った橘宮は、直衣の衿元をゆるめてくつろいでいたが、わらびとひき丸に伴われたゆきを見るや、背筋を伸ばした。
「おまえたち。この者かね」
はっ、とひき丸が答える。
「わらびが見つけた子です。そのわらびも、知人から託されたそうで、詳しいことはわからないのです」
「己のことを話さないと聞いたが」
「そうです。ただ、へび爺が見たところ、榊宮様の邸にいた子だということがわかりました。名はへび爺の付けたものですが、ゆき、と呼んでいます」
話すひき丸を見る目が、ゆきに移る。わらびは人差し指を咥えて立つゆきを前に押し出した。
ふむ、と橘宮は柿色を纏った幼子をまじまじと見る。
「父上の面影もあるかと思っていたのだが、見ただけではわからぬな。しかし、おまえたちの思っている通り、わしの異母妹であるかもしれぬな」
「やはり、宮様でも見分けることはできませんでしたか」
ひき丸は慎重に訊ねた。
「晩年の父の顔もほとんど見なかったのだ。正直、もううろ覚えだ」
「仲が悪かったの?」
わらびがふと口を挟んだ。大胆な問いに、橘宮の笑みが形そのままに引きつったように見えた。
「『仲が悪い』というのは、語弊がある」
ほかのだれかが聞いているわけでもないのに、ぱらりと扇を広げて口元を隠した橘宮は、真顔でぐっと声を潜める。
「――『ひとつ所にいると、息が詰まる』」
「息が詰まる?」
あの父は、と橘宮はぽつぽつと言う。
「しがみついていたよ。帝位という幻想が、父を狂わせたのだ」
橘宮の父、榊宮はかつて一番帝位に近しいと目される皇子だった。見目も麗しく、帝王に足りる才覚もある。生まれ持つ宝珠の力も申し分ない。だれもが将来に期待をかけていた。
しかし、ある事件が起き、榊宮は東宮への道が閉ざされたのだ。
「後見人は父の叔父に当たる樹家の男だったのだが、ある時、通っていた女に恋敵がいると勘違いした。嫉妬心に駆られた男は、女の邸にやってきた相手の男へ矢を射かけたのだ。矢は相手の袖を掠めたが、ぎりぎり当たらなかったらしい」
だが恋敵と思っていた男は、同じ邸に住む姉妹の元に通っていたのだ。榊宮の叔父はすぐに頭に血が上る性質だったため、自分の女に通っているものと思い違いをした。
「この叔父が勘違いで射かけた相手が問題となって、樹家一同はともども失脚させられた。樹家の流れを汲む父も、同じように皇位から遠ざけられた。当時の帝はたいそうお怒りだったようだね。父は終生、父親であった帝から顧みられなくなった」
結局、東宮となったのは弟だった。未来の帝として育てられてきた榊宮には、その事実は受け入れがたく、屈折した感情を抱いていたのだろう。息子の橘宮はそう分析した。
「勘違いで矢を放った相手はどんな人だったの」
わらびの素朴な疑問に、橘宮は扇をいじりながら答える。
「――夜明公だ。当時はもう臣籍降下され、玄家に婿入りされていたのだが、それでも当代一の宝珠を持つ御仁だ。すんでのところで、その宝珠が失われるところだったのだ。帝のご不快も無理はない」
ただ、父はわしのように割り切れなかったのだよ、と息子は父親をこう評した。
なまじ人に囲まれた栄光の時代を知っていたために取り戻したいとどこかで思っていたのだと。
「その後、父はさまざまな女人に子を生ませようとしたが、上手くいかなかった。早逝したり、宝珠を生まれ持たなかったり、宝珠を持っていても、わしのように小さく弱々しいものであったりした」
よくわからないよ。ちょこんと正座するわらびはまた口を挟む。
「どうして子を生ませようとしたの?」
「父は強い宝珠を持つ子が欲しかった。そうすれば朝廷に重んじられ、さらに時機が良ければ帝位にも手が届くと信じた。
昔、わしも父から口癖のように言われたものだ。『なぜおまえの宝珠は弱いのだ。なぜ、このわしよりも弱く生まれてきたのだ』と」
橘宮は形の良い眉を少しひそめながら言う。本人にも愉快な思い出ではないらしい。
「そんな父の面が嫌いだったのだよ。全面に卑しさと屈託が張り付けてあるようなあの顔を、恨みがましさが映る目を、己の父として見ていたくなかった」
父の帝に愛されなかったのは、父自身の振舞いにも原因はあるのだろうと橘宮は言い、口を閉じた。
その目はゆきへ向けられると、優しげに細められる。
「おまえはあの父を知らなくてよかったのかもしれぬ。父は子に対して冷淡なところがあったのだ」
見つめられた幼子は目の前にいる男が己の兄とも認識する様子もなく、ぼうっと突っ立っている。
やがて、橘宮は「話しすぎてしまったようだね」と立ち上がる。
「ひき丸、わらび。真実がどうであれ、おまえたちの願い通り、この子は更級第にひとまず住まわせることとしよう。ふだんはへび爺が面倒を見ると言うのならわしも願ってもないことだ。頼むぞ、おまえたち」
わしの『失せ物探し』も、と付け足した橘宮。そのまま北の対に住む五井の姫君に会いにいく背中は遠ざかっていく。
ふう、と緊張の息を吐きだしたひき丸が後ろ手で床に両手をついて、足を崩した。
「まずは一歩前進したなあ。ゆきの件でご了承いただけただけで十分すぎる」
「朝からがんばったもの」
「よく怪しまれなかったものだと思うぞ」
表情に乏しく、片目のない幼子。しかも異母妹かもしれない子だと聞かされれば、不審に思うことこそあれ、あっけなく受け入れることは難しいものだ。
「宮様は、わらびたちを信じてくれたのかな」
「だろうな。期待には応えなければならないぞ。最後に『失せ物探し』も頼むとおっしゃっていたんだからな」
「『柿の君』を探すこと?」
「そうだ。宮様はわらびなら、と思っていらっしゃるのだ」
うーん、とわらびは目を閉じてみる。しかし、何かいいひらめきが下りてくるわけでもなく、単に眠くなるだけだった。
「おい、こんなところで寝るなよ」
「ねむたい」
「おい」
背中に回ったひき丸がわらびの両脇から腕を通し、ひょいと持ち上げる。ああ、よかった、とひき丸が安堵した声になる。
「なにが?」
「ゆきがくっついていた時、とんでもなく重かったからなあ。おまえの背中を支えられないぐらいでさ。離れただけでもよかった」
「へえ」
「のんきだなあ」
わらびとひき丸はゆきを連れて、母屋の外に出た。
「次はどうする?」
ひき丸に訊ねられたわらびは、右隣を見た。繋いだ手の先には幼子がいるのだが、この子がわらびをじいっと見上げていた。ものほしげな顔をしている。
「柿、食べる?」
わらびは袖に隠し持っていた柿をゆきに差し出した。へび爺からもらった柿である。ゆきは柿とわらびを見比べ、迷うような仕草をする。
いいよ、とさらに促せば、ゆきは片手で掴み、齧りついた。
「またあげたのか」
「うん」
柿を食うゆきを眺めているうちに、そうだと思いついた。
「ひき丸。榊宮の邸に行ってみようよ」
「それはいい考えだな」
ひき丸はにやっと笑った。




