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へび爺とゆき

 幼子が背からぶら下がらなくなったのはよかったとして、他の人に姿が見えるというのは厄介だ。住む場所がないのも困る。

 ひき丸と頭を突き合わせた挙句、思いついたのは「へび爺に預けてみないか」ということだった。

 へび爺は、橘宮に仕える古株の下人で、火たきのじいさまである。人がぽろっと愚痴や秘密を言いたくなる絶妙な雰囲気を持つじいさまであるから、幼子も安心できるはずだ。


「わらびもしばらくこっちにいてもいい?」

佐保宮さほのみやの方はいいのか?」

「桜の上の懐妊でみんなばたばたしているから」


 青竹もいつになくぴりぴりしているのだ。桜の上が少し気分悪いと言えば、あれやこれやと手をつくし、その焦りは下の者にも向かう。主にわらびにだけれど。


「へび爺のところで落ち着いたな、と思うまではいるよ」

「本当は後宮にいてくれた方が安心だが、俺の目が届くからいいか」

「うん。じゃあへび爺に頼んでくる。今はどこにいるかな?」

「釜の近くでなければ、散歩か昼寝をしているだろ」


 そう言った傍から杖をついたじいさまが木陰からぬるりと現れる。これ幸いとわらびは幼子の手を引いて、へび爺のところに駆けた。


「へび爺、へび爺。お願いがあるの」

「ふぉっふぉっふぉ」


 背の曲がったじいさまが、わらびを見るために顔を上げた。隣にいる幼子を見るや、深い皺の刻まれた目尻をこれでもかと伸ばして凝視した。言葉もない、といった顔つきだ。笑い声が止まる。


「へび爺。この子ね、へび爺のところに置かせてほしいの。本当はわらびも面倒をみたいけど、佐保宮さほのみやに置けないから。宮様にはこれから頼みにいくよ」


 ううむ、とへび爺は唸った。まじまじと幼子を見つめる。

 幼子はわらびの手を放し、じいさまを見上げた。


「じい」


 幼子がへび爺に言う。……しゃべった。


「ひき丸。この子、しゃべった。はじめて声聞いた!」

「お、おう」


 三日間も幼子と接していたわらびには感動もひとしおだが、ひき丸にはそんな実感もないので、わらびにつられて、こくこくと頷く。

 幼子は「じい、じい」とへび爺に正面から抱き着いた。老人は眦を下げて、「おぅおぅ」と嬉しそうな声を出す。


「ゆきや、どこに行っておった。とんと姿を見せなくなったから、じいは心配しておった」


 へび爺はそう言い、懐から取り出した柿を幼子へ手渡した。幼子が柿をかじれば、目を細めて頭を撫でた。


「へび爺」


 わらびはそんなへび爺に訊ねた。


「この子の名は、ゆき、というの? 知ってるの?」


 ふぉっふぉっふぉ、とへび爺は笑う。


「名がないというから、そう呼んでおるよ。雪の降る日に出会ったから、ゆきという。そうさな、今時分ぐらいの時季であったかな」


 へび爺が粉雪を舞い散る中、邸のくりやへ歩いていくと、とぼとぼと歩く子を見かけて声をかけたという。邸内では見かけない子だったためだ。あまり言葉が達者でなく、自分の名も言えなかったから、「ゆき」と呼ぶことにした。


「わしは、昔、今の宮様の父君、榊宮さかきのみやと呼ばれた御方に仕えておった。更級第さらしなだいを宮様に譲られた後、榊宮様は別の小さな邸に移られたのだが、わしは榊宮様についていかず、今の宮様にお仕えすることになった。ただ、榊宮様には長年にわたり使ってくださったご恩がある。ときたまあそこに通っておった。ゆきは、その邸にいた子よ」

「ならば、ゆきはそこにいた家人の子かな」


 ひき丸が口を挟む。へび爺は「知らぬ」と告げた。


「家人はみな、昔から知っておる者たちばかり。幼い子を持つ者はおらぬ。なにより、訊ねたところで口を濁された。『あの子に構ってはなりませぬ』とだけ、言われた」

「じゃあ、このゆきがいること自体は、知っていたってことだな。だれの子かも、知っている……」

「へび爺、だれ?」


 ひき丸が推測し、わらびは問う。へび爺は柿を頬いっぱいにほおばる幼子を優しく見守るばかりで、答えてくれない。

 へび爺にゆきを預け、二人は邸を出た。特に用はないのだが、都を徘徊するのはいつものことなので、適当にその辺りを歩く。


「へび爺は何か知っているよな」

「うん」


 わらびは頷く。


「へび爺の口からは言いにくいことだったんだよ」

「どうしてだ?」

「うーん……」


 わらびの中で引っかかるものがあった。たしか例の絵合の前に、橘宮に『失せ物探し』を頼まれていたのだ。

 春、五井の姫君の件で遭遇した狂ヒ。あの狂ヒに橘宮は自分の父親の姿を見出した。橘宮の父は宝珠を持つ天人の生まれであるため、穢れそのものである狂ヒになるなど今まで考えられなかった。その事情を知りたいためか、橘宮は生前、父親にもっとも近くにいた女人を探してくれと頼んできたのだ。

橘宮は言っていなかったか。榊宮とその女人の間に、子がいたと。

 これを話すと、初耳だったひき丸は眉をひそめた。


「わらび。その推理は大胆すぎる。確証が乏しい」


 何よりだ、と少年は言いにくそうにしながらも告げる。


「ゆきがそういう生まれなら……宮様とは、異母兄妹いぼきょうだいになる。天人の血を引く子が、どうして世に知られないまま死んでしまったんだよ。言っちゃ悪いが、見た目からではわからない」


 ゆきは痩せこけ、衣服もぼろぼろだ。貴人の子なら、家人よりもひどい恰好をするとは思えない。


「言葉に不自由しているのも、だれもあの子に話しかけなかったからだろ。言葉は、だれかに使うことで体得するものだ。話しかけられない、そこにいる者として扱われないなら、話す力も磨かれない」


 ゆきは、へび爺に大層懐いているようだった。ひとりでいた幼子の相手をしたのは、へび爺しかいなかったのではないか。


「どうであれ、宝珠を持って生まれなかった。天人ではなく、化人けにんとして生まれたのさ。天人であれば、大なり小なり重んじられただろうしな」


 天人から必ずしも天人が生まれるとは限らない。化人として生まれた子は幼くして臣籍降下することが定められている。その多くが水原みなはら姓を名乗ることとなるのだ。


「どちらにせよ、話は袋小路だ。宮様は異母妹を見たことがないのだから、ゆきがそうだとはわからないだろ」

「聞くだけ聞いてみようよ」

「む……」


 ひき丸は顎に手を当て、考え込む。


「たしかに、ゆきを見たら、宮様にしかわからないこともわかったりするかもしれないな……。希望は薄いが、やらないよりはましか」

「でしょ」


 自分の思いつきが採用されたことににっこりとなるわらびである。そんな少女に、少年は何とも言えぬ、複雑な顔をした。


「わらび。今回はあまり……肩入れしすぎるなよ。俺はそれが不安でしかたない」

「どうして」

「……わかるだろ。ゆきは、ふつうの化人ひとじゃないから」


 わらびは、真意を取り損ねた。だって、ゆきは、生きている。動いて、物を食って、触れることができる。

 わらびと違って、甘い柿をうまそうに頬張っていた。水精すいしょうしか食えぬわらびより、よほど化人ひとらしい。

 反論しようと口を開きかけたわらびに、少年はぶっきらぼうに行くぞ、と告げる。


「飯《水精》を食い損ねただろ。今から探しにいこうぜ」


 そういや、ゆきに欠片を食われたのだったっけ、と思い出す。

 返事をするように、少女の腹はぐごおおおおおぅ、と鳴るのだった。



 翌日の昼間に橘宮にゆきのことを相談することにした。

 ぼろ布を纏った幼子を邸の主人に会わせるわけにはいかないため、わらびとひき丸、へび爺は早朝からゆきの身なりを整えた。

 わらびは湯の張った盥に柔らかい布を浸して、ゆきの身体を拭き、髪を洗う。湯は何度替えても身体についた汚れで黒ずんだ。へび爺は新しい湯を沸かすために火を焚き続けた。

 髪が乾いたところで、ひき丸がはさみでざんばらな髪をきれいに整えてやり、清潔な衣を身に付けさせてやった。

 深支子こきくちなしの衣はへび爺が用意した。以前、いつかゆきに着せようと、市場で買った反物を知人に頼んで衣に仕立ててもらっていたという。

へび爺は着せてやることができてよかったと泣いて喜んでいた。

 着つけたひき丸が、後ろのわらびへ振り向いた。


「この衣の色、少し渋いか?」

「ううん、秋らしい温かみのある色でいいと思う。柿みたいな色だね」


 ただでさえ生気の乏しさが顔色に出る幼子なのだ。衣ぐらいは元気な色でいいじゃないか。

 わらびが仕上げにと、衣の余り布で作った眼帯で潰れた左目を覆ってやった。

 幼子の見てくれはかなりよくなったと思う。


「ゆき、よかったね」


 話しかけられても、ゆきはつゆほども表情を変えなかった。それどころか、身体と髪を触られても、衣も着せられても、なされるがままなのだ。口にする言葉は「じい」だけである。そして今は、その「じい」からもらった柿を食っていた。

 少し疲れ顔のひき丸が板敷に座り込む。


「はぁ、柿色の子どもが柿食ってるなあ。ゆきは柿の子だな、うん」

「食べているということは、きっとおいしいんだよね」


 美味しそうな顔をしていないが、幼子の口はもぐもぐもぐ、と動き続けている。


「……おいしい?」


 食べ物を取られると思ったのか、幼子は食べかけの柿を背中へ回した。


「わらびは取らないよ。食べてもお腹は減るし、味もわからないもの」


 いとけない目がわらびを見上げたと思うと、ゆきは身体を反対側に向けて、こそこそとまた柿を食べた。

 そこへふらっと外に出かけていた「じい」こと「へび爺」が帰ってきた。ここは橘宮の邸の一角にあるへび爺の住む家なのである。


「ほれ、ほれ」


 へび爺は背負った籠から柿を取り出すや、ぽいぽいとひき丸とわらびの手の中に落としていく。

 ひき丸は少し呆れた顔になる。


「へび爺、また柿を取ってきたのかよ」

「あちらではたんとできるでのう。取らねばもったいないわい。宮様も承知なされていることよ」

「あちらって?」


 つやつやした実から目を離したわらびが尋ねると、へび爺は寄ってきたゆきを己の胡坐の上に乗せながら、


「ゆきのいた例の邸さね」


 と、だけ答えた。

 

「榊宮様の邸だったところか」


 ひき丸は考え込む表情をしつつ、がりっと柿を齧る。甘くてうまいな、と感想を述べた。


「そういや、そこにいた女君はどんなひとだったのだろうなあ。宮様が今も気にしているらしいぜ。へび爺、他に覚えていることはないか?」


 橘宮の父、榊宮に最期まで侍った女。子を為したはずなのに、榊宮の死後に消えた女。橘宮は、狂ヒとなった父の経緯を知りたくて、かの女を探している。

 そして、ゆき。その女君は、ゆきの母かもしれない。

 うーん、とわらびは呻いた。考えすぎて頭がこんがらがってきたのである。柿を右手で掴んだまま大の字で寝転がる。


「たしか……柿の君」


 ふと何かを思い出したのか、へび爺は白い髭のある顎をゆるゆると撫でた。


「あそこにいた家人はみな、女君を『柿の君』と呼んでいたよ……」


 わらびはそれを聞いて、がばっと起き上がった。


「柿の君?」

「噂話をするにも、名が必要さね」


 老人は言う。

 柿の子こと、ゆきは、柿の種までばりばりと食うや、手をばたばたとさせた。目はわらびの手にある柿を見つめている。


「あげる」


 わらびが柿を差し出すと、ゆきは手にとり、また齧りはじめた。老人は目を細めてわらびに笑いかける。


「優しい子さね。ほれ、そこからふたつばかりまた持っていきなさい」

「わらびはいいよ」


 わらびは水精すいしょうでないとだめなのだ。食べても腹の足しにならないし、味もしない。

少女が断れば、へび爺が悲しげな顔をする。

 ひき丸も「もらっておけばいいさ」という言葉も手伝って、ついひとつだけ受け取ってしまったのだった。



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