菩提講
「ちちうえ。見て、鎧」
「ほぉ。たしかにおるなあ」
蓄えた細いあごひげを撫でる父。父はわらびと同じで人ならざる者を見ることがあるのだ。わらびは簡単に事情を説明する。
「鎧の失せ物探しをしているんだよ」
「講師のつまらぬ話を聞くよりよほど面白そうではないか。わしも混ぜなさい」
「あなたには、あれが何を話しているのかわかりますか?」
ややかしこまった面持ちでひき丸が尋ねると、男はしばらく耳を澄ませてから「あれは、わからぬ」と告げた。
「人の言葉に不自由するのは仕方がない。あれは付喪神、物に神が宿ったもの。元から人でないのでな」
さきほどから鎧は庭中を慌てたように走り回っている。何かを叫んでいるが、何を言っているのかわらびの耳では聞き取れない。
男はわらびとひき丸の間で胡坐をかいて座る。
「しかし、鎧というのは珍しい。近頃、都で鎧を見ることなど少なかろう。しかも、あの平緒だ。鳳凰の模様とは豪勢な。まず下っ端が身に付けるものではあるまい。相当な身分のある者の鎧だ」
「……身分のある者?」
男はわらびに笑みを浮かべる。
「身分の高い者があのような鎧を纏う事態は、余程のこと。時はかなり遡るであろう。たとえば、四十年前に起きたあの大乱」
「だいぶ昔だね」
「もしや、雷公の……?」
わらびはのほほんと応じたが、ひき丸は目を剥いた。
四十年前、天下の悪逆人が帝に成り代わろうとした起きた大乱があった。東で挙兵した悪逆人が都を目指して兵を進め、恐れ多くも帝になろうとした。その男の大義名分は、自ら宝珠を持ち、己こそが正統な皇統を継ぐ者であるというもの。つまり、天人であるがゆえ、帝になる権利がある、と主張したのだ。
「さよう。大乱の首謀者は雷公と呼ばれている。『公』と尊称がつくのは、処罰後に祟りが続き、鎮めるために神として祭り上げらられたからにほかならぬ」
……遠くで呼応するように雷が光り、鳴った。
「この雷公の乱を鎮めるために、朝廷が遣わした天人がいる。夜明公と呼ばれた男だ。皇統の血をひき、強力な宝珠を持ちながらも、ついに即位することはなかった。臣籍降下した後は鹿毛家の氏長者となり、政界で大きな力を持った。
あの鎧は、おそらくその夜明公がご着用になったものだと考えられる」
男の話に気を取られるうちに、庭を走り回っていた鎧がわらびたちの元に戻っていた。彼も聞き入っているように、じいっと動かないで土の上に突っ立っている。
「なるほど。では、なぜこの菩提講に現れたのでしょうか?」
「おや、ひき丸。わからないかね。今年の菩提講の目玉は?」
「あ……」
ひき丸は何かに気付いて動きが止まる。
「魂削剣……?」
雷公の乱を鎮めにいった夜明公が携えた太刀で、斬られた者は、身の内にある魂までもそぎ落とされるという宝物だ。
夜明公の死後、魂削剣は雲林院に預けられ、厳重に奉られている。それが菩提講で公開されるらしい。菩提講の講師が話しはじめに言っていた。
ひき丸が興奮したように叫ぶ。
「剣と鎧……夜明公の持ち物が引きあっているということか!」
「さよう。大乱の因果はこの菩提講に集約するのだ。鎧は東から来た。剣はこの都にあり、初めて人々の眼にさらされる」
男の眼は、遠く、灰色の空を眺めていた。
「菩提講は生きる者が死者を慰めるためのもの。おまえたちが気づかぬうちに、生者と死者は入り混じり、知らぬ間に語り合う場なのだ。そんな特殊な場であればこそ、普段ならば目にすることもできぬものも顕われる……来た」
男が眺めていた空に、黒い点があった。なんだろうと少年少女が眺めるうちに、どんどん大きくなってくる。
丸い、何かが飛んでくる。
ガチャガチャ、と鎧は太刀を構えて、迎えうつ姿勢になった。
周囲の人々も空の飛来物を見つけ、大騒ぎになった。
「首が飛んでくるぞぉ!」
だれかが叫んだ途端、場は収集がつかなくなった。逃げようとする者、事態が把握できずにまじまじと空を見る者、とりあえず周囲に倣って叫びだす者、さまざまいる。
「あれは雷公の首だ。雷公は己を斬った剣を得ようというらしい。鎧は、墓から抜け出たあの首を追いかけてここに来た。鎧は首を鎮めるため、首とともに埋められたものであるから。どうするかね、わらび」
男は奇妙なほどに落ち着いている。慌てる人々が動とすれば、静。明らかに雰囲気が浮いていた。
わらびはふと疑問に思う。知ったはずの顔であるはずなのに、知らない気がした。なぜ自分はこの男を父と呼んでいるのだろう?
空飛ぶ首が、落ちて来た。地面にめりこんだ。
顔から飛び出た眼が片方、土に隠れている。
首のもう片方の眼がわらびを睨めつけた。
「わらび!」
ひき丸がわらびを突き倒した。頭の上すれすれをひゅん、と首が飛ぶ。どすん、と鈍い音を立てて堂内に首が落ちた。
「平気か!」
「うん……」
男はわらびの横で悠々と腕を組んでいた。
「わらび。おまえが何者か忘れていようとも、役目は果たさなければならぬ」
首を睨みながら、男は右手をかざした。すると、どこからか、美しい銀色の太刀が顕われ、その手に納まる。
それをなぜか、気軽にわらびに向かって放り投げた。魂削剣は、飾り立てられた見た目の割には軽い。不思議なことに、わらびが持った途端に、刃の部分が月の色に発光した。
「……奇麗」
わらびが感心したように呟く。
両手で剣を持つわらびの後ろから、男が片手を添える。すると、わらびの身の内に白色の強い光が入り込む。水精から得られる満腹感とはまるで違うが、身に馴染んだ感じがする。
「雷公の首は、怨念と執着で強い穢れの塊と成り果てた。曲がりなりにも天人ゆえに丁重に葬られたのに、なお、満足できなかったものと見える。穢れを祓いなさい」
「どうしてわらびなの」
他のだれかではなく、なぜ。男は言う。
「我らは化人を救うために在るからだ」
確信めいた口調で、納得がすとんと肚に落ちた。
化人を救うため。わらびの魂の奥の奥に元々刻まれていたものが、表へ発露されたようだった。
わらびが魂削剣を振るうのも、化人を救うため。
わらびがここにいるのも、化人を救うため。
わらびが在るのも、化人を救うため。……それが何を意味しているのかはまだわからないけれど。
逡巡はなかった。
身体は勝手に動いた。胸の内で珠がどくどくと七色の光を放ち、熱くなっているのを感じながら、剣を振り上げた。
『祓えたまへ。清めたまへ。極楽浄土の道はいまだ遠き旅路なり。執着、嫉妬、慕情を捨てよ。ただ、幽寂に祈りを捧げよ――』
眩い光が、場を包み込む。白色の光で何も見えない。
だが、まっすぐに前へ振り下ろした。
転がった首が、さらさらとした灰となって消え失せていく気配だけ目蓋の裏で感じ取ってから、ふっと意識が遠のいた。
「わらび! おい、おい!」
気づけば、ひき丸がわらびを助け起こしていた。
埃の舞う堂の中に雨あがりの日の光が入り込んでいた。
堂内はしん、と静まり返っている。ものがなしく、蝉が啼いていた。
からからん、と太刀が握りしめていた右手から転がり落ちた。
ひき丸の横に、鎧が立っていた。深々と、わらびに向かって一礼をする。
『あ、あ、ああ……あり、がと……』
まるで煙のように鎧は消え失せた。
もう二度と会うことはないだろうな、とわらびは思う。
「夢から醒めた気分だよ」
「知らないうちに狐に化かされていたんだよ」
なんだよ、わらびの父親って! とひき丸は文句を言った。
「あれはもののけの類だぞ。のうのうと俺らの傍に居座りやがって!」
わらびはくわっと大胆にあくびをしながらゆっくり立ち上がった。案の定、あの不思議な男も忽然と消えている。
思えば、おかしなことが多かった。
雲林院の菩提講。あれはとっくの昔に廃れてなくなっているし、くまのは外に出かけないで今も佐保宮にいる。対外的にはまだ公にできない五井の姫君がひき丸を連れて外出するのも変だ。初めから二人とも雲林院に来ていなかった。
夢と現実。なかなか区別がつきにくい。
もう覚えていないが、わらびたちは何かの用で雲林院まで来て、二人してどこかの異界に迷い込んでしまったのだ。
「ちちうえ、か。そんな人も、わらびにもいるのかな?」
堂内に、たまたま欠片が落ちているのを見つけた。ぐう、と腹が鳴ったので食う。
「あまり気にするなよ」
ひき丸がわらびの肩をぽんと叩く。
ちちうえ。わらびに父がいたならば、あんな風に呼びかけるのだろうか、まるで現実味がないけれど。
「さっさと帰ろうぜ。気味が悪い」
「わかった」
床に転がったはずの魂削剣は知らぬうちに消えている。
二人は雨上がりの緩い土を慎重に踏みながら都への帰路につく。夏はもう、終わりに近づいていた。
「雨中の物語り」完結




