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雲林院

全2話


 ――目もない、耳もない、鼻もない。首がない。

 されど、あの御方がお命じになられたことは、是が非でも守らねばならぬ。

 この長範ちょうはん、忠義のため、今こそ悪逆の徒を討ち果たしに参らん。



 忌辺野いみべの近くの山際に、雲林院うりんいんという寺がある。春は桜、秋は紅葉で名を知られた名所だが、毎年七月一日には老若男女問わず訪れる菩提講という行事がある。

 菩提講は、亡くなった者たちの魂を慰めるべく、雲林院の本堂にて、坊主の霊験あらたかな話と人生の教訓を聞くというものだ。似たような行事は他の寺院でもしばしば行われるものだが、雲林院のそれは他とは違う。皇族の篤い庇護を受けるうえに、はじめて菩提講を催した格式ある寺院である。

 やはりこの時も残暑厳しい日中にも関わらず、化人ひとが参集し、堂内の板敷にきちきちに詰めて座っていた。

 しかし、騒がしい。ありがたい話を語っているに違いない講師こうじの声が聞き取れない。

 ただじっと固い板の上で跪坐きざするのに耐えきれず、肩まで伸びた振り分け髪の少女が鼻息を荒くする。


「ひき丸、帰りたい」

「女房の付き添いで来たのを忘れたか。俺は抜け出せないぞ、五井の姫君が帰られない限りはな」


 隣に座したひき丸はにべもなかった。

 ふたりの視線は堂の東側に下げられた御簾へ滑る。人の姿をした透き影がいくつも見える。あの中に、それぞれが付き従ってきた相手がいるのだ。

 わらびは、佐保宮さほのみやの女房、くまのに。

 ひき丸は、主人の大事な妻妾である五井の姫君に。

 示し合わせたわけでもないが、それぞれの事情が重なり、偶然にも顔を合わせたのだ。


「暑いし、退屈だもの」


 わらびは額の際ににじんだ汗を拭い、天井のはりを仰いだ。


「あの人の話がもっと上手かったらみんなもっと静かに聞いていると思う」


 正面に立つ講師はまるで自信なさげに肩を竦め、ぼそぼそと何かを語っている。もっと堂々と喋ればいいのに。吹けばかき飛ぶなよなよしさだ。


「まあまあ。こういう場に慣れていないんだろ。来年にはうまくなるさ」

「そうかな」


 とりとめのない話をしてからしばし。

 訪れたときにもやや不穏だった空から大水が降ってきた。遠くで雷が鳴り始めた。

 ドォーン、と恐ろしいほどの地響きが突如、本堂を襲った。

 道俗男女どうぞくなんにょが、なんだなんだと首を巡らせる中、わらびはすくっと立ち上がり、ひとびとをかき分けはじめた。

 雷とともに何かが顕われたのを感じ取ったのだ。


「どうした、わらび」

「ひき丸、こっち」


 わらびはひき丸を手招きしながら、本堂の濡れ縁まで出た。こちらに座る人がいるが、この騒ぎでわらびたちに気付く者はいない。勾欄に左手をかける。空いた右手で指さした。


よろいがいるよ」

「鎧?」

「がちゃがちゃ動いてるよ。あ、こっちに来た」


 少年少女の顔に雨混じりの生ぬるい風が吹きつけてきた。ひき丸は眉間に皺を寄せる。


「……俺は見えん」

「赤くて黒いよ、大きいの」


 わらびは目一杯に両手を広げてみせる。


「……こんな真昼からもののけが出たのか」


 うん、とわらびはひとつ頷き、膝をついて、身体を勾欄の外に躍らせた。じっと何もない寺院の庭を見つめている。

 ひき丸には、重苦しい空の下に植えられた松や梅、枯れかけの百合の花しか見えない。だがわらびがいると言うのだからいるのだろう。



 わらびの眼には、鎧が見えていた。肩から膝上まで覆う鎧は茜色で、鎧に覆われていない衣は濃い鼠色。正面から足に向かって垂らした平緒ひらおは紺地に金糸が織り込まれ、中央に金の鳳凰ほうおうが羽ばたいている。

 聞く限り、あまりもののけらしくないなあ、とひき丸が言う。


「ううん。もののけだよ。首がないもの」


 きれいに、首だけがない。ただ、本人はどうということもないようにガチャガチャ、と鎧を揺らしながらわらびを目指して駆けて来たのだ。太刀を抜いていないとはいえ、心臓が縮み上がりそうな光景である。

 ふとわらびは疑問に思う。首がないけれど話せるのかしら。

 鎧がわらびたちのすぐ目の前までやってきた。


『せ……ゃ……せ……』


 口は利けるらしい。よく耳を澄ませてみると、男の声で「せっしゃ」と言っている。


『拙者拙者拙者拙者拙者拙者……』


 「拙者」という語のみをひたすら繰り返している。わらびの前に仁王立ちしているし、きっと何か伝えたいことがあるのだろうが、これは困った。


「へえ。うまく話せないもののけ、か」


 わらびの説明を聞いたひき丸は面白そうに、切れ長の眼を小さく輝かせた。


「わらびを頼っているなら、根気よく付き合ってやるしかないなぁ」

「うん」


 わらびは試しにこう尋ねた。


「どこから来たの」


 ガチャガチャ。鎧は動いて、はるか遠くを指さした。


「ひき丸。この鎧、東から来たらしいよ」

「東? 東には何かあったか?」


 さあ、と二人して首を捻る。


「何しに来たの?」


 鎧が籠手を嵌めた両手を動かして、首のあるあたりを丸で囲むように示してみせた。


「首?」


 わらびの問いに、鎧は肯定の意を表すように軽快にその場で飛び跳ねる。

 鎧はさらに、丸で囲ったものがごろんと落ち、それを追いかけるような仕草をした。その場で足踏みをしてみせる。

 ふむふむ、とわらびは得心する。


「首を失くしちゃったみたい。……それを探してほしいということ?」


 鎧はぴたりと動きを止めて、ぴょんと飛んだ。


「あのね、ひき丸。失せ物探しだったみたい」

「わざわざもののけがやってくるぐらいにはおまえの名前も有名になったということか」

「どうかな。もしかしたら不知しらずが広めているのかも……」


 当の本人もののけがいないことには確かめようがないけれど。


「もっと手掛かりがほしいね。あ、そうだ。名前を聞いてなかったね」


 なまえは、と問うてみる。すると「拙者拙者」とばかり言っていたもののけが「ちょうはんちょうはんちょうはん……」と言い出した。


「ちょうはん?」

 

 ガチャガチャ、と両手を上げた鎧がその場でくるくる回り出す。正解なのかわからない。ぴたっと止まった鎧に「合ってる?」と尋ねれば、気のせいか嬉しそうにまたくるくる回る。

 『ちょうはん』というのがもののけの名らしい。

 すなわち、失せ物はちょうはんの首?

 わらびが首を傾げていると、ぎしり、とすぐ後ろで板敷が鳴った。振り向くと、白の狩衣を纏った壮年の男がわらびたちを覗き込んでいる。


「おまえたち、そこでこそこそとどうしたのだね」

「ちちうえ」


 わらびの父である。菩提講にいたとはちっとも気づかなかった。


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