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 ――時はわずかにさかのぼる。

 わらびが鬼門の穴に落ちた後、ふつは必死で助けを求めた。警固の衛士をはじめ、宿直とのいの雑色、佐保宮に仕える人びと。思いつく限りに声をかけ、わらびを穴に引き上げられないか頼み込んだ。

 一晩中騒ぎ立てたせいで、穴の周囲に人が集った。ただ、だれもこの底なしの穴に入ろうという者はいない。元から不気味な噂の絶えない鬼門の穴だ。

 ふつはもどかしさを覚えながら穴をのぞきこむ。本当はふつ自身も穴へもぐりたいのだが、穴の暗闇を見つめるだけで恐怖に囚われるふつにはのぞきこむだけで精一杯だった。


「わらびー! わらびー! いたら返事してっ!」


 それでもわずかな望みを繋いで、何度も名を呼ぶ。気を紛らわせるだけだとわかっていても、声を枯らして叫んでいた。


「わらび」


 そこへ別の声が重なった。隣で膝を折ったのは、いつもわらびと一緒にいるひき丸という少年だった。彼はふつと同じようにのぞきこみ、わらび、ともう一度呼び掛けた。

 その横顔と声にふつはどきりとさせられた。祈りと切実さと、愛おしさがないまぜになった結果、表面上、少年は穏やかにさえ見えた。けれど。


――この人、わらびを大切にしているんだわ。


 内心、かなり心配しているはずだ。ふつと違うのは、彼が心の底からわらびが帰ってくると強く信じているところ。

 正直、ふつにはわらびが無事に帰ってくるとは思えないのだ。良くて大怪我、死んでいたっておかしくない。――なんてひどいことを考えてしまうのだろう?


「……わらびは、この穴に落ちたんだな」

「え……? ええ、はい……」


 話しかけられたと気づくのに遅れたふつが慌てて頷く。

 わかった、ありがとう、と告げた少年は、立ち上がって、近くにいた男たちと交渉しだした。

 聞き耳を立てるに、自分が穴へ降りるから丈夫な綱と男手を貸してほしいと頼んでいる。


「俺の惚れている人ですから、助けたいんですよ。穴に落ちたらなかなか出られないでしょうし。こういう役目はいつも俺がやってきましたから。……ええ、危険ですね。承知の上です。結果、俺が死んでもだれも責めませんから」


 少年が大人たちを言葉巧みに説得し、少年が穴に下りることで話がついた。丈夫な綱の在処ありかを知る男がぱらぱらと探しに走り出す。

 待つ間に、空がだんだん白んできた。遠くの山の稜線から朝日が顔を出そうとした時。

 それは起こった。

 穴の底できらっと何かが光ったのにふつは気づく。

 よくよく見ようと目を凝らす間に、ものすごい風が穴から地上へと吹きだした。とっさに目を瞑る。

 ――ばさばさ、と鳥のはばたきを耳にして、おそるおそる目蓋まぶたを上げた。

 すると、穴から何かが舞い上がった。金色の……光り輝く鳥だ。それも、人を丸呑みできそうなほどの大きな鳥。

 ふつは呆けた。こんなもの、見たことがない。

 人びとが奇妙な鳥に恐れおののく中、鳥は堂々とした仕草で、嘴に咥えていたものを、穴近くの草地でごとんと落とした。


「いたっ!」


 知った声が響いた。見覚えのある朽葉色の衣がぼたりと落ちていた。その色に身を包んだ童女がお尻をさすっているのだ。

 わらび。わらびだ。

 怪鳥の出現に慄く群衆のことより、ふつはわらびが戻ってきたことに安堵した。

わらびにはよく心配と面倒ばかりかけられる。しかし、それでもふつには初めてできた友人なのだ。無事を喜んで何が悪いのだろう。

ふつは「よかった、おかえり」と労いの言葉をかけようとしたが。


「あ、ふつだ」


 他人の心配をものともしないような間抜け顔を眺めるや、


「わらび! ばかっ! すごく心配したのよ!」


 反射的に悪態の方が先に口から出てしまったのだった。




 早朝の鬼門の穴で起きた大騒動は帝にも報告されたのだが、調査のために何人かの使いが遣わされたのみで、わらび自身に特段何か起きたわけではなかった。

 ただ、今まで『失せ物探し』のわらびを知らなかった者にまで面を知られたため、どこにいくにしてもじろじろ見られる。


「有名になったものだなあ」


 佐保宮に来たひき丸の感想である。

 庭の隅で話しているだけなのだが、通りがかった者がわらびにちらちらと視線を投げるのだ。


「人の目は気にならないか?」

「うん、へいき」


 ひき丸は腕を組み、細い目をますます細くした。


「鬼門の穴に行くなら俺を連れていけばよかったんだ。いつもいつも変な目に遭うとしても、多少は心配せずに済むんだがなあ」

「うん、そうだね」

「……嫌味のつもりだったんだぞ」

「そうなの?」


 ひき丸は諦めたように息を吐いた。さきほどからこの調子である。わらびの大冒険に乗り遅れたのがそんなに悔しいのだろうか。


「……俺も大きな鳥に乗ってみたかった。空を飛ぶんだぞ、夢のような話じゃないか」

「でもひき丸にはあの鶏が視えなかったんだよね」

「あぁ。そこも悔しい」


 穴の傍に集まったふつやひき丸を含む見物人は、金鶏が視えた者と視えなかった者で二分されたようだ。ふつは金鶏を視たが、ひき丸には視えなかったという。

 どうせなら自分も目撃して、その画を描きたかったのだとひき丸は悔しがっていたのだ。


「ひき丸が描けるように、金鶏のことを教えるよ」

「頼む」


 がしがしと後頭部のあたりを掻くひき丸。


「で、だ。……わらび、『失せ物』は見つかったんだな」

「うん」

 

 ひき丸がわらびの差し出した小さな香箱を手に取り、少し蓋をとって、鼻を近づける。


「これだな。『夢の浮橋』か。どうして穴の底に落ちていたんだろうな。なにかわかるか?」


 わらびは少し目を閉じた。

 『夢の浮橋』。逢いたい人に逢えるという名香だが、わらびがこうして嗅いでみたところで不思議なことが起きるわけでもない。


「……穴に捨てたのは、見つからないようにするためだよね」

「なら盗んだ犯人にとって、この香は邪魔だったわけか。邪魔になるならなぜ盗むんだろう」

「嫌がらせ、かな」

「宮様への、か」


 ひき丸がむっとしたように呟く。宮様第一のひき丸だから、橘宮が嫌がらせをされた事実に内心、憤慨しているのかもしれない。


「ううん、違う。宮様じゃないよ。もしかしたらね、犯人はこれが『夢の浮橋』だと気づいていなかったのかも。けれど、良い香なのは間違いないから、悔しくて嫌がらせしたんだよ。ただ、盗んだのはばれたくないから、捨てさせたんだよ」

「原因は嫉妬か。なら犯人は」

「青竹」

「……まあ、いかにもやりそうだな。佐保宮であの人に命令されれば、よくわからず穴に捨てる者はいるだろ。脅されている者もいるはずだ」


 ひき丸は香箱の蓋を閉じた。


「ならこの箱は橘宮に返すか」

「ううん。今の持ち主に返してくるよ」


 今の持ち主って、と言おうとしたひき丸の口がそのまま閉じた。


「そうか。……あの方も忘れられないのだろうな」


 ぽつりと零した言葉は寂しげだった。



 ひき丸と別れたわらびは、佐保宮にある人気のない殿舎へ行った。

 ここには独りを好む女房の局がある。

 几帳同士の隙間に顔を突っ込むと、目当ての人物は奥に座っていた。


「くまの」


 名を呼ばれた女房は、文机から面を上げて振り向いた。傍らでは文箱ふみばこの蓋が開いており、いくつもの文が広げられている。

 わらびを見たくまのは、驚きをあらわにした。


「鬼門の穴に落ちたと聞きましたけど……。もう身体はよいのですか」

「うん」


 くまのは泣いていなかったが、顔色は悪かった。


「くまのは何をしているの」

ふみの整理をしているのですよ。大事なものは実家に置いておこうと思って」

「局に置いておくと、盗まれるかもしれないから?」

「え? えぇ……そうね」


 くまのは口ごもり、広げていたふみを元のように畳み始めた。その手つきはのろのろとしてぎこちない。


「……鼠がいたのよ。時々、文がなくなってしまうの。文だけでなくて、ちょっとした小物や衣も。青竹と争ってからは特にそう。大事なものならしっかり隠しておかないと」


 わらびはくまのの傍ににじり寄り、その手元を見る。

 流麗な女文字が躍る文面だ。きっと、わらびが今持っている文と同じ手蹟なのだろう。


「あのね、くまの。その鼠がね、ごめんなさいって」

「え、ねずみが……?」


 わらびは手に持っていた文の束とあるものを差し出した。


「大切なものだとわかっていたから捨てることも燃やすこともできなかったんだよ。……許してあげて」


 いぶかしげなくまのは、受け取ったいくつかの文を広げて目を丸くした後、木箱に手をかけた。かぽっ、と蓋が開く。

 ふわりと漂うかぐわしい匂い。

 くまのの手がぶるぶると震えた。涙で溜めた眼をわらびへ向けて、どうして、と問う。


「……いつ、これを」

「穴の中に落ちていたから拾ってきたんだよ。これは、くまののものでしょう? 宮様からゆずられたんだよね」

「……そうですよ」


 しばらく経って、くまのは肯定した。


「宮様はわたしに同情してくださった。ご自分にはもう使いたい人がいないから、とおっしゃって、ほとんどだれにも知らせずにね。夢の中でもいい、女東宮さまにお逢いしたかったの」

「夢の中で、逢えた?」

「いいえ」


 くまのは哀しげに微笑む。


「『夢の浮橋』の伝説はあくまで伝説だったのですよ。夢でさえ逢いに来てくださらなかったわ。きっとそれが御意思だと思うのです。『夢を見るのでなくて、今を生きてほしいから逢わない』と」


 夢で逢ってしまえば、夢に縋ってしまいますからね、とため息をつくくまの。


「届けてくれたことに感謝します。わたしにはもう必要ないものですが、いつか、必要な者が現れたときに渡すことにしますよ」

「くまのは、これからも青竹と戦うの」


 くまのはわらびの問いには答えず、ただこう告げる。


「できる限りは佐保宮の片隅にいますよ。桜の上がこちらの出仕の許可をしている以上、そのことは青竹にでさえ止められませんから」

「そっか。ならわらびはまた来るね」

「おまえも大概、物好きな子ですね。……あら、髪に葉っぱがついているではありませんか。いらっしゃい、とってあげますから」


 くまのはわらびの髪に絡まっていた葉を抜き取った。

 その際に正面からわらびの顔を見たくまのはふと思いついたように、


「……おまえを見ていると、なぜか女東宮さまを思い出します。ひまな時にでもまたいらっしゃい」





 くまのの局を出た帰り道。青竹が渡廊の上から庭を眺めているのに出くわした。わざわざ避けるのも嫌だったので、背後をすり抜けようとすると、「お待ちなさい」と声がかかる。


「くまのに会いに行ったようですね。その意味を、正しく理解しているのかしら」

「青竹のいうことはよくわからないよ」


 おほほ、とさして面白くもないのに、青竹は声を上げて笑った。


「それはそれとしますが……『失せ物探し』の方はどうなっているのです? 肝試しの時、頼んだでしょう?」


 穴の近くで落としたという文のことらしい。わらびも言われるまですっかり忘れていたけれど。


「あれって、本当にあるの?」

「あるから頼んでいるのではありませんか」

「ふうん、そう」


 ふとわらびの視界に銀の蝶が舞っていることに気付いた。木陰の下でひっそりと光っている。穴から出た後、どこかにいってしまった『不知しらず』と名乗る物の怪だ。

 わらびが気づいたことに『不知』も気づいたのだろう。ふわん、ふわんと、上へ下へひらひらと動く。

 

「ちょっと……どこにいこうとしているのですか!」


 わらびは不知しらずがいた辺りに下りた。そこは桜の木が植わっているのだが、低い枝に薄汚れた白いものがひっかかっていた。


「あ、文だ」


 わらびは紙に書いてあることを朗々と読み上げた。


「……『今晩は貴女の元へ参れず申し訳ない。この穴埋めはいずれ。――くれぐれも言いますが、私にはあなたひとりです。青竹さまとのことは誤解ですよ。仲良くしているのは建前ですから。床での青竹は至極つまらない女ですからね。はっはっは。――蛍中将』……ん。これ、だれかへの文だね」

「わらび」


 青竹が珍しくわらびの名を呼んだ。不思議に思って、顔を上げると。

 渡殿の青竹は遠目にも鬼のような形相になっていた。


「……よろしい。今回のことは不問としましょう。その代わり、その文を渡しなさい」

「でもこれ、青竹の文ではないよ」


 青竹のことは書いてあるようだけれど。


「ええ、そうですね。しかし、落とし主に心当たりはありますから。わたくしから返しておきましょう」

「……そう?」


 わらびは渡殿の上の青竹に文を渡そうと手を伸ばした。

 青竹はわらびの握る文を取ると見せかけて……。


「うっ……!」


 わらびの腕を乱暴に掴んだ。


「……化け物よ。いい気にならないことだ」


 ぎりぎりと、腕を締め付けながらわらびの耳へ呪いを吹きこむ。


「本来、おまえは佐保宮に不要なもの。桜の上が気にされるから仕方なく置いてやっているのを忘れるな」

「……ふつはもう、青竹のいうことを聞かないよ」


 わらびも言うべきことを青竹に告げた。


「ふつを脅して、人の物を盗ませるなんてことはさせないよ」

「ほほ、おまえも言うようになったものだ。あんなものは捨てた駒だから痛くも痒くもないわ。だが、教えてやろう」


 青竹は人を食らいそうな凄絶な笑みを浮かべた。


「この青竹は、桜の上のためならば何でもするし、そうしてきた。……化人ひとひとりいなくなるようにすることも、この青竹には造作もない」

「たとえば、女東宮を陥れたように?」


 すると、眉根を寄せた青竹はわらびの腕をおもむろに解放した。


「……くまのがしゃべったようですね。あの女も執念深いこと。あの方が勝手に自滅しただけだというのに」


 その言葉を残し、青竹は主殿の方に歩いていった。

 主殿では今日も、桜の上とその女房たちで華やいでいることだろう。

 けれど、その裏にあるものは醜い。見せかけの張りぼてだ。


「……『失せ物探し』、行きたいな」


 ひき丸に会って、橘宮に依頼がないか聞くのだ。失せ物探しで都に繰り出せば、少しはこの鬱屈を跳ね飛ばせる気がした。


「行こう」


 わらびはてくてくと佐保宮から歩き出した。目指すはひき丸のいる更級第さらしなのだい

 大きく息を吸って、足を踏み出したのはいいけれど、やがてはたと立ち止まり、


「ひとりで行くと遠いんだねえ……」


 気づいたように呟いたのだった。



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