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鬼門の穴

 

「ん……?」


 穴の底は突然やってきた。

 落下していたと思っていたのに、いつの間にか立っている。

 どこかにいったはずの松明が、消えずに赤々と燃えている。

 草鞋わらじがたしかに土を踏んでいた。上を見た。夜だからか穴の内と外も見分けがつかない。

 歩こうとしたら、こつん、と硬いものを蹴飛ばしてしまった。

 拾い上げてみる。片手で掴める小さな桐の箱だ。鼻に近づけて、嗅いでみた。


「あれ……?」


 わらびはすぐに蓋を開けた。紙に包まれた小さな木片から、えも言われぬ高貴な香りが漂った。


「『夢の浮橋』だ……」


 橘宮から盗まれたはずの香が、なぜか鬼門の穴に落ちていた。

 香ばかりでない。松明の火が照らすのはそこらじゅうに散らばったなんてことのない道具たち。割れた鏡、壊れた硯、原形のわからぬ木片……。底なしであるのをいいことに、この穴には色んなものを投げ捨てられたらしい。ほとんど足の踏み場がないほど積みあがっていた。

 どうやら『夢の浮橋』もこれらのごみと同じように捨てられたものらしい。

 ふと松明の火がある方角へゆらめいた。ひんやり湿った風がわらびの頬に触れた。


 ――うぅ……ううぅ……。


 糸のように細い、人の呻き声が耳に届く。

 右を向く。松明を前にかざしたその方向には大きな横穴が開いていた。声は横穴の奥から聞こえているのだ。


「行かなきゃ」


 香箱を懐に入れ込んだわらびの足はおのずと横穴へ踏み出していた。

 あの奥で「何か」が待っていると思った。わらびを穴に呼び寄せた「何か」が。


 ――おうううううううぅっ。


 一歩進むごとに呻き声は大きくなり、その声に苦痛の色が濃いことに気付く。松明をかざしているのに、周囲は分厚い闇だった。闇に溜まった淀みが全身にまとわりついていく。松明の火が見にくくなってきた。まるで泥の中を進んでいるかのようだ。胸の奥まで詰まる。


「あ……」


 進んでいった先には、暗闇でもわかる金色のきらめき。松明をかざしながら近づいた。そこは広い空間となっていて、横穴の終点のようだった。

 鶏。わらびよりもはるかに大きく、尾がとても長い金色の鶏だ。身体を横たわらせ、人のように苦しみ抜いている。陽光の下で燦燦と光るはずの羽根をところどころ黒いもので汚し、ひゅうひゅうと荒い息を吐きながら苦しそうに身じろぎするたび、風が起きる。さきほどからわらびへ吹きつけていた風も、この鶏の巨体が作り出したものらしい。

 よくよく鶏を観察していたわらびは鶏の胸に矢が刺さっているのに気づいた。そこから血がどくどくと流れ出している。


「痛そう……。だいじょうぶかな」


 そろそろと鶏へ歩みを進めると、苦痛にもだえる鶏の方でも来訪者を認め、金色の鶏冠とさかごと頭をもたげた。鶏の目は黒く、理性的だ。物の怪にしても、清らかすぎた。


「ねえ……、その矢、抜いてあげようか」


 助けを求めているような気がして、わらびが尋ねるや。

 金色の鶏は化人ひとのように頷いてみせ、二つの目蓋をぱちりと閉じた。


「よいせ、と」


 矢は高い位置で深く刺さっていた。鶏の背に上ろうと、血で濡れた羽毛に触れた。途端、身震いが爪先から頭まで駆け抜け、ぱっと手を離した。

 右手に掴んだものを見た。

 長い黒髪が一筋。それも、蛇のようにうねうねと動いているのだ。


「きもちわるい」


 髪の毛を適当に投げ捨てた。困ったことに、この鶏にはたくさんの髪が絡みつき、それもあって鶏も倒れたまま動けないでいたらしい。

 穴の底で見つけたのは矢が刺さり、髪で縛られた金色の鶏。一体、何がどうなっているのだろう。

 矢近くの髪はぶちぶちとむしり取りつつ、松明片手に鶏の背にまたがった。

 右手で矢を掴む。途端、気持ち悪さが増した。


 ――そうか。この矢が『悪い』のか。


 この美しい金色の鳥を傷つけ、苦しめ、貶めようとする意志が手を通じてわらびへ伝わる。

 この鶏は空を飛んでいたのだ。それを、矢で撃ち落とされた。鬼門の穴に落ち、助けを求められないままにいたのだ。


「助けなきゃ」


 矢を抜こうとした。しかし、深々と刺さっているためか、びくともしない。仕方なく松明を地面に置き、両手で抜こうとしても同じだった。わらびが身動きするたび、鶏は苦しげに啼く。


「痛いよね。ごめんね……」


 わらびが羽毛を撫でると鶏も大人しくなる。


『やみくもに矢を抜こうとしてもだめだ。金鶏きんけいは強い穢れに身を侵されている』


 顔の横を銀の蝶がひらひらと飛んでいた。

 声はそちらから聞こえている。

 少年のような、老年のような。少女のような、老婆のような。不思議な声だ。

 以前、山に向かうわらびを道案内したのも銀の蝶だったのを思い出した。


「だれ?」

不知しらず

「しらず? それが名前?」


 わらびはすいと目の前を旋回する蝶をじっと見るや、「もしかして、わらびは会ったことがある?」と尋ねていた。なんとなく声に聞き覚えがあったのだ。


『――したの帯の 道はかたがた 別るとも ゆきめぐりても 逢はむとぞ思ふ

(下帯はぐるっと一周回って結ばれる。ここで別れて別々の道を行くが、いつかまた逢おうではないか)

 わらび、とその名を付けたのは我だ』


 わらびがひき丸と橘宮に拾われる前。

 わらびは死骸の山で眠っていた。何がどうしてそうなったのかは知らない。何も覚えていなかったから。名前さえ。

 だが夢うつつのうちにこの声が聞こえてきて、「わらび」と。

 通りすがりに思えた声が、わらびをそう呼んだから、薄汚れた童女は「わらび」と名乗るようになったのだ。


『先日、山の中を導いたのも我だ。信じずともよいが』

「ううん。信じるよ。不知しらずは銀の蝶だったんだね」

『今はそうであるな』


 物の怪が言い終わる前にわらびは告げた。


「ねえ、不知しらず。わらび、この鶏を助けたいんだ。矢が抜けないんだよ。何か方法はあるの」

『あるぞ。その方法を教えるために我はここにいる』


 その矢を、と蝶は金鶏に刺さる矢の上を舞う。ほのかな燐光を放つ蝶は明かり代わりに矢を照らした。


『呪いの矢を清めるのだ。さすれば金鶏に満ちた穢れも祓われる。

 祓詞はらえことばは知っているな』

「うん……知っている、と思う」


 わらびがわらびではない時に、勝手に口について出たことば。唱えると不思議と、己の身に染み込む心地がしたものだ。

 胸に手を当て、小さく息を吐く。――できる、と確信した。


『よし……ならば、矢を掴み、唱えよ』

「わかった」


 わらびはむんずと矢を両手で握る。


『我が御息みいきは神の御息。神の御息は我が御息。穢れたる者、極楽浄土に至りて、泥中の蓮とならん』


 暗い穴に声が響く。わらびの祓詞ばかりでない。


『殺ス、殺ス……』

『祟れよ、呪えよ……』


 わらびの声の隙間にそこかしこからいくつもの囁き声がかぶさってくる。金鶏を蝕んでいるモノが、場を清めようとするわらびに抗い、頭の中で繰り返し訴えてくる。

 負けじと朗々と声を張る。わらびの手に優しい光が灯る。その手から矢の、矢羽根から深々と刺さった根元に光が伝わった。


『穢れとは、五悪。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒。過ぎれば毒、身を滅ぼす悪なり。しからば、抱えたる罪をば、落とせ、落とせ、落とせ』


 人の声は蟻のように小さくなり、聞こえなくなった。

 矢がずる、ずると少しずつ抜け始める。


『我らは極楽へ至る者なり。世尊大君せそんおおきみは極楽往生を約定せり。久世ぐぜにいまひとたび、無量無辺の光を乞いたまう』


 金鶏きんけいの羽毛が……身体から生えた一本一本が、ゆっくりと金色の輝きを取り戻しはじめる。



『祓えたまえ、清めたまえ。かしこみもうす、かしこみもうす』


 とうとう金鶏の背から矢尻が抜けた。

 その勢いで、わらびは背中から転がり落ち、地面に尻餅をつく。痛くはなかった。それよりも、目の前の光景に釘付けになっていたのだ。

 大きな金鶏は起き上がろうとしていた。

 金鶏の輝きはいやでもまして、陽光の化身のようにまばゆい。長く地に垂れた尾が優美にくねる。

 穴の中が昼間のようだ。重苦しかった空気が一変する。

 立ち上がった金鶏は、飛んでみせればそれはもう美しい姿なのだろうと想像させた。まだ万全ではないようで、起き上がるのにも辛そうにしていたが。


『あぁ……やはり金鶏はそうでなくては。元は極楽の鳥、この世に新たなを運ばなければならぬ。いつまでも黄泉よみ近くで落ちていてよい鳥であってよいはずがないのだ』


 傍らの銀の蝶が感嘆の声をあげ、こころなしか、さきほどよりも元気そうに飛行している。

 わらびはいまだ掴んだままの矢を見る。普通は矢尻には金属を使うものなのに、少し違った。白い何かの破片なのだ。なんだろうと思ううち……矢はなぜか、わらびの手に吸い込まれていった。


「え……」


 自分の手の平に刺さっていくように見える矢。奇怪すぎる。


『いつか必要になるかもしれないということだ。清められたから具合が悪くなることもあるまい』


 たしかに身体の調子が悪くなるわけでもないし、厭な感じもしないので放っておくことにした。気にしてはいけない。


『さあ、わらびよ。解放された金鶏きんけいが飛んで穴を出ていこうとしておるぞ。早く背に乗りなさい』

「……飛ぶんだ」


 怪我していた時ならばいざ知らず、雄々しく立つ金鶏に上れない。

 わらびはそろそろと金鶏に近づけば、金鶏の方が動いた。

 金鶏がわらびの胸元あたりの布を器用にくちばしでつまんだのだ。仰向けの姿勢になるわらび。少しはだけた胸元に、銀の蝶が止まる。


『金鶏よ、かつて墜落させられし摩尼珠王を導く極楽の鳥よ』


 銀の蝶が歌うように言う。


『わが君をお守りいただいたことに感謝いたします。しばし久世ぐぜを離れ、極楽にて傷を癒されませ。そして、いずれかはかえり、ふたたび世をあらためられますよう、祈念申し上げまする。――さあ、行かれませ』


 銀の蝶に答えるように――ココッ、と鶏が短く啼き。

 ばっさばっさ、と鶏は羽ばたく。どっどっどっど、と地を蹴って走り出す。

 景色が横へ流れ出した。

 横穴から竪穴へ。羽ばたきとともに視界も揺れる。わらびは金鶏の首に手を回し、落ちないようにしがみつく。

 わらびを連れ、金鶏は舞い上がっていく。空へ。わずかに見えた朝焼けの空へ。

 わらびは信じられない心地で金鶏が飛んでいる様を眺めていたけれど。

 刹那、巨大な鉄の門を垣間見た気がした。黒い炎に包まれた門。牛首と馬首の門番が穴の底からぎろりとこちらを睨んでいる気がして、目を瞬く。その間に景色はただの地面に戻っていた。

 短い飛行ののち、金鶏は穴から空へ飛び出した。


「なんだ、あれは! 金の鶏か!」

「すごい風だ! 面妖な」


 穴を囲むように群衆が立ち騒いでいる。つぶらな瞳で彼らを見下ろした鶏は穴の傍らにわらびをぽいと放り投げた。


「いたっ」


 またしても尻から着地するわらび。どすんという音が尻から響く。

 痛みに目をちかちかさせたものの、わらびはすぐさま空を見た。

 青空の下、金鶏が飛ぶ。

 金鶏はコオッ、とお礼のようにひとつ啼いた後、天へ空高く飛んでいったのだった。




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