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荒垣院


 荒垣院あれがきのいんも、元は時の権力者が建立させた壮麗な寺院だったという。人里離れた山の麓に忽然と立ち現れる壮麗な寺院で、名も玉垣院たまがきのいんと言った。

 華々しい建立行事も執り行われたのだが、数年もしないうちにきらびやかな金堂のほか多くの建造物が不審火により焼失した。内部にいた僧侶ほか、数十人が焼け死んだと伝えられる。

 その後、細々と再興されたようだが、後ろ盾になる者もいなかったのか、いつの間にか廃寺となっている。

 築垣や山門は崩れ落ち、金堂に飾られた扁額へんがくも消え、仏像の首はころんと落ちた。往時を忍べるものといえば、麓の道から山門まで続く参道の石段ばかり。住む者がいようなどとは思いも寄らない奥まったところにあるので、本物の群盗にはちょうどよい住処すみかとなったのだろう。

 人目に触れぬ廃寺に、好んで足を踏み入れる者も少なく……助けも来ない。



 荒垣院の金堂。首なし仏像が真っ白な埃をかぶっていた。閉め切られた堂内はしけており、不潔な男たちの臭気が立ち昇る。薄暗い中、十対の目が灯台あかりだい代わりに赤く爛々と光る。



――これは夢だ。


 夢に違いないと己に言い聞かせたけれど。


「絹みてえにすべすべした手だ」


 髭面に己の手が押し当てられて、擦られた。瑠璃は身震いした。酒をしこたま呑ませられて酩酊した頭がにわかに覚醒する。


「気持ちいい。……こうしていると女みてえだ。都にいるお姫さんのようじゃねえか」


 赤ら顔の男が瑠璃の顔を覗き込み、生臭い呼気を吐いた。思わず瑠璃は袖で口元を押さえた。その拍子に解かれた髪がはらりと動く。


「嫌がる仕草もまたかわいい。良い匂いもする。さては良いところの坊だったのだろう? そうに違いない」


 瑠璃は。……女の衣を着せかけられている。美しい二陪織物ふたえおりもので、牡丹色をした表着うわぎだ。どこかから奪ってきたのだろう。

 心底気持ち悪かった。女のようだと言われるのが何よりも苦痛だったからこそ、武芸へのめり込んだというのに、このざまは何だ。

 勇んで群盗に挑みかかったものの、瑠璃たちより一枚も二枚も上手だった彼らは、あっけなく瑠璃一味を縛り上げたのだ。

 瑠璃の口元を覆う茜色の布を取った鬼たちは色めき立った。


『……これは、また。もったいねえなあ』


 瑠璃は群盗の頭に気に入られたらしい。女の恰好をさせられ、ひとり酒宴に連れてこられた。頭の隣で酌をさせられている。肩に男の腕が回り、まるで本当の女のように扱われている。

 

『己や仲間を助けたければ、俺のご機嫌をとってみろ。そうしたら考えてやらんでもないさ』


 頭がそう約束したから、瑠璃は何をされても懸命に我慢している。

 瑠璃は薄暗い堂内を見回した。男は円を描くようにして九人いる。 ほかには彼らの間を歩き回って、世話をする無表情な女がひとり。鈍色の衣を着た目立たない女だ。女好きの彼らでも食指が動かぬとみて、肉付きの薄そうな身体には見向きもしない。

男たちはどれもが粗野で凶悪な面構えをしているが、とびきり嫌な顔つきをしているのが、頭である。顔の中央に大きな傷跡がある。


「わしも昔は貴族に仕えていた身だ。尊い御方のつらもいやほど見てきたから、この目は誤魔化せねえ」


 はっはっは、と頭は己を指さし大笑いする。たいして面白くもないだろうに他の男たちも追随した。

 瑠璃はぶるぶると震えた。――男たちの目がさっきから妙に赤いのが気になっていた。特に群盗の頭。昼間より目玉が前にせり出しているのではないか。

 男たちは大声で話しながらなにかの肉を食っている。焼いたり、刺し身にしたりといろいろ調理しているが、瑠璃にはおぞましい光景だった。

 ……そもそも化人ひとは滅多なことでないと肉を食わないものなのだ。本性が畜生である彼らが同じく畜生を食らうのは禁忌とされる。間違っても同じ化人けにんを食うようなことがないように。

さらに天人は肉を食らえば穢れるとされているため、天人に近い貴族ほど肉食を嫌うものなのだ。瑠璃も生まれてこの方、鳥や魚さえ口にしたことはない。


「それを言うなら、おかしら以外のやつらもだいたいそうじゃねえか。ひどい主に捨てられてさ。食うに困れば殺しもするし、奪いもする。なあ、おかしら、おれにもお姫さん触らせてくれや」

「わしが飽きたらな」

「おかしらは骨までしゃぶりつくすじゃねえか。文字通り骨しか残らねえよ!」


 手下の男のおどけに一団はどっと笑う。わかった、と手で制したのは頭の男である。


「分け前がほしいと言いたいだけじゃないか。もうわかったから連れてこい。取り分を決めようじゃないか」

「さすがおかしら」


 下座にいた男が二人、堂の外に出ていく。彼らはそれぞれ荷物を肩に背負って戻ってきて、堂の中央に下ろした。三往復すると六人になる。体中を粗い縄で縛られ、口にはさるぐつわをかまされている。

 少年たちは頭の隣にいる瑠璃を見つけるや、絶望に満ちた顔になる。


――違う。違うんだ!


 瑠璃は言い訳をしたかった。何も望んでこんな格好をしていない。男にしだれかかって、女みたいに振る舞いたいわけじゃない。

 瑠璃の心中も知らぬ頭の男は前に出て、少年たちの面をじろじろとのぞき込む。


「似たようなわらべばかりだ。若い女か、女童めのわらわが混じっておればよかったのだが。わしはお姫さんをもらうから、残りはおまえたちで好きに決めろ」


 どかっと己の席に戻った頭はまた瑠璃の肩に手を回した。

 よっしゃ、と男たちが快哉を上げ、板に座らせられた少年たちを取り囲む。


「おれはこいつの目と、あいつの右足と……」

「舌と心の臓がいい。できれば全員分」

「下半身を焼いてくいたいな」

「一番ちっこいやつの断末魔を聞きながら生き血をすすりたい。それが旨いんだ」

「耳は別にしてくれ。干して齧るから」


 聞くに堪えない言葉に瑠璃は耳を塞ぎたくなった。


――こいつらは、正真正銘の鬼なのだ。


 でなければ、あんな平然と『取り分』の相談をするはずがない。彼らはいつもああやって「分け合って」いるのだ。


「お姫さん、何か言いたいことがあるんじゃねえか」


 血をしたたる生肉を食った口が、瑠璃の耳にささやきかけてくる。片手が瑠璃の髪を梳くように撫で、もう片手では口に肉を運ぶ。

 ぎょろり、と赤い眼が瑠璃のそれに間近に迫った。


「仲間がこのまま食われるんだがなあ。この膳の上の肉にさせたくなかったら啼いて命乞いをしろよ」

「あ……」


 何か言おうと思ったのだが、舌がもつれて言葉が出てこない。

 さきほどから男たちが口にしているモノ。もしかしなくとも、それは……化人ひとの肉ではないか。

 ぎゃああああああ!

 堂内に悲鳴が響き渡る。男たちがけらけら笑っている。

 仲間が何かをされたのだ。助けなくては、と思うのに、瑠璃は動けないでいた。


「己が大事で黙っているところもかわいいな。そら、仲間が食われるところをじっくり見せてやろうな」


 瑠璃を無理やり立ち上がらせた頭は、手下たちを左右に分けさせて、少年たちの様子をじっくり見させようとした。

 恐怖に震える彼らのうち、ひとりが痛みをこらえて転がっている。ぶらん、と腕がありえない方向に曲がっていた。

 見ていられなくて目を瞑ったが、「見ろよ」と頭が命令する。逆らえなかった。

――夢は夢でも。これは悪夢だ。

 だれか。だれでもいい。助けてくれ――。

 懸命に懇願したその時、視界の端で鈍色の衣の女が動き、すうっと音もなく外に出ていったのが見えた。

 すると、隣の男はくちゃくちゃと生の肉を咀嚼していたのだが、急に「うぐっ!」と前のめりに倒れた。



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