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白い蝶

 更級第さらしなのだいへ戻ったところ、真っ先に邸の主人に呼ばれ、わらびは根掘り葉掘り話を聞かれた。


「まったく肝が冷えた。そなたはもう少し身の回りの用心をなさい」


 と、いうのが橘宮の小言らしい小言だった。

 その合間もたづ彦は大柄な身を精一杯すくませて、己の番を今か今かと待ちわびていたのだが。

 橘宮はわらびへの説教を終えるや、たづ彦へ優しげな視線を投げかけ、「心配をかけさせないでおくれ」と言うのみだった。

 たづ彦を含め、三人組は深々と平伏した。それにしても、と橘宮のため息のような言葉が頭上から下りてくる。


「いつの時代も若者は蛮勇に走るきらいがあるね。雄々しく手柄を立てたい気持ちはわかるが、恐れを知らぬのは少々恐い」

「はい。俺もそう思います。たづ彦は止められましたが、他の者たちは今晩にでも荒垣院まで行くでしょう」


 ひき丸はかしこまって答える。橘宮はかすかに眉根をひそめた。


「しかし、本当なのかね。その群盗の棟梁が、二郎君だという話は」

「はい、信じられない話ですが……事実です」


 都一の名家、鹿毛家。先代の氏長者は夜明公と言って位人臣を極めて太政大臣まで上り詰め、その三人息子も若くしてそれぞれに高い地位につき、世間で知らぬ人がない御曹司である。

 二郎君は左大臣の兄と検非違使別当の弟に挟まれ、自身も中宮大夫ちゅうぐうだいぶという高い官職を得ているのだ。人から羨まれる身の上である。


「そなたの話では、今夜にでも荒垣院で血なまぐさいことが起きるかもしれないのだね。知った以上、見て見ぬふりもできないね」

「検非違使にお知らせいたしましょうか」

「そうだね。身内のことだ、別当の三郎君も動かれるだろう。すぐにでも行っておいで」

「はっ」


 ひき丸はすぐに立ち上がって、寝殿を出ていく。


「そなたたちはもう安心して任せておきなさい。……たづ彦も、戸惑うことが多いだろうが、しっかり休みなさい」

「……はい」


 一度は納得したように見えたたづ彦だが。

 わらびはたづ彦の両こぶしがぐっと握りしめられているのを見た。


「たづ彦、だいじょうぶ?」


 心配になって橘宮の御前を下がった後に聞いたが、たづ彦は「ああ」と生返事だ。

 にわかに不安を覚えたわらびは、寝るために自分の長屋に帰ると言うたづ彦の後をこっそりとついていくことにした。

 大きな背中はよい目印になった。たづ彦は考え事をしているのか、背後を気にすることもなく、ずんずんとどこかへ向かっていく。長屋は邸のすぐ近くにあると聞いたのに、明らかに遠くへ行こうとしていた。


「……あれ」


 人気のない小路を曲がったところで、たづ彦の背中を見失った。さきほどちらっと後ろを振り向いたたづ彦に撒かれてしまったようだ。ためしにまっすぐ走って次の交差路に辿り着くが、たづ彦は見つからない。


「荒垣院に行ったのかな……」


 そうに違いない。瑠璃たちを追いかけていったのだろうから。

 その瑠璃たちが荒垣院に行ったのは、鬼退治のため。鬼のねぐらがわからなかったところに、わらびが告げてしまったためだ。


――わらびのせいで、人が死ぬかもしれない。


 いまさらになって気づいてしまい、いてもたってもいられなくなる。足は前へ前へとおのずと動いて、気持ちが急いて駆け足になる。


「行かなくちゃ」


 血が流れる前に、瑠璃たちとたづ彦を止めなくては。

 夕暮れがもうそこまで迫っていた。




 夜目が利くとはいえ、物が見えにくくなったころ。

 わらびは都の外まで来ていた。邸宅や人気がないからきっとそう。放し飼いの牛が田畑の上をのそのそ歩いている。

 何気なく牛を眺めたわらびだったけれど、あるものに気付く。


「……奇麗」


 薄闇に浮かぶ牛の影に、ほの白い光が留まっていた。目が離せなくなる。

 すると光はわらびへ寄ってきた。片手を前に差し出せば、光は人差し指の先に留まった。

 光の正体は片手ほどの大きさもある蝶だった。ひらひらとはねが開くたびに燐光が飛ぶ。燐光はぱっと飛び散るけれども、夢幻地面に落ちる前に儚く消えてしまう。まるで夢幻ゆめまぼろしをその身で表しているような姿だ。


「あ……」


 蝶が飛び立った。ふわりふわりと宙を舞う。夜闇でも光る蝶はまるで道しるべのように見えて。


「行かなくちゃ」


 蝶を追いかけ、山へ踏み入った。








 たづ彦の父の口癖は「こらえろ」だった。頭に血が上ると手を付けられない荒くれ者の息子に事あるごとに言っていた。


「怒りで我を忘れそうになれば、空を見ろ、川を見ろ。わしらは化人ひとであることを忘れてはならぬ。我を忘れては獣と同じ……」


 元来は無口な男であったから、その忠告の言葉は重くたづ彦に刻まれた。

 を器用に操り、魚を獲る小柄な背中を、たづ彦は尊敬していた。父の跡を継ぎ、漁師になるのだと疑わなかった。

 父は口にしないが、七つになる年にはたづ彦と父の間に血縁がないことは知っていた。

 育つにつれ、体格も顔も、背丈も似ても似つかない様になっていたし、村の大人たちがこそこそと噂話をしているのを耳にしたこともある。

 昔、村に訪れた旅人が赤ん坊のたづ彦を捨てていったらしいのを、村長むらおさだった父が引き取ったという。


「おまえはわしの息子だ。この神有川かみありがわの恵みを受けて生きる川の民なのだ。……たづ彦、こらえろ」


 鵜を使う漁は、夏は鮎、冬は鮒を獲る。鵜を仕込む時間も要るし、年中世話をしなければならない。

 父について鵜の小屋へ通っていたたづ彦だが、その朝は父が小屋を覗くやぎゅっと眉根を顰めたのを覚えている。


「どうした、親爺」

「……鵜が盗まれた。数が足りない」


 盗まれた鵜は三匹。村人も加わってさんざん行方を探したのだが見つからなかった。

 だがある村人がこう言った。


「そういや、近くの村に何やら怪しげな旅人が来たらしいぞ。もしかしたらそいつじゃねえか」

「あやしげというと」

「なんでも、顔の眉間から鼻筋のあたりまで大きな傷跡があるんだと」

「……なんだと」


 父の形相が一変した。


「今は。今はどこにいるのだ」

「さ、さあ」


 村の青年は父に揺さぶられるままにかぶりを振った。手を離した父はたづ彦を気づかわしげに見ると、


「たづ彦。母さんに出かけてくると伝えなさい」

「あ? ああ、わかった」

「うむ。すぐ戻る」


 父は厚手の衣をまとって、家の外に出た。

 それが最期に見た姿。



――翌日。川辺に繋がれた舟から、鳥の骨が四つ見つかった。

 三つはおそらく盗まれた鵜の骨。もうひとつは鵜よりももっと大きな鳥の骨。

 鵜よりも大きな骨の持ち主は死んで畜生に返った父だろうと言われた。

 四つとも、焼いて食われた形跡が残っていた。



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