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群盗

 橘宮の背中が西の対に続く渡殿わたどのへ去っていくのを確認してから、残ったふたりは顔を見合わせた。


「……行く?」


 たづ彦を探しに。

 わらびの目線で意図を察したひき丸は「行く」と言葉少なに答えた。ぼりぼりと後頭部をかく。


「そりゃあ、俺も。ちょっとは言いすぎたかもしれないからなあ。後味悪いだろ」

「そうだね」


 にこにこと笑う。わらびはひき丸がなんだかんだと他人に優しいところも好きなのだ。


「それで。《失せ物》は見つかりそうかよ」

「たぶん?」

「手がかりは何もなしってことだな。ま、いいや。まずは歩くか」


 橘宮の人払いの件を他の家人に伝え、ふたりは今日も京中へ出たのである。



 昨日降った雨の名残もない快晴の空。乾いた土の上を踏みしめながら都を歩く。

 春にもなると、都の小路にも活気が出てくる。急ぎ足ですれ違う下仕えの者、声を張り上げ魚を売る商売女、日向で何をするわけでもなく座り込む翁がいれば、放し飼いの牛馬もある。

 都の北側には貴族の邸宅が多いが、南にいくほど庶民が住む板屋根の家や田畑が広がっている。わらびとひき丸が足を向けたのはまさにその南の方面だった。


「当たり前なんだが、そこらを歩くだけで見つけられたら苦労しないんだがなあ」


 ひき丸が空を仰ぎながらぼやいた。もちろん、邸を飛び出したきり帰ってこないたづ彦を指して言っているのだ。


「宮様はすっかり俺たちが見つけるものと安心されていたなあ。……どうだ、わらび。何か感じるか」

「なにも」


 何の気負いもない声だった。ひき丸は肩を落とした。

 わらびには『失せ物探し』の才がある。不思議と勘が働くのだ。その勘がどんなものかひき丸にはわからないが、突然、虚空を見る時は何かしらの光景を視ているのだろうし、本人も「あれそれがそこにあった」と言う時があり、実際に目的の物を見つけ出すのだから、ひき丸もわらびの才を信じている。……信じてはいるのだが。

 わらびの才に頼りっぱなしの身としては、本人がのんびり構えているともどかしい気持ちも出てくる。

 大体の場合、焦り、心配するのはひき丸の方なのだ。わらびのことでいつも心が浮き沈みさせられている。


「だいじょうぶ。すぐに見つかるよ」

「だといいがなあ」


 横目で見ると、わらびは花のように微笑んでいる。ひき丸へ安心して、と言わんばかりに。

 思わずどきりとさせられていた。黙っていれば相当な美少女なのだから始末が悪い。中身が無頓着な方向音痴だということを忘れてはならない。


「み、都にも大勢の化人ひとがいる。探し出すのは骨が折れるぞ」


 うん、とわらびは頷いた。


「でも、いつもと同じだよ? 失せ物があって、それを探すだけなんだよ。――それでね」


 失くしたものも探してもらいたがっているんだよ――。

 不思議と耳に残る声。


「失せ物と、それを探している人は見えないところで引き合っているんだよ。わらびはね、その繋がりが視えるだけなんだと思う」

えにし、というやつか」

「うん。失くしたと思うなら、それは大事なものなんだよ。大事なものには愛着の分だけ心が宿るの。……失せ物のえにしだね」

「なるほど」


 そんなことを言いながら小路を南に下っているうち、ふいにわらびはすんすんと、鼻をうごめかせている。


「どうした」

「土の匂いがするんだよ」


 東西と南北の小路が交差するまさにその場所だった。

 東が妙に騒がしくなった。背伸びしたひき丸は、土煙を立てながらものすごい勢いで突っ込んでくる馬の集団を目の当たりにした。

 小路を歩く人々が悲鳴を上げながら横に掃けていく。


「群盗だ!」


 四頭の馬。馬上の男たちは弓を手に持ち、茜で染めた揃いの水干を着ている。激しい足音が瞬く間に迫ってくる。

 群盗は貴族の邸宅などから略奪を行う無法の輩である。卓越した馬と弓矢の技術ですばやく襲撃し、追われる前に退散していく。

 こんな昼間から群盗が現れるとは。近ごろ、都の治安が悪いという評判を耳にしていたが、いよいよ本当らしい。


「わらび、早く離れよう」


 見目がすこぶるよい少女は群盗の恰好の獲物になる。手を引いて逃げようとしたひき丸だが。

 触れようと思った指先が宙をかく。


「――わらびっ!」


 慌てて少女の姿を探したひき丸の目に飛び込んだのは。

 ふらふらと群盗が進む先に近づこうとする小さな背中だった。

 わらびの元へ走った。

 だがそれより早く、群盗の方がわらびに気付く。


「だれか! あの者を連れて帰れ!」


 先頭の男が器用に馬上から後方にいた男たちに指示を飛ばした。衣と同じ茜色の布で目の下から口元あたりまで覆った男だった。

 後方にいたひとりが、一瞬のうちに小柄な身体を片腕ですくいとり、そのまま肩に担ぎあげてしまう。

 その際、馬上の男とひき丸の眼がごく近くで交差した。ひき丸は、だれがわらびを連れ去ろうとしたのかを知った。


「おい……!」


 馬上の男がにやっと笑う。大柄な、浅黒い肌をしたまだ少年と言える年頃の男だ。

 馬はそのまま西へ駆け去っていく。徒歩では追いつけやしない。

 それでも駆け出しながらひき丸は絶叫した。


「どうして、そこにいるんだよ……! おいっ、たづ彦っ!」


 馬上の背中はとうとう問いには答えなかった。




 さて。困ったぞ。

 一瞬のうちにふわっと浮き上がった後、気づけば天地がひっくり返っていた。馬の揺れが腹を通じて伝わってくる。

 どどどど、と駆ける馬に、わらびはくの字の形でしがみついていた。鼻がちょうど馬の腹あたりに来て、獣臭さと生き物特有の生暖かさを感じた。

 わらびだってひき丸とはぐれたかったわけではないのだが、群盗の集団を見ていたら、ついふらふらっと。

 ……どうしてだっけ。

 何かに気付いて、近づいたはずなのに、思い出せない。


「おい……死んだのか?」

「まさか、馬に乗っただけで死ぬやつはいねえだろ」


 どれぐらい経っただろう。馬から伝わる振動が止まり、頭上で声がした。砂利の音がする。


瑠璃るり。急に『連れてこい』とか言うなよ。運ぶのも大変なんだぞ」


 話し声の片方には聞き覚えがある。たづ彦だ。


「しかし、実際にはできたじゃないか。どだい無理なことはぼくだって頼まないよ。たづ彦、よくやった」

「そうかよ」


 あーあ、と呆れたような声。とたん、わらびの身体がぐっと持ちあがり、目の前がぱっと明るくなる。両足が地面に着いた。

 わらびは小さな川原にいた。


「う、わあっ」

「おっ、と」


 急に姿勢が変わったから頭がくらくらする。よろけた身体が力強い腕で支えられた。

 はらり、と正面の顔を覆っていた茜色の布が落ちてしまう。現れた顔を見て、わらびはちょっと驚いた。


「……だれ」

「そりゃそうだよ」


 横にいたたづ彦が突っ込みを入れる。両腕を組み、さもあらんという顔つきだ。


「まあ、そんな顔になるのもわかるがな。瑠璃はそこらの女よりも美人なんだ。美人すぎるから顔を隠しているんだよ」

「なるほど」


 わらびから見ても、瑠璃という男は美人の範疇に入る男だった。

 橘宮も美形ではあるのだが、あくまでも男らしさのある美形なのだ。この瑠璃という男はそれとは違い、女さえ嫉妬する繊細な美しさがある。色白で、睫毛は長く、ぽてっとした唇はいかにも女めいて色っぽい。よくよく見れば、身体つきもしっかりしているのだが、細身である上に小柄なのではた目には女に見える。


「ぼくの顔のことなどどうでもよいさ」


 瑠璃は嫌そうな顔で落ちた布を拾い上げた。


「きみの方がよほど美しい」


 男は探るようにわらびをじっと見つめていた。


「……『失せ物探し』のわらび。噂の童女はきみだね」

「そうだよ」


 わらびは意味もなく胸を張ってみせた。


「瑠璃にも『失せ物』があるの?」

「ぼくにはない。なにも」


 瑠璃はちょっと笑った。


「だが探してもらいたいものはある。連れてこさせたのはそのためだ」

「探してもらいたいもの?」


 川原の周りは木々が生い茂っていて、奥には山の尾根が見えていた。都からどのくらい離れたのか見当もつかない。

 馬がのんびりと水を飲み、瑠璃とたづ彦以外の少年たちはその近くで世間話に興じている。

 京中を疾走していた群盗。だが都から離れれば、弓矢を背負っている以外はごく平凡な若者に見えた。


「……近ごろ、都を荒らす鬼がいるのさ。人を殺し、財宝を奪い、女を攫う。検非違使けびいしが探しているがやつらは無能だからな、いまだ尻尾を掴めない」


 きみなら、鬼を探しだせるかもしれない、と瑠璃は言うが。


「まあ、俺は怪しいと思うがな。ためしに頼ってみたいんだと瑠璃が言った」


 たづ彦が茶々を入れる。たづ彦はわらびたちの仕事ぶりをあまり知らないのだ。


「鬼を探してどうするの」


 鬼、と言われてもわらびにはぴんと来ない。角を生やした人でないものを探して何をしようというのか。


「なに。鬼退治だ」


 鬼退治。

 間抜けに復唱するわらびに、喉の奥からくつくつと笑う瑠璃。


「安心してくれ。鬼と言ったが、実際には化人ひとだ。この世に鬼なんぞいるわけあるか」

「じゃあ鬼退治ってなに」

「検非違使より早くぼくたちが罪人を捕まえるんだ。お高くとまったやつらがぼくたちのようなやつらに負けるんだ。愉快じゃないか」


 なあ、とたづ彦へ顔を向ける瑠璃。


「たづ彦も見返してやりたいだろ。きみを犯人扱いした連中に目に物を見せてやろう」

「……ああ」


 たづ彦は重々しく頷いた。


「たづ彦。きみの成長はすさまじい。馬に触れはじめたこのひと月ばかりで、あっという間に乗りこなせるようになった。弓矢の腕はまだまだだが、あと数日もすれば実戦で使えるようになるだろう。ぼくの教えた中でも一番物覚えがいいのはきみなんだからね」

「……ふん」


 たづ彦はぼりぼりと頬をかいている。


「もちろんここにいる他のやつらにもそれぞれ才能がある。ぼくが仕込んだんだ。検非違使なんかよりよほど優秀さ。鬼退治だってできる」


 瑠璃が手で指した方向には、誇らしげにこちらを見る少年たち。みんな瑠璃という男を慕っているのだ。

 瑠璃はわらびへ言い聞かせるように告げた。


「あとはきみが鬼のねぐらを探してくるだけだよ。ここは都から少し離れているからね、君ひとりでは帰れないだろう? 探しさえしてくれれば、解放してあげる」


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