気になるお弁当
「花岡さんとのランチは要予約」
私がお弁当を持って来るようになって早1年。お昼ご飯だけはゆっくりひとりで食べたい。そんな願望からお弁当を理由に、上司とのアポ無しランチを断り続けた結果、社内ではそんな噂が一人歩きしている。
興味を持ってランチの予約をしようかと悪戯心を持つ人もいるらしいが、表舞台にたたない一研究員の為、結局花岡って誰?で終わっているのだろう。未だ他の部署の人に誘われたことがない。
同じチームでも、実験によりランチの時間が変わる為だいたいがお一人様ランチだ。
所謂、ぼっち飯を死守し続けている。
*
今日も今日とてぼっち飯。
研究室のデスクで食べる人もいるが、私は社内のテラスで食べる。
そこはちょっとした庭のあるテラスで、机と椅子が数個置かれている。
他には何もない為、滅多に人がおらずいつも静かである。
基本研究室に篭りきりのため、ここは外の空気に触れられる貴重な場所で、何より疲弊した心が癒される。
今日はいい天気なのでさぞかし気持ちがいいだろうとテラスに向かう。
予想通りの見事な快晴に感嘆をもらした。春に比べて色の濃い青空に新緑が良く映えている。すがすがしい気分にはなるが、日差しが少し暑く思い、木陰のあるテーブルを選ぶ。
ランチバックからお弁当箱を取り出し蓋をあける。
手を合わせて
「いただきます」
お弁当といっても大したものじゃないし、なんなら毎日同じである。好きなものは飽きずに食べ続けられる人間なので何も問題は無い。
一つ目のおにぎりを頬張り幸せを噛み締める。この塩味がたまらん…やはりごま塩は正義。
そよそよと気持ちのいい風が吹き、青々とした木々の葉が揺れる。人1人いない空間で自然を感じる。こんなことで幸せを感じるなんて安い女だなぁなんて思いつつ、ある意味幸せな人間かもしれないと自問自答。
あっという間に食べ終わってしまったお弁当に手を合わせ、ランチバックにしまう。
午後からはまた気の遠くなる作業の開始である。しかも終わらなければ次に進めない作業の為もたもたしていられない。誰もいないのを良いことに、ちょっとだけカッコよく白衣を着なおして気合を入れる。
今日のランチタイムも無事平和に終了した。
*
(ひ、人がいる)
あまりに失礼な反応かもしれないが、ここ1年テラスで人に会ったことがなかったのだから許してほしい。
今日も相変わらずテラスにお弁当を持って来ると、先客がいた。目を合わせないよう、気づかれないよう、ドキドキとしながら少し離れた席に座る。
ランチバックからお弁当箱を取り出し蓋をあける。
手を合わせて、今日は少し小声で
「いただきます」
いつものように幸せを噛みしめるが、やはり気になる。
こちらから背後しか見れないことを理由にじっと見る。
黒髪でスマートな体型の男性。雰囲気からして同世代あたりかと予想すると、この春に入社した新人君だろうか。雰囲気から察したんだが、彼はきっと、いや絶対イケメンである
あいにく、今日は実験が立て込んでいる為ランチタイムはもう終わりである。先にいた彼よりも早くに出ていく事を、少し恥ずかしく思いつつ席を立つ。彼は何を食べているのかをただ純粋に疑問に思い、好奇心から少し背伸びして彼の手元を見てみた。
彼の手元には写真で見るようなお弁当が鎮座していた。
*
彼と出会ってあっという間に2週間が経った。
彼は基本的にこのテラスでお弁当を食べるようだ。それも恐ろしく綺麗なお弁当を。彼女さんが作ってるのか、信じたくはないが彼本人が作ってるのか。いずれにせよ女であるからには負けられない、と謎の意地から、弁当作りにこだわるようになった。それでも彼のお弁当には勝てない。
今日もテラスで、彼の背中を見ながらご飯を食べ午後の実験に戻ってきた。
研究室に入ろうとカードキーを取り出そうとしてハタと気づいた。
カードキーがない。
「やばいやばいやばい…!」
カードキーをなくしたことに気がつき、今来た道をせかせかと戻っている。
手洗いも見たしフロントにも聞きに行ったが無かった。
残るはあのテラスのみである。
テラスがあるのは一階。急いで階段を降りてると、誰かと踊り場でぶつかりそうになった。
「あっ、すみませんでしたっ、」
大した誤りもせずそのまま駆け降りようとすると、パシッと腕を掴まれた。
思わず勢い良く振り返ると
「あの、すみません、いつもテラスでご飯を食べてる方…ですよね?」
とても顔の整った男性がこちらを見ていた。
「えっ、あの、っえ?…はい、」
驚きで口をハクハクとしている私と違って、彼は真剣な顔でこちらを見ている。
この場をどう切り抜けようかグルグルと考えていると
「これ、あなたのカードキーですか?」
見慣れたカードキーを渡して来た。
「…!私のです、すみませんありがとうございます…でもどこで…」
「テラスで僕の隣を通る時落としていたようで…床に落ちてました。」
「あぁ…なるほど…大変お恥ずかしいです。」
「気にしないでください。無事に届けられて良かったです。それでは僕はこれで失礼します。」
「あっ、ありがとうございました!」
ペコリとお互いにお辞儀をして、午後の業務に向かう。
カードキーが見つかってホッと緊張が溶け、今の出来事を思い出す。
「まさか…あの人…」
きっと彼が、最近現れたテラスの新しい利用者だろう。
「やっぱイケメンじゃん…」
*
カードキーを無くした次の日、テラスに向かっていた。いつもお昼に行っているから、テラスに行くのは特別なことではないが、今日はご飯を食べる以外の目的がある。
今日はランチバックだけでなく、金色で装飾されたチョコレート色のシックな紙袋を持っている。昨日彼がカードキーを拾ってくれたお礼にと持って来たのである。カードキーを拾ってもらっただけだが、ありがたいことに変わりないため一推しのチョコ菓子を選んできた。
同じくテラス仲間としてお近づきになりたいという下心がないとは言い切れない。むしろこちらが本命でもある。
ただ、人に話しかけることは全く得意ではないためとても緊張している。なんなら今日いないというハプニングさえ願っている。
恐る恐るテラスを覗くと、既に彼はいた。
ええい、ここは勢いで行くのよ!花岡!
ずんずんと彼の元に歩き
「あのっ、すみません!」
「あ、昨日の」
はなしかけてしまった。
20代後半とは思えないような、なんとも子どもじみた声かけをしてしまった。
ここで少しへこむも、すぐに気を取り直して前を向く。
「はい、昨日のものです。カードキー拾ってくださってありがとうございました。大変助かりました。これ、もしよかったらもらってください。」
「え。」
いや、大したことしてないですよ、いやいやもらってください、とよくある攻防戦をした後、ようやく受け取ってもらった。ちなみに今日の彼のお弁当も綺麗だ(食べかけではあったが)
「では、失礼します。本当にありがとうございました。」
最後にペコリとお辞儀をして、ミッション完了、と心でつぶやく。彼とお近づきになる、という下心満載の目標は達成されなかったため、厳密には完了ではないが、非常に満足である。これでゆっくりお昼を食べられる。そう思い彼を見ると、一瞬驚きが見られたがすぐに表情を戻し、こちらを見た。
「…あの、お昼はもう食べましたか?」
「いえ、これからです。」
「もしよかったら一緒に食べませんか?」
今彼はなんて言った?
「これも何かの縁ですし、どうぞ座ってください。」
聞き間違いかと思ったが、笑顔で椅子を指すのだから間違いではないのだろう。
思わぬビッグチャンスだ。このビッグウェーブに乗るしかない。恐れるな花岡…!
「あ、では失礼します…。」
恐る恐る彼の向かいの席に座った。
これが彼との初めてのランチである。