7.ぬっぺふほふ
才能のある人間が羨ましい。
才能のある人は才能の無い人苦悩なんてわからない。
努力したって才能が無ければ意味は無い。
概ね納得のいく言葉たちだ、間違ってはいない、持ってる奴が羨ましいのは確かだし、持ってる奴には持ってない奴の苦悩なんてわかりゃしない、そしてどれ程努力しても才能がある奴の前では一瞬でその努力を超えられてしまうこともしばしばある。
「天利先輩、この報告書は?」
「月島の作ったフォーマットに打ち込んどいて」
「天利先輩、この提出書はいかがしますか?」
「月島の作ったフォーマットに打ち込んどいて」
「天利先輩、この申請書はいかがしますか?」
「月島の作ったフォーマットに打ち込んどいて」
「天利先輩、この婚姻届はいかがしますか?」
「そこのシュレッダーにかけろ」
月島あぐりはヤバい美女の聖灘警備の元社員で、次期幹部候補と真面目に言われていたのだが、突然やめてうちの会社に来た。
理由は知ってるけど聞いてない、聞きたくない、シュレディンガーの猫は開けなければわからないからな。
「天利先輩、人の話聞いてない振りをしてちゃんと聞いておりますね」
俺と月島の名前に印まで押されてる婚姻届を、月島は特に感慨も無さそうにシュレッダーにかける、俺はそれがちゃんとバラバラになるのを横目で見届け、モニターに向けていた体を月島の方に向ける。
「聞いてないわけじゃない、そもそも聞いてない事には返事をしない」
「それもそうですね」
鷹瀬とか隊長とかちゃんと聞いてないと、時々とんでもない事を言ってくるからな、自然と自分に向けられた言葉はしっかりと聞くようになった。
「後さ、月島」
「いかがしましたか、天利先輩」
きりっとして、凛としてって言葉が本当に良く似合う、背筋をピンとして気をつけの姿勢で次の俺の言葉を待っている、仕事モードの月島のかっこいいとこなんだが。
「いい加減仕事も覚えたし、というか俺より仕事してるし、報告書関係にいたってはペーパレス推進の為にとパソコン導入させて、うん、俺よりやっぱり仕事してるから普通に接してくれないか?」
息が詰まる、というわけではないのだが、本来の月島あぐりを知ってるとなんか何を考えているのかわからないのだ、今みたいに平然と婚姻届なんて出してきたし。
「天利先輩の願いと言えど、自分は職務中であるのでお応え致しかねます」
「お願いじゃなくて命令だ、月島警備士」
警備室の中に沈黙が10秒程流れ、月島の凛とした空気が溶けていき、見る間にきりっとしていた眉がゆるい八の字になる。
「そんな天利君、命令なんてかっこよすぎだよお」
「どこにかっこいい要素があったのか理解に苦しむな」
俺はどこにでもいるような男だ、イケメン要素は皆無だ、俺は言った通り理解に苦しんでるとシュレッダーの方を見つめる月島。
「どうしたんだ?」
「婚姻届ってセロテープでつなげれば提出出来るかなあ?」
素の月島のぽんこつ具合は激しい、しかしこんなポンコツで徒手格闘で神様すら制圧する怪物だ、うちの会社の指導教官兼何でも屋の森重曰く、見えるだけ、触れるだけ、だいたいは一つらしい、だが月島の場合は見えて触れるという破格の二重能力らしい。
「それ以前に俺の意思が伴ってないので却下」
「そんなぁ、私そんなに魅力無いのかなあ……」
月島に魅力が無かったら世の女性はさぞかし大変だと思う。
「やっぱりキズモノだからかなあ……」
「誰かが聞いたら誤解を招くような言い方するんじゃありません」
月島の言うキズモノは別に性的な意味じゃない、物理的にガチな傷なのだ、本当に奇跡と言うべきなのか、月島は首から上は傷一つ無いが、首から下は結構派手に傷痕がある、夏場でも長袖の夏制服を好んで着ており、相当暑くなければ半袖を着ない。
「そういえば参考に聞きたいんだけど、徒手格闘で最高で倒した生き物って何?」
とりあえず話題を逸らすの為に別の話を投げる、切り替えの良さがここに出て、俺の投げた質問に対して唇に指を当て、うーんと声を出しながら考えている。
「アフリカゾウかな?」
待って、確かそれって地上最強の動物って言われてなかったっけ、なんでそれを素手で倒せるのさ。
「傭兵で立ち寄った村でね、たまたま暴れてて誰も止めれないみたいで、つい……」
俺の様子にしょんぼりした顔で説明をつける、いや驚かないほうが無理だろ、てか月島には逆らわないでおこう、うん。
「やっぱり気持ち悪いよね……」
「何で気持ち悪いんだ? 月島が努力して手に入れた力で人助けをしたってだけだろ?」
今度は鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔する、本当に素の月島は感情豊かだなあと思う。
「天利君は才能って言わないんだね?」
「何でそうなるんだ? 確かに月島は強い頭良いけど才能があったって努力しねえと身につかねえだろ、特殊な植物でもなけりゃ種植えただけで育つなんて事無いだろ?」
俺の言葉に月島は少し悲しげで寂しげな顔し、ぽつりぽつりと語りだす。
「天利君はあぐりって名前の意味知ってる?」
「さあ知らないが?」
「もういらないって意味なんだよ」
月島の家は姉妹が5人、月島は末っ子として生まれたらしい、跡継ぎとして男が生まれる様にと高い金払って神仏に祈ったりもしたらしいが、それでも生まれてきたのが女の子で、怒り狂った祖母があぐりと名づけた。
「御飯はもらえたし学校にも通わせてもらったけどそれだけだったね」
どんなに優秀になろうと誰も褒めてくれない、祖母が絶対的な力を持っていた月島の家ではあぐりはいらない存在として扱われ続けられた。
月島は甘えたい自分を徹底的に殺して生きた、誰にも助けてくれと一言も言わず、出来ない事は素直に諦めるが、僅かでも可能性がある事に関しては血反吐を吐いて這い蹲っても努力で手に入れてきた。
日本にいると家と祖母が煩わしく、高校を卒業するとすぐに海外で傭兵業を営んでいた叔父に自力で話をつけて傭兵となった、最初の内は笑われたり殴られたり夜這いをかけられたりもした。
だが月島は諦めなかった、鍛え続ければ圧倒的な強さが手に入ると信じ、毎日毎日体の傷を増やしながら血と硝煙と暴力に溢れた道を突き進んだ、そうして月島はほぼ敵のいない存在と成りえた、誰かが褒めてくれる、努力を認めてくれる、そう信じた月島に突きつけられたモノは望まないモノだった。
『破壊の才能の持ち主』
『戦神に愛された女』
『才能ある暴力』
あまりに短期間で登り詰めた、だが結果としてそれは才能があったからと断じられた。
虚無に支配されて生きていた頃、月島は祖母の訃報を聞き日本への帰国を決意する、誰も褒めてくれないここにいても仕方がないと、日本に帰ってきた月島は適当に応募した聖灘警備に就職する、そして俺と会う事になる。
「天利君ごめんねえ……聞いてもらえると思ったらついつい喋っちゃって……」
「別に問題ねえさ、俺がもともと聞いたんだからな、正直俺も月島をスーパーウーマンみたいに思ってたけどいっぱい頑張ったんだな、凄く偉いと思うぞ」
今度は真っ赤になってあわあわ言い始める、素の自分を抑圧して生きてきた結果なのだろうから仕方ないかと思いながらそういえばと、忘れていたモニターに目をやる。
「おおう!?」
外を映したモニターにそいつは映っていた、一言で言うと短い手足を生やした肉の塊。
「なんだよこいつ……」
「ぬっぺふほふですね」
あ、仕事モードになってる、本当に切り替え早いな。
「先ほど話していた私の故郷では有名ですね、万夫不当、英俊豪傑の力とを与える妖怪、大変美味で無限に喰らい続けられる肉塊」
これ食うのかよ……いやすげえ不味そうなんだけど。
「天利君の思った感情で正解ですね、この肉は口にしてはいけない」
「どういう事だ?」
「無限に喰らう事が出来る、しかも美味、飽く事忘れ食べ続け、いずれは自身もそれと成り果てる……素質や素養が無ければ身を破滅させるのです」
嫌な汗が背中を滑る、あの化け物へと成り果てるという事、どんなに強大な力を得ようとも、人で無くなっては意味がない。
「まあ個人によっては肉を完全に取り込み、成り果てる事無く大成した人もいたらしいですが、あくまで御伽噺や言い伝えなので真相はわからないです」
「あいつは何しにここに来たんだ?」
「言い伝えの通りなら自分が見えて且つ、力を欲していて食すに値する者がいる所に現れると言われています」
えーと、それってつまり。
「俺か月島があいつの狙いって事になるのか」
見えるという条件ならそういう事になる。
「そうなりますね」
「害は?」
「接触しなければ特にないかと」
「いや、俺たち以外に害はあるかって話だ」
あんな気色悪いモンに自分から近づく趣味は無い、というか近づきたくない、接触しない方が良いって事は月島に物理的に排除してもらう事も難しい、俺がどうしたもんかと頭をかいてると、月島が不思議そうな顔で俺を見ているのが目に入る。
「なんだよ……」
「いえ、通常ならば他人の心配より御自分の身を心配されるかと」
「俺と月島はあいつが見えている、つまり視覚的に物理的に回避する事が容易だ、だがそれを不可能な人間にはあいつがどういう脅威なるかわからない、わからないってのは面倒なんだぜ」
見て避けれる、とても良いアドバンテージだ、しかし見えないがぶつかる人間ってのはいるだろう、それに対してあいつがどんなアクションをかけてくるかわからない。
「では私が排除を」
「却下だ」
「何故に」
「月島に何かあったら心配だからだ」
考え方を変えて考えるなら、無限に喰えるという事は無限に増える事が可能である、つまり自己再生が行えると考えるなら、物理攻撃で排除しようと動いても無効化される可能性が非常に高い。
「…………やっぱり」
つまり月島を向かわせる事は悪手になる可能性が非常に高い、月島がもし戦闘不能になったら回収に行くのは実質俺だ、俺は月島程頭が良いわけでも腕っぷしが立つわけでもない。
「天利君大好きっ!」
何でそうなるんだ、止めて下さい座ってる俺を立ち上がって抱きしめないで下さい月島さん、そのねあのね貴女の鷹瀬に勝るとも劣らない豊かに実った果実にね、窒息するから是非ともね。
俺は絞め技喰らったレスラーよろしく、理性を総動員して月島の腕をタップする、まだ僕死にたくないですはい。
月島は俺のタップに気付いて拘束を緩めてくれ……たんだけど、単純に頭じゃなくて体を抱きしめるに変えただけだった、ねえ離れるって選択肢は無いの?
「月島さんや、離れてくれないかね」
「無理だよぉ、天利君が心配してくれて凄く嬉しいのと……その、おばけ恐いんだもん」
やめろおおおお、潤んだ瞳で上目遣いに見ながらひそひそ話するみたいに耳元で囁くな変な扉が開くだろ、何なんだよこの可愛い生き物庇護欲が沸くじゃねえかってそんな事考えている時じゃねえ。
「なあ月島」
「なあに?」
「あれ恐いのか?」
「うん、恐い」
「前にお前神様を殴殺しかけたよな」
「天利君を傷つけようとしたってわかったの、そしたら目の前が真っ赤になって」
おう、すげー恐い事さらっと言ったぞこのオネーサン。
「えぇ……そんなくだらない理由であの神様ボコボコにされたの……」
神社の人たちと神様、なんか正直言ってすんません。
「くだらなくないよっ!」
近いです月島さん、貴女今の自分の体勢わかってますか? お顔が結構近くにあるんですよ?
「天利君がいない世界なんて価値無いから」
近い近い月島の睫毛なげえなあ、美人の睫毛ってなげえんだなあってそうじゃない、今この人世界の価値を俺で決めたよ? 頭おかしいんじゃないの? この人俺に向けてる感情って確かライクであってラブじゃなかったはず、そうだよねそうだと言ってよ。
「好きな人がいない世界なんて嫌だよ」
「ソーデスネー」
あの婚姻届ガチだったのか、シュレッダーかけさせて良かった……。
と、意味のない安堵をしていると、先程まで化け物の映っていたモニターの映像がノイズが走って消える、他のモニターには化け物は映っていない。
気づかれたか? まあそもそも俺や月島がいてここに現れたなら元々気づいてる事になるが。
ドンッ!
不意に警備室の外に面したドアから、何かが叩きつけられた様な音がする。
ドンッ! ドンッ!
感覚的には力任せに叩いてるような音、幸い頑丈な扉なので今の所問題は無いが、丁寧にノックされてたら多分開けていたので危なくはあったが、俺の顔のすぐ近くにある月島は軽く顔が青くなっている、仕事モードじゃないと本当に弱々しい。
「月島、大丈夫か?」
「あ、天利君がいるから何とか……」
「多分、俺が原因なんだろうなあ、今まであんまり人を羨んだりしてなかったからな」
原因は多分俺だ、月島の能力が正直羨ましい、見えても何も出来ないってのはやはり辛い、排除出来る力があるのなら、これから先で何かあった時にもっと上手くやれるかもしれない。
力を欲する者の場所に訪れる、つまり欲してる状態じゃなくなれば消える可能性は十分にある。
「天利君が羨むって……?」
「俺は月島が羨ましいのさ、俺は見る事しか出来ない、触ったり殴ったり出来ないからな、わかったとしてもどうすることも出来ないのさ、それがたまらなく羨ましい」
見て見ぬ振りをせず、見えているからと何とかしようとした事もあった、だけど人間一人の力ってのは死ぬ程脆弱で大して役に立つわけじゃない。
「羨ましいけどそれじゃあいけないなってな」
俺には出来る事出来ない事がある、それを明確に理解した上で考えなければならない。
「なあ月島……都合のいい話なんだが」
「な、何かな天利君」
「俺が困ってる時、俺が助けて欲しい時、助けてくれるか?」
気がつけば警備室のドアを叩く音は止んでいた。
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「お疲れさまでしたー」
私は警備室にいる隊長と天利君に挨拶をしてビルを出る、夕方の茜色が世界を覆っていた、まもなく闇が訪れ世界は黒に染まっていくだろう、だが思いのほか気分は良い、天利君が私を頼りにしてくれた。
「天利君に頼りにしてもらって……嬉しいなあ」
口元がついつい綻んでしまう、いけないいけない、鷹瀬さんから月島さんの笑顔は殺傷能力が高いから無闇しちゃいけないって言われてたっけ。
でも天利君には悪い事しちゃったなあ。
「まだいたのか」
口元を引き締め、お仕事モード……私はそいつを睨みつける、昼間の私と天利君の仲睦まじく楽しい時間を無粋に邪魔した肉の塊。
「貴様の言いたい事はわかる、欲してるのに何故食わぬのだとな」
天利君はこの化け物を呼んだのは自分だと思っていたらしい、だがそれは実は間違いである。
「確かに私は常に欲しているさ、もっと天利君に必要とされたい、もっと天利君の傍にいたい、もっと天利君に愛して欲しい」
この化け物は力を渇望する者の前に現れるのだ、そして私は天利孝という私が知りうる男の中でもっとも尊い男に、必要とされる為に今以上の力が欲しいと常に欲している、多分普通の男は理解出来ないだろう。
天利君に自覚は無いのだろうが、彼は認めてくれるのだ、私が大して強くない人間だと言う事を、人は私を才能があって羨ましいとか何も知りも知らないで言う、お前らに何がわかると言うんだ、いらないと決められ悲しみに暮れ、それでも必要とされたいと思い、私がどれ程求め足掻き這いずり何とか這い上がったのに、人の何倍も努力したのに。
才能なんて安い言葉で片付けないで欲しい。
私が頑張ったと認めて褒めて欲しい。
欲しい。
欲しい欲しい欲しい。
欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。
欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しいほしいほしいほしいほしいほしいほしい。
彼は私にくれたのだ。
彼は私を恐れずに私を案じてくれた。
今まで誰も私がどんなに無理をしてどんなに焦ってどんなに足掻いても、月島あぐりは才能があるから大丈夫、月島あぐりは出来るから大丈夫。
大丈夫なんかじゃない、刃物で切られて痛くないわけ無いじゃない、銃で撃たれた時なんて気が狂いそうだった、それでも褒めて欲しくて認めて欲しくて大丈夫の仮面をつけていた。
彼はその私の仮面を剥いでくれた、弱い私を見つけてくれた。
それから私は彼に縋る様になった、だけど社会的立場や地位が邪魔をした。
彼の従順な伴侶となって生涯を賭けて尽くし認めてもらいたかった、だがいきなりそんな風に求めて拒絶されるのは恐ろしかった。
年に二度の逢瀬、何度目かの逢瀬かは忘れた、だけどチャンスが巡って来て私は迷わず手にした。
「あの神もどきと言い、貴様と言い感謝はしてるぞ……だけどな」
化け物がびくりと震えるのが見てとれた、私は今どんな顔をしているのだろうか、ああきっと笑顔なんだろう、だからこの化け物はダメージを負ったのだろう。
「私に貴様の肉なぞいらない、彼は私を欲してくれたのだからなあ」
カシャン……。
小気味の良い音を立てて伸縮式の警棒を伸ばす、この化け物を直に触れるのは得策ではない、ならば武器を使用すれば良いだけの事。
「きっちり殺してやる、貴様が出てこなくなれば彼は安堵してくれるのだからなあ!」
警棒を振り上げて化け物目掛けて振り下ろす。
何度も何度も……。
茜色の世界に濡れた音が木霊した。