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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

圧の壁 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶらやは、自分を構成しているものが何か、考えたことがあるか?

 まあ科学的にも精神的にも、色々なアプローチができるわな。水、骨、たんぱく質、神経、魂、心……人間っていうのは、何を持っていれば「人間だ」と定義されるんだろうか?


 ――哲学的な考え方など、俺には似合わない?


 ふ、確かにそうかもな。つぶらや相手にこんなことを話すのは初めてのことだったかな?

 こう見えて、俺も前々から「自分」という存在がどうやって成り立っているか、考え続けている。今でもふとした拍子に心配になるのさ。

 というのも、昔に奇妙な体験をしたことがあってな。俺たちは実はほつれかけの人形のように、いつバラバラになってもおかしくない、不安定な物体じゃないかと考えるようになったのさ。

 その時の体験話、聞いてみないか?



「あまり遠くまで、遊びにいっちゃダメよ!」


 子供の頃、さんざん言われたことのひとつじゃないか? 実際、親の立場からしたら、自分の目の届かないところで、何か起きたらたまったものじゃないからな。ケガや事故といった様々なトラブルに遭った時、悔やんでも悔やみきれないだろう。

 自分の手の届くところであれば、守ることもできる。だがそこから離れてしまったら、自分で自分を助けるよりなくなる。その地力が足りないうちは、思わぬ不幸を被ることもあるだろうな。


 俺は、幼稚園の時点ですでに補助輪なしの自転車を乗り回せるようになっていた。手前みそだが、かなり早めに乗れるようになった人種なんじゃないかと思っている。親の注意なんかどこ吹く風で、小学生になると、親が家を空ける時なぞは戸締りをしっかりして、自転車を乗り回すなんてこともよくあった。

 その日はもう秋だっていうのに、やけに蒸し暑かったのを覚えている。夏場と同じような薄着で自転車をこいでいたんだが、時間が経つうちにどんどん息が切れてくるんだ。たまらず俺は、通りがかった自販機の前で自転車を止めると、財布から小銭を引っ張り出す。

 外出時に自販機で買うジュースを飲むのは、俺の楽しみのひとつ。親はなかなか買ってくれないからな。でも、その日に飲んだ果汁100パーセントオレンジジュースはというと、妙に粒々がのどに張り付いて、一向に飲み下すことができなかったんだ。まるで俺ののどとの別れを、名残惜しく思っているかのようなしつこさだった。

 

 俺が何度も嚥下の格闘をしていると、目の前をやはり自転車に乗った男の子が通り過ぎていく。少なくとも、俺が知っている子じゃなかった。

 ぐんぐん遠ざかっていくその子の背中を、ぼんやりと見送っていた俺。だが200メートルほど先まで進んだその子が、唐突に自転車のサドルから放り出されたんだ。

 おそらくは何かにぶつかったのだと思うが、俺の目には何も見えない。男の子はぶつかった瞬間、いくらか後ろに跳んで尻もちをつき、横倒しになった自転車の前輪が、遠目から見てもすっかりしぼんでいる。ぶつかった時に、中のチューブが表面を覆うゴムごとちぎれちまったんだろう。

 彼自身も何が起こったのか分からず、目をぱちくりしている。この道は俺もよく通ったことがあって、この先には友達の家がいくつもあった。途中、行き止まりなどにぶつかることはなく、そのまま学区外の大きな道路まで真っすぐつながっているはず。

 ここはちょうど脇に立つ保育園をのぞけば見通しの良いポイント。彼の前方には車をはじめとするぶつかる要素は何もない。彼はきょとんとしながら立ち上がると、先ほど自転車から放り出されたあたりへ、そっと手を伸ばしてみる。

 

 次の瞬間、彼の身体が消えてしまう。それもテレビとかでカメラが切り替わったように、ふっといなくなってしまうのではない。

 霧散、といえばいいだろうか。あのぶつかった辺りを通り抜けるとさ、彼の四肢がすうと伸びて、広がっていくんだ、布細工をばらして生地にしていくみたいにさ、びろーんと平べったくな。

 それを見た俺は、童話の「九人のきょうだい」を思い出した。そのうちの兄弟のひとりは、手足をすさまじく伸ばすことができる。ゆえあって王様が彼を八つ裂きの刑に処したところ、どこまでも手足が伸びて、とうとう断念せざるを得なかった……という話だ。

 彼の伸びはほんの一瞬。苦しむ表情などみじんも見られない。異状をまったく感じていないのだろうか。空に浮かぶ凧のように広がった彼の身体は、そのまま空に溶けてしまったように、消えてしまったんだ。その場には、彼が乗っていた自転車だけが横倒しになったまま、残っている。


 俺はジュースの缶を握ったまま、目をぱちくりさせていたよ。いくら目をこすっても、虚空へ消えた男の子の姿は見えてこない。

 もちろん、俺は男の子が消えた道の先に進む気になれなかった。一刻も早くこの場を離れようと、缶を自販機脇のくずかごへ捨てかけて、目を見張る。

 俺は力を入れていないのに、手の中の缶が潰れてひしゃげた。そのまま身体を平たく伸ばし続けた缶は、さあっと掻き消えてしまい、手ごたえすら残らない。この消え方、あの男の子とそっくりだ。


 ――このままとどまっていたら、消えちまう……!


 俺は自転車にまたがり、狂ったようにペダルを漕いできた道を引き返したんだ。

 間違いだった。俺はほどなく、前からどんと何かにぶつかられたんだ。

 見えなかった。俺の前方には10メートルほど先に十字路が見えて、車一台停まっていない平坦な道路。そこで俺は見事に自転車を前に立つ何かと衝突した。

 先ほどの男の子より勢いのついていた俺は、尻もちじゃすまない。そのまま後ろに何度も転がって、首や背中が猛烈に痛んだ。

 だがひるんではいられなかった。このままとどまっていたら、俺は彼と同じように消えてしまうだろう。すぐさま身体を起こすと、自転車を見捨てて逃げ出したんだ。


 そこからは夢中で逃げて、よく覚えていない。確か道路すべてで見えない壁にぶつかって、人の家の敷地を何度も抜ける羽目になった。どうにか家にたどり着いたんだが、玄関をくぐってびびったね。

 俺が着ている服の背中部分の生地は、すっかりなくなっていた。いつからか知らないが、俺は背中丸出しで帰ってきたことになる。

 そして俺の両腕。左腕が右腕よりも、10センチほど伸びてしまった。「前へならえ」をすると、違いが一目瞭然だ。痛みは何もなかったけど、俺はきっとあの身体の引き延ばして消してしまう、「あいつ」の仕業だと信じて疑わなかったんだ。


 俺の姿を見たお袋は、俺が言いつけを守らずに、遠出をしたであろうことをとがめてくる。何でも身体を押さえてくれている、「圧」の外へ出ようとしちまったかららしい。

 俺たちの身体は、外側から空気が押す「気圧」と、身体の内側から押す力によって形を保っていること、知っているよな? だが空気のみならず、もっと別な圧力が、すべてのものにかかっているらしいんだ。

 消えてしまったあの子は、物体を保ってくれている「圧」の壁を越えてしまったために、身体も衣類もその形を保つことができなくなったのだろうって、話してくれたよ。

 

 


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― 新着の感想 ―
[一言] あぁ……! このふとした拍子にバラバラになってしまうんじゃないかって心配、分かるような気がします! 実はとある番組(今思うと量子力学のような話だったのかな)をたまたま見て以来、こういう話が空…
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