目覚め 夢
時間は一瞬たりとも止まることはない。このありふれた日常も、当たり前の会話も、見慣れた風景も、いずれみな変わっていく。だからこそこの一瞬が大切なんだろう。だからこそ一生懸命なんだろう。
あれから数日が経過した。ヒロは相変わらず毎日パンを食べている。そう当初の計画通り「ルシード」に通っている証拠だ。しかも毎日パンだというのに飽きる様子もない、ひたすらおいしいを連呼している。こんなにもだらしない顔を見ることはなかった。三年間毎日顔を合わせ共に過ごした仲だ、だからこそあのヒロが女性客しかいない店に並んでいるのを想像すらできなかった。裏を返せばそれほどにハマっているという事だ。俺達はその光景が嬉しくもありどこか不安でもあった。そんな気持ちをよそに女子達からはルシードのパンを毎日食べているヒロに、羨望の眼差しが注がれていた。毎日通っている事で店長の名前や空き時間、占いの事など様々聞かれていた。
「そー言えば、ヒロはもう占ってもらったのか?」
「いや、店がスゲー忙しいんだよ。それに順番があるみたいなんだよ。」
「順番?予約制にでもなってるのか?」
「いやいや、趣味でやってるだけって言ってたから、占うまでに準備があって、それの用意が出来た人じゃないと本格的には見ないだけだって。」
「へー。見た夢を言うだけじゃダメなんだ。」
「何か難しいこと言ってた。バイオリズムと月齢がどうとか。」
「何か本格的なんだな。」
「そんな神秘的なところも魅力なんだよな。」
またのろけだしたので、これ以上話を聞いてもどんどん話がそれていくのは目に見えていたので、話半分に一人で盛り上がらせておいた。何はともあれ順調に知り合いになれているようなので、一緒に行って様子を見ることをヒロ以外の仲間達と話した。
いつも通り放課後シバケンの家で遊び、帰りの電車の時間が来てカズは帰ることとなり、そろそろヒロもパンを買いに、いや店長に会いに行く時間となった。
「今日は俺も一緒に行くよ。」
「何だよお前も気になりだしたのか?」
「違うよ。パンを買いに行くんだよ。」
「まーいいよ。店長紹介してやるよ。」
「彼氏気取りかよ。」
「バッカお前、彼氏って。そんな、お前。何でお前・・・」
「あからさまに動揺してるな。」
そんなヒロを皆で笑いながら俺とヒロはシバケンの家を出た。
ヒロとは高校に入ってからの付き合いだが、ずっと彼女が居ないという事になっている。しかし女の子と噂がなかったわけではない。実は2年の時、下級生から告白されている。
中学時代の後輩だった子から、憧れの先輩を追いかけ同じ高校に進学し、やっと話が出来たと喜んでいた。学校祭から急速に仲良くなり、何度か一緒に帰ることもあった。きっと俺達が帰るのを待っていたんだろう。そんなある日ヒロは珍しく帰り道をいつもと違う道で帰るので、一緒に来てくれと誘われた。今思えばその日告白されることに気が付いていたのだろう。つまり最初から断る気でいたのだ。学校の裏手の団地に小さな公園があり、近づいて行くとその後輩がいつもの友達と待っているのが見えた。俺達は近づきいつもと変わらぬふりをしていた。だがその子は見るからに震えていて、その子の友達が俺に話があると近づき、二人を残し少し離れたところに移動した。友達も緊張しているのが見て取れたので、二人に聞こえないように一緒に応援しようと小声で話すと、すでに告白することがバレていたことに友達は驚いていた。先に気が付いたのはヒロで俺はその付き添いという事を話すと、少し悲しそうに納得していた。結末の見えた友達はただ告白の瞬間を待つしかなく、その後どう慰めるか頭の中をめぐらせていたのだろう。そしてその瞬間はすぐに来た。声は届かなかったが、俯き泣いているのが見えた。ヒロもそれ以上声を掛けることもなく、じゃあと一言言うと俺の方にい向かい歩き出した。友達はその子に駆け寄り抱きしめていた。俺の近くまで来たところで寂し気に笑うと振り返りもせずそのまま歩き出した。
「このまま好きでもいいですか?」
後姿の俺達にその子は精一杯の声を掛けてきた。それでもヒロは振り返らずに片手を上げ、さよならの合図をした。俺はこのやりとりに中学の頃からの想いをやっと伝えた女の子の勇気と、それを理解したうえで突き放す優しさをどこかカッコよく見ていた。
「頑張ったな。」
「ああ震えていたな。」
「いや、お前だよ。」
「俺が?結局泣かせたんだからカッコわりーよ。」
「そうだな。カッコ悪いな。」
それ以上話すことはなかった。
結局この出来事はヒロの絶対内緒という頼みにより、誰にも知られる事なく、仲間には未だ恋愛話は全くないと思われていた。その過去を知る者として、どうして今回ここまで熱心になっているのかが不思議だった。そのことを問いただすと、ヒロは追い駆けられる事に自信がなかったという。自分が好きでもないのに付き合って楽しいのか、俺達と一緒日いることは楽しいが、それを投げ出してまで楽しくなるのかわからないのに、付き合わなければならないのか、付き合ってから好きになる事もあるかもしれないが、もし好きにならなかったらと好きでもないのに付き合う事が理解不能だという。ただ今回は今を逃したら絶対に後悔する確信があるようだ。ダメならダメでスッキリ受験に向き合えるし、もし万が一付き合えるなら進学なんてしなくてもいい。その覚悟を聞いて、去年告白してきた彼女を思い出した。彼女も同じ気持ちだったんだろうと。ダメだとわかっていてもちゃんと前を向くために告白したのだ。幼稚な俺は告白する勇気を知らないでいた。ただ好きという気持ちを相手に伝える事で、恥ずかしさや自分の弱さを乗り越えるのだとかその程度にしか考えていなかった。みんなちゃんと自分と向き合っていた。ちゃんと自分を前に向かせるために勇気を出していたのだ。付き添いの気分でダメなときは慰めてやろうだなんて、大それた気持ちでいた。そんな資格は自分にはない。むしろ先駆者の背中を見守る無力な自分がいる。そんなことを考えていたら急に恥ずかしくなりルシードに行くことに罪悪感を感じ始めた。
「どうした?」
「いや、何か見直したつーか、俺が行く必要ないんじゃないかって。」
「お?パン買わないのか?」
「いやパンを買う気はなかったっていうか、ただヒロが大丈夫かなって。」
「おいおい。今日は何もしねーよ?つーか今日もパンを買うだけだぜ。」
「そうだよな。」
モヤモヤした気持ちのままヒロに背中を叩かれパン屋に向かった。薄暗くなり道路を照らす街灯と行き交う車のヘッドライトがわずかに歩道と車道を区別させ、それ以外は全て黒く染めていた。そんな中大きな窓ガラスからオレンジ色の光が溢れるルシードへとたどり着いた。まるで自分の家に帰ってきたような安心感を覚えた。
「早く行こうぜ。売れきれちまう。」




