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04


 地下への階段は長く続いていた。底につくまでに随分と時間がかかった。

「お嬢たちは何処まで落ちたんだろうな」

 階段を降りる間は幸いなことに大きな魔獣は出なかった。ラピの姿も少なかった。

「ユーリア様もおります。きっと無事ですよ」

「ああ、そう思いたいね。なあ、……さっき、カミルは最悪な場合について言っただろう」

 地下は空気が冷えていた。地上にあった遺跡と隔絶されていたことが窺える。カミルの前を行くブルーノが立ち止まった。

「最悪なことになっていても、お前さんたちを恨んだりしないよ」

 ブルーノはフランツィスカが賞金稼ぎになる前からずっと見ていた。貴族の子女として金の巻き毛をなびかせ、オレンジ色のドレスを好んで着ていた。護衛ではあったけれど、普通に接してほしいと願った幼い娘。

「そんなことしたら俺がお嬢に恨まれちまう。それよりも、ユーリアちゃんが最悪な場合になっていたらどうするんだ。そっちの方が俺たちは責任が取れない」

 ブルーノが背後を振り向くと、カミルは真っ直ぐに彼を見つめていた。ぱちぱちと目を瞬かせる少年が年相応でブルーノはちょっと笑う。

「それはあり得ません」

 真っ直ぐ――真っ直ぐカミルは正面を見つめる。

「フランツィスカ様は仰いました。信じろ、と。ならばあり得ません。僕はあの方に裏切られたことがございません。だから、心配はフランツィスカ様の方なのです」

 今度はブルーノが目を瞬かせる番だった。

「ブルーノさん、ご自分の主をもっと信頼してあげてください。フランツィスカ様は素晴らしいお方ですよ」

 にっこりと笑ってカミルが言い放つので、ブルーノはくしゃりと顔を崩してしまった。

「そんなの、知ってるよ」

「そうでしたか。それは失礼しました」

「先を急ごう」

「はい」

 カミルに背を向け、ブルーノが先を歩き出す。その耳が赤く染まっていることに気付いた。

 従者としてカミルはユーリアを誇りに思っている。だが彼にとってフランツィスカもまた誇りだ。主の友人としても、人としても。

 バーデ家はいまや貴族ではない。没落したのだ。当主が事業に失敗してしまった。それは一瞬のことで、既にバーデ家は元の住処を失くしてしまっている。その境遇には同情する。バーデ家当主もこの世の終わりのような表情をしていたと言ったのは、クラッセン家当主の話だ。けれどフランツィスカは其処で絶望して終わらなかった。

 バーデ家の使用人は元々多くなかった。けれど家が潰れれば養うことは出来ない。それで次の勤め先を見つけられるような若い者や技能を持つ者には暇を出した。年を重ねた者や事情がある者はバーデ家にそのまま残っているという。現在ではバーデ家の当主は他の家で雇ってもらいたいと頭を下げている。当主という存在は矜持が高い。そんなことを普通は出来ないし、しない。それをさせたのはフランツィスカだった。

 いち早く立ち直った彼女はすぐさま使用人の処遇を決めた。残り少ないというのに給金を渡し、労いの言葉で送り出した。そして残った者たちと共に自分のこれからを告げたのだ。

 カミルはその話を聞いた時に、心の底からフランツィスカを尊敬した。

 バーデ家で一番に役目を切られるのは本当ならブルーノであったはずだ。護衛とは名ばかりの役割を続ける義務を負うには、彼は他人過ぎた。けれど彼は切られなかった。逆にフランツィスカは彼に希望を託した。

 賞金稼ぎになると彼女が宣言した後、バーデ家でどんなやりとりがあったかは知らない。けれどカミルはその覚悟と強さに感服したのだ。

 街の外に出たこともなかったお嬢様が、かくして見事な賞金稼ぎとして今は名を馳せている。彼女が街を出た直後は本当にひどかった。噂話に耳を汚され、ユーリアもひどく落ち込んだ。けれどバーデ家もフランツィスカに倣って強くその心を持ち続けた。砂だらけになって街へ戻ってきたフランツィスカの姿は街の皆を驚かせた。その横に控えていたのはブルーノで、誇らしげに二人は賞金を手に戻ってきたのだ。

 カミルはその日を今でも思い出せる。

 戻ってきたフランツィスカを一目見ようとユーリアが久々に家の外に出たからだ。絶望に陥ったのはバーデ家ではなく、クラッセン家のお嬢様だった。けれど、けれど強く前を向くフランツィスカにユーリアは救われたのだ。

「ブルーノさん」

 無言で前を進んでいたブルーノがちらりと背後に視線を寄越す。

「フランツィスカ様を助けて下さってありがとうございます」

「お前さんに礼を言われる理由はないぞ。それに俺もバーデ家には救われてるんだ。此処で恩返ししとかないとな」

「ええ。僕も恩返しをしたいんです。大切な人を救っていただきました。だからこそフランツィスカ様には生きていてもらいたい」

 地下の何処かに居るはずなのに、まだ二人のお嬢様は見つけられない。焦る気持ちを抑えながら、先を急ぐ。

 地下に降りてすぐは、ラピの姿は少なかった。けれど次第にその姿が多くなってきた。手のひらサイズのラピは割と愛らしい姿をしている。ブルーノはラピが嫌いではない。寧ろ何もない時ならばかわいいとさえ思う。

「そういえば少年はその魔法誰に習ったんだ?」

 家付きの使用人だというのにカミルの能力は高い。普通は其処までないはずだ。

「そうですね。ユーリア様が賞金稼ぎになると決められた時に魔法を使える方に教えてもらいました」

「魔法仕える奴なんて街にいたっけ?」

「ギルドの方ですよ。クラッセン家と親しい方にお願いしました」

「なるほど」

 魔法を得意とする賞金稼ぎならばいい教師となっただろう。ブルーノ自身は魔力をあまり持っていないし、親代わりだった師が魔法を得意としなかったこともあって、どちらかというと苦手である。フランツィスカに魔法を教えたのもブルーノではなく、知り合いの賞金稼ぎに協力してもらった。

「お嬢ちゃんの魔法も大したもんだよな」

「ええ。血の滲むような努力をなさいましたから」

 口調からカミルが誇りに思っていることがわかる。確かにとブルーノは思う。箱入りのお嬢様であるユーリアが賞金稼ぎになるとは思わなかった。

 フランツィスカは箱入りといえば箱入りだがお転婆なお嬢様だった。それに物事をはっきりと言う性格で、ブルーノにも敬語を使わなくていいと言ったくらいさばさばした性格の持ち主だ。そもそもバーデ家に雇われたのは護衛という名の遊び相手だった。

 護衛というのも間違いではなく、フランツィスカも一応お嬢様であったから当主は心配だったのだろう。年頃のお嬢様は喧嘩っ早くてそれをうまく収めるのがブルーノに課せられた任務だった。けれど通常時は特にすることがなく、ブルーノは折を見つけては体を動かしていた。バーデ家は居心地がよかったが、いつ契約を切られるかはわからなかった。いつでも賞金稼ぎに戻れるように準備していた。

 いつか体を動かしているブルーノの姿を見て、フランツィスカに注意されたことがある。お嬢様の目に見えない場所でやれと怒られるのかと思ったが、そうではなかった。フランツィスカは自分にも体術を教えてくれと言ったのだ。驚きを隠せなかったが、それ以上にブルーノはだから彼女を気に入ったのだ。

 そう、だからバーデ家が事業に失敗した時も自分は、給金はいらないからと言って彼らの許を去ろうと思った。それなのにフランツィスカはブルーノを引き留めた。そして自分を連れて賞金稼ぎに戻ってくれと言ってきた。

 面白いと思った。

 死ぬ可能性があることも、彼女の技術で簡単になれる職業ではないことも伝えた。それでも諦めなかった。

「このままだと皆死んじゃうわ。今までと同じ生活なんて出来ないことわかっているわ。でもこのまま絶望していても意味なんてないのよ。誰かが動かないと皆生きるために必死にならないわ。あたしは嫌よ。何もしないまま朽ちるのを待つのは嫌。あたしが動けば少なくともお父様もお母様も考えなければならないと思うはずよ。あたしを賞金稼ぎから抜け出させるにはどうしたらいいかって。これでも一人娘よ。かわいくない親は居ないわ」

 そう言って、フランツィスカはブルーノに手を差し出した。不安を押し殺した笑顔で――震える手を、差し出したのだ。

 あのフランツィスカですら震えていた。ブルーノは彼女の覚悟を受け取ったのだ。

 しかしユーリアはフランツィスカと違う。家が没落したのでもなく、必要に迫られたわけでもない。彼女が決断したのだ。

 ブルーノは必要に迫られて賞金稼ぎになった者を幾人か知っている。その者たちと遊びでなった者たちとでは必死さが異なる。命もかかっているから慎重になるし、仕事をよく選ぶ。だがその必死さがない者は軽い。自分の命の重さを知らないのだ。

 ユーリアが何を思って賞金稼ぎになることを選んだかは知らない。ブルーノはユーリアでもないし、従者のカミルでもないからだ。それでも彼女の決意からは重さを感じた。フランツィスカに対してどういう想いを持っているかもブルーノは知らない。知る必要もないと思っている。ただ賞金稼ぎになるために並々ならぬ努力をしたことだけはわかる。

 ユーリアは体つきも細く、見るからに体力もない。クラッセン家では大切に育てられたのだろう。今でもお嬢様らしい口調だ。けれどわかるのだ。魔法の技術だけを見てもわかる。彼女の魔法に以前も助けられたことがある。あれだけしっかり使える者はそんなに多くない。それにこれまで生き延びている。それが何より彼女の覚悟の証だと思う。

 ブルーノはそんな彼女の決意と覚悟に敬意を表する。

 そしてフランツィスカの友人で居てくれることに感謝している。喧嘩が出来る友が一人居る。賞金稼ぎになるというのは予想外だったが、街に戻っても少なくとも普通に話が出来る友が居るというのはいいことだ。

「何を笑っているんですか、ブルーノさん」

 気付かぬ内に頬が緩んでいたらしい。カミルがブルーノの顔を覗き込んでいた。

「あ、いや、すまん。ユーリア嬢がお嬢の友であってよかったと思ってさ」

「……そうですね。それについては僕も同感です」

 寄ると触ると意地の張り合いばかりの二人だけれど、互いに大切に思っていることを従者たちは知っている。

「ただそれはそれとして、お嬢たちは何処に居るんだろうな。結構歩いたんだが」

 地下についてからずいぶん経っている。そろそろ何がしか見つけられてもいいと思うのだが、それらしきものはない。

「……探索の呪文(ツール)を使いましょう。フランツィスカ様の持ち物は何かありませんか」

「使えるのか、少年。すごいな」

「簡易な呪文だけですが。さ、フランツィスカ様の持ち物を」

「あ、ああ」

 ブルーノは促されてフランツィスカの時計を渡した。彼女の時計だが、遺跡に入る前にいつもそれはブルーノの手に渡る。そこそこに高価な物である。渡される理由は、彼女よりもブルーノの方が生き残る確率が高いからである。もしもの時はブルーノがバーデ家に届ける手筈になっている。

 それは賞金稼ぎとして最初の仕事を受けた時に決めた約束だ。

 カミルはフランツィスカの時計を手にすると神経を集中して呪文を口の中で唱えた。

 ラピが相変わらず足元をうろついている。見つけられない主の無事を祈って、カミルが時計を強く握る。ブルーノは足元を走り抜けようとするラピを蹴り飛ばした。

 まだ二人は見つけられない。



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