1. 聖女召喚
読む専だったのですが、我慢できずに初投稿。誤字脱字などご指摘頂けると幸いです。
ここではないどこかに逃げたいと、そう思っていた。
小説を読むたび、辛い現実から目を背け、空想の世界に浸ることができたから。本を読んでいる時が私にとってもっとも幸せで、唯一心を落ちつけられる時間だった。
だからだろうか。
気がつくと私は、本の中の世界にいた。
「…様……聖女様!」
叫ぶような声が聞こえる。ゆっくりと覚醒していく意識を手繰り寄せ、重い瞼を開くとそこには『不審者』がいた。
「聖女様!お目覚めになられたのですね」
頭上から降ってくる嬉しげな声とともに黒いローブの塊が弾む。頭からつま先まで覆う黒いローブの下、不健康に青白い顔の上半分を覆うシンプルな黒マスク。
(どこからどう見ても立派な不審者ですね、ありがとうございます)
そう考えながらゆっくりと体を起こす。鈍い痛みのある頭を振り、そこでようやくあたりの様子に気がついた。
「ここ、は……」
「突如お呼び立てしてしまい申し訳ございません。実は我が国は危機に瀕しており、そのため異世界より聖女様をお呼びした次第になります」
この国はここ数年、日照りに地震、大雨に洪水、蝗害とありとあらゆる自然災害に襲われているという。国中の魔術師を集めても対処法は見つからず、苦肉の策として絞り出したのが遥か昔の古文書に載っていた聖女召喚。神に愛され、膨大な魔力をもって国を救う異世界より来たりし乙女、それが聖女であり——私なのだという。
そんなありがちな設定を口にする不審者の言葉は、しかし私の耳をすり抜けていく。聖女の召喚、という言葉にふさわしい、神殿めいた豪奢な広間には10人ほどのいかにも国の重鎮めいた人々が立っている。
その中の一人。
自然に流した艶やかな黒髪に、聖女の出現に熱狂する周囲とは違ってどこか冷徹にさえ見える色を湛える青灰色の瞳。左目を覆うモノクルは、日本であれば厨二病だと笑われそうだが彼によく似合っている。よく見れば身につけているのは、なにやらしゃべり続けている不審者と同じ黒のローブだが、涼やかな着こなしによりまるで別物だ。
けれど、そんなことはどうだってよくて。
彼は。
「ユウ、キ…」
「そのため聖女様には……聖女様?」
大好きだった『あの人』に瓜二つの青年を見つめ、熱に浮かされたように手を伸ばした私に、怪訝そうな声がかけられる。
そのまま振り向いた不審者は、首を傾げた。
「ユキ……?ニクス殿を、ご存知ですか?…いえ、そんなわけがないのですが……」
異世界から召喚されたばかりの聖女が、ニクスと呼ばれた青年からじっと目をそらさないことに気づいた人々がざわつきはじめる。それを無視し、青年が近づいてきた。
「聖女様、どうかなさいましたか」
「あ……」
艶やかな低音は耳に心地よくて、それが逆に『あの人』ではないことを私に気付かせた。
「ごめんなさい、知り合いに…私の世界での知り合いにあまりによく似ていたものだから、驚いてしまって」
まだ不審そうな人々に向かって、彼はもう死んでいるから会えるわけないのにね、そう付け足して見せれば、不信感が哀れみにすり替わる。彼は、本当はきっとピンピンしているだろうけれど、異世界でなら死んだことにしても不都合ではないだろう。
そこまで考えたところで気づく。
(わたし、突然こんなわけのわからないことになっているのにどうして冷静なの…?)
突然異世界に呼び出され、聖女だのなんだの言われて、なぜか私はごく普通に受け入れ、平然としている。明らかに不自然だ。
そこまで考えた時、視界がスパークして記憶の奔流が流れ込んでくる。白いページ、それを覆う黒い文字、シックな装丁、少しざらつく紙の手触り——
ここは。
本の中、私が突然こんなことに巻き込まれる直前まで読んでいた本の中の世界だ、そう気がついた。
見渡してみればそこにいるのはよく知る——文章でだが——人々。灰色の髪にシックながらもセンスの良い衣服を身にまとうあの人は宰相のエドガー、その隣の淡い金髪の少年はエドガーの息子のラインハルト。熊のような大男は騎士団長、黒髪を結い上げた凄味のある美女が魔術師団長。最初に私に声をかけてきた不審者は、あれでも将来を嘱望される魔術師の一人であるリヒト。上から下まで真っ黒なのに『リヒト』とはなんとも不釣り合いだ。それから——
ニクス。
侯爵家に生まれながらもその類稀なる魔術の才を生かすべく、魔術師団に入った期待の星。リヒトと双璧をなす、強力な攻撃魔術師である。あんな不審者と同じ扱いなんて、と読んだ時は不満に思ったものだ。
彼は、私が一番好きだったキャラクターで——大好きだった『あの人』と瓜二つの容貌をもって、今目の前にいる。
その事実にキャパシティを超えた私の脳は、強制停止という手段を選択した。
「聖女様?……聖女様!しっかりなさってください」
薄れゆく意識、聞こえる悲鳴のような呼びかけの中、青灰色の瞳が冷たく笑うのが見えた気がした——。