閉じない口内
2話を改稿しました。
-翌日。
春の空は悲しみを知らない子供のように表情を明るくさせている。
夏のそれとは似ていながらも、全く違う感触を味わわせる陽の光。
その愛を一身に受けて吹き抜ける風の温もりは、覚えていないはずの母の体内を彷彿とさせた。
「…“胎児の春”」
「冗長的ね」
学校へと向かう群れの中ポツリと呟いた深聡の言葉を、背後から切る声。
チラリと後ろを振り返り深聡は怪訝そうに顔を歪ませた。
「小吹…」
「あら、朝から私に会えたのがそんなに嬉しいの?」
「幸せすぎて地獄に堕ちそうだよ」
高校2年、小吹 貴嶺は肩まで伸びる黒髪を風になびかせながら、深聡の横につく。
凛と研ぎ澄まされた横顔。
長い睫毛を瞬かせながら、小吹は小さな口を開いた。
「そんな事言って…私と違うクラスになって寂しがってるんじゃないの?ボッチ君?」
「誰がボッチだ。お前だって部活のメンバー以外皆無じゃないか」
お互い顔を見ることもなく、前を見据えたまま繰り広げられる会話。
それは1歩進む度に風に乗って流れていった。
「私は違うの、いらないの。必要以上に関係を持つと後々面倒だもの」
「そうだなー。貴嶺ちゃんは意識高いボッチだもんなー」
「あ、雪原君。ほら、たんぽぽ」
「…そうだな」
「……食べないの?」
「食べるか!!」
二人がくぐる、桜色の空。
それは深聡の叫び声に揺れ、柔らかく二人を見守っていた。
そして並んで歩くこと数分、深聡と小吹は校門前に到着した。
「…やっとか……長かったぜ…」
「部活は明日から?」
「ん…いつもの所で…」
「わかった。じゃあね」
追い抜いていく生徒たちが続々と校内に吸い込まれていく中、小吹は淡々と会話を終わらせた。
人の波に揺れる黒い長髪。
周囲を跳ね除けるように左右に動くそれを見送りながら、深聡はため息を着く。
「…勝手な奴だなぁ…」
深聡は後ろ髪を掻き、古ぼけた白い校舎に向かって歩き出した。
時は流れ、朗らかな陽はもう眠る準備を始めた頃、空っぽの教室に深聡と樟葉は、居た。
だがどちらから動くという事はなく、差し込む橙色の光に頬を染めるばかりだった。
(…やっぱ…俺が話しかけなきゃいけないの、か…)
ため息を軽く1つ。
木造の床に擦り付けられた椅子の足は、苦痛を漏らすようにその音を響かせる。
無音だった空間に突然歪な色を添えたそれに、樟葉の肩はビクリと跳ねた。
「あー…泉、さん?」
「…」
こちらに見向く事もなく、無言のまま座り続ける樟葉に、怒りにも似た感情を抑えながら深聡は笑顔で口を開いた。
「昨日もこうしてたよね?部活…とか、何かしてないの?」
「……その……」
以前の状態を繰り返すように机に視線を落とす樟葉。
壁に影を投げる机に跳ね返り、響くその声に深聡はほんの少しの動揺を含ませ体を揺らした。
だが一拍置いて、続けられるはずだった樟葉の言葉は、それから紡がれる事はなかった。
「……!」
夕陽が完全に沈み、暗闇に落ちる教室。
視界が狭まっていく中、樟葉は顔を歪め、勢いよく立ち上がった。
「ど、どうしたの?」
「っ!」
「ぬお!?」
突然のその行動に目を見開き、硬直する深聡。
樟葉はその手を掴み、教室から飛び出した。
「ちょっちょっと!?泉さん!?」
「…」
樟葉に手を引かれるままに廊下を駆け抜け、階段を下り、靴下のまま校舎を飛び出す。
校門を前にしたところで、深聡達の背後で轟音が鳴り響いた。
「なっなに!?」
「…見ないで…っ!」
巨大な“何か”が地面に叩き付けられたようなその音。
それは眉間に皺をよせながら鳴らされる樟葉の声を掻き消し、深聡の視線を、引き寄せた。
「--んだ……あれ……」
視界に飛び込んできたのは、影。
暗闇に包まれながらも、確かにそこにある己を誇示する、影。
人のそれより大きく、逞しく。
“獣”のような、それ。
深聡の足は、首は、呼吸すら、停止した。
樟葉の手が、離れる。
「雪原さん…!早くっ!」
呆然と佇む深聡に振り向きながら、駆ける樟葉。
今まで聞いたことのないほど切迫し、語尾が強まった声が耳を掠めながらも、深聡はその場に立ち尽くしていた。
「……く…!」
歯を食い縛り、樟葉は速度を上げる。
やがてその姿は見えなくなり、1人、深聡は残された。
「……」
閉じることを忘れたように口内を覗かせる口元。
大きく開かれた瞳は、その焦点を合わせる事ができずに細かく揺れる。
早まる呼吸、加速する鼓動、亢進する血液。
体内にある全てが警鐘を鳴らしても尚、深聡の身体に動く力は宿らなかった。
大量の土煙を立ち上らせながら、現れた“それ”。
深聡は、“それ”と目があった気がした。
その直後、土煙の内側から赤い2つの光が、瞬いた。