無表情な、彼女
「…だからお前達2年生が学校の校風を決めることになる。1年の時とは違うというのを自覚して生活しろよ」
窓から望める桜の木。
4月の風はその陽の光のように温もりを帯び、また、柔らかく小枝を揺らしていた。
「では、少し早いが1時限目はこれで切り上げる。この後は委員会とか決めるぞー」
そう言いながら教室を去る教師。
それを境にクラスは一気に騒然となった。
先日始業式を終え、新たな環境に置かれた生徒達は右へ左へ自身の位置取りに奔走していた。
窓の外と対照的なざわめきに、深聡は1人机に頬杖をつき、柔らかに揺れる花を眺めていた。
そこへ
「よー!みっちゃぁん!」
「ぬおっ!?……栗田かよ…」
深聡は後ろからの衝撃もとい友人のスキンシップに体を揺らす。
振り替えると、そこには丸刈り褐色と男が歯を見せて笑っていた。
その表情を見て、深聡は明らかに顔を歪める。
「へいへいなんだよみっちゃんその顔!折角同じクラスになれたっていうのに、さっ!」
「お前がバリバリの美少女ならよかったんだけどな…」
「みっちゃん…新学期早々その妄想は酷いぜ…」
栗田 浩介は1年来の友人の言葉に瞳を伏せた。
「そいえばさ、1年で同じだった奴俺達しかいなくね?」
栗田はそう言うと、教室を見渡す。
「…いや、あと、あの人」
「あー…そいえばそっか」
深聡が指差す先、その席に座っていたのは1人の女子。
少女は周りの喧騒に溶ける事はなく、茶色の髪先を俯かせていた。
「かすみ…さんだっけ?」
「一文字も被ってない。泉さんだ」
「ああ、そうそう。…お前よく覚えてるな」
確かに、とすんなり口から出た名前に深聡は少しの驚きに顔を染めた。
そう思わせる由縁。それは樟葉の言動にある。
まず、誰とも会話を交わさないのだ。
1年次で口を開いているのを深聡が目にしたのは2、3回程しかない。
恐らくクラスのほとんどがその声を聞いた事がないだろう。
加えて、その表情。
恐ろしく、無感情。
樟葉が笑っている所を誰も見た事がないと言っても過言ではない。
当然と言えば当然だが、これらの理由故に樟葉は周りから浮いた存在となっていた。
(…でもよく見ると…可愛い、な)
ジッと樟葉を凝視する深聡。
それに気が付いたのか、ふと、2人の視線がぶつかった。
「…」
「…」
どちらが逸らす事もなく、膠着状態に陥る視線のキャッチボール。
直前まで抱いていた感想からか、深聡は動揺に瞳を揺らした。
(ええい、何で動揺してるんだ俺は。クラスメイトだろ…!手ぐらい振ってやれ!)
思い切って、片腕を机からほんの少し浮かせる。
が、その意図は相手に伝わる事はなく、樟葉はふい、と顔を前に戻した。
目的を失った、右腕。
(…無愛想な奴)
そう感想を締め括った深聡は、浮かせた右手を机に腰かける栗田へと向かわせるのだった。
しばらくして談笑に花を咲かす教室を切り裂くようにチャイムが鳴り響く。
蜘蛛の子を散らすように、生徒達は己の席へと戻っていった。
「うーし。じゃ、委員会決めっぞー。まーずは…」
再び始まった担任教師の声に、深聡も先程と同じように頬杖を着く。
春のうららかな風に流されるように、その後の時間は緩やかに流れていった。
そして、放課後。
早速築いた関係と共にパラパラと教室を去っていく生徒達の中、深聡は目を覚ました。
「…ん、寝てたか…」
「じゃみっちゃん。俺部活だからよ」
「おう。頑張れ」
野球帽を刈り上げた頭に乗せ、片手を上げて教室を出ていく友人を見送り、深聡は寝起きの気だるさにため息を落とした。
朝の喧騒とは正反対の静寂が包む。
昼時の日照りは朝のそれよりも暖かみを増し、深聡の口から欠伸を落とさせた。
(…帰るのはちょっと早いし…。もう一眠り…)
机に突っ伏し再び目をつぶった直後、椅子を引くような音が深聡の耳を揺すった。
起き上がり、音の方を見る。
そこにいたのは、1人の女子。
『無表情女』、泉 樟葉。
そしてやはりぶつかり合う視線。
深聡は振り向き様の体勢のまま硬直を余儀なくされた。
「…」
「…」
「…」
「…」
流れる時間。
実際、1分にも満たない間であったが、深聡には何十分にも感じられた。
このまま見つめ続けているわけにもいかない。かといってまた眠りに着こうとする気も起きない。
痺れを切らしたように、深聡は立ち上がった。
「あ、あのさぁ!?泉…さん?」
「…」
「お、俺達1年の時同じクラスだったんだけどさ。覚えて、ない?」
「…」
歩み寄りながら話す深聡から慌てたように目を逸らし、一心に机を見続ける樟葉。
その態度に深聡は口を曲げながらも、言葉を投げ掛け続けた。
「じ、実はさ!俺クラスに知ってる人そんないなくてさ。だから、今年は色々と仲良くできたらいいかなって思うんだけど…」
同じクラスだったし。と反復するように付け加え、深聡は1度言葉を切った。
その直後、後悔。
(何言ってんだ俺は…!?口説いてるのか!?)
頭を抱え、うずくまりたい衝動を抑え、笑顔を浮かべたまま返事を待つ。
すると、少しだけ、樟葉の口が開いた。
「…たし、で…良かった…ら」
初めて耳にする、その声。
か細く、高いその余韻と驚きに、深聡は目を見開いた。
だがそれを掻き消すように、歪な音が室内に響く。
樟葉が突然、立ち上がったのだ。
「…あ、う…。……っ!」
そしてやはり慌てた様子で荷物を持ち、駆け足で教室を出ていってしまった。
余りに一瞬の出来事に深聡は声をかける暇もなく、ただ立ち尽くしていた。
今度こそ、1人。
深聡は後ろ髪を掻き、ため息を1つ。
「……帰るか」
ポツリと無人の教室に響かせた呟きと共に、深聡は鞄に手をかけた。
そして小さな足音を響かせながら無人の教室を後にする。
窓の外では、無音の桜吹雪が舞っていた。
その景色が一瞬青黒く歪んだ事に深聡は気が付く事はなく、学校を後にした。
「…あれは嫌われてたの…か?」
頭の隅に鮮明に残る樟葉の声を目覚ましに深聡は呟きながらムクリと起き上がる。
「…でもあの時泉さん…笑って、た…?」
俯きながらであったが、髪先の隙間から見えた口角は微かに上がっているようだった。
加えて、先程の樟葉の様子。
あの苦痛に喘ぐ表情と『無表情女』たらしめる樟葉の言動はどうしても結び付かなかった。
(…明日…また話しかけるか…)
深聡はそう締め括り樟葉への考察を止めた。
その直後、扉が開く音と共に声が家に響いた。
「深聡ー!ただいまー!ちょっと手伝ってー!」
「…うーい」
ベッドから腰を浮かせ自室を後にする。
主人を失った部屋は、夜の闇を受けその表情を暗く沈ませた。