殻を被る
「あれにゃ手が出せねぇ~わな」
そう感嘆を込めて溢すサジークに同意したムジェルも頷く。
「お前、接近戦は得意だろ。というか接近戦が売りだろ、加勢したらどうだ」
「馬鹿言うな、レティ隊長とだってまだ後れを取ってるんだ。逆にレティ隊長が遅れている現状が信じられねぇ、俺が行っても邪魔をするだけだ」
そう言いながらも隙あらばとサポートするのが二人の役目だけあり、一瞬たりとも視線を逸らさずに言葉を交わす。
すでに数分間、アルスとレティがロゾカルグと接近戦を繰り広げている。相手の攻撃をまともに食らえば致命傷ともなり得るが、それを安心して見ていられるほどの攻防戦を繰り広げていた。
レティは素手だが身体に触れる直前に小規模爆発を起こしているし、アルスに至ってはナイフの先に魔力刀が形成され外皮を切り刻んでいる。
だが、斬った傍から回復される有様だった。
「……悪食というのは間違いないだろうな。あそこまで系統関係無く魔法を使ってきたのではシングル魔法師の隊長たちでも攻めあぐねる」
「どれだけ食ったのか考えたくもね~な」
今も拳を叩きこもうとしていたレティの眼前には身体が変化して外皮の隙間から棘が襲い掛かる。それを爆散させて後退。しかしロゾカルグがドンと踏み出した足から、氷の棘道が走った。
すぐに回避したが、跡には氷の剣山が生える。
アルスは近接して更に違和感を感じていた。膨大な魔力を持っていても使うのが魔法である以上魔力の消費はある。それは魔力が動くということだが、このロゾカルグにはその魔力から魔法を行使するまでにコンマ数秒の誤差がある
何故なのかまではわからないが、アルスは誰と、何と戦っているのかが不透明という訝しみを強くしていた。
「いけるかレティ」
「オーケーっすよ!」
レティが両手を勢いよくパンッと合わせたのを確認するとアルスは魔力をAWRに通す。
(何秒拘束できるか……)
AWRを持ち変え、掴むように右手で拳を作ろうと縮める。それにリンクするようにロゾカルグの両腕が締め付けられ、身体に引き付けられた。まさにアルスが巨大な手でロゾカルグを握っているような光景だ。
かなりの抵抗にアルスの手が緩まっては力が籠り拮抗する。
「睦御霊の蒼炎業火、大罪せしめし業の輪廻を顕現する……っすよ!」
「――やばっ!!」
サジークがその詠唱に肝を冷やすが、二人の前にアルスの障壁が張られたことで安堵する。
背後で見ていたリンネたちも最大限の障壁を重ね掛けし、その上からアルスの障壁が覆う。
合掌したレティの周囲に蒼炎の鬼火が6つ、猛々しく燃え盛る。
全ての指輪が輝き――合掌していた手を片方突き出した。
「迦具土」
ロゾカルグの胸にロストスペルの文字が浮かび上がり、チリチリと火花を散らすと――。
「ひとつ……」
鬼火の一つが一瞬ブワッと燃え盛ると消失する。すると、胸に刻まれたロストスペルを起点に一気に全身を蒼炎が覆った。
「ふたつ……みっつ……」
蒼炎が更に温度を上げる。地面が焼け赤く熱せられるが飛び火することはなくロゾカルグだけに的を絞った魔法だ。炎であり炎ではない業火、言うなら対象だけを燃やす魔炎とでも呼ぶべきなのだろうか。
飢えた獣のような眼を閉じ、両手で苦しそうに覆う。その場から距離を取るようによろよろと後ずさるが。
三つ目で蒼炎が蛇のように身体に纏わりつき。
「無駄っすよ。この炎からは逃げられないっす」
言葉通り、蒼炎で縛っているだけでなく、この魔法は胸に刻まれたロストスペルが発火元となっているため、身体そのものが燃えているようなものなのだ。そしてこの蒼炎は6つの鬼火を使い切らない内は自然鎮火することはない。
「よっつ……いつつ……」
上空に火柱が高々と昇り、空気が吸い寄せられるように暴風へと変わる。
身体が真っ赤に染まった。
目を抑えた腕はだらりと垂れ下がり炭化し、眼窩からは蒼炎が吹き出る。
最後に深呼吸したレティは胸の前で立てていたもう片手も突き出す。
「ふぅ~……むっつ!」
一層猛々しい蒼炎が包み込み。内側から燃える身体は糸が切れたように膝を突く。周囲へ燃え移ることなく魔物だけを焼き尽くしたと言える。
完全に炭化し真っ赤に燃えていた身体も外気によって硬く黒く変色、両腕がボロッと崩れた。
辛うじて原型を留めているが、それもまたAレートの外殻故だろうか。
「やったっすかね!?」
レティの顔から汗が滴っていた。
それもそうだろう。迦具土を最上位級と呼ぶにはずば抜けた威力と魔力消費があるため、大いに疑問が残る。相手の外皮に直接触れ、起動するための魔法式を書かなければならないのだから、無論簡易化されたとはいっても3文字の発現座標の固定などをリンクさせるためには必要最低限と言える。だが、成されれば焼き尽くす業火から逃れる術はない。
現在の魔法難度の評価基準では最高である最上位に分類されているだけの話で、実際には更に上の魔法であると見ている。
その消費魔力も並の最上位級とは比較にならない。
「どうだろうな……レティは少し下がっていた方がいい。代わりに二人を前に出す」
「悪いっすね。でも、あれで倒せないとは思えないっすけど」
「だといいが、ここからだと判断がつかん」
この魔法を使用した後を知っているのか、サジークとムジェルが交代のため、前衛に歩み出た。
「お疲れ様です隊長、後始末は任せてください」
トンファーを構えてレティを庇うような位置取りをしたムジェルに続いてサジークも口を開く。
「あれをやるならせめて一言言って下さいよ」
「お前たちに被害はいかないと知ってるっすよね?」
「もちろんです! とは言え、あの距離では熱気だけで火傷もんです。術者の隊長やアルス様のように魔力操作だけじゃ防げないんですよ」
未熟と断じるのは酷というものだろう。元々魔力操作とはそういうものだ。シングルでもない限り一枚も二枚も落ちるのは魔法師の訓練優先度が低いからだろう。
「それは悪かったっすね。久し振りに使ったもんすから、見誤ったっす、ハハハッ」
ジト目で応戦するサジークとムジェルだったが、すぐ諦めたように「幸い負傷者はいませんから、早く後ろで休んでいてください」と後ろを指差した。
レティが袖で汗を拭いながら歩き始めようとした直後――。
「アルス様!! まだですっ!」
張り詰めような声が暖められた空気を一瞬にして冷却した。
全員の強張った顔が焼け焦げたロゾカルグへと注がれる。レティもあれで生きているはずがないと瞠目して固まる。
(どうなってる……)
アルスがそう懐疑心を抱くのも、目の前の魔物はすでに生命活動を終えたと見て間違いないからだ。今にも追撃を加えれば全身を崩すだろうほどに炭化している。にも関わらずリンネの探知には引っ掛かるという差異。ピクリとも動こうものなら見逃すはずはない。ということはリンネは魔力自体を察知したということだ。可視できる魔力の漏れはないというのに。
そこから導き出される答えは口に出すより先に動きがあったことで呑み込まれた。
ミシッ! ミシミシッ……ボコッという奇怪な音がロゾカルグから鳴る。それは少し盛り上がった腹部からであり、炭化した外皮に罅を刻み、蜘蛛の巣のように四方八方に走る。内側で動いているのか……外皮の一部がボロッと崩れ、地面に炭を落として煤が舞った。
その異様な光景に誰も動けずただ成り行きを見守ることしかできなかったが、次の破片が崩れた時――そこから内部を覗かせ……いや、覗かれた眼のような光点に時間が止まる感覚に見舞われる。
「なっ――!! 嘘ッ!」
レティが無意識に溢し、一歩後ずさった。
歪に崩れた腹に空いた穴から生物のようなモノが眼を覗かせたのだ。眼窩のような窪みだろうか、そこには濁ったような白い瞳が揺れる。
そして――。
「ヲヴヴヴゥゥゥ……」
声というよりも喉を振るわせたような振動音が臓腑へと響くように震えた。
射竦められたようにムジェルがトンファーを落としそうなほど身体を震わせる。
「冗談ですよね。な、なんですかあれは――」
「不味いっすよ……リンネさ……」
レティが冷や汗に背中を濡らして、探知魔法師であるリンネにレート判別を訊こうとして振り向くと。
「い、い……嫌! ウソウソウソ……うぷっ……はぁはぁはぁ……うっ」
透き通るようなきめ細かい肌は見る影もなく血の気を失い、死体のような白さに変わっていた。過呼吸に陥り、吐き気すら催している。視点は定まっていないようだ。
なまじ魔力を機微に感じ取れるために彼我の力量差、魔力の異質さを感じ取ったのだろう。数百という魔法師を食ったとされる魔物ならばさぞおぞましいものを感じ取ったに違いない。
レティはその反応だけを見ると、どこかで倒したと安堵していた自分に対して臍を嚙む。
「アル……隊長……」とレティが真剣な面持ちで発した。それはシングル魔法師の決死の覚悟が含まれている。生死を意識した眼だった。
「あぁ、間違いない。SSレート決定だ」
肌で感じる圧迫感に穴から漏れ出る吐き気すら催すほどの魔力。アルスが今まで屠って来たどの魔物とも違う異質さに心臓がざわつく。
「どうするっすか、あれはうちらだけじゃ手に負えないっすよ!」
「た、レティ隊長の言う通りですね。というよりもこれは一国でどうこうできるレベルの……」
「お……おいおい、ムジェル、アルス様がいる目の前で何を言ってるんだ。決めるのは俺たちじゃないだろ」
震える声で遮るようにムジェルが目を見開いた。
「そんなことを言っている場合じゃ……」
言ってる間にも一つ一つと穴が広がり、3本の指が中から拡げるようにぬるりと出てくる。
「逃げられるのか、撤退するなら今しか……お、俺たちが1秒でも時間を稼いで……」
ムジェルが続いて退却の意気を吐くが、反応を見せないアルスに弱々しく指示を仰ごうと更に口が開く。
「ア、アルス様……?」
呆けたように立ち尽くすアルスを覗き込むように顔を向けたムジェルはギョッとして青褪める。
「――!!」
獰猛な眼でただただ獲物が出るのを待っている狩人のようにその表情には微笑が張り付いていた。
「ア、アルス様……し、指示を……」
「アルくん?」
レティも疑念の声で問い掛ける。
そして視界の隅に入ってきたことで我に返ったようにアルスの意識が向いた。
「そうだな、お前たちは撤退していいぞ」
「「「――――――!!!」」」
「アルス様、それではお一人で戦われるということですか!?」
「当然だ。さすがにSSレートなんて早々お目に掛かれんしな。全力で戦うにはこれ以上の適役はいないだろう」
うんうんと頷くが、その目はおもちゃでも見つけた子供ように無邪気な光を放っていた。無論見る者によっては何よりも恐ろしい顔ではあったが。
「任務とは言え、たまには骨のある奴とやらんと腕が鈍るだろ? それに初めて見る種類だしな、今までロゾカルグの中に寄生していたのだろう。おそらく強い獲物を待っていたのかもな。だが、ここで逃げれば間違いなく奴は追ってくる。そうなれば当初の予定以上に被害がでるぞあれでは」
「アルくんなら倒せるっすか?」
「どうだろうな。だが、負ける気はしないな」
「――――!! しかしアルス様、相手の強さも未知数では……」
ムジェルが理路整然と並べたてようとしたが、サジークが肩に手を置きそれ以上言わせないために首を振った。
そして一歩前に踏み出す。姿勢を正し肩幅に足を開き、腕は後で組まれている。慣れた動作で直立。
アルスは一応聞き耳を立てた。
「アルス様、我々もアルファを代表する魔法師だと自負しております。なればこそこの身は常にレティ隊長とアルス様の傍でこそ役立たせることに本懐がございます。力不足は重々承知しております。ですがアルス様を残して撤退などできるはずもございません」
それまで動揺していたムジェルも理解する。自分が勝算を計算するのではなく隊長を信じることこそあるべき姿だと……まさにその理想の光景が目の前にあった。
(こいつに先を越されてしまうとはな)
ムジェルも隣で姿勢を正して魔物などいないかのように最敬礼をする。
「私ごときが差し出口を失礼しました。サジークと思いを同じく……ここにいる全隊員も同様です」
それを見ていたレティが小声で「男はこれだから……馬鹿っすね」と苦笑した。
「どうせなら、相打ちでも仕留めるっすよお前たち」
「おい! 暑苦しいのは構わないが、手は出すな。その心意気に免じて眺めるだけなら許可してやる」
「ほえ?」
レティが正しく理解できていないかのように小首を傾げる。
アルスはそんな鳩が豆鉄砲を食らった顔を並べる三人に不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「お前たちは俺がなんで今まで一人で戦ってきたか知らないだろ。上から眺めて確認するんだな」
そういって離れた場所に聳える鉱床を指差す。
あそこならばなんとか被害が及ばないだろう。敵の目に付くがそれをさせない自信もある。
この悪食が捕食するために獲物を待っていたのならば絶大な魔力量を誇るアルス以外に目移りすることもないはずだ。
「ほら、さっさと行け。出てくるぞ。鉱床の頂上に着いたらリンネさんの魔眼でもいいから合図をくれ、障壁を張る」
渋々了承した面々が警戒しながらも後退した直後――。
「ヴヴヴゥゥゥゥ……」
地にビチャッと粘液のようなものを垂らしながら足が着き、狭い穴をものともせず、脆くなった殻を崩れさせながら姿を現す。腕が伸びて4本の指先を動作確認でもしているように擦り合わせている。
全身が光沢のある濃いグリーン色で体長1mと少しという小ささだが、二股に割れた管のような尾があり、先端が裂けたような口になっていた。
顔はのっぺりとしていて眼がなく、粘膜のような液体が顔の表面をテラテラと光を反射している。顔の大部分まで開けられそうな口だけが据えられており、頭部からは変形したのか角のようなものが後方に伸び、全体的に爬虫類が立ったような姿だった。
アルスでさえ魔物の進化形態でここまで完成された姿を見たことがない。
そして様々な魔物を見て来たアルスはこの時も似た感想を抱いた。
それは魔物進行以前から仮想生物、幻想生物などはもしかしたら魔物が由来なのかもしれないというものだ。これは既に議論し尽くされた問題だが、未だに結論には至っていない。つまり人間を吸収した場合、魔力から得られる情報には記憶なども含まれるため、そういった生物に酷似するのだという説があり、一方では以前より魔物は人類の中で少なくも存在していたのではないかという説だ。
そうだった場合は捕食という行為は後天的取得によるものになる。その原因が解明できなければ迷宮として意味のない議論になるわけだ。つまるところ、後者の場合は魔物が人間よりも上位種だと主張する宗教的思想が先に立ってしまうため、学者間では前者の研究をするものが多く、否定的な見方だ。
というのも宗教的な思想の懸念される終着点は人類の絶滅に帰結するとして、ある意味テロと認知されがちである。条約でもそういった意識操作――シンパ的活動――は法に抵触するとされている。
そのため、魔物によって人類史の転換期以前より根強い宗教のせいもあり、崇める神の降臨などと妄言を吐く輩が各地で望んで食われに行ったというほどだ。
アルスはこの化け物を目の前にわからん思考だと切って捨てるのだが。
だからこそ今生き残っている人類はそういった盲信に取り付かれず地に足を付けた者だけのはずなのだ。しかし、未だに手を焼いていることを考えれば撲滅することは難しいのだろう。何かに縋るというのは実に楽な話だ。それが良いことなのか悪いことなのかはわからなかったが、懇願するように命を捨てる行為には賛同しかねる。
この絶望的な世界に神を見るというのもわからなくはないが、それは前線で命を賭けている者を蔑ろにしていないかと思ってしまうのだ。
改めて全身を視界に収めても、やはり魔物で化け物で悪魔でしかない。
(ハッ、眼も鼻もなくて場所がわかるもんかね)
アルスは外套を脱ぎ棄てて魔力を解き放つ。荒波のような魔力の奔流にピクッと反応した魔物を見てターゲットを自分に絞らせる。
口の奥まで続く不揃いな歯、笑ったように口が裂けた。
すると、前屈み四足になり、二本の尾がクネクネと宙を彷徨う。
背こそ低いが体格は獰猛な野獣を思わせる。地面すれすれの位置に顔を近づけ口から黒ずんだ唾液が糸を引く。
背後では隊が移動に移ろうとしていた矢先の出来事だった。
地面を吹き飛ばす脚力で走り、瞬きの間すらなく接近してくる。しかし、その標的はアルスではない。
逃げようとする者を追うのは獣に似た本能だ。
アルスから距離を取り、一度木の幹を足場に跳び移り再度跳躍。無論、それを黙って見ているわけではなかったが。
「――――!!」
射線上に割り込んだアルスの前にあろうことか離れた場所にいるリンネが目の前に立ち塞がった。
本人は錯乱したままで涙を浮かべた眼で何故? という顔が張り付いている。そして距離があるのに、前に現れることを見越していた魔物が口を開けて顎を突き出してきた。
蓋を開けたと思わせる凶悪な口を前に人間など造作もなく噛み砕かれるだろう。
「くそっ!!」