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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第5章 「戦慄再来」
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到着浸透

 黒の一団が風を切り、森林の中を巧みに突き進む。まずは一直線にバルメス国境を越えるため、市街地まで戻らずに向かっていた。おそらく富裕層とバベルの塔の中間地点なのだろう。

 手が付けられていない森林を速度を落とすことなく枝を足場に飛ぶように駆ける。

 全員の人数を確認したアルスは速度を調整しながら大きく跳躍した。

 そして隣に付けるようにレティが寄る。


「総督はなんて言ってたっすか?」


 さすがに隊の生存率に関する情報を秘匿にしておくのは良くないだろう。


「どうやら近場に鉱床があるらしい。恐らく鉱床の探索かなんかで出くわしたんだろうな。知らずに向かってたら人数的に足らなくなるところだった」

「確かに鉱床や洞窟は魔物が根城にする場合があるっすけど、そこまでっすか?」

「いや、問題はミスリルが取れることにある」


 疑問を呈したレティの背後で気まずそうにリンネも耳を傾けている。

 普段ならばレティの言うようにそこまでの脅威にはなりえないが、今回は例外だ。

 アルファが奪還した地には鉱床――特にAWRの材質となる――がなかったのだから仕方がないことでもある。


「AWRに使用される鉱物なんかは魔力の良導体だ。そんな物が密集した場所だと魔法が拡散するだけではなく、魔力を主体とした探知魔法では内部を探知することもできない。ミスリルなんて言ったらその最高峰だ、相当な形状維持技術がなければ魔法は使えそうにない。そういう意味でもリンネさんには付いてきてもらって正解だった」

「そうなんすか? プロビレベンスの眼は魔法ではなかったんすね」

「いえレティ様、眼の使用には多大な魔力消費が必要なので魔法という枠組みに入るかと」

「そうだ。あれは確かに魔力を消費し魔法として発現している」

「だったら、鉱床の探知は不可能なんじゃないっすか?」


 その問いにリンネも自信を持って答えることができず、黙してアルスの回答を待った。


「いや、可能だ。俺も少し見ただけだから詳しいことはわからないが、魔法の行使は眼球に施されているから、見ている先には魔力の痕跡は残らない」

「ほえ~そりゃ凄いじゃないっすか。密会なんて出来ないっすね」

「レティ様、それほど万能というわけでもないんです」

「どういうことだ?」


 リンネは隠すことが不利益になると考えた。正確にはシセルニアの指示とはいえ、鉱床の存在を黙秘したのだからせめてもの償いだったのかもしれない。


「数百の視界で見るのですから長時間の使用は魔力的にも不可能ですし、何より見ているということに気付かれれば魔法が消失し反動で再使用まで視界が回復しません」


 アルスは思い当たる節から「あぁ~」と思い出すように唸った。

 会合のためにリンネが呼びに来た際、アルスは視線に気付いた。その時は真上から見られているような感覚だった。その後、もう一つの視覚で彼女だと判明したが、見られていると感じていた視線はそれ以降消失したはず。

 もしかするとあれが、気付くということなのだろうか。


「つまり、見ているということを感覚にしろピンポイントに察知すればということか」

「はい、察知というほどあやふやではないのですが。失敗する条件は対象と眼が合うことなんです。反動は確証度合いで違います」

「ということはっすよ? なんとなく見られているんじゃないか? 程度で眼が合った場合、魔法は遮断されても術者にはそれほどのダメージはないってことっすか?」


 肯定の頷きの中には少し苦味が混じっていた。取っておきの魔法が解き明かされる気分はあまり良いものではないということだろう。


「そ、それと、御二方ともこのことは秘密にしていただけると……」

「わかってる」

「もちろんっすよ。そこまで意地悪くないっすよ」


 振り返りながら満面の笑みで答えたレティにリンネは安堵の息を吐く。

 レティの決断に近くで耳にしていた隊員も首を縦に振った。

 アルスもできれば互いに詮索はなしの方向に持っていきたいが、リンネの魔眼のように重宝するだけの異能ではないだけに神頼みになってしまうだろう。恐らく今回は御厄介になりそうではあるのだから。


「それにしても知れば知るほど興味が湧くなその魔眼は」

「そ、そうでしょうか。プロビレベンスの眼以外にも魔眼と呼ばれる物はありますが」

「確か、全実を見通すプロビレベンスの眼と全ての魔法を書き換えるヘクアトラの碧眼、生命を司るセーラムの隻眼と…………」

「死を宿すイーゼフォルエの漆眼ですね」

「どれも眉唾だと思ってたっすけど。リンネさんの魔眼を見ればあながち馬鹿にできないっすよね」

「実際そうだと思いますよ。魔眼が存在することは事実ですが、開眼後、生きている者は皆無と言われておりますので……当時の軍部ではそう決断したようです。プロビレベンスの眼は比較的制御し易い部類だと聞きました。なのでこれを魔眼と呼ぶのは少し抵抗があります。セーラムの隻眼は生存しても数日、なので生命を司るというのは可笑しな話なんですよ。魔眼を使えたわけではないのですから。イーゼフォルエの漆眼に関しては開眼後即死することから名付けられたほどですし」

「詳しいんだな」

「えぇ、さすがに眼を制御するのにいろいろ調べましたし、調べられましたから。当時の軍は過去の失敗を揉み消すためか、今後魔眼保持者に対する警鐘のつもりか、魔眼という言葉自体を形骸化させるつもりのようですね。打つ手がないのですから、それも致し方ないのでしょうが……」


 どこか沈痛な面持ちでリンネは語気を尻すぼみに小さくしていった。結局魔眼の解明には至っておらず、開眼による死亡原因を食い止める手段はない。

 過去の魔眼研究で保護した被検体を一人も救えなかったのならば、開眼による対処法は存在しないことになる。であるならば、無駄な混乱を招く必要もないのだろう。

 ただ、一部では魔眼という異能を知っている者も少なからず存在するため、その兆候が見られた場合はすぐに軍へと報告することが暗黙の了解として成り立っていた。しかし、それも今となっては更に魔眼を知る者は減っていることだろう。


「なるほどな。でも、一つ正すなら、生命を司るセーラムの隻眼は近しい異能があるのは事実だろうな。確認できないとはいえ、セーラムの魔眼保持者は暴走するまでに至ったらしい。その際に現象として生命が生み出されたとされている。具体的な情報は得られなかったから、何があったのかまではわからんが」


 限界まで目を見開いたリンネ。それもアルスの背後では気づかれることは無いが、言葉までは平静を保てなかった。


「そ、それはいったいどこで知り得たのですか! 私も相当深くまで立ち入りましたが、そんな話は一度も耳にしたことはありません」


 リンネが驚くのもこれらの研究データの収集は軍でも難しいからだ。極秘扱いで機密性が高いため、研究などの記録がそもそも残っている可能性が低く、アルファの記録にもそんな情報はないだろう。

 眼を制御したのちシセルニアを経由し総督の助力を仰いだのだから間違いない。とすれば、他国だろうか。しかしそれこそ可笑しな話だ。アルスが他国へと行けるはずがないのだから。

 ましてや彼は最近まで常時外界に出ているような魔法師。

 そんな思案はすぐに解消されることになる、更なる驚愕を以て書き換えられた。


「それもそうだろう。俺がその情報を知ったのは外界任務中だからな。任務が早く終わったからかなり遠出した時に見つけた。施設のような建物の中にあったが、戦闘によって今は倒壊してしまってるから、俺しか知らんことになるのか」

「――――! 外界! つまり、魔眼の最初の発症は相当前ということに……」

「そうなるな。少なくとも50年以上前じゃないか」

「そんな時からっすか。暴走したら当時の魔法技術じゃ止められなかったんじゃないっすか?」

「さあな。起源がどうであるにしろだ。魔眼にはそれと呼ばれるだけの由来があると考えた方が建設的だな」


 リンネは知らずに拳を握りしめていた。

 この情報がもっと早く知れ渡っていたら魔眼に関する研究が進み、命を落とす者が減ったかもしれない。制御の役に立ったかもしれないのだから。


「そろそろバルメス国境だ。少し速度を上げるぞ」


 アルスの号令に速度が一段上がり、突風を巻き起こす。


 一気にアルスの隣に躍り出たリンネは、どうしても訊いておかなければならないことがあった。怒りを留めた表情は固く、感情を悟られまいと彼女はアルスを横目に見ながら慎重に言葉を選ぶ。


「アルス様、その情報を内に秘めておく理由をお訊きしてもよろしいでしょうか?」

「ん? 秘めてなんていませんよ。今でこそ興味を持つに至りましたが、その時はすぐに上層部へ報告しました。結果は隠匿されましたよ。証拠もないのだから分からなくもないが……理由はわかりますね?」


 リンネは寒気を感じながら頷く。

 魔眼の研究は僅かだ。そのどれもが成果を上げられずに被検体を死なせている。外聞は最悪だ。元々異能とされる力を得るためなのだから非難を浴びても仕方のないことだが、成果がまるでないのでは話にならなかった。眼球をくり抜いても異能は喪失される。開眼者は数日と持たずに息絶える。人類の数が10分の1にまで追いつめられた状況でいつ開眼者が現れるとも知れない保持者を待つことはできなかったのだ。これまでの魔眼開眼者は十数名程度。費用対効果を考えれば現存する魔法の発展に貢献したほうが現実的だったのだ。

 その最たる原因が解読不能の魔法式だ。一文字すら解読できず、人類の歴史を遡っても近似する文字は存在しなかった。


「それに開眼者は当時の研究の非道性を考えれば名乗りでることもできないでしょうね」

「それは……」


 リンネが声を発しかけては呑み込む。結局死亡率がほぼ100%ならば同じことだ。僅かに自分という稀有な存在がいるが、研究が終わりアルファ軍に拾われたからで、シセルニアの恩寵を受けたからだ。それに先ほどもアルスが言ったように外聞は伝え残る。研究施設での出来事なのだ、聞こえが良いはずがない。

 市井に伝わっていたら間違いなく非人道的な研究が行われたと認知されることだろう。


「そういう意味でもリンネさんが研究に協力してくれれば何かしらの進展に繋がるかもしれません」


 屈託ない表情でそう言われ、リンネはずるいとばかりに僅かの浮遊中瞼を閉じた。



 ♢ ♢ ♢



 バルメス軍本拠地。

 バベルによる防護壁のすぐ外側に強固な防壁が建造されている。20mほどもある防壁の上部には歩哨が立ち。常に警戒を怠っていない。

 探知機器により高レートの魔物は探知できるとはいえ、常に危機意識を持っているようにも見えた。それも国内の高位魔法師が戻らないことを知っているならば尚更だろう。

 バルメス国内に現在どれほどの残存兵力が残っているのか彼らは目を背けるように考えない。Aレートならばなんとかなるだろうか。いや、Bレートならば。そんな思考が蔓延しているのは互いの顔を見ずとも分かるほどだ。

 探知機器に高レートの魔物の反応があったとて誰が討伐に出れるだろうか。無論魔法師を名乗る以上高みの見物とはいかないことを彼らは知っていた。


「早く帰って来てくれないかな。ダンカル様、この際ジリーダ様でもいい」


 虚しく空を漂うかのように宙に溶け込む言葉は痛ましくすらあった。

 それについて誰も口を開かないのは、この話題が毎日繰り返されている二番煎じだからだ。彼らの多くはこの防壁の内側に愛しい家族がいる。だからこそ自分が盾になって守らねばならない。

 それについては覚悟の上だ。それで守れるのならば心残りはあっても誇れる自分をみていた。しかし、現状では命を賭けても守れると言い切れる自信がなかった。

 共に戦う仲間の顔ぶれがこうも様変わりしてしまえば仕方のないことだ。様変わりした程度ならばどうとでも言い聞かせることはできたかもしれない。だが、ここまで人数が少ないのでは心細さはいつも家族の身を案じるイメージを作り始める。


 腰にぶら下げた長年愛用してきた両刃のAWRが心もとなく感じた。周囲を見渡せばAWRすら差していない者が数人いる。

 彼らは外界で戦うことを諦め、監視や伝達、任務に関する様々な情報の解析など机の上で仮想キーを叩いているような連中なのだ。


「第1陣との連絡が途絶えてから、もう……」

「いや、いい。独り言だ」


 彼は予想しなかった返事に手振りで制した。少し不格好な姿は威厳のない態度だが、それも仕方がないのだろう。本来彼は歩哨とはいえ、魔法師を束ねる立場ではない。それどころか防壁周辺の低レートの掃除を任務とする部隊の下っ端だったのだから。

 隊長達は第1陣に組み込まれ、残ったのは自分だけ、手さぐりで隊長を真似た姿は滑稽で違和感しかないが、彼は自分がいつの間にか隊員の前で弱音を吐いていたことに慌てて口を閉ざす。


「隊長、何故ガガリード総督は他国に援軍を求めないのでしょうか」

「そんなこと俺が知るか。上の指示に黙って従うのが俺らの役目だ。総督は保守的な御方だと聞いたことがある。今回のような強行に出たのはそれなりの理由あってのはず、だ。ならば、援軍を要請しないのも総督が必要ないと判断しているんだろう」


 一回り若い部下に告げてみたものの、内心では常々「早く援軍を呼べ!」と悪態を吐いていた。

 とは言え、自分もうだつの上がらない立場だ。もしかすると部下よりも長いだけで数年もすれば彼は指令室へと配属されるかもしれない。

 少しばかり魔法が使えるだけで夢見て軍に入った男にとっては命令されるだけの隊の一部が身の丈に合っていた。

 昨晩からこの見張り台で立ち続けたせいか、もう声にも覇気がなく目も何回擦っただろうか。そんな時、横に広がっていた部下、総勢5名が自分に向かって近寄ってくる。


「隊長そろそろ交代の時間です」

「やっとか、早く帰って寝るとしよう。夕方からまた見張りだ。みんなも休息はしっかり取っておいてくれ。寝不足で魔物を見落としたなんてことのないようにな」


 階段から通路を通りバベルの防護壁を潜り基地へと入る。隊員の面々は欠伸を噛み殺せず、大口を開ける者がいたが、彼にそれを咎める資格はないだろう。自分もこれで何回目だろうか。

 彼らは基地から少し離れた軍の宿舎で一個隊として数部屋を宛がわれている。そのため、1階から外に出るのだが。


「騒がしいですね。隊長」

「なんだろうな」

「見てきましょうか。魔物の発見にしてはこんな所に人だかりができるわけないですし」

「いや、いい。どの道通るんだからな」


 一階には休憩スペースがあることからも正面玄関はかなりの広さがある。警備員もいるが、特に動きは無く扉の両側に屹立していた。

 本来ならばこんなに集まる場所ではないのだ。通行の邪魔になる。

 ざっと見ただけでも50人以上が外を見ながら様子を窺っていた。フロントから両側に伸びた階段の先。2階にも同じような光景が広がっており、ガラス張りの窓に張り付くように人だかりができている。


「本当に何があったんだ」

「ただ事じゃないですね。ですが、危機ということもなさそうです。警報音も鳴ってないですし」

「しかし、受付まで行ったのでは来客があったときにどうするんだか」

「ははっ、隊長、あれでは客人も入れないですよ」


「それもそうか」と入口に目をやり、呆れながら肩を落とす。

 それでも何があったのかは知らなければならないだろう。不名誉の昇進だが、務めは果たさなければはならない。

 部下を引き連れて吟味するように声を掛ける。間違って自分より地位の高い者に不敬を働かないように選んだ末、幾度か見たことのある受付の女性の肩を叩いた。


「一体何の騒ぎだ。今は警戒中のはずだぞ」

「す、すみません。ですが……あれを……」


 受付の女性は非魔法師だったはず。畏縮するように深々と頭を下げる彼女に「構わない」と尊大に振る舞っておく。まだまだ板についていないのだろう。女性はちぐはぐな表情で一点を指差した。

 無数の頭の隙間に黒っぽいものがいくつもチラつく。

 彼は周囲に自分の地位よりも高い者がいないことを確認すると部下に指示を出しながら分け入った。


「すまんが通してくれ」


 部下が手を差し込み列を割る。苛立たしげな視線を浴びながら、男は最前列に出た。


「――――!! なんだあれは、あんな怪しげな奴が向かってきているのになんで誰も警報を出さない」

「すみません。どなたかあの黒の一団に覚えのある方はいませんか?」


 気を利かせた部下の一人が顔を見渡しながら問い掛ける。


「それが、あの正面に見える茶色の髪をした女性はアルファのレティ・クルトゥンカだという者がいます」

「なんだと! アルファの7位が何故ここに……いや、いやいやまだ確証があるわけではない」


 そう声を上げた彼に周囲の視線が集中する。

 何を言わんとしているのかが分かってしまう自分が恨めしいほどだ。


(部下の前でみっともない姿は見せられない。こういう時に限ってなんで隊長格が俺しかいないんだよ)


「つ、付いてこい」


 AWRに触れいつでも抜けるように留め金も外しておく。これでも外界に出て7年も生きて来たんだ。賊だろうと容易く斬り伏せられるつもりはない。

 4桁と順位も停滞して久しい、だが、順位だけが実力の全てでないことを彼は知っている。

 5人の部下を横に広がらせ、彼は毅然と入口を出た。毅然としているかは自己判断なので他人から見たらどうかわからない。それでも隊長として自分に花丸を上げたい出来だ。

 足は振るえないように肩幅で固定。


(腕は……組んだ方がいいな)


 ワザとらしくAWRの鞘を膝に当て、金属質な音を鳴らす。彼にはこれ以上ない威圧のつもりだった。しかし、何事もないかのように歩いてくる真黒な一団は異様なほどの圧力がある。

 噂のレティ・クルトゥンカの顔がはっきりと見えると更に緊張が背中を泡立たせた。スキップでもしそうな歩調なのに一切隙がない。

 彼も外界で魔物を相手にしているからわかるのだ。油断や隙は人間に限らない、だからこそ今まで生きてこれた。


 何が怖いことかを彼は体験したことがある。それは油断を装うことだ。最初から死に物狂いで来た方が隙を作ることもできるし、撤退も判断することができる。隙だらけの油断、魔物が捕食者としての高みで踏ん反りかえるならばその油断をつけばいい。

 しかし、油断や余裕を見せてもそれが隙と判断が付かない輩ほどおぞましいものはない。

 いつの間にかカタカタと震える音はAWRの柄を握る手が鳴らしていた。恐怖心から自己防衛のためにAWRを抜くことは止むを得ないことだが、隊長である彼が抜けば間違った場合ただ事では済まない。

 脳内では一歩一歩近づく度に抜くべきかという焦燥が僅かに鞘から刀身を浮かせた。だが引き抜くことを躊躇わせたのは彼の隣にいた若年の魔法師が剣を先に引き抜いたからだった。


「馬鹿! 命令なく抜くな!」


 怒声が青年を我に返し、長年培った眼力で鞘へと収めさせる。


(やつを責めることもできないな)


 自分の汗に湿った掌を眺めて大きく深呼吸。吐き出す息に喉が震えようとも恥ずかしいとは思わない。


「そちらに見えますのはアルファ国の第7位魔法師レティ・クルトゥンカ様でよろしいでしょうか?」


 そして敵対の意志がないことを示すように口を開く。少し距離があるものの、相手も敵対の意志があるのか定かでないための措置だ。同時に賊だった場合は手遅れだろう。

 しかし身を以て時間を稼ぐことは可能かもしれない。


 友人のような笑みを浮かべて女性は手を挙げた。

 彼は生きた心地のしない安堵を浮かべ、鮮明になる美貌に再度息を呑んだ。見たのは初めてだが、噂では楚々とした女性らしいと聞く。

 外套を羽織った魔法師の顔はそのどれも自分とは比べ物にならないほど屈強なものだった。しかし、そんな中にいてレティだけは似つかわしくない美貌を維持している。

 そして彼女が列の先頭にいないことに彼はひどい違和感に襲われ、一人だけフードを目深に被っている人物に焦点を当てた。


「部下の無礼をお許しください」

「あぁ、構わない」


 妙に子供っぽい声に眉を潜める。しかし、シングル魔法師を指し置いて先頭に立っているということはそれだけの要人なのだろう。

 だから、許しを得たことで本当に安堵することができたのだ。


「失礼と承知の上で、御名前を御伺いしてもよろしいでしょうか? これ以上失礼があってはなりませんので」

「アルス・レーギンだ」

「…………え、は、はい。アルス様ですね」


 聞いたことのない名前に問い返しては、取り返しがつかない。拙い処世術でなんとか切り抜けるしかなかった。シングル魔法師と同格と判断すべきだろう。

 しかし、そんな返しに何が面白いのか隣で屈託ない艶やかな笑い声があがった。


「くっくくくっ……ハッハッハ、な、なんすかそれアルくん」

「それしか答えようがないだろう」


 「君?」シングル魔法師から君付けで呼ばれる訝しさにただ傍観することしかできない。


「最初っから順位を言わないから混乱するんすよ。可哀想に」

「しょうがないだろ。俺は他国どころか自国ですらあまり知られていないんだから」

「本当にざっくりしてるっすね。こういう時は……あぁ面倒っすね」


 レティが一歩前へ踏み出し、手をアルスへと向けた。


「こちらは我がアルファが誇る最高位……第1位のアルス・レーギンっす」

「うぇっ!!」




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