助言と戦略
観戦席が2階部分、そこから俯瞰するように全体の試合を見回していた。敵対する対戦学院の偵察という面もあったが彼に限っては別の意味で眺めていたというほうが正確だろう。
整然とした客席の中も試合が始まれば見たこともないような熱気に包まれる。始まって1試合目だというのにすでに喉を枯らす者さえいるほどだ。
「まぁ大凡成功だろう」
とある試合が終わったことでそう評価する。
アルスは同時に課題も見えてきたことに少なからず喜びを覚えた。
「アリスには今後空間干渉に対する課題といったところだろうな」
AWRの作製を試験的に行う意味合いも初戦には含まれていた。無論、試験的なテストは全てクリアしているため不具合などの心配はしていない。アルス自身で魔力の流動など細かい動作確認も綿密にしたのだから。
ただどうしても光系統のテストだけはアルスにもできないため、実際にアリスに使ってもらうほかなかったのだ。理論上は問題ないはず、それでもこればかりは机上の計算に他ならない。
試合に片が付き、満足いく結果にアルスは安堵のため息を吐く。
「ほえ~、アルファはレベル高いなぁ~」
そんな感嘆とも、小馬鹿とも取れる声が隣から漏れた。
アルスは視線を向けることもせず努めて無視しようとするがそれに応えたのは後につき従うロキだ。
「あの二人はアルス様の指導を受けておりますので」
「えっ! マジか!?」
金髪の清涼感溢れる好青年を思わせる男、ジャンが外連味をたっぷり含ませておどけた。
「とするとあの金槍はアルスが?」
答えるまでもないが一応目で肯定しておく。
とは言ってもアリスにやったAWRの性質はジャンの小球型AWRと少しばかり似ている。
「相変わらずハイスペックだな、たく! しかも唾付きとは」
「構わんぞ、連れてってくれるなら歓迎するが」
「いいや、やめておく。後が怖そうだ」
柵に肘を付き、ふてくされたように口を尖がらせるジャンはロキをチラリと見た。
既にジャンとロキの初顔合わせは済ませてある。とは言ってもやはり気になるのだろうか。実際の所アルスは孤高の魔法師としてのイメージがあるのだから――あながち間違ってもいないが。
「日々変化しつつあるということ、か。俺も追いつかれないようにしないとな」
「滅相もありません。ジャン様は3位を冠する魔法師……」
「そんなホイホイ変わられるもんでもないだろ。何年やってんだよ」
ロキの言葉を遮り、アルスの悪態にも似た呟きが吐かれる。実際、ジャンも含めてだが、シングルに座する者は今のところ2年以上は不動。ジャンに限っては3位という位置に3年以上も就いている。
「言ったろ、うちにもホープがいるって」
「で、そのホープとやらは?」
「今度紹介するよ」
アルスは内心で舌打ちする。そう易々とは教えてくれないということだ。仮にポロっと名前でも出してくれれば次にルサールカの第1魔法学院と当たったときは自分が相手をして早々に潰しておこうという算段である。
そんな益体もない……わけでもないことを考えていると背後のロキが知らせの言を口にした。
「アルス様、そろそろ出番のようです」
視線を手前に落とせば3ブロックの2試合目が予想に反して早く決着している。
アリスの試合終了後、すぐにテスフィアが試合入りしていた。最後までは見れないがしょうがない。どの道あの相手では苦戦すらしないだろうな、と赤い髪の少女を一瞥する。相手の力量で言うならばまだアリスの対戦相手のほうが強くはあった。まぁ背伸びした程度の違いしかないが。
アルスは面倒くささとともに様々なものを一緒にため息として吐き出す。
「いいぜ、お前が欠場するならうちは大いに歓迎だ!」
「言ってろ……とはいっても欠場の可能性は大いにあるな」
「…………」
ジャンはどう受け取ったのか、神妙な眼を瞬き程度の間アルスへと向け、すぐに柔和な顔で背中を叩いた。
「それは良いことを聞いたが、初戦を欠場じゃ洒落にならんだろ」
冗談めかした口調で「行った行った」とロキにも目配せをする。
アルスはトボトボと歩きながら背後に手を振った。
背中に目がないのでジャンがどう返したのかわからないが、呆れた顔でも浮かべているのだろうか。
アルスとロキが観戦席から姿を消すとジャンも自分の元首がいる個室に戻ろうとするが、その足は止まった――正確には固まるの間違いだろう。
観戦席にはジャンを見る憧れの眼差しが見渡す限り向けられていた。会話中ということもあり、遠慮していたのだろうか。もちろんジャンも気づいていたが極力何をするでもなかったので無視していたのだが、一人になったことで容赦ない憧憬の眼が突き刺すように浴びせられている。
優しそうなイケメンフェイスがシングルと相まって熱狂的なファンがつくほどの人気がある、それはルサールカ内だけの話ではなかったようだ。
試合もそっちのけである。ざわざわと小声が湧き、「ジャン様よね」「えぇ、そうだわ」「間違いないわ」など大半が女性の声であるが、何か狂信じみたようにわらわらと立ち上った。ゾンビのようでもあり、一番槍を切った者がいれば関を切って怒涛の勢いで押し寄せることは間違いない。
ジャンの頬に冷たい雫が伝い「俺も試合を始めるか」と頬を掻く、ポケットから錬金塗料が入ったペンを回転させながら取り出した。魔力を媒体にインク切れをきたさないというチンケなものだが、持ってきておいて正解だったとサービス精神満載で口を開く。
「はい。一列に並んでくださいね」
まさに経験者の手練手管を披露し、掌握する。
(やっぱり今度から変装しよう)などと行列の最後尾が見えないことに時間を確認し愕然とするのは言うまでもない。
♢ ♢ ♢
アルスの足取りは重い。見かねたロキが手を引くのは焦りからだろうか。少し頬が緩んでいる気もするが。
すでにアナウンスにより名前が呼ばれている。開始時間を考えてもアルスの計算ではギリギリ間に合うのだが、そんな計算を周りは看過できないだろう。
控室に着くと真っ先にロキが中から漆黒のケースを持って戻る。
重たそうに抱えているがこれは小柄のロキが大きめのケースを抱えるように持っているためそう見えるのだ。いや、本当に重いのかもしれないが。
そのままロキに手を引かれながら試合会場へと向かう。中腰になるのは身長差のせいである。
選手たちをすり抜けながら会場に着いたとき入り口前で二人の少女が仁王がごとく立っていた。
「遅い!」
そこにはテスフィアもいる、試合がすぐに終わったのだろう。負けたとは考えづらいし、あの言いようである。負け犬の態度でないのが癪だが仕方あるまい。
アリスはぐるぐる巻きにしたAWRを抱えながら苦笑で迎え撃つ。
「間にあってるんだから文句はないだろ!」
「心配させるなってこと」
と言われてしまえば反論を探すのは難しい。
「ア……アル、それより、係員に照合を」
「観戦してるからね」
そのためにここで待っていたのだろうか。
アルスは本人確認を済ませて入場口に向かった。「いってらっしゃいませ」というロキの毅然とした声音が背中を押すが、アルスは涼しく手振りで返す。
「あっち空いてるみたい」
テスフィアが見つけた場所は良い具合に人垣が割れていた。
とは言っても美少女三人が通れば人垣ができるのは学院でもよく見る光景だ。ここでも例外はないようで、特に男子は可憐な姿に魅せられ制止した。
花が咲いた瞬間である。しかしながら、この場で想いのまま行動にでる強者はいない。遠巻きに見ることしかできないのだから、目の保養といった具合なのだろう。見れば見るほどに勇気という名の花弁が散って行く。それでもこの場を離れようとする男はいないのだから、しょうもない生き物である。
そんなフローラル――といっても高嶺の花――な空間とは違い緊張が立ち込めるVIP用観戦部屋。そこには総督階級や各国元首がやっとかという面持ちで待ちかねていた。
対戦の組み合わせがスクリーンに選手名を映し出す。
各部屋で緊迫な空気が蔓延するが、当然そこに値踏みの類は見て取れない。単純な好奇心と言えばいいのだろうか。シングルの戦闘など滅多に見れるものではないという思いもある。
それが今まで素性が明らかでない1位ともなればなおさらだ。国を空けてでもという価値がこの大会にはあった。7カ国で最も戦果を上げているアルファの主戦力であるのは間違いない。その解明がここに集う者が抱いている共通の目的である。
三人はそこまでの距離があるわけでもないため、特段急ぐことをしなかった。周りの熱い視線が鬱陶しくもあったがこの場は何故か上品さが要求されている気がしたからだ。
そうこうしている内に開始のブザーが鳴り、小走りに観戦スペースに向かう。
「ぐあああぁぁ!!!」
そんな聞いたこともない男の悲鳴が近くで鳴る。反射的に周囲を見回してしまうがそれらしい人物は見つけることが出来なかった。
「なんだったんだろう」
聞き違いにしては並々ならない悲鳴に聞こえたのだ。
キョロキョロと見回し続けるとロキがスペースに向かう足を止める。
「どうしたの? 急がないと」
「いえ……」
と振り返った。
「えっ! なんで? どうしたの?」
テスフィアが出入り口から出て来た見慣れた男に瞠目する。
アリスも似た表情で最悪の事態を想定して、駆け寄り恐る恐る問う。
「もしかして間に合わなかった!!」
青白くさせたアリスの表情を見てテスフィアも「嘘!?」と叫んだ。
「んなわけあるか、終わったから出てきたに決まってるだろ」
中空に下げられたスクリーンの一つを指差す。それは第2魔法学院の勝利を表示しているが、問題はそこではない、そんな表示あったっけというタイマーが右下に付いている。
『00:05』という驚異の試合時間がひっそりと浮き上がる。
歓声はない。
呆気ない幕切れは観戦する者の期待を裏切ったと言える。鎬を削るギリギリの戦いこそヒートアップするというものだ。彼らが聞いたのは開始と同時に吹き飛んだ選手の悲鳴だけである。
本音を言えば反応に困ったということだろう。沈静化したのは失調感を抱いたからにほかならない。
観戦に来ている以上、熱に浮かされやすい側面はあったのだろう。誰かが「ご、5秒……」という言葉が零れた。それは小さくあったが良く通った。続いて「うおおぉぉ五秒ってなんだよ!」とか奮起させるように時間を強調し始めると後は雪崩の用に次第に伝播し始めるだけだ。
指笛が鳴ったのはそんな時だ。立ち上り罵声にも似た声援が上がる――やはり失調感のせいか統一性はなく雑然としているのは仕方がない。
「わかってはいたが、シングルの力をこんな所で見れるというのは期待し過ぎたか」と思ったのは総督らの結論だ。
警護の高位魔法師が解説とばかりに驚愕を滲ませて口を挟んだ。
「魔力弾とでも言うのでしょうか。魔法ではありませんねあれは」
開始と同時に指で何かを弾いたのを見逃さなかったが、それこそ小石でも弾くように簡単にやってのけても、誰にでもできる芸当ではないと彼は知っている。
恐ろしく速いそれは対戦相手が可哀想になるほどで、目を回しているが気がついても何をされたのかわかるまい。
「それよりも、一試合目のアルファの……」
「えぇ、1年生とは思えない技量ですね。将来有望です。恥ずかしながら私があの歳の時はもっと下でした」
自嘲気味に言う彼が2桁魔法師という位階を考えれば確かに有望である。
「そうか、ならば挨拶でもするべきだな」
「そのほうがよろしいですね」
アルスはそのまま控室に戻らず、ロキの試合時間まで偵察がてらに試合観戦をしていた。と言えば勤勉に映るが、実際は退屈以外の何物でもない。
「アル、では行ってきます」
「あぁ、早めに終わらせて控室に戻ろう。少し状況の確認もしたいしな」
「畏まりました」
何かが閃いた。
誰もが一瞬目が眩んだに違いない。
バチッという雷撃が鳴ったのは一度、それ以降鳴ることはなかった。
アルスは少しだけ後悔するのだった。相手にも華を持たせるべきだったのではないだろうかと。初戦に瞬殺は可哀想過ぎたのかもしれない。傷心というほどではないが悪いことをした、謝るというのは皮肉なのだろうな。
せめて優勝するから、仕方がなかったと割り切ってもらうしかない。
アルスと同じぐらいの試合時間を経て、二人は控室に戻った。
中には次に2年生の試合が近いこともあり、準備に取り掛かっている。二人の勝利に対する賛美は意外にも明け透けなく浴びせられた。
アルスに関しては少しばかりギクシャクしていたが、勝ちは勝ちだということらしい。
控室にも全試合が観戦できる液晶画面がある。
「お疲れ様です」
喜々とした満面の笑みで出迎えられたアルスとロキは軽く目を伏せる。
二人の勝利はフェリネラでも計算に入れていたはずだ、となれば1年生総合での嬉しい結果ということだろうか。まだ全試合終わってないはずだが。
「1年生がこれほどの好成績を上げてくれました。続く私たちがみっともない結果では上級生としての立場がありませんね。気を引き締めて掛かりましょう」
プレッシャーというよりも彼らの顔は優勝に近づけるという闘気が宿っている。
蛇足だが、テスフィアにアリスは観戦しており、情報収集中だ。
「なんとか勝ちましたぁ~」
空気を弛緩させかねない、緩み切った声音は疲労のためだろうか。
棒型AWRを杖代わりに控え室に入ってきた女性徒。
「お疲れ様、シエルさん」
「なんだ、そんなに手こずったのか?」
ばつの悪い笑みを浮かべて頬を掻いたシエルは「ハハハッ」と椅子にへたり込んだ。
「緊張し過ぎて、魔法が発現しなくて……接近戦で慣れてきたらいつも通りできるようになったんだけど、危なかったぁ」
決して笑いごとではない。魔法の発現が上手くできないという未熟丸出しな失態だが、まったくないと誰が断言できるだろうか。シエルが勝てたのは運が良かったと言う他にない。
そんな警告を受けた上級生は手に何事かを書いて呑み込む者も少なくなかった。
「となると、一年では今のところ10人中5人が勝ち進んだのか」
アルスの知る限りではであるが、確認のためにわざと口にしたのだ。
案の定察してくれた。
「いいえアルスさん。1年生は残りの一試合を残して8勝を得ています」
「おおぉ~!!」
どこからともなくそんな感嘆が漏れた。一体感を感じさせるそんな光景である。
シエルは汗をかいたのだろうハタハタと服に風を送り込む。
男どもの喉鳴らす音が聞こえたからだろうか。
「シエルさん、一先ずシャワーで汗を流してきなさい」
「え! あ、はい!」
呆れながらフェリネラが下級生に窘めるような口調で勧める。ギクリとした上級生の取り繕えない顔があったのは言うまでもないことだろう。
続いて「試合が近い選手は移動を始めてください」と空気を一新する。
アルスは控室内の選手が少なくなるとフェリネラの元へと向かい。
「それで、いましたか?」
敬語に眉を顰めそうになるフェリネラ。しかし、TPOを弁えた方便であるのは理解しているため、切り替えも速かった。
「いえ、今のところは……」
「となるとシード枠で温存ですか」
アルスは余計なことを吹き込んだな、と金髪のシングル魔法師に悪態を吐きたい気持ちを呑みこむ。
定石として強い魔法師はできるだけ多くの試合を踏ませポイントを取るはずである。ルサールカには前回優勝としてシード枠が設けられているが、これも勝ち目の薄い選手を宛がうほうが不戦勝分の5ポイントが自動的に入るため最良だ。
問題はアルスがいると知っている場合、これは早々に潰されないためシード枠で温存。枠が狭まれば仕方ないが極力第2魔法学院との組み合わせに出すことはないだろう。
だからといって現状第2魔法学院が打てるのはアルスをルサールカの第1魔法学院にあてることだ。
つまるところ第1魔法学院はアルスというシングル魔法師の存在を知っているために、ホープとやらと当たらないように考慮した組み合わせにしている。
初戦の相手も第1魔法学院だった。
「仕方ないですね。2戦目以降は出てくるはずですし」
「お願いしますね」
フェリネラとのやり取りで1年生の組み合わせはアルスも口を挟んでいるのだ。
気さくに話す二人に訝しげな視線を向けてくる者。フェリネラの隣に立つ2年生である。確か、選考委員でも副会長であり、そのままサブリーダーとして戦況の確認をしているはずだ。常に彼女の隣にいるが、口を挟むことは一度としてなかった。単にロキを引き連れているからなのか、フェリネラの友人と認識されているのかは不明だ。
アルスは仕方がないと暇な時間を有効活用するべく、退出。端的に言えば寄るところがあるのだ。
控え室が丁度地下にあることを考えれば2階分上がる。そこは個室というには少々広い。向かう途中の通路正面には扉があり、その脇には手練れだろう魔法師の警備が2人、それ以外にも観客にまぎれた警備員もいた。
さすがに顔パスで入れるとは思っていない。アルスはロキを連れて声を掛けられる前にライセンスを取り出して見せた。
「どうぞ」
怯えを孕んだ声は震える。
これが他シングルとの扱いの違いなのだろう。それでもレティなんかは憧れの的だと聞いたこともある。ということはアルスに限った話なのかもしれない。
軽く手を振り、ロキも後に続く。
階段を少し登り、更にもう一つ重厚というよりも頑丈そうな扉が立ち塞がる。そこにも似たような手間を加える。次からは顔パスであってほしいものだ。
ノックをすると中から張りのある声で入室を許可する声が届く。
開かれる扉の先は煌びやかさには欠けるが赤い絨毯が敷かれ、対魔法、耐圧、等々のガラス張りの部屋であった。そこから全ての試合が一望できるが、真正面に据えられた巨大スクリーンで観戦しているのだろう。
清涼感を感じさせる抜けるような澄んだ空気だ。香りが付いているわけではないが、階下のむわっとした空気とは雲泥の違いがある。
4人のメイドが壁際で控え、2人の高位魔法師が背筋を張って直立していた。見覚えがある顔だ、誰かさんの部下であるのをアルスは思い出す。
そしてガラス前に三脚の革張りのチェア。
約一名は背もたれを倒して、スースーと寝息を立てている。細いおさげがチェアから垂れ下がっていた。
「やはり来たか」
厳かな掠れぎみの声は歳を感じさせる。
アルスがここへ来た理由は彼がいるからだ。観戦しに来たにしては不自然な点が一人寝息を立てる女性にもある。
「観戦しにきわけじゃないだろ?」
「藪から棒だな、勇姿を見に来てやったのに……」
「んな暇はないだろうが、こいつまでここにいるとなればただ事じゃない」
アルスは椅子をゴツンと蹴っ飛ばし、それでも起きない女性のおでこにデコピンを食らわす。
「わっ! なんすか!」
ジワリと額の痛みが訴えたのか少し赤くなったおでこをさすりながら、ワザとらしく目を潤ませる。
「ひどいっすよ。アルぐ~ん」
「わっ!」
バッと立ち上り、膝を折りながらアルスのお腹に顔を擦り寄せるまでの動作は小動物を思わせる自然なものだった。少しばかりデカイが。
「気持ち悪いぞレティ」
「え~いいじゃないっすか。久し振りなんだし」
レティ・クルトゥンカ。アルファの誇るシングル魔法師が一人だ。嬉しさなのか、痛みからなのか情けない姿ではあった。
嫉妬の炎に焼かれながらロキは黙する。後ろに手を回し、肩幅だけ足を開く、軍属に相応しい待機の姿勢だ。パートナーであるが、ここにはレティだけでなく総督と……。
「こんにちは、アルス。あなたから会いに来てくれるなんて珍しいわね」
黒髪の絶世の美女。シセルニアは真黒な扇子で口元を隠すが、その目は薄く細められている。隠されても口元は孤を作っているのが丸分かりだが。
アルスの予想とは違い実際は裏表のない喜色の孤であった。
「アルくんは私に会いにきたっすよね」
「違う!」
まさにガーンの擬音が相応しい顔である。入口に控えた部下の魔法師2名は失笑を堪えているようだ。しかし、レティのキリッとした冷ややかな視線に急いで姿勢を正す。
「お? おぉ~このちっこいのがアルくんのパートナーを射止めたっていう子っすね」
「は、初めましてレティ様。ロキ・レーベヘルと申します」
ロキにしては表情は変わらないものの、緊張しているのが丸分かりだ。
「ロキちゃんっすか。か、可愛いっすねぇ。おじさんに悪いことをさせちゃう愛らしさがあるっすね。総督、変な気を起しちゃダメっすよ」
「孫に近い歳の子だぞ。変なことを言うな」
「ロキ、こいつに様付けはしなくていいぞ」
「うぇ! それは無いっすよアルくん。私もこれでお姉さんなのですから~? 威厳というものがですね~」
前に垂れていたおさげを後ろに放り、尊大に胸の前で五指を立てた。
またしても部下の2人がそんなレティに対して肩を震わせ――。
「うん。ちょっとサジークにムジェル……外行こうか」
親指を立ててクイッとジェスチャーを送る。
ぶんぶんと顔が飛んでいきそうな勢いで謝意を込めた直立を披露した。
ため息を吐くと冗談めかして、立てた親指を首の前で横に切った。次やったらという警告だ。本気かどうかはわからないが効果はあったようだ。
「茶番はその辺にしてくれレティ」