密偵
市街地においてこの国ではどの大国にも引けを取らない活気に満ち溢れていた。
朝市が立ち、様々な店が軒を連ね始めるのだ。その中には食糧から衣類、貴金属を扱う店まで豊富であり、こういった一つの大都市に密集しているのはアルファではまずお目に掛かれないだろう。
そこで気付くことがある。所狭しと建物が犇めき合い、舗装された道路は狭い。
そう7カ国が一つ【バルメス】は他国に比べて領土が狭いのだ。その上、人口は変わりないのだから密集率が高いのはバルメスの特色だろうか。
喧騒にも似た賑わいとは一変した暗然たる雰囲気を溜めこんだ場所があった。
そこはまさに外界とを壁一枚隔てたような距離にある。バルメス軍本部である。どの国も同様に外界の最近に本部を建てているのだ。これは国民を第一に考えた配置であるのは言うまでもない。
ことバルメスに限っては本部と防護壁との間に分厚い鉄の壁を建造しているのだが。
いつもならば多少なりとも軍務関係者の話声でも聞こえてきそうなものだ、魔法師の数が少ないとはいえ、これまでも何とかなってきたのだから極端に少ないということはない。
ないはずなのだが、軍本部内は疎らであり、どこか閑散さを感じる。通る魔法師たちの顔は皆下を向き、絶望色に染まっているかのように陰が落ちている。
その理由を彼らは知っていた。いや、正確には知らされていないが、予想は付く。
その予想は本部に詰めている者全てと一致していた。そして不幸にもほぼ的中していると言えた。
午前中の真昼間。
会合が行われてから7日が経つ。
軍本部、その一室で情報を交換する二人の姿があった。
何においても革張りが目に付く一室、広い正方形の部屋は中央にスペースができていた。それも棚やちょっとした小物が壁際においやられているからだろう。
来客用のソファーは3人掛け、しかしそれとは別にソファーの後ろのスペースに置かれた円卓、2脚の椅子にそれぞれ座り二人は顔を向かい合わせていた。
テーブルの上にはバルメスより外、つまり外界の地図が開かれていた。詳細に記載されているものの、一定範囲からは別の色で点線が引かれている。拡大したとかではない。単に未開なだけだ。バルメスに限らず世界地図は100年以上更新されていない。
険しい顔の二人の内一人はバルメス元首、ホルタル・クイ・バルメス。恰幅の良い体躯に薄くなった髪を短く刈り上げている。まさに中年の男だ。温厚そうな顔つきだが、その眼光は母国バルメスのためならば何でもできる覚悟を宿していた。
「ガガリード、お前の言ったように会合で勧誘の承諾を取り付けて来たぞ」
「ありがとうございます。ホルタル様」
慇懃に腰を折る。ガガリードと呼ばれた男はホルタルと比べると老けて見える。
しかし、その身体は逞しく軍の制服がきつそうですらあった。
角刈りの短髪にぎらついた眼差し、見るからに武道派な体躯だ。
ガガリードはバルメスの軍最高司令、総督に就いている。
本来であれば会合後にすぐガガリードはホルタルの元へと参じなければならなかったのだが、現状は軍本部を離れるわけにはいかなかったのだ。そのためホルタルが出向くという事態になってしまったが、理解はいただけているはず。
「それよりも調査隊はどうなった、やはりダメだったのか?」
苦い顔でホルタルは問う。訊かずにはいられないほど重要なことなのだ。
円卓を対面に囲んだ二人、ガガリードは目を伏せて首を横に振った。
「わかりません」
「どういうことだ!!」
バンッとテーブルを叩いたホルタルは歯をギリッと鳴らす。
「……調査隊との連絡も途絶え、誰一人帰ってきませんでした」
「なっ――!!」
睨みつけるように細められた目が限界まで見開き、一拍置いてホルタルは放心したように椅子の背にどっと凭れかかる。
事は二か月前になる。外界、バルメスの北東20km付近にとある鉱床があると帰還中の隊からの報告が入った。
過去の資料や地形、持ち帰った金属塊がミスリルだと判明するのにそう時間はかからなかった。どれほどの埋蔵量があるのか未知数ではあったがバルメスにとって恐ろしいほどの利益に繋がる可能性があるのは想像に難くない。
ホルタルとガガリードはすぐに隊を編成、過去に類を見ないほどの高位魔法師を導入した。その中には唯一のシングル魔法師ダンカルを始め、元シングルで現在は20位のジリーダをも組み込んだ。
300人近い魔法師を導入したのは鉱床までの魔物を掃討、鉱床一帯を確保するため。
事前の探査で高レートの魔物が潜伏してる可能性はあったが、これだけの魔法師を動員すれば取るに足らないはずだった。
「討伐隊の連絡が最後にあったのは」
「14日前です」
「生存率は」
「………………数%かと」
ガガリードもそれだけはと思いながらもゼロとは言えなかった。
全滅、それだけは言葉に出来ない。
「今回動員した魔法師はバルメスの戦力7割に相当します」
「…………」
ホルタルはテーブルに視線を落とし、目頭を強く摘む。
「やはり他国に協力を要請すべきだ」
「ホルタル様、それではバルメスが全ての国に対して負い目を……それでは他国の傀儡」
「だが、このままではバルメスが危機にさらされることになる。300もの魔法師……いやいや、全てとは言わなくとも壊滅的なダメージのはず、そんな惨劇を起こした魔物がいたとなれば……バルメスだけの脅威では済まなくなる」
「今のところその心配はないかと。戦闘があったと見られるのは鉱床の付近、調査隊もその辺りで通信が途切れています。つまり、魔物は動いていないということになります」
「そうは言ってもいつ動くか、その時に対処出来ないのでは同じことだ」
「もちろん私も同意です。ですが時間さえあれば魔法師を集めることも可能ですし、まずは国力を回復させなければなりますまい」
「そんな何年も悠長なことを言っている時間はないはずだぞ」
「あの場で確認された最高レートはAが6体のはず、楽観視することはできませんが、ダンカルもいることを考えれば勝率は100%……」
ホルタルは苛立ちを隠そうともせずに飛沫を吐きながら荒々しく口を開いた。
「なら、何故誰も帰って来ん! 何故報告がない!」
「身動きができないか、それとも……」
ガガリードは最悪の事態をちらつかせる。その可能性が高い以上想定しなければならない。
「一体何が起こったのか。どちらにしても最悪、クラマに依頼するしかございません」
「ガガリード!!」
禁句である言葉にホルタルは叱責にも似た声を上げた。
「体面を気にしている場合ではありません。奴らは存在し、金で動いてくれるだけマシでしょう。他国にこの醜態を知られ庇護を受けたのでは7カ国が6カ国になる可能性すらあります」
「それだけはできん!」
クラマという組織が存在する。構成員は様々で大規模魔法犯罪者から、元シングルナンバー剥奪者。
魔法犯罪者組織としてブラックリストに載っているものの、幹部にいる5名の魔法師はシングルに匹敵すると言われているため、手が出せない。何よりもクラマの拠点すらわからないのだ。
では何故未だに壊滅していないのか。それはクラマという組織の在り方が問題なのだ。クラマは犯罪者を受け入れてはいるものの犯罪を犯さずに各国の裏の仕事を正当な報酬で請け負っている。重鎮に顔が利くこともあり、特に弱小国であるバルメスやハイドランジなどは繋がりがあるとされている。無論元首が絡んでいるということでもない。
しかし、この場合ホルタルはそんな犯罪者集団に頼るほうがよほど醜態を晒すと思った。元首であるホルタルの顔に泥を塗るだけならまだしも、バルメスの汚点になることは間違いない。
ましてや相手は何をしてくるかわからない犯罪者。法外な報酬だけでなく国を内部から食い潰されても不思議ではない。正当な報酬とは言え犯罪者相手にどこまで信用できるか……いや、端っから信用はできまい。
「ガガリード、貴様!」
「取り繕っても仕方がないことです。バルメスの一部の貴族は関係を持っています。もちろん彼らもバルメスを思ってのこと。確かに過去、クラマという確証はありませんが助力を仰いだこともあります」
悪びれもなく、滔々と並べ立てる総督にホルタルもいつしか怒りの中に最終手段の一つとして脳内に上がってた。それでもという理性は一線を越えさせない。
ホルタルよりもガガリードのほうが魔法に精通している分今の事態をより深刻と判断してのことだった。
普段は汗でハンカチを欠かせないホルタルだが今回はそんな暑さより冷たさが背中を伝う。
「今のは聞かなかったことにする。今は現状の確認を優先しなければならないだろ」
「わかりました。ですがホルタル様、私の考えは変わりませんぞ。バルメスが属国となるのは我慢ならないのは私だけではないはず」
「私とて望んではいない。だから今は現状を確認しなければならないのだ。生存者がいる可能性も捨てきれんしな」
「えぇ、諦めるのは早いです」
互いに励まし合うように言葉を並べてみてはいてもその顔は藁にも縋るものだった。
そんな会話が一端途切れた頃、机の隅に設置してある通信機に受信を知らせるアラームが鳴った。
ガガリードは鬱陶しげに思いながらもホルタルに許可を得てカード型の通信機を取る。
「今会議中と伝えたはずだ」
『失礼します。至急お伝えしたいことが、討伐隊の生存者が1名帰還しました。緊急医務室で手当てを受けています』
「――――何! すぐに向かう」
受話器を投げるように放るとホルタルに向かって帰還した者がいるとだけ簡潔に伝えた。
「私も同伴して良いかね」
「無論です。すぐに向かいましょう」
ガタンと椅子が弾かれるように立ち上ったホルタル、ガガリードはそのまま扉を勢いよく開けた。
「きゃっ!!」
丁度扉の前にいた女性が飛び出してきたガガリードにぶつかり尻もちを付くように倒れた。
給仕だろう、見慣れた制服に身を包んだ妙齢の女性だ。その手には今下げて来たのか、それとも今向かう途中だったのか、お盆の上で伏せられたグラスの中身は僅かも液体が残っていない。
「邪魔だ!」
「申し訳ありません!!」
女性はすぐに姿勢を正して何度も頭を下げた。
ガガリードはそれどころではないと一瞥しただけで身体を反転させ駆け足で離れていく。その後をホルタルが無言で追従する。
だが、先導するガガリードは少しだけ後ろ髪を引かれる気がした。それは些細な違和感程度のモノだったため、振り向く間すら惜しみ足を動かす。こんな非常時でなければすぐに気付けたはず……倒す程の衝撃があったのにもかかわらず給仕の女性はグラスを床に落とさず、盆の上でカチンと擦れる音だけが微かに鳴っただけ。
廊下を猛進する二人の顔を見た者たちはすぐに脇にずれて敬礼をする。さも当然のように足早に素通り。規律に厳しいガガリードのこんな姿を見ればただ事でないことは一目瞭然だろう。
緊急医務室に入ると、ベッドの上でボロボロになった男が呻き声を上げ、3人の魔法師に治癒魔法を施されていた。治癒魔法とはいえ細胞を活性化させ自己治癒能力を促す程度で致命傷となる傷は覆すことができない。
そしてベッドの上の男はというと、片目を刃物のようなもので三か所深く切り裂かれ、裸足だったのだろう脚の裏は傷だらけで真黒になっている。そして左腕のあるべき場所には包帯がぐるぐるに巻かれ、肩から先のあるべき腕がなかった。
ガガリードは治癒魔法を施している一人に目を向ける。すると額に汗を浮かび上がらせた魔法師は首を左右に一度だけ振った。
「もたせろ」
そう告げると男の前まで歩み寄り問う。
「何があった。他の連中はどうした」
「ぜぃ……し……」
「なんだ!?」
掠れそうな声で呟かれた。
ガガリードはベッドに手を置き、乗り出すように耳を男の口元に近づけた。
すると男は最後の力を振り絞るように残った片目を見開き、右手でずいっとガガリードの服を掴んだ。
「全滅、A一体……ずみません、ジリーダさま……逃がしてくれました」
「そうか、御苦労だった」
しかし、男はそれで力を抜くことをしなかった。その眼は悲嘆の涙で潤んだが、ガガリードを力強く見ていた。
「ジリーダ……さ……まから……ことづて……です」
ガガリードは更に耳を近づける。一言足りとも聞き逃すまいと息を呑んだ。
「新種……悪食」
「――――!!」
男の最後の言葉を聞いたのはガガリードのみだった。
♢ ♢ ♢
ガガリードとぶつかった女性は足早に駆けていく二人の背中を一顧だにし、給仕の制服の裾を払い反対側へと歩を進めた。
後ろでに纏められた髪を微かに揺らす。その顔には先ほどまでの動揺は一切見られない。
盆を片手に持ち、誰もいないことを把握すると髪に隠れた右耳へと意識を向け。
「さすがヴィザイスト卿、急いだ甲斐がありました」
『リンネ殿の力があればですよ』
耳に嵌めた通信機の向こうの声も収穫ありと告げていた。
『科学の力も役に立つ』
「えぇ、侮れませんね」
リンネはガガリードとぶつかった際に服に盗聴器を忍ばせておいたのだ。
無論気付かれないための措置はしてある。
「さすがにガガリードの部屋には魔法による盗聴などの対策が講じられておりましたので」
リンネの眼ならば覗き見ることはできても盗聴まではできない。そのため単純な機械を使って中の会話を盗聴していたのだ。この場にいるのがヴィザイストならばそれも可能だが潜入するには歴戦の顔は悪目立ちしてしまうだろう。潜り込み易さで言えば給仕が無難であり、女性であるリンネならば上手く経ち回れるため、適材適所だ。
「一度合流しましょう」
『では予定の宿で』
通信がふっと途切れる。
リンネは給仕を演じ、さも当然のように廊下を優雅に歩く。
その夜、市街地の近郊にある古宿で諜報員たちが一室に集まっていた。
その中には隊の隊長ヴィザイストと精鋭の部下5名にリンネを加えた計7名だ。
「きな臭い事態になったな」
ヴィザイストは盗聴から大凡の推測が正しいと見ていた。残念なことに科学とは言っても万能ではない、最後の会話は帰還したという男の声が小さいこともあり聞き取ることができなかったのだ。
顎を擦りながら渋面を作ると、一先ず報告を聞くべきと意識を部屋内へと向ける。
「こちらも討伐隊が組まれたのは間違いないようです。ただ様々な憶測が飛び交って錯綜していますね」
「こっちは市街地を探ってみましたが、ほとんど……いえ、全てといって良いほど市街地に情報は流れていません」
「情報を封鎖しているということだな」
ヴィザイストが整理し、思索に耽る。
「やはりこれだけでは正確なところまでは掴めんな。十中八九黒だが」
「どうしますかヴィザイスト卿。外界へ出て確認しますか」
リンネが一応の提案をしてみる。無謀に感じるが一番てっとりばやくもあるのだ。自分の眼を過信しているわけではないがなんとかなる見積もりはあった。
「いや、それはやめよう。リンネ殿の実力を疑っているわけではないが、少数に装備も万全でない現状ではリスクが高すぎる」
「わかりました」
「リンネ殿、期日は7カ国魔法親善大会までと聞いているが間違いないかな?」
「はい、それまでに一部でも情報を持ち帰れれば良いのですが」
「それは難しいだろうな」
ヴィザイストの目が部下の一人に向いた。
「はい。隊長の予想通りです。国境付近の警備が増えつつあります。魔法師ではないようですが」
「ということだ。国外に漏らさないようにしているのだろうな。できれば全員で一斉に抜けるべきだ」
行きはヴィザイストの知り合いである貴族を使って不法入国することができたが、それも入国の時だけの手助けということになっている。その中にはバルメスのライセンスを借り受けたという違法も含まれる。リンネが軍本部に潜入することができたのもそのおかげだ。
「では期日までに出来るだけ詳細な情報の入手。至急要件として、魔物の数、特に6体いるとされるAレートの残存数だ。討伐ではジリーダが死んだ可能性が高い。死体の所在までは知り得なかったが。9位ダンカルの情報も忘れるなよ。リンネ殿はこのまま本部に潜伏してもらう」
「わかりました」
ヴィザイストはもう一つの懸念材料に注意を払う必要を伝える。
「リンネ殿、軍部でクラマの依頼が本格化したら至急連絡を……その時点で撤収します」
「クラマという名は存じあげないのですが、それほどなのですか」
「奴らはイカれてる。犯罪者を抱え込んで犯罪がないはずはない。アルファではブラックリストのトップにあるぐらいだ。確証はないが魔法犯罪を裏で糸を引いている可能性が高い組織だ。一級犯罪者ばかりなのが厄介な連中、そんな奴らの手を借りればツケはバルメスだけでは済まないかもしれない」
「肝に銘じておきます」
「頼む」
テロや大規模魔法犯罪が起こった際にまずクラマの関与を疑うのが常になっているほどだ。
ヴィザイストは部下の一人に逃走経路の確保を命じた。
(バルメスのトップが愚行を犯さないよう祈るか)
「鉱床についても情報を集めるか」
「隊長、それは位置的な情報でしょうか」
「いや、ミスリルが取れるというのはリンネ殿のおかげでわかったが、規模なども欲しいな。鉱床の中にも魔物がいるかもしれん」
リンネがヴィザイストの予期を察知する。
「つまりは鉱床内部だと探知できない可能性があると」
「それもある」
ヴィザイストは思い返しながら口を開いた。
「鉱床に関しては問題の場所ということもある。だが、少し引っ掛かる部分はあるな」
「と言いますと?」
リンネが問わずともこの場の全員がヴィザイストに視線を向けていた。
「同じ場所にAレートが6体というのは珍しい。ましてや20kmと言えば遠くない距離だ」
Aレートの魔物は群れることがない、まったくとは言わないが6体ともなると……。
それどころか縄張りを持つような強力な魔物だ。過去にないことはないが、その時は更に上のSレートが一帯を支配していたはず。
ヴィザイストの脳内ではSレートがいる可能性を視野に入れていた。
実際は新種のAレートだと情報が入ったのは数日後のことだ。正確なレート判別を高位魔法師が行ったのならミスはないが、ただのAレートに壊滅させられたと鵜呑みにできるほどお気楽ではない。
次話の更新予定は24日です。