指導者は実戦派
立体映像として映し出された薄い画面には1/119550とそっけない一桁が浮かび上がっていた。
「うそっ!!」
「――――!!」
思わず声を上げたテスフィアと声すら出てこないアリス。
「わかったかしら」
「……えっ……え、こいつが……でも……」
器用に顔を理事長へと向けて指でアルスを差すテスフィア。
一桁魔法師、十万人以上いる魔法師でも九人しかいない。その中でも最強の一番。
それは現魔法師の頂点だ。言葉にならない呻きになってもおかしなことではない。
「ふふっ……面白い反応ね。私も彼のプロフィールを見たときは驚いたわ」
「えっ、だって同い年……」
未だにテスフィアの指はアルスの顔面に向けられている。
魔法を本格的に学ぶのは学院に入ってからだ。無論テスフィアのような貴族だったりと例外はある。アルスに関して言えばさらなる例外だ。だから本当に魔法師としての才覚が開花するのは卒業後からなのだ。
なおのこと一桁魔法師が自分と同じ歳であるはずがないとテスフィアは引っかかりを感じていた。
しかし、厳然とライセンスに表示される1位の二文字が圧倒的な存在感を出し、裏打ちするように理事長までもが認知しているとなれば疑う余地など微塵もない。
驚きのあまりまともな言葉を紡げないテスフィアとは対照的にアリスは少し冷静さを取り戻していた。
アルスはそれを不可解に思って、自慢したいわけではなかったが尋ねた。
「アリスはあんまり驚かないんだな」
「……え、はいっ! 何か」
十分驚いていた。砕けた言葉はどこへやら。
「そんなに畏まらないでくれ、逆に俺が困る」
「……う、うん」
照れたような崩れた表情へと変わるが、それでもまだ少し堅いようだ。
「アルス君は例外ね。今回のいざこざの原因が何かはわからないけど、彼は第一線で多大な功績を残しているから……貴方達とは価値観が違いすぎるのかもしれないわね」
そう理事長に言われ、ジト目でアルスを訝し気に見つめるテスフィア。
完全に疑わしいと言わんばかりの視線がアルスを刺す。理事長よりも凄いはずなのに対応の違いは、今しがたまで敵対していたからというだけではないだろう。
テスフィアは放っておいて。
「それより、順位を秘匿するように言ったのは理事長だったはずですが」
「気が変わりました。この二人には教えてもいいと思ったのよ」
何故というアルスの疑問は気まぐれという理屈もへったくれもないもので片づけられた。
「二人も他の生徒や先生方には口外しないように」
「……はい」
「わかりました」
テスフィアは未だに釈然としない返事を返し、アリスは即答だった。
言質を取った理事長は続ける。
「アルス君、あなたが研究をしているのは何故かしら」
突然の問い、しかしその口ぶりはすでに知っているようだった。敢えてアルスの口から言わせたいのはこの二人に聞かせるためだろう。
「自分が楽をしたいからですが」
「「……!!」」
二人は茫然とし、理事長は訳知り顔で溜息を溢した。
アルスの功績は異常だ。当然理事長も把握している。
十六歳から大人として扱われる現代でアルスは現在十六なのであり、魔法師は学院を卒業してから一人前と認められる。つまり、世間では子供として定義される歳に幾度も魔物の跋扈する外界へと放りだされている。それが異常でないはずがなかった。
軍上層部の考えは常に防衛と領土の奪還だ。戦闘力の高い魔法師を遊ばせてる余裕などないのだ。幼少の頃より軍事教育を施されて育ったアルスは魔法の資質もあり、すぐに実戦投入された。
その結果としてアルスが今退役を申し出るのも致し方ないとシスティは考えている。
国営である第2魔法学院に入学させるようにお達しが軍から下されたとき、理事長には同時に人類のためにと聞こえの良い理由でアルスを戦場へと向けさせるようにとの命令まで下った。
システィは憤りを覚えて机を叩いたほどだ。
そのために自分は優秀な魔法師をこの学院から多く輩出させてきたのに、業突く張りな上層部はたった一人の優秀すぎる魔法師に依存しきっている。もちろん彼のおかげで教え子たちは危険な地へと赴く機会が減り、魔法師の死者数も激減しているのだから、やりきれない気持ちがシスティの胸を打った。
アルスの主張をシスティは理解していた。頭の良すぎる新入生の大人顔負けの計画を。
だから軍からの指示を一旦隅に追いやってアルスに耳打ちした。アルスの後ろから抱き付くように腕を回し、体を密着させる。扇情的な光景はシスティが作り出したもので、アルスは一方的な行為に関心を寄せない。
耳の傍で甘い声音が響くがアルスは無関心に目だけを向けた。
テスフィアとアリスが一桁魔法師の内緒話に口を挟めるほど度胸は据わっていない(主にシスティに敬意を払ってのことだ)。
「ならば研究だけでなく、彼女達にも強くなってもらったら楽できるんじゃない?」
アルスは苦笑した。それこそ理事長が二人にアルスの順位を明かした本当の理由だったのだ。
もちろんシスティにも打算はある。いくら有望な彼女達でも彼の代役は演じられないだろう。軍が彼を執拗なまでに起用するのならば彼が少しでも戦う意味を見い出せるようにすればいい。
システィはアルスにそれほど感情移入していた。まだシスティが軍に居た時……八年ほど前の話だ。
彼女は幼きアルスと会っていた。アルス本人は覚えていないようだったのでシスティもそれをあえて知らせようとはしなかった。アルスにとってもあまり良い記憶ではないはずだから。
アルスはテスフィアとアリスを一瞥した。確かに彼女達は学院内でもズバ抜けた才能を持っているのかもしれない。たとえ魔法師へとなる三年生を相手にしても勝てないまでも善戦できるだろう。
けれども……。
「ダメですね。彼女達では俺が楽できません」
「それはこの学院で普通に卒業した場合でしょ」
「…………俺にどうしろと?」
アルスは研究の時間が割かれる気しかしなかったが、それでも理事長に耳を貸すのは自分が楽したいがための一助となる可能性を秘めていたからだろう。
「あなたが実戦で戦えるように指導してみたら」
「無理です。そんな教養は持ち合わせてませんよ」
もちろん謙遜ではない。人に教えたことなど生まれてこのかた一度としてないのだから。
しかし理事長は違った。
「大丈夫よ。こと戦闘スキルに関して言えばあなたの右に出る者はいないわ」
さらに耳元へ甘い香りと共に魅惑の唇が近づき、回された腕に少し力が入った。
それを見たテスフィアとアリスが顔を紅潮させる。
強制ではないのだろうけど、拒めない意思が込められていた。
「研究の合間程度でいいなら」
渋々折れるしかなかった。この学院で実権を握る理事長に反感を抱かれれば今よりも時間を浪費しかねないと忌避した結果だ。
それにテスフィアの性格からして素直に教えを請うようなたまには見えない。
「そう言ってくれると思ってたわ」
回されていた腕が解けていく。
今のやり取りで学院にいる間は当然のように上下関係がはっきりしてしまった。伊達に歳はとってないということか駆け引きでは一枚も二枚も上手だとアルスは思った。
理事長のおかげでテスフィアがこれ以上干渉してこないという条件は反故にされたようなものだ。
「もう行ってもいいですか?」
一刻も早くアルスはこの場を立ち去りたかった。これ以上時間を割かれるような事態を避けるために。
「取り敢えずはね」
「……取り敢えずですか」
まだ何かあるのかとうんざりしながらも、丸めたパンフレットを理事長に返却してとぼとぼと出口へと歩きだした。
テスフィアとアリスの脇を抜けると二人は興味深気に顔を向ける。
何か言いたそうにテスフィアが口を開きかけたが、声を発することはなかった。その代わりに理事長へと向けられた。
「あんなのが一番なんて世も末ね」
ぽつりと独り言のように溢したテスフィア。それも自分が楽をしたいがために前戦を退くなんてことは怠慢だとテスフィアは感じた。
――――瞬間空気が凍りつくような殺気がテスフィアに向けられた。もちろんそれを発しているのはシスティだ。魔女と呼ばれた元シングル魔法師の一端が新入生を襲った。
背中に感じる殺気にアルスは大人げないと感じながらもその歩みを止めることはしない。
テスフィアだけでなくアリスも同様に怖気が走った。理事長の顔を直視できないほどに。自分が怒りに触れたことは間違いないと本能的に理解したが、原因まではわからなかった。というよりも思考が回らなかった。
「彼にもいろいろあるのよ」
緊迫した空気を打ち破ったのはシスティ本人だった。苦笑気味にそう告げられた。
「貴方達が魔法師として上を目指すのであれば彼に教えを請うことね。彼には言っておいたから遠慮なく魔法を極めなさい」
「「――――!!」」
テスフィアは素直に喜べない、凄さが実感できないのだ。彼よりもよっぽど理事長のほうが凄く感じるのだから。
アリスは。
「えっ! 本当にいいんですか?」
「――!! アリス、でもあいつに教わるのよ」
「凄いじゃない。最強の魔法師に教われるのなんて私たちだけなんだよ」
魔法師の頂点に君臨する魔法師が直接指導、常識的に考えればあり得ないほど運が良い。二桁魔法師ですらそんな関係を持つことは難しいだろう。自身が軍に所属して、その中でも肩を並べるほどの実力を身に付けるなどしない限りお近付きになることすら難しい。
「そうだけど……」
テスフィアの中では未だ信じられずにいる自分が存在していた。貴族の名に恥じない順位の魔法師を志しているのだ。一桁魔法師とまでは夢を見ていないとしても二桁に近いぐらいの順位は目指したいと目標を立てている。
絶好の機会に違いはないのだが、どうも釈然としない。一桁魔法師を目の前に啖呵を切ったようなものなのだから、テスフィアの心情としては百歩……二・三歩譲って対等な関係がやりやすかった。
「無理強いするつもりはないわ。彼に教わることで得られるものは必ずあるはずよ」
テスフィアの駄々っぷりにシスティは子供を相手にするように口を開く。
「理事長に教わるわけにはいきませんか?」
テスフィアはそれが一番だときっぱりと言い切った。もちろん本心から可能だとは思っていない。アルスから教われるのも彼が学生だからだ。
「私はこれでも忙しい身なのよ。それに貴方達だけというわけにもいかなくなっちゃうじゃない?!」
「そう……ですよね」
わかっていただけにテスフィアは二の句が出て来なかった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
アルスは自室へと戻ると資料を漁った。時間を取り戻すために研究に没頭するつもりだったが、どうも手に付かなかった。
それも理事長が戦い方を教えろと言い出したからだろう。
実際アルスはそれほど乗り気ではない。それどころか嫌々ですらあった。
仮に教えるとしてもアルスができることはそれほど多くはないと思っていた。実戦で使える魔法師を育てる、ならば魔物と戦って実戦を積むのが最も効率が良い。アルス自身そうして経験を積んできたのだから。
どんなに強力な魔法が使えるようになっても実際異形の魔物と相対した時に何も出来ずに蹂躙されるなんてことは稀ですらない、よくあることだ。魔法師の数は多いが、実戦に投入できる気骨のある魔法師はその半分程度なのだ。
死への恐怖や怯えは魔法を行使する上で妨げとなる感情だ。常に冷静でいなければならない。どんなに絶望的な状況になったとしても自身を信じられなくなることこそが本当の絶望なのだ。
魔法師の拠り所である魔法が発動しなくなる。それは魔法師として未熟……いや、欠陥だ。
彼女達は魔法を磨くことで研磨されていくと信じているが、それは魔法師としての適性を度外視した見方だ。
安請け合いだったと自己嫌悪せずにはいられなかった。ましてや今さらだが、自分がそれによって楽できるとは思えなかったのだ。
「まいったな」
テスフィアは来ないだろうとは思っていたが、アリスは十中八九教わりに来るだろう。面倒くさいことこの上なかった。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定