陰を形作る
向かいで微笑を絶やさないフローゼ。
アルスは逡巡すら許されないような状況だった。
「はぁ~」
諦めのため息というよりも考えるのが面倒になったことへの投げやりな息を吐く。
明らかに無礼だと思われるだろう。
アルスは足を組んで、ソファーに深く背を預けた。
「それは俺が作らせたものです。とは言っても魔物の特性を生かしただけのただの棒っきれですよ」
「なんでそんなことがあなたに? やっぱりどこかの貴族」
アルスの態度の変化にフローゼは眉をピクッと持ち上げただけだった。
自分で言っておきながら、それはないなともフローゼは結論に至っている。
娘の婚約相手を探す際に、念入りに有力貴族を調べ上げたのだ。そうでなくとも魔物、しかもAレート級の素材を使っているともなれば成り上がり貴族には不可能、だからフローゼが知らないはずはなかった。
退役したとはいえ、軍や貴族間の情報は常に仕入れているのだから。
「いえ、任務の際に使えそうだっただけです」
「――――!! 任務」
その一言にフローゼの顔つきが変わる。持ち上がっていた頬は下がり、眦が吊り上がった。
「アルス君。あなたは軍人ということかしら」
「そうです。もうやめたいとべリック総督に言ったのですが、上手いこといきません。よろしかったらお口添えいただけませんか」
不敵な笑みを浮かべるアルスに対して、引き攣りそうになる頬をねじ伏せたフローゼ。
アルスが先ほどの無礼に対してのカードを切った。
無論、本人としては早々に手放したいジョーカーであるため期待はしていない。
しかし、当のフローゼにはそこにどんな意味があるのか測りかねていた。これから軍に従事する学院の生徒がなぜそんなことを言い出すのか。
「退役に関しては様々な決まりがあるの。おいそれとやめられるものではないのよ。魔物の数と相対的に魔法師の数は少ないから、あなたも魔法師として貢献する義務があるわ」
元軍人というよりも子供を窘めるような口調でフローゼは張った肩を竦めた。
(貢献ね……)
「おっしゃる通りですね」
「……えぇ」
あっさりと引いたことに訝しみを覚えた相槌をし、話題は変わる。
「確か同じクラスにロキ・レーベヘルという三桁魔法師がいるとも聞いたのだけど」
アルスは内心で舌打ちをした。その代償として笑みの仮面があっさりと剥がれるのは経験不足によるところが大きい。
「彼女も軍人だとも……」
つまりは関係性を疑ったのだろう。
「えぇいますよ。ロキには俺のパートナーをしてもらっています」
「…………!!」
合点がいったというように細められた目は未だ値踏み中のようだ。
徐々にアルスという人物像がフローゼの中で形作られていく。現段階でも相当高評価といったところだろうか。
パートナーが付くのは縁者以外だとすれば二桁魔法師以上ということになる。
つまりは……二桁以上の魔法師だと予想できるのだ。
フローゼの形の良い口が孤を描く。
「なるほどね」
一つフローゼの中でストップが掛かる。必要な情報は最低限得られたということだ。ここまでわかれば調べようと思えば調べられるのだから。
それにアルスを招いたのは単なる興味ばかりとも言えない。それこそ本当に礼を述べるためでもあるのだ。
少々やり過ぎてしまった感はあるが、後悔はない。娘のことを思えばこそだ。
「アルス君がフィアに訓練を付けてくれていると聞いたのだけど」
「えぇ、理事長に言われて、ですが」
「システィまで絡んでるのね」
途中から薄々分かっていたが、軍が関係していそうだと考えを改めた。無論上方修正でだ。
それだけテスフィアの急成長を喜んでいるということの表れでもある。
そして最も聞きづらいことを発する。
ある意味で娘を思えばこそではあるのだが。
「アルス君から見てあの子はどお? 私はあまり魔法の才には恵まれず三桁止まり、フィアは私よりは才能に恵まれているとは思うわ。贔屓目なしにね」
どお? と聞かれてもアルスも返答に困る。三桁でも魔法師としては十分大成ではあるが、貴族として求められる順位に違いがあるということだろうか。
一応最後まで聞くべきだと判断し、沈黙で先を促した。
「二桁、一桁との力の差は歴然。それなら……」
「理事長ですか?」
「…………そうね」
システィと呼び捨てにするところ、階級的にも近いため二人は仲がいいのかもしれない。
追憶に浸るように口が開く――フローゼは今にも笑いだしそうな調子だ。
「システィとはチームを組むことが多くてね。元々順位に開きがあったこともあって私は指揮官の才を伸ばすために転身したわ。あなたは知らないかもしれないけど5年前にあった魔物の進行の際は私も駆り出されたのよ」
これはアルスも知っている。忘れたくても忘れられない戦闘だったからだ。
「災害的に発生した魔物が高レートの魔物に引き連れられてくることは今までも何回かあったわ。そのときは今まで以上の軍勢だった。Aレートが数十体、総勢1000以上の大群だったわ。アルファに壊滅的なダメージが予想できた。でも蓋を開けてみればシスティによって一匹たりとも防衛ラインを割られることはなかった。魔法師に犠牲は出たけど、それだって予想の半分以下で済んだわ」
その際、同種のAレート級が徒党を組むという性質が初めてわかったのだ。
Aレート級5体。名を【サイレン】とのちに呼ばれた新種。その他にも相当するAレート級が攻めた。
フローゼが言った被害とは防衛に努めた魔法師ではなく、Aレート討伐に向かった魔法師の死者数だ。
「あの時のシスティを見て思ったのよ。次元が違う。才能ある者が努力しても到達し得ない。そう、天物と呼ばれるような圧倒的な才能と狂人のような努力あってこそ為し得る境地……あの子には悪いけど、足元にも及ばないでしょうね」
一部でアルスも納得できる面があった。しかし。
「そうですかね」
「…………」
「普通に魔法師をやっていたのではせいぜいが三桁、二桁なんて遠く及ばないでしょうね。だが……」
自分ならば、という自信を宿した鋭い視線で予言のような未来予想図を語った。
「俺の描いた訓練をこなしていけば二桁並みの力は付く。幸いにもついてこれるだけの才能はあるみたいですし」
最後に「そうじゃなきゃ俺が困る」と小さく付け加えた。
「が、結局は本人次第でしょうね」
「そお……」
本人次第という言葉の意味をフローゼは正しく理解していた。寧ろそれを妨げる方向の話を迫っている張本人なのだから。
本来ならばこんな子供の戯言など信じるに足らないが、結果が出ている以上無下にするのは愚かなことだ。
フローゼが黙って考え込んでもそれは仕方のないことであろう。
娘のためを思えばなおさらである。
すぐに答えなどでようはずはなかった。
「一先ずこれは返します」
「返すならテスフィアに……俺には無用の長物ですし」
「……!! これを!?」
コクリと首肯する。吹っかけようと思えばどこまでも値段を付けられそうな一品。
しかし、金銭としてもアルスも困っていない、宝の持ち腐れよりはマシだろうという考えだ。
どう取ったのかフローゼはふっと頬を緩ませ。
「わかりました。これは私から娘に返しておきますね」
「お願いします。これ以上ないのであれば俺はそろそろお暇させていただきたいのですが」
「それは困るわ。夕食を三人分用意させてしまったわ」
「…………」
せっかくの厚意を蹴ることはできなかった。というか先手を打たれたという感しかないのだが。
アルスは勢いを軽く付けて立ち上ることで戻るということを暗に告げた。
それに対して引き止める声は当然上がらない。軽く腰を折ってドアに向う途中、独り言のように背中に回答を求めない問いが投げられる。
「アルス君、君の順位は?」
ノブを回し、振り返りざま。
「御想像にお任せします」
とだけ捨て台詞のように告げるとそのままフローゼの視線をドアが遮る。
廊下にセルバの姿はない。
人の気配はあるので見渡す限り誰もいないというだけだ、見られていないのであれば。
「疲れる」
せめてもの終幕として気疲れを吐いたとしても許容範囲内なのではないだろうか。
一人残ったフローゼは訓練棒を見据えていた。最後の回答はおそらく知りたければ調べても構いませんよと言外に告げていたのだ。
さすがに藪を突いて蛇が出るということはないだろうが、知るべきことなのかと躊躇を感じた。
彼ら――アルスとロキ――がすでに軍に属しているということにフローゼは思い当たる施設がある。
孤児など親のいない子供――特に魔法師の資質がある――に英才教育を施す施設が軍にはあるのだ。無論誰もが入れるわけではない。余程の才能、もしくは軍人の子であれば、この限りではない。
その中でも篩にかけられ自身の意志で望んだ者にのみ与えられる育成プログラム。
絶望的な状況の後、すぐに選択を迫られるのだからある種強制力があると軍内部でも賛否両論となっている。
それでも過酷な訓練メニューは子供には苛烈過ぎる。時には精神を病み、魔法の素質さえもスポイルする場合があると聞く。
魔法師へと成長する確率はほぼ皆無である。だから彼らのような魔法師が存在することにフローゼは驚愕したのだ。施設で魔法師を育成するというのはフローゼが軍にいた時に始まった。
しかし、訓練プログラムを終えれば年齢関係なく外界に放り込まれるため、実践の生存率は限りなく0に近い。頓挫というほど大規模なプロジェクトではない。
そもそもの発端は魔物に親を殺された復讐心を抱く子供が多かった為の教育の一環だったはずだ。
それでも子供たちが自分で望んだ結果ではある。第一期卒業生が全滅となってから、次から教育を志願した子供には署名が必要となった。
自身の命に関するもの……死んだ場合の自己責任に関するもの。
悪魔の契約とさえ揶揄する者がいる。声を上げられるものはいなかったが、誰もが良い顔をしないのも事実である。成果の有無に関係なく倫理的な問題からだろう。
フローゼは貴族でないとするならば、その可能性しか考えられなかった。
話の主導権はどっちが握っていたのか、今になって考えるとフローゼは手の内からいくつか零れているような、ともすれば抜き取られているようなやり取りだったと思う。
それは到底娘と同年代の少年とのやり取りではない。
(少しだけ調べて見ましょうかね)
本腰を入れてとまでは言わない意気込み。それこそプライバシーに関係するものは避けるべきだろう。
呼び鈴を鳴らしてため息を溢す。アルス同様に張り詰めていたということだ。
「セルバ、少し連絡するので誰も入れないように」
畏まったお辞儀をするとすぐに扉を閉め、セルバは扉から一歩ずれて仁王立ちするように待機した。
フローゼは軍の知人に連絡するべく回線を開く。
退役した今も軍内部への連絡が取れるようにライセンスは所持しているのだ。無論、ライセンスとしても元将軍の地位を証明するものであって、魔法師としての順位を示すものではない。退役と同時に順位は抹消されることになっている。つまり、魔法師ではないということだ。
夕刻になってはいるが、迷惑は掛からないだろう。任務中でなければいいのだけど、と髪を耳に掛ける。
数度のコール音が鳴った後、お目当ての相手の声が響く。
それは雑音の酷い場所のようだったが、彼女の声は良く通るため聞き取れないということにはならない。
『お久っす。フローゼさんどうしたんすか』
「突然ごめんなさい。もしかして今任務中かしら?」
『そうっすよ。でも片手で十分足りる雑魚ばかりなんで問題ないっす』
通話の相手はアルファ国内でも最強を誇るシングル魔法師、レティ・クルトゥンカだ。
気さくというには能天気な部分があるが、そんな生易しい考えだと足元を掬われるだろう。シングルともなればその身に化け物を飼っているような連中ばかりなのだから。
フローゼは電話の相手の姿を想像しながら、頬を引き攣らせていた。
活発な人柄で赤茶色の髪は肩の辺りでばっさりと切られている。そんな短めの長さでありながら襟足の部分だけ長めに残してあり、後ろで一本に結われた細めの束が腰の辺りまで伸びている姿。
歳は今年で24になるはずだ。アルファが誇る第7位魔法師。
今も片手で魔法をやたら考えずに放ちまくっているのだろうか。
フローゼが懇意にしているのは幾度かレティがシングル魔法師になる前から指揮下に入った討伐戦を行ったことがあるからだ。
ある種男勝りな部分に惚れ込んだということもあるが、年齢や立場を抜きにしても彼女とは話やすかったというのが一つある。階級的には同格、アルファの戦力としてはそれよりも上の扱いになるだが、そういったもろもろの事情を抜きにしてもシスティに次ぐ間柄だった。
任務中と聞いて本当なら謝罪をして日を改めるべきなのだが、彼女の戦闘の光景を想像すると本当に言葉通りなのだろう。
システィがシングルの座にいたのは半年にも満たない間だけだったが、レティは数年7位という座を明け渡したことはない。
何かの片手間に魔物を屠っている姿は容易に想像できるし、それこそ無用の心配なのだろう。
「あなたに訊きたいことがあるの」
『なんすか~』
「アルス・レーギンという名に聞き覚えはある?」
『……もちろんっすよ。アル君可愛いっすよねぇ』
本当に任務中なのかと思ってしまうほど間延びした声。事実、レティの顔はほわわんと形容していいほど頬が緩み切っていた。
「……!」
『でも、フローゼさんあまりちょっかい出しちゃダメっすよ』
「――――!! どうしてかしら」
その声音の変化にフローゼは恐る恐ると訊き返す。
『アル君は私のっすから』
「どういうことかしら、お付き合いしているの?」
不穏な台詞ではあったがその口調は冗談めいている。
判断に困ったもののフローゼには事実関係の確認しかできなかった。すでに彼女の口調からしてただ事でないことだけはわかる。
『まさかっすよ。アル君がいればちまちま叩かずにもっと楽なんすけどね』
「そ、そお……」
驚愕の声を上げるようなことはないが、動揺までは隠しきれない。
レティは半年以上前から奪還したばかりのクーベント大陸の東にある、バナリスの奪還作戦に就いているはずなのだ。
一世紀程前に破棄された大陸や都市にはそこを棲みかにしている高レートの魔物がいることが多い。奪還には少なくとも高レートの魔物を討伐しなければならない。そのため、できるだけ戦力となる下位の魔物を削って行くという気が遠くなるような作業をしていかなければならないのだ。
バナリスを奪還できればその隣国と協力して更に拡大することができる。シングルを向かわせるには十分な価値がある場所と言えた。
『とまあ冗談はさておき、アル君は総督でも手を焼いてる子なんで機嫌は損ねない方が良いっすよ。まあ機嫌を損ねるほど子供ならどんなに楽だったかなんて総督が溢してたっすからねぇ』
「それだけ貴重な戦力ということなのね」
『……フローゼさんは本当に知らないんすね』
無知だと言われてもフローゼの顔に怒りの色はない。レティが知っていて自分が知らないことは山とあるだろう。その逆はあまり考えたくはないが。
懇意といってもフローゼはレティという人物の底までを正確に把握はしていないのだ。
レティの声の背後では戦闘の音が続いているが、当の本人には焦りの色は一切窺えなかった。
しかし、フローゼは音が大きくなる度に早く切らなければという焦燥感に駆られる。
「彼の実力は……」
『すまねっすフローゼさん。片手じゃきつそうなのが出て来たんで切りますね』
「いえ、任務中にごめんなさい」
『また用事があればいつでも歓迎っすよ』
『では』といって通信がふっと切れる。
フローゼの頭の中はアルスという人物像が出来ていたところに爆弾を投げられて粉々にされたようなものだった。
彼の立ち位置がわからないというものだ。ただの学生という認識はとうに消え失せているが、だからこそどう対応すれば良いのかが判断できない。
藪を突いたものの、人の予想を遥かに超えるシルエットが浮かび上がったというところだろうか。
セルバを呼んで冷たい飲み物を入れてもらうと、一気に飲み干した。
疑問は残したままだが、期待以上の収穫に微笑を浮かべる。いや、この場合は期待を良い意味で裏切られたというべきなのだろう。