貴族ロエント
「はじめまして、アルスさん」
メイドの列の奥。
屋敷から鷹揚に出て来たのがこのフェーヴェル家現当主だ。
ワインレッドのドレスは真紅の髪に栄える。身長はアルスとそれほど変わらないように見えるが風格なのだろうか威厳がある風貌だ。それでも見下されているように感じるのは、三段ほどの段差のせいばかりではないだろう。
いくつもの戦場を超えて来ただろう歴戦の将がごとく眼光はアルスの全身を捉え、値踏みするかのように向けられている。
「ご招待いただきありがとうございます。貴族の出迎えとしては少々無遠慮にもほどがあるのでは? それとも力試しが流行ってるとか?」
アルスもまた簡単に会釈をし、ちらりと様子を窺う。言葉通り不快感を隠そうともしなかった。
最初に謝罪をすべきだろうという思いからでもある。
「失礼。怪我をするようなことにはなっていなかったと思うけど、御客様に対する礼儀ではなかったわね。せめてお詫びをさせてほしいのだけど」
わざとらしくつらつらしゃべる口だなとアルスは思う。明らかに謝罪の眼ではない。無論その言葉は順位を知らないがためだろうが。
それに瞬殺してしまったため命に関わるのかは判断が付かない。寸止めだとか、当たらないようにしていたと言われても分からないのだ。
アルスは少しだけ奥歯をギリリと鳴らした。上手いこと傷でも負っておけば帰る口実には使えたからだ。
実行に移す気はさらさらないのだが。
「いえ、結構です。俺も忙しいので要件だけ聞かせていただけますか」
「そういうわけにはいきません。私も貴族の当主、無礼を働いたのですからそれなりのお詫びをしなければなりません。ねぇフィア?」
「――――!! は、はいっ!」
ビクッと肩を揺らしたテスフィアは即座に肯定。
アルスとしては学院の誰かに似ている気しかしない。上手いこと掌の上で転がされている気がするのだ。しかし、かなり強引な気がして気分的には腹立たしくもあるのだが。
それほど大袈裟でなくても、相手が敷いたレールの上を歩かされている。そんな苦味のある感じだった。
というのも無礼というマイナスがアルスの足枷として効力を持ったからで、ならば最初からしなければいいのだから。
「遅れたけれど、はじめまして私はフローゼ・フェーヴェルです」
「アルス・レーギンです」
ニッコリと妖艶な笑みを浮かべるフローゼはまさに貴族としての作法に淀みない。仮面を被っていることすら感じさせないほどのオーラを纏っているし、なにより別の場所で会ったとしても彼女を平民と見るには気品が満ち満ちていた。
だからといって、アルスがその礼儀に対して尽くすかというとそうではない。すでに彼の中では面倒になってきていた。
元々アルスにその手の礼儀作法のスキルはないのだから仕方ないことではある。僅かでも誠意があれば無作法でも伝わるかもしれないが。
しかし、礼を尽くさない相手にアルスが付き合う道理はない。
「どうぞ」と中へ誘導するフローゼ。そのすぐ後にテスフィアが追随し、セルバがアルスの隣で軽く頭を下げた。
「アルスさん、一先ず疲れたでしょうから御部屋でゆっくり寛いでくださいな」
フローゼは傍にいるメイドに「ご案内して」と言うと「フィアも疲れたでしょう。また後で声を掛けるわ」と背中を押す。
「……はい」
少し小首を傾げた娘に笑みを返す。真正面の階段を上って行き、客人であるアルス、テスフィアにメイドの三名の背中が消えた後。
「セルバ、何をしたかわかった?」
「いえ、フローゼ様。皆目見当が付きません。ですが……」
「そうね。あれだけでも相当の魔法師よねぇ」
顎に指を立てて驚きを隠すが。
(本当におかしなことになってるわね。系統すらわからないなんて……)
好奇心を掻き立てられると同時に得体の知れない者を娘の傍に置いておく危険を覚える。もう少し探りを入れる必要が出て来たということだろう。
学院に入学を許されている時点で多少の安全、身元の保証は確保されているものの完ぺきではない。
魔法師の育成に力を入れている一方で、優秀な魔法師を遊ばせておく余裕はアルファにはないのだ。いや、人類にはないといってもよいだろう。
「フローゼ様、彼には私と同じ匂いを感じました。もしかすると」
「ふ~ん。でも、それならあそこまでの攻性魔法を有しているのも変よね」
「はい、対人に特化した者ならば必然的にAWRを主とした肉体強化、まったく中距離、遠距離魔法を使えないというわけではないですが、偏るのがほとんどです。ましてやアイスゴーレムを屠れるだけの魔法を習得するとなると」
解の出ない問答を繰り返しても今のところは仕方がない。フローゼはこれ以上の想像を諦めた。今の段階では情報が少なすぎる。
今回の目的は顔合わせ程度であって、詮索し過ぎるのはよくないことだろう。それでもアリスの時は訓練を付けてもいいかなと思うぐらいに実力を測ることができた。しかし今、アルス・レーギンなる人物の力を測りかねていたのだ。
一学生にしては不明な……不可解な点が多いというのが第一印象だった。
「はあ~」と一息ため息をついたフローゼは隣で命令を待っているかのように佇む老人に予定を告げる。
「1時間後にアルス君だけ、客間に呼んでちょうだい」
「畏まりました」とセルバは恭しく腰を折る。まだまだ明るい時間、それでも既に厨房では夕食の仕込みが始まっていた。
♢ ♢ ♢
アルスがテスフィアとメイドに案内されながら向かった部屋は、屋敷の広さからしてもわかるようにそれなりに大きめの部屋だった。
屋敷に入った時も思ったことだが、貴族というのはもっと贅の限りを尽くした煌びやかな顕示欲の塊だと思っていたが、この部屋同様にさっぱりしている印象を受ける。
質素というほどではないが、厳粛な雰囲気に整合性を持った自己主張しない調度品の数々。別宅のような落ち着き払った雰囲気を醸し出していた。
見る者によっては重苦しい厳粛な空気を感じるかもしれないが。
絶妙なバランスなのだろう。閑散というには配置に工夫が凝らされている。
などと調度品の良さなどわからないアルスでも完成された空間だというのがわかる。貴族のステータスが何も高価なものばかりでないのがよくわかるというものだ。
「お飲み物をお持ちしましょうか」
「ええ、お願い」
メイドの提案に乗ったテスフィア。
背後でメイドが扉を閉めるのを確認すると。
「まさか、あそこまでするなんて……本当にゴメン!」
勢いの付いた謝罪は髪を跳ね上がらせる。
さすがのテスフィアでも母親の暴挙には弁解の余地がないと、順位を知っているだけに深々と頭を下げた。シングル魔法師ともなれば、階級的にも同格にあたる。知らぬ存ぜぬでは許されないのだ。
「まあ、気にするな。本意はどうかは知らんが、怪我を負わせるつもりはなかったようだしな。おそらく訓練棒を調べたのだろう」
本気だったとしても結果は変わらなかっただろうなとも思う。
訓練棒はAレートの魔物の外殻を素材にしているため、調べようと思えば魔物のデータから容易に探れる。軍にコネのある人物なら連絡一本で済むだろう。
テスフィアとしては招待しておいてという遣る瀬無さがある。これが貴族ならば一大事だ。いや、シングル魔法師の時点で最悪だった。繋がりがある分大事にはならないと思うが。それだけのことをしているということなのだろう。
そこまではアルスとしても貴族社会に疎い為察することはできない。
ましてや相手の策にまんまとのったのは自分。すでにミスを犯しているためテスフィアばかりを責めることはできなかったのだ。
「長くならなきゃ多少のことには目を瞑るしかないか」
と小声で呟く。
座ったソファーは思いのほか沈みこみそれでいて包み込むように跳ね返してくる。ゆっくりできるという意味ではこれだけでも満足の行く待遇なのだろうか。
というか。
「おい!」
「え! 何?」
ここにきて初めてテスフィアが顔を上げてアルスと視線を交わらせる。
「どうせこの後も会うんだろう? さすがにこの汗臭いままじゃまずくないか?」
「確かにね」
屋敷の中はだいぶ涼しいため、すでに乾いているとはいえだ。アルス自身べたべたした感じが我慢ならなかった。
なので身なり云々は実は二の次、口実だ。
「着替えを持って来なかったのは失敗したか」
などと言っても日帰りのつもりなのだから言っても始まらないのだが。
「それは大丈夫よ。家は女しかいないけど、社交界や家に呼ぶ客人のために何着かは男性物も常備しているから」
丁度メイドが飲み物を持ってくると、テーブルの上へと置く。あっという間に部屋内に柑橘系の香りが充満しはじめた。
お盆に載せられたそれぞれの飲み物。
アルスは礼を述べて喉を潤した。
「どうする? 一応部屋にシャワーならあるけど、浴槽なら少し時間が掛かるかも。でもすぐに用意されるから」
「いや、シャワーで構わない……今日はやけに気を遣うな」
それもわかるが、アルスとしては調子が狂う。
「気持ち悪いぞ」
「――――!!」
テスフィアだけでなく、メイドらも目を見開く。仕える家の娘を気持ち悪い呼ばわりされれば当然だろう。その反応も一瞬のことだった。軽く眼を伏せてテスフィアの背後に位置取る。メイドとしての練度の高さが窺える……と思う。
「せっかく悪いことをしたと思って気を遣ってあげたのに!!」
顔を憤怒の紅潮に変え、鼻息を荒くして部屋からメイドを置き去りに出ていく。
そしてチョコンと顔を覗かせると。
「死ね!」
さすがに言い過ぎたかとアルスは頬を掻くのだった。さすがに死ねはないだろうと思うが、けしかけたのは自分なのだ。
気にするな程度の意味合いを含めたつもりだったが、機嫌を損ねるだけだった。
部屋に残していったメイドに頼んで着替えを用意してもらい。アルスは今日の――というにはまだ明るいのだが――汗を流す。
アルス自身貴族というものと縁がなかったため、有力貴族というのがどういうもので、誰を指すのかがわかっていなかった。
しかし、それでもこれだけの豪邸に使用人、将官の地位に就いていたということを鑑みてもフェーヴェル家というのはそれなりの大貴族のようだ。
壁に両手を付いたアルスはシャワーを浴びながら、変なのに目を付けられたものだとため息を溢す。
(無系統魔法を使ったのは失敗だったかもな)
後悔を吐き出しても結局選択肢はない。AWRを持ってきていたとしても更に興味を惹かれるだろう。体術ならばどうだったか、無論確実に倒せただろう。しかし、汗の量は比較にならない気がした。
魔力刀で斬ってもよかったのだ、その場合は元将官を前に実力を測る目安を与えることになってしまうが。魔力操作が技量の目安となる以上得策とは言えない。
「何を神経質になってるんだか、知られても困ることはないだろう」
そう建前上同じアルファを守護するものとして隠す必要はないのだ。ただ、どうしても学院に入学してからというもの厄介事に巻き込まれている気がするせいであえて教える必要性を感じなくなっていた。というより隠しておいたほうが平穏に暮らせるというものだ。
あの反応、実力を測るようなトラップを仕掛けて来たのだから現状フローゼはアルスの実力を知らないことの証明である。
(というか知ってると思ってたんだけど)
軍にコネがあるフローゼでも知り得ない秘匿として総督が隠したのか。はたまた、単に機会がなかっただけなのか。
アルスがシャワーから出て、だいたい30分後、来訪を知らせるノックが数度。
「アルスさん、フローゼ様がお呼びです」
聞いた声だ。
しわがれたように声から歳を感じる。
アルスは来たかという思いで扉を開けた。
無論招きいれるためではなく、そのまま向かうためだ。
声の主。セルバが先導し、アルスが後に続く。
「アルスさん、先ほどは申し訳ありません。御気を悪くされたと思いますが、娘を思う親心というのもご理解いただきたい。もちろん御怒りは……」
「気にしてませんよセルバさん。わからなくもありませんから」
親のいないアルスからしてみればわからないことだが、想像はできる。
「ありがとうございます。何かお困りのことがあれば私に言っていただければと思います」
「では、訓練棒をお返しいただけますかね。あれがないと狂ってしまうんですよスケジュールが」
「それならばご安心ください。元々フローゼ様もそのつもりのようです。それほどあなたに会いたかったのでしょう」
「わかりました。それならば後は時間だけですかね」
アルスはこの休みを利用して一気に研究を進めたいと考えていた。アリスの件も途中なわけだし。
時間という言葉にセルバは怪訝に思い、申し訳なさそうに訊ねる。
「ご予定があったのですか、申し訳ありません」
「まあ、自身の研究をほっぽってきたので」
「……! 研究ですか! ご迷惑でなければどういったものを研究されているのか窺っても?」
「光系統の資料が舞い込んだものですから、光系統魔法を新しくいくつか作ろうと思っているんですよ」
本来ならば信用できるはずがない。入学したばかりの学生が新たに魔法を考案するなどと。
例外を除けば学者が数年かけてやっと生み出せるものだ。ましてやエレメントと呼ばれる系統は研究が進んでいないため、基盤が違う。魔法を作り出すための情報が決定的に少ないのが原因だ。
だから、まだ光系統の発生原因などの解明というなら分からなくもない。
いや、分からないだろう。それでも一大プロジェクトであるはずなのだ。
しかし、僅かな間の後。
「それは途方もない研究ですね。ですが、偉業な研究でもありますね」
馬鹿にしているのか、感心しているのか、わかりかねるニュアンスだった。そういったことを悟らせないのはアルスよりも一枚も二枚も上手のようだ。
「そうでもないですよ。休みの間になんとかなる目途は立っています。二つほどは具象情報を工夫すればなんとかなりますし」
「……!!」
セルバは苦笑いを浮かべるだけだった。後にどんな言葉が出てくるのか、興味はあったがそれを聞ける時間はないようだ。
二階の端から端までの移動なのだから、時間が掛かるはずもない。
お喋りをするには丁度いいぐらいには距離もあるのだが。
セルバが扉の前でノックをし、「アルスさんをお連れしました」と告げると中から、「どうぞ」と静かに漏れ聞こえた。
セルバが丁寧にドアを引き、中から仄かに清涼感のある香りが光とともに漏れ出る。
無論、アルスに限って緊張するという事態にはならない。考えたことと言えば早く終わってくれればいいなぁという程度だった。
すでに部屋内には対面式のソファーにフローゼが腰を降ろしていた。蠱惑的な笑みにはいろいろと含まれるものが多いように感じる。
その隣には訓練棒が置かれている。一応返してはくれるようだ。
「いらっしゃいアルス君。座って頂戴」
対面に勧めるフローゼ。扉を閉めたセルバはすぐに飲み物を用意すると言って部屋から退出していく。
その間、一言もしゃべることもない気まずい空気が満たしていた。アルスならまだしも他の生徒ならばガチガチに固まっていたことだろう。
「アルス君は貴族なのかしら」
「いいえ、違いますよ」
「でも、様になってるわよ」
借りた服は貴族が着るような仕立ての良いものだ。魔法的な素材は使われていないが服としては上等過ぎる。
アルスもこれほどの服を着たのは初めてかもしれない。
似合っていると言われれば、悪い気はしないのだ。
「ありがとうございます。ですが、勘違いですよ。どこにでもいる一般市民です俺は」
とフローゼの顔色を窺って確信を得る。
微笑を浮かべたままで意図までは探れないまでも、一般市民には同意のようだ。
アルスを知っているヴィザイストやべリックなどは真っ先に面白くない顔をするだろう。
ヴィザイストなんかは貴族なんて良いもんじゃないぞとか言いそうだ。
だから、大抵の貴族でアルスのことを知っていれば皮肉に聞こえるはず。
「そうかしら、ただの生徒にこれは手にできないと思うのだけど」
静かに間のテーブルへと置かれる濃いグリーンの棒。
アルスはやっぱり逃げられそうにないなと諦めを持ちかけた。
大金を積んでも買えるような代物でもない稀少な材質。それも魔物の材質を使っているのだ。それがどういう意味を持つのか。
ざっくり言えば、低レートの魔物を素材に使うことはまずない。というか使えるほど良いものがないのだ。
魔物が纏う瘴気のような魔力残滓は人間にとってもあまり良いものではない。それが染み込んだ皮なりを使えるはずがない。
瘴気を浄化する技術自体はあるがコスト的に馬鹿馬鹿しいのだ。その程度ならば代替するものは山とあるのだから。
素材に使うという考え自体定着していないこともあるが。つまり、仮に魔物の材質で何かを作る場合は高レート、もしくは変異レートの特殊な物に限られる。
だからそうそう出回らないのだ。
それを学生の身分で貴族でもない者が所持している理由を説明できる逃げ道をアルスは持ち合わせていない。
何と言うべきかといった考えさえも半ば面倒になりつつあった。