真相の正体
僅かな静寂。
アリスがテスフィアに駆け寄ろうと一歩踏み出した時――。
それまでピクリとも動かなかったテスフィアの手が動いた。次第に顔を上げて弱々しく立ち上がる。
刀を支えに立ち上がると徐に頬へと手をやり瞠目した。
まだ事態を把握していないのだろう。何が起こって自分が倒れたのかテスフィアの頭は混乱しているようだ。
「大丈夫フィア?」
「……え、ええ」
盛大に吹き飛んだが、ダメージはほとんどないはずだ。所詮は紙の束、魔力を付与したからといって威力には限界がある。
テスフィアは戦っている最中であることを思い出すとアルスを睨みつけて怒気を込めて口を開いた。
「何をしたの」
「これで叩いただけだが」
「冗談言わないで、今のは紙じゃなかった。堅い物で叩かれたみたいに……」
もう一度、テスフィアは頬を触って思い出すと怒気を滾らせた。
魔法師は魔力を可視光線として視認することができる。同様にテスフィアの刀にも魔力が通っていることを示すようにぼんやりと淡い光が纏われている。
テスフィアを叩いたパンフレットも魔力で覆ったからこそテスフィアの攻撃を防ぎ、紙束ではありえない威力を放つことができたのだ。
しかし、テスフィアからしてみればただの紙束で叩かれたと感じるのも仕方のないことだ。実際に叩いたのは紙なのだから。
アルスほどの腕があれば最効率化された魔力付与を新入生で、ましてや四桁魔法師が気付くことができないのも道理だ。
パンフレットが物体に接触する直前に覆っているのだから、傍から見ればただの紙束が鋭利な刃を一切通さない硬質な石のように映るだろう。
懸絶した実力差があってこその妙技だ。
「お前が叩いた本を読めばわかるんじゃないか」
アルスは責めるように言い放った。テスフィアが叩いた本は長年研究者が弛まぬ努力の末、到達した成果。そこから得られる叡智を冒涜することは魔法師以前の問題である。
「くっ……」
「どうする降参するか?」
「何をしたかわからないけど、一回当てたぐらいで調子に乗らないことね」
「フィア! もういいでしょ」
アリスが警告を発するが、予想通りテスフィアは意に介さなかった。
怒りと連動するように身体から漏れ出る魔力量が増す。
「何言ってるのアリス、偶然当たったぐらいで……すぐにあいつを倒してやるわ」
テスフィアは大きく深呼吸すると、刀を目の前に突き出した。流れるような動作で刀身を二指でなぞっていく。
なぞった傍から刀身に刻まれた魔法式の文字列が淡く発光していった。
「フィアそれはやりすぎよ!」
アリスはテスフィアが何をするのか察したのだろう。それもテスフィアには届かずなぞった指は刃先までを滑るように駆け抜ける。
テスフィアは静かに刃先を真横へと向け、先端に魔力が集中する。テスフィアの体内からAWRを通り、次第に僅かな光が生み出されていく。
周囲から魔力の残滓を取り込むように一点に集約されていく魔力はすでに魔法としての現象を起こしていた。
――――すると、パキパキッ、と音を立てて空中に巨大な氷塊が生み出される。そして刀を軽く斬るように振り下ろすと氷塊の表層が砕けて透き通るような大剣が姿を現す。
「【アイシクル・ソード】」
見たのは初めてだが、魔法の固有名は基本的に大全に載るため、既知の魔法である。しかし、実際に直に見るのはこれが初めてだった。
「凄いな」
アルスが称賛したのは氷塊を生み出す技術だけではなく、そこから生まれた氷剣の造形だ。殺傷性としては無駄な部分が目立つ甘い造形だが、そこには見る者の心を惹き付ける魅力があるのだ。何よりも新入生が扱える魔法ではないことへの率直な賛辞だった。
それを聞いていたかはわからないが、テスフィアは口を開かずに刀を振ると、連動するように氷剣が高速でアルスへと剣尖を向けて一直線に飛来する。
速いには速いが、アルスからしてみればそれでも緩慢で安直な攻撃。だから避けることは容易だった。
この決闘と題された模擬戦ではテスフィアに干渉されないため以上に貴重な人類の叡智(アルスからすれば)を冒涜した返礼をしなくてはならない。
おそらくテスフィアが使える最高位の魔法だろう。その証拠にかなりの魔力を費やしたことはテスフィアの上下に揺れる肩を見ればわかる。
悠々と真正面から迎え撃つ。
賭けにでたわけではない。これほどの魔法ですらアルスからすればこの程度。
「ダメ――避けて!」
青褪めた顔でアリスが声を荒げた。防壁用の魔法を詠唱していた彼女だが、AWRの普及で詠唱慣れしていない現代では圧倒的にスピードで間に合わない。途中まで紡がれていた詠唱は途切れ、悲嘆の叫びに変わっていた。
アルスは僅かに肺から息を吐く。
神経を手刀を形作った手に集中させる。形成するは鋭利な刃、全てを断ち切る強靭な鋼。
薄らと手に纏った魔力量が増大し、手刀の先端から短い魔力の刃が形成される。たえず流動し、放出される魔力が時間を止めたように鋭利な魔力刀を形作った。
衝突は一瞬、アリスが目を伏せ、テスフィアがやり過ぎてしまったことへの失態なのか、事の成行きを見届けるような、どちらともつかない表情でその時を待った。
彼女達が予想する結末にはなり得ない。
アリスが目を開けたのは想像に難くない結果を見るためではなく、聞こえるはずのない破砕音が鳴り響いたからだ。
テスフィアに相対するアルスは平然と立っている。背後には真っ二つにされた氷剣が綺麗な断面を映していた。
形成された魔力が断裂されたことによって形を保てなくなり、ピシッと罅が入る。罅が大きく音を上げながら走ると砕けるのではなく、元の魔力へと霧散していった。
「――――!! そんな……」
愕然と溢したのはテスフィア、一方でアリスは怪訝な表情を浮かべつつも胸を撫で下ろした。
アルスが何をしたのか? 理解できたのは遠目で観戦していた理事長ぐらいだろう。
魔力は魔法を行使するための源だ。それを攻撃に転用するなんてことは常識的に理解の外だ。
魔法師はあるがままの既存に拘り、新しく生み出すことをしない傾向にある。適材適所という言葉を免罪符とした結果だ。魔物を倒すのは魔法師の役目で、そのための魔法研究は学者の役目だと固定観念に縛られる。故に埒外な事象には理解を拒むように他人任せになってしまう。
アルスがやったのは緻密な魔力操作だ。武器を覆うのと同じ原理である。
つまり、武器に覆っても接触面は魔力であり、魔力が物質としての実体を付与することで得られるのだから、覆う箇所から魔力を独立させるように形成することで魔力刀を作ることも可能なのだ。だが、それも通俗的に言えば矛盾する。アルスならではと言える抜け道がある。
有機物に対しての親和性を有する魔力では魔力刀の形成は現実的には不可能なのだ。そこには魔力を否定する叡智が秘められている。ざっくばらんに言えば魔力としての性質を損なわせ、その上から重ね掛けすることで下地にされた魔力が吸収という親和性を失い、無機物の残滓として留まる。性質自体を変化させる技術であり、後は魔力付与の応用で形成・固定する。
だけだ……だけだが……。
それは体内で生成される魔力を掌握し、自由自在に扱えるだけの魔力操作が要求されるということ。
それができるのはアルスだけだろう。魔力本来の使用法ではないのだから。
本来ならば魔法に使うエネルギーとしての運用が一般的であり、魔力そのものには着眼せず魔法自体の習熟に専念するものだ。
だから彼女等は気付けない。
左手に持ち替えておいたパンフレットで肩を叩いた。これで決着は着いたという合図でもある。
何もアルスはテスフィアを痛めつけたいわけではない。ただ現実を教えただけ、プライドをズタボロにしただけだ。
だから、仕上げはいたってシンプルである。手順さえ飛ばさなければ一言は和解の力を発揮できるのだから。
「俺が悪かった」
「――――!!」
突然の謝罪に面食らったテスフィアは驚きのあまり言葉を失った。
負けを認めたわけではない。そう、謝罪である。
勝敗は当のテスフィア自身が一番理解しているだろう。だから敢えて明確にはしない。口には出さない。
「侮辱したいわけではないんだが、そう聞こえたのなら俺が悪かった」
心からの謝罪、アルスはテスフィアの前まで歩を進めて深々と腰を折った。単に誤解を解く意味合いもあるが、それ以上にこれで万事解決するはずだ。テスフィアには代償として安いプライドを対価にお互いの要求を満たすことができたのだから、後腐れなく終いを迎えることができるというものだろう。
「……そっ、そお? 私もムキになって悪かったわ」
意固地な一面もあるが、テスフィアという人間は本来は物分かりの良い良識を持っているのだ。
だから、釈然としない終わり方を迎えたとしても謝罪を無下にはしない。
「じゃ俺はこれで失礼するよ」
「ちょっ……」
テスフィアの脇を通り過ぎる寸前で、袖を掴まれ面倒くさそうに振り向く。
「なんだ」
「……どうやったの」
テスフィアは弱々しく視線を逸らして問いかけた。魔法の詮索はたとえ同じクラスメイトだろうとしないのが魔法師同士の暗黙の了解だ。魔法師の雛である自覚があるからこそ声音には強制力が欠けた。
疑問を抱いたのはテスフィアだけでなくアリスも同様だったようで、聞こえる範囲に近づき耳をそばだてるように口を噤んでいる。
二・三回振りほどくように腕を引いてみるが、かなり力が込められているのだろう、びくともしなかった。
アルスはどうしたものかと客席の一角へと視線を投げつけてみる。あまり期待はしないが、独断で決められることでもない。
種を明かしてしまえば順位を詮索されかねないからだ。
状況を察したのか、理事長はしれっと姿を現してワザとらしく手を打ち鳴らして称賛した。
テスフィアとアリスの視線が拍手した理事長へと向くのは必然だろう。
「「理事長!!」」
手を止め、三階分の高さの観戦席から手摺りを乗り越える。着地の瞬間に下降が和らぎふわっと浮くとやんわりと降り立つ。
「さすがフェーヴェル家のご息女、レベルの高い模擬戦を拝見させていただきました」
当校の理事長とは言え、魔法師を目指す者にとっては憧れの的だ。
アルスは姿を現した理事長の真意を読めずにいた。
そんな不安を余所に任せろとばかりに前に進み出るシスティ理事長。
「新入生にして上位級魔法を会得しているとは」
「……ありがとうございます。それより何故理事長が?」
当然の疑問だ。テスフィアは敗北を理解していたため苦い顔をしたが、元シングル魔法師から褒められれば喜々(きき)とした表情へと一変するのも仕方のないことだ。
「それはアルス君に訓練場の貸し切りを頼まれたからですよ。その見学に」
「――――!!! 理事長!」
あっさりとばらされアルスは一瞬狼狽した。
今度は二人の視線がアルスへと集中し、さらに年増の含むような視線も加わる。
「アルス・レーギンだったわね。あなた何者? 私の【アイシクル・ソード】をものともせず両断して見せたし」
「彼ならばそれぐらいは当然でしょう。私が見に来たのはあなたの身を心配したからなのですから」
満面の笑みを浮かべて語る理事長にアルスは委ねることにした。
そもそも順位を秘匿するようにと指示があったのは学校側の要求であってアルス本人はどっちでもよいのだ。自分の時間さえ確保できるならば。
だが、話の流れから不穏な予感を抱かずにはいられない。
「どういうことですか!?」
そう核心を突くのはテスフィアだが、アリスもいつの間にかテスフィアの隣まで来ており、二人の共通疑問だった。
「まぁ見てもらったほうが早いですね」
理事長はアルスへと向き直って懐から一枚のカードを取りだす。
「ライセンスですか?」
「えぇ、これを軍からあなたへ渡すようにと今朝届きました」
「…………」
真っ先に気付いたアリスが理事長へとわかりきった質問を投げ掛け、わかりきった回答が返ってくるが、軍という言葉に小首を傾げる。
何をしたいのかアルスは大凡の見当を付けていた。だから手で渡される瞬間に理事長の指がランク・順位の項目に触れても特段驚きはしない。
「「――――!!」」
ライセンスカードから魔力光が漏れ、液晶のようなディスプレイが映し出された。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定