帰省~フェーヴェル家Ⅱ~
食事の前にテスフィアは一度自分の部屋へと向かった。
それは着替えるためだ。この格好で食事の席に着くことは貴族として作法云々の前にこの家でのドレスコードから考えれば思わしくない。ラフな格好でも問題はない――ここが貴族フェーヴェル家の家でなければ。
テスフィアの部屋は二階通路の奥……とは言え中央階段を上がったすぐ右側が彼女の部屋になっている。
左は書庫や客間用の空き部屋、侍従長などの従者が使っている部屋がいくつかある程度。片側だけでも部屋数は10ほどだ。
一方テスフィアの部屋がある右側の部屋数は5つほど。極端に面積が狭いのではなく、彼女の部屋に5つ分以上の広さがあるからだ。
ドアを開けたテスフィアは首を回さなければならないほどの部屋でクローゼットのある衣装部屋に迷いなく向かった。
実際学院の寮部屋でさえ、この部屋と比べれば手狭に思ってしまう。
が、やはり共同生活は何かと楽しく、自分の部屋のように物寂しくはならない。
学院ではまず着ないだろうドレスを身につける。侍従はいるのだが、母の教育方針で全て自分でやることになっている。会食や晩餐会ではないからギリギリ屋敷内でも着れる程度には抑えめだ。
執事から催促の声が掛からないうちにそそくさと足音が響かないように足早に食堂へと向かう。
食事の時に会話が弾むということはテスフィアの知る限りなかった。
しかし、今回はフローゼが切り出して口を開く、無論テーブルマナーに則したものだ。
「フィア、それで学年首席のロキさんという方とはどのような関係なの」
テスフィアはフォークを止め、やっぱり来たと自室で決めたように関わりがないことを否定せず、当たり障りなくそれほど仲が良くない体を装う。
「ロキさんとは同じクラスなだけですが」
調べればわかることは隠さないほうが賢明だ。後々自分の首を絞めかねない。
「あら、そうだったの。適性は何の系統なのかしら」
どこまで踏み込むつもりなのかと、テスフィアは白々しく手を組んだ母を見た。
だが、この母がその気になれば大抵のことは調べられてしまう。
「雷の系統が得意なようです」
「珍しいわね」
「そうなのですか、確かに同学年に雷系統の生徒はいませんが」
キリッとした視線がテスフィアを射ぬいたとき、遅れながらに失言だったことに気付いた。
知識不足はフローゼの機嫌を損ねるものだったが、場所が功を奏したのだろう。
フローゼは叱責の場ではないと呆れながら言う。
「いいわ、雷系統は魔力を電子に置換しなければならないのよ。適性があるからと言って一朝一夕で身に付けられるものじゃないの……なんて言っても身に付けられるから適性というのでしょうけど」
「そうだったのですか」
俯き気味の声にはお構いなくフローゼは続けた。
「フィア、だからと言ってあなたが諦める理由にはならないのよ」
これが学年順位のことを言っているのはすぐにわかった。背中に冷やりとしたものが伝う。
「はい。精進します」
「それにしてもそのロキさんって子、気になるわね」
アリスの時も同じようなことを言っているのをテスフィアは覚えている。
この後に続く言葉は適当にそれっぽい理由で「お招きしましょう」という拒否権のない提案を持ち出すのだ。
半ば諦めかけたとき――メインディッシュが運ばれる。
それがセルバによって運ばれたものだと気付いた時、この執事はテスフィアの味方なのだと思った。
フローゼもそれに気付かないはずがない。
それが溜息として吐かれたことからもわかる。微苦笑して気の利く執事に口に出さずに礼を述べた。
それ以上、柔らかい肉を口に運ぶ以外で二人の共通した上品な唇が開くことはなかった。
食堂を出る間際、扉を開いてくれているセルバに目で礼を述べる。
返答はない。何か? という顔で涼しく目を伏せるのだ。
テスフィアが出た後、フローゼはワインを一口含むと、
「相変わらずね」
いつも顔を合わせる執事に相変わらずというのは可笑しな言い方だろう。
無論この執事はその含みに気付いて柔和に微笑む。
「久々の親子水入らずの食事ですので、気を利かせ過ぎましたでしょうか」
「別にいいわ」
相変わらず娘には甘いんだから、とグラスを一気に空ける。
自室へと戻ったテスフィアは今日の疲労が決河のごとく押し寄せて天蓋付きのベッドにそのまま倒れるように突っ伏した。
服を脱ぐのですら面倒で、そのままベッドの上でもぞもぞと脱ぐとポイッと投げ捨てる。
今日だけは訓練も手につかないだろう。
(あいつも有意義な訓練じゃなきゃ意味ないって言ってたし、明日、今日の分も含めてやればいいや……)
免罪符を手に入れた後、水の中に沈み込むようなまどろみに瞼がウトウトと塞がり始める。今のテスフィアにはそれに抗う気力はない。
翌日、テスフィアは一番の不安がとうとう来たのだと思っていた。
場所は屋敷の裏手、そこはテスフィアのためだけに作られた演習場だ。
学院の訓練場ほどではないが、用途別にいくつかある。
単純なスペースだけを確保した演習場は魔法を習熟するための場所だ。今テスフィアがいるのはここ。
それ以外にも剣術用の道場もあるし、軍で実戦を想定した身のこなしを鍛える場所まである。ここはまだ早いとあまり使ったことがない。
テスフィアから少し離れた所にフローゼとセルバが控えて見守っていた。
正面には魔法をぶつけるための人形が直立している。背後には親和性の高い壁が控えていて、これは学院というより軍で使われているものとまったく同じだ。
50mほどの長方形、その中間地点でAWRを構えた。
なんでこんなことをしなければならないのかとテスフィアが疑問に思うことはない。
すでに日常的なものになっているからだろう。
4カ月、学院での成果を見たいと言う母の言い分は納得のいくものだ。
学院の入学はそもそもテスフィアが頼み込んで獲得したもの、アリスと一緒に学生生活を送りたいという願い。
フローゼは学院に入る必要性をそもそも感じていなかった。何も行動を起こさなければ縁のない場所だったはずだ。
それでもこの緊張や辟易する気持ちは結局正当な評価……いや、辛辣な評価しか貰えないとわかっているからのもの。
試験時以上の緊張。
テスフィアは鞘から刀を抜いた。
魔力が流れるように這い、静流へと落ち着く。
「「…………!」」
始まったことにフローゼもセルバも黙って傍観する。
テスフィアは刀を逆手に持ち替え、勢いよく地面に突き立てた。
(フリーズ)
突き刺した刃から細い氷の道が走った。
到達するまでが速かった。胸中で唱え終えたテスフィアが刀を引き抜いた時には人形は胸辺りまでを氷漬けにされていた。
続いてテスフィアの指が刀身の魔法式をなぞる。
すぐに光り輝くと向けられた刃先に氷の結晶が集まり幹ほどもある巨大な氷塊が生まれた。
「【アイシクル・ソード】」
魔法名と同時に刀を振るう。
何の変哲もない氷塊の表面が崩れ、芸術品のような長大な剣を作りだす。
洗練された魔力操作は造形にも反映されていた。入学時とは比べるまでもなく、鋭く優美な刀身が冷気を吐きながら切っ先を人形に向ける。
テスフィアが刀を人形に向けて指示を出すと、弾かれたように一瞬で人形を突き刺した。
凍りついた胸から下をバラバラと破壊し、無事な上部分が高々と上空に吹き飛ばされる。
「ふぅ~」
緊張が解けたわけではないが、これで終わったと一段落の深呼吸。
不意な拍手がテスフィアを称えた。
無論それはセルバのものだ。
「お見事ですお嬢様」
母の評価を待たずして素直にお礼を述べるのは憚られたので笑みを浮かべるだけで答える。
「驚きましたフィア、学院に入れたのは正解だったようですね」
この評価に対してフローゼ以上に驚いたのはテスフィア本人だった。
すぐに口から言葉が出なかったのはそのせいだ。
「あ……ありがとうございますお母様」
「で、誰に手解きしていただいたのかしら」
軍で指導していたフローゼの目は誤魔化せなかった。テスフィアに偽ろうとする余裕もその考えも初めからなかったのだが。
「えっ……」
「フローゼ様っ!!」
声を上げたのはセルバだ。フローゼの評価がテスフィアの努力ではないように聞こえたからだった。
「セルバ、私はフィアの努力を蔑ろにするつもりはないわ。本当に見違えるほどだもの、でもね……」
訓練以外ではまず見れないだろう優しそうな笑みが最後に軍人のものへと切り替わった。
「実戦を想定していなきゃ、あぁはならないのよ」
それは【フリーズ】【アイシクル・ソード】両魔法が物語っていた。
造形や事象の結果は本人の経験などから変化したものだ。
【フリーズ】が敵の動きを束縛して何がなんでも地面から離さないという無意識が接地面を余計に凍結させ【アイシクル・ソード】が敵を両断するために効率化された鋭利な物になり、比率も刀身が長大過ぎる。
入学前とは完全に別物だ。
「それが悪いとは言わないわ。寧ろいずれは教えるつもりだったのだから、それがもう出来ていることに驚いたのは本当よ」
「失礼しました」
セルバが一歩引いて詫びる。
気にしていないというように手で答えたフローゼはテスフィアへと向き直り。
「でしょフィア? あの学院だとシスティさんぐらいしか教えられないと思うのだけど」
「……はい」
指導を受けていることは逃げられなかった。
「本当にシスティさんが?」
その確認にテスフィアは真っ向から否定した……してしまった。
「いえ、理事長はお忙しい身ですから」
「そうよねぇ……」
後に続かない言葉はテスフィアが答えをもたらすと促すための間。
「その……課外授業で思う所がありまして……その……」
そう口を付いたテスフィアは自分でも苦しいのがわかった。それでも自分から話すことが悪いことのように思ってそれ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。
「フローゼ様」
「……まぁいいわ。あなたが魔法師として一歩上達したのは事実なのだし」
セルバが助け舟を出したことで今はこれ以上言及されることなく終われた。
しかし、フローゼは保留にしただけであって、ちゃんとお礼をするべきだと考えて口の端を吊り上げる。もちろん興味があってだが。
(学院にこうもおかしな生徒がいるなんてね)
もちろん言及を免れたただけで、それから昼食を挟み、陽が暮れるまで訓練に勤しんだのは言うまでもない。
しっかりとその後も自室で魔力付与の訓練は続ける。
テスフィアに取って帰省の難所を乗り切ったと言えた。
……が一番の衝撃はテスフィアの予想もしない埒外のことだ。
それが起こった……知らされたのは帰省してから4日目の夜のことだった。
それまでをテスフィアは鍛えながらも心休まる面持ちで過ごしていた。
その日の夕食後のことだ。
最近はそのまま自室でいつもの棒を使った訓練に勤しむのだが、この日は少しして母からお呼びが掛かった。
場所は書斎。
嫌な予感、母がまだ諦めていないのだと決めてかかっていたため、面喰らう事態になったのはテスフィアにとっては考えたくもなかった事柄で、頭の隅に押しやっていたからだ。
「フィア、この中から選びなさい」
唐突に差し出されたのは最初机の上で山になっていた革張りの資料だった。
十数枚ある内から徐に一枚を選んで開いてみる。分厚いのは表紙だけで中身は両開きの面しかない。
「――――!!!!!!」
片側に写真が写されている。開いたと同時に立体スクリーンとなって浮かび上がった。反対側には氏名などの詳細な情報がびっしりと記載されていた。
「お母様!!」
そうお見合い写真だった。貴族なのだから早婚は覚悟していた。だが、テスフィアが一番毛嫌いしたのは相手を選べないことだ。
「あなたももう15なのだから結婚は出来ないけど、婚約は早いほうがいいわ」
それが当たり前だと突き付ける。母の顔がこの時もっとも辛辣だとテスフィアには映った。
「ですが私は魔法師としてもっと……」
活躍して、母のように地位を確立すれば結婚相手も選べると口に出す前に遮られてしまう。
「私もあなたぐらいの時にはお父さんと婚約していたのよ。魔法師になってというなら卒業して子供を産んでからでも遅くはないわ」
自分もその道を辿ってきたからだろう。一切の迷いがなかった。
「今のあなたならまだ引く手数多でしょ。だから私が何人か選んでおいたわ」
母から与えられたカードの中から選ぶのは自分で選べないのと何も変わらない。
「婚約……」
突如として突き付けられた貴族としての業がテスフィアの中で身を斬りつける刃となって牙を剥いた。
「目を通してみて」
そう言われたプロフィールには貴族としての階位や順位が強調されているようだった。得意な魔法名が書かれ、将来の順位まで推測されている。
それも最初はハッキリと見えていたが、次第にぼやけて文字が動き出し始め、滲む。
読むことが出来なくなった頃、ポツリと滴がプロフィールを濡らした。
結婚を考えたことがないわけではない。
それでもまだまだ先のことで、少なくとも自分が見つけ出した最良の相手となんて叶わぬ夢を見ていた。
それがきっと幸せなのだと想い描いていた。
だからこの悲しみは思い通りにいかない切なる願いだけのはずだ。
母が自分を魔法師として見限ったわけではないのだと言い聞かせる。
(違う違う違う違う……)
映し出された誰とも知らない顔は最初から白紙も同然だ。
耐え切れなくなったテスフィアは逃げ出すように部屋を飛び出した。
持っていた資料を置いた記憶はない。気に留めることさえできなかったのだから。