不器用な労い
鉄臭い街が一変する。
大通りには煌びやかな出店が軒を連ねるのだ。
雑然とした大通りはあわやお祭りと勘違いしそうなほどだ。
【フォールン】は魔法師の街と呼ばれる一方で夜は職人が息抜きに作るアクセサリーなどの装飾品が多く並ぶのだ。
雑貨なども多く、それを副業としている者も少なくない。
大通りは一面が煌びやかな光に包まれた。そのため、この時間になると女性客が多い。
「その辺のブティック店で買うよりよっぽど丈夫だぞ。こういう露店では案外掘り出し物も見つかるしな……」
アルスの視点では丈夫なものほど良いという思考のため、女性のファッション云々はわかっていない。
そんなアルスの助言は誰の耳にも届かないのだ。無視というほど故意はなく、気がつけば独り言を溢しただけの痛い状況になっている。
これだけ女性客が多いのだ。魅了するだけの蠱惑的な光が満ちているのだろう、と肩を竦めた。
「綺麗だねフィア」
その言葉は右から左へと聞き流されてしまう。それも舌を舐めずったテスフィアが目に付く露店に駆けたからだ。
「もう……」
呆れた顔を浮かべるアリスもウズウズしたようにアルスへと振り返った。
「構わんがはぐれるなよ」
一応付き合わせた形になったアルスは二人の後を黙って追いかける。
あっちにこっちとキョロキョロと左右を行ったり来たりする。アルスは途中から道の中央で待つことにした。
するとアルスの前をちょこちょこと横切る二つの影。
それが途絶えたことでアルスは二人が夢中になる店に向かった。
そこは風呂敷を広げただけの簡素な露店だ。
それでも上に乗っかる色鮮やかな品々に夢中になる二人。
挙句の果てにはその場にしゃがみ込んでしまった。
「おじさんこれいくら?」
おじさんと言うには少し若いが、店主は機嫌を損ねるでもなく、寧ろ言い辛そうに指を3本立てた。
デルド……それが人類が使う共通通貨だ。
銅貨、銀、金があり、順に500、5000、1万デルド。
加えて紙幣の100デルドがある。今では流通量も減ってきたが紙幣には半紙幣と呼ばれる50も存在はしている。
この場合相場で言えば3000デルドといったところだろう。
魔法師が増えた現代では硬貨の流通量は絶対的に少ない。魔法師ならばライセンス、非魔法師ならばマネーカードで支払うのが主流になっているからだ。
店主は3本立てて値段を告げる。
「3万デルドだ」
「――――!! 高いよ~」
アリスがそんな声を上げた。テスフィアも渋い顔をして商品を元の位置に戻す。
「これでも赤字覚悟なんだ」
苦笑気味に店主が告げた。本当にいっぱいいっぱいといった顔だ。
「貴族なんだからケチケチするなよ。小遣いもらってるんだろ」
「貰ってないわよ。無理言って学院に入れてもらったんだから」
背後でアルスが悪態を吐くが、もっともな返しを受けては押し黙るしかなかった。
3万もあれば1カ月は食える額だ。この辺の家賃でも4万デルドくらいだろうか。防衛ラインに近い程地価は安く、遠くなるほど高騰していく。
非魔法師の平均月収は30万デルド。
魔法師の月収は40万デルド以上で、外界に出る魔法師は更に成果に応じて報酬が別途に支払われる。
だとしても普通に考えて安い買い物ではない。
が、テスフィアが置いた紅玉の付いた髪留めはアルスが見ても確かに上質なものだった。
綺麗とか抜きにしても簡単には壊れないだろう丈夫な作り。
AWR職人なのか、魔力を阻害することのない材質、おそらくAWRにも使われているのだろう。
アリスも桁の違う額に持っていたブレスレットを惜しそうに置いた。
露店にしては珍しく高価な物を扱っている店だというのがアルスの感想だ。それだけに売れ行きは良くない。
他の店でも数千デルドが普通なのだ。たまに高額の店もあるが少し場違い感があり、少ないはずだ。
これだけの物を買おうと思ったら本来なら倍以上の額がするはず。二人の目利きは確かなようだ。掘り出し物と言っても過言ではない。
アルスはそこで店主の足元にあるケースを見つけた。
「親父それは?」
足元にあるぐらいだから、売り物ではないのかもしれない。
「お目が高いな、ちとこれは露店なんかで売るには高いと思って並べなかったんだが」
そうケースごと手渡されたのはブローチだった。銀光を放つそれは細かい魔法式が刻まれている。
「消音か」
「――――!! 何者だい兄ちゃん? 一発で見抜かれるなんて」
つまりは当りだ。サイレントは周囲の音を消失させる隠密魔法だ。風系統の魔法で難易度は高い。系統関係無く使うことができるサイレントは初位級に分類されている。
難度とランクが比例しない魔法。初位級に分類されている最大の要因は習得難度より魔物に対してほとんど意味を成さないためだ。
実際扱える魔法師は少ない。あまり意味がないということもあるが、何より緻密な技量が要求される。
修得する意味などを鑑みて扱える魔法師は少なく、言ってしまえば諜報員など特殊な役職の魔法師に重宝される一方で、外界を想定している魔法師にとっては無為な時間を浪費することに繋がる。そのため一般的には知る者すら限られるような日陰の魔法だった。
そしてまさにロキの土産を探していたアルスにはこれ以上ない品だった。
「それは大枚叩いて彫ってもらった一級品だ。材質も高級なセレスメントを使ってるからブローチとしても良い色を出せているよ」
「いくらだ?」
切り出したアルスに店主はまたしても申し訳なさそうな顔で答えた。
「若いお前さんたちには手が出せねえよ。360万だ」
アルスの予想金額をはるかに下回る額だ。 500は下らないと思っていただけに即答しようとしたが何も素直に乗っかる必要がないことに気がつく。
「これを買うから、これとそれも付けてくれ」
「うぇっ!!」
目を剥いた親父にアルスはライセンスを取り出す。
魔法師だと分かってもらえたようだ。
「それは構わねぇ~が、本当に何者だよ兄ちゃん」
「ただの魔法師だ。これだけの逸品にはそう出会えないからな」
「そう言ってくれるだけでも感無量だ」
両手で差し出されたカードリーダーに翳して360万デルドの支払いを済ませる。
「まいどあり」
ちゃっかり周囲に聞こえるように声を張り上げる店主は満足気に送り出した。
「ありがとうアル」
「ありがとう!!」
二人してさっそく着け合い、お互いに喜々とした顔を浮かべ合っている。
「ロキの土産を買うついでだ」
「あんたといると金銭感覚狂いそうだわ」
そんなことを言っても満面の笑みが崩れることはない。
それにこれで満足した二人、後は帰るだけで楽なものだ。
確かに安い買い物ではないのかもしれない。それでも平均月収が高い魔法師、その中でも最高順位のアルスは一生遊んでも使い切れない額を稼いでいる。
研究によるものもあるが、やはり大陸の奪還を一人で成し遂げたのが大きいだろう。
本来であれば、奪還作戦に何百単位の高ランク魔法師が駆り出されるはずだ。
その全員に支払われる賃金を総取りしたと考えても良い額を受け取っている。
アルスの給与明細は総督以上だろう。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
研究室へと戻ったのは夕食時というには少し遅い時間かもしれない。
寮の門限ギリギリの時間だった。
テスフィアとアリスも何故か研究室へとついて来ている。それが当たり前だという風に迷いがない。
扉が開くと、真正面に銀髪の小柄な少女が毅然と待ち構えていた。
隙間からスリッパの爪先が見えた辺りで、アルスは顔を引き攣らせていた、まさにカウントダウンのような心境と言える。
完全に扉が開くとエプロン姿のロキが腕を組み、見たまんまの憤慨を頬に溜めて膨らませていた。
ひたすら真っ直ぐな瞳がアルスの眼を射抜き、続いて下りる静寂……張り詰めた空気に誰も最初に言葉を発することを躊躇う。
しかし、それも趣向を変えれば容易に口から出てくる。
「もうこんな時間だったんだね。私たちはそろそろ帰るね」
アリスがロキの顔をまともに見れず、そんなことを口走った。
全て一人に押しつけることで難を逃れるという汚いやり方だ。
そしてここぞとばかりに――
「門限を過ぎるのは良くないわよね」
門限など気にしたのは最初だけのくせにと内心で返すが、二人の逃走経路を断つことはできなかった。
「じゃ~アルまた明日。それとありがとうね」
「また明日ね~不本意だけど、これありがとっ」
わざとなのか、テスフィアが新品の髪留めで結わわれた赤いポニーテールを揺らして背中を向ける。
ロキの視線がその一点に注がれたのは、そう仕向けられたものだからだとアルスは思った。
(こいつら、恩を仇で返しやがった)
と外せない視線で、アルスは耳に届く遠ざかる足音だけを忌々しげに聞くのだ。
はあ~とため息が新しくアルスの鼓膜に届く。
「で、どちらに行かれていたのですか?」
やっとのことで紡がれた声はそれほど怒りの色はない。
アルスとて寝ているロキに気を使ったつもりだったのだ。
「アリスの無系統を総督に報告と協力の要請をしにな」
「そうでしたか、その様子ですと上手くいったようですね。でも、置手紙をわざわざ書くぐらいなら起こしていただければよかったのに」
語尾に向かって弱々しくなる声。
「良い働きをしたんだ休息を与えるには十分な理由だろ」
アルスは横を通り過ぎ様にポンと銀糸の頭に手を乗っけた。
首尾は上々……とはいかなかった。
「で、帰りにデートをしてきたということですか」
しっかりと見ていた。聞いていたのだ。あれを目の当たりにすれば見過ごせないだろう。
「デートじゃないし、そっちはついでだ」
アルスはポケットをまさぐるとしゃれた包みを取り出した。
「ほれ、今回の褒美だ」
「えっ!」
ぞんざいに持ち上げられた箱をロキは両手で掬うように反射的に受け取る。
「開けても良いでしょうか?」
アルスは着替えに向かいながら「あぁ」とだけ言って一顧だにしなかった。
「……!!」
開ける音は聞こえたが、それからずいぶん経つ。気に入らなかったか? と着替え終えたアルスが戻る。
「どうした気に入らなかったか?」
「いいえ……」
俯いたままのロキ、両手で握られたブローチは胸の前で包まれていた。
「嬉しくて……ありがとうございますアルス様」
震える声と同時に上げられたロキの顔、その瞳には今にも溢れ出しそうな雫が溜まっている。瞬き一つで決壊しそうだ。
「珍しく良い物だったしな、それにはサイレントの魔法式が刻まれているから使えるようにな」
「はいっ!!」
指の腹で拭うと喜色満面がそこにあった。
とはいってもアルスはそれほど苦労せずできるだろうと予想している。基本的に稀少と言われる魔法は言ってしまえば一つ使えれば大抵努力次第で習得できる。
探知を得意とするロキならば問題はないだろう。
ロキはブローチを掛けられている制服に付けた。
「どうせ付けるなら内側にすればどうだ」
制服に付けるには目立ち過ぎる気がする。
しかし、ロキはそう取らなかった。
「せっかく頂いたものですので」
首を左右に振って拒否する。
なんにしても本人が気にしないのならば構わない。
「それより夕食だ」
「すぐにご用意します」
すでに作り終わっていたのだろう。軽く火を入れて温められた料理が次々とテーブルを彩った。
着席し、アルスが手を付けようと口に運ぶ途中、
「それにしてもあの二人にもちゃんとプレゼントをしたのですね」
「――――!」
有耶無耶にはできなかった、と掴んだ料理がポロッと箸から逃げるのだった。
「ついでだ、ついで」
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
今回の報告。
実験体の搬入先は各国の貴族と呼ばれる者が多かった。そのほとんどは知らない名前だ。つまり、子供がいない、もしくは子供が貴族にたる力を示せないなどが原因だろう。
エレメントと言う稀少な魔法師を実験体とはいえ養子に迎え、軍へと供給する。そうすれば地位も安泰ということなのだろう。
もしくはスポイルされた魔法師を再起させられると踏んだのかもしれない。後天的に取得する魔法系統であるのは確かなのだから。
幸か不幸か、購入手続きと養子手続きは済んでいるが、実験体は一体も出回ってはいなかった。
アルファ国内でも5件が購入されている。
そしてその中には課外授業で唯一退学処分になったカブソル3年生の家、デンベルの名前もあった。
彼は魔法という力を失い退学した唯一の生徒。貴族の地位にしがみつくという意味では実験体は確かに実力がある。
たとえそれが偽りのものであっても。
甘美な誘いに乗った哀れな家、貴族というものがそうさせているのかもしれないが、アルスとしては自業自得としか思えなかった。
分厚い報告書に目を通しながら、
(テスフィアには伏せておくか)
と、いらない気を回す。
正直、あのお転婆がそんな繊細な心を持っているはずはない。自責の念よりもアルスと同じことを考えそうだ。