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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第4章 「小さくて大きな蕾」
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恋の価値その5



 ♢ ♢ ♢



 王子様を私は知っている。

 きっと王子様と呼ぶにはそれは地を這うようにみっともなくて、汚れていた。誰もがイメージする豪華絢爛な王子と真逆であった。


 でも、それは一人の少女にとって紛れもなく〝王子様〟なのだ。

 泥臭い果ての世界で、ただ一人異形の怪物と戦っている人がいる。彼の戦果を口にする人は少なく、その少ないうちの一人が父であった。

 最初は可哀想だと思った。何のために、誰のために戦っているのかがわからなかったのだ。父は大国アルファのために、延いては人類のために貢献している。でも、自分の歳とほとんど変わらない、少年がやっていることの意味を想像することはできなかった。

 だからこそ、可哀想だと感じたのかもしれない。

 父からの話を聞く内に、その少年は父と同じ場所でこの国に、人々に貢献しているのだと理解した——自分とほとんど歳が変わらないのに。


 そして父と一緒に働く話を聞いた時は、フェリネラの中で、もう少年ではなく彼に変わっていた。とても強く、とても寂しい彼に。

 でも、土産話を聞く度に彼への印象は変化してきた。父と働くようになってその寂しさも薄れているような気がしたのだ。

 彼にも仲間ができたのだ。一人ではなくなったのだ。本当ならば、そのきっかけを自分が掴めれば良かったのかもしれないが——まだ父であったことが救いである。


 いつしか、そこに自分も加われる夢を見るようになった。彼と一緒に仲間に囲まれ、外の世界で仕事をする。そんな未来を夢見るようになったのだ。まるで地に足がついた感覚だった。

 しかし、とある事件をきっかけに父は彼の話を長いこと閉ざしてしまった。よからぬことがあったのは間違いないが、また彼が一人になったことも確かなようだった。

 それでも夢見たあの光景は、色褪せることがなかった。彼が一人ならば、一人にしなければいい。

 父が駄目なら、自分がなればいい。

 夢の中で理想を押し付けた王子に、現実としての情報が追加され、そして少女は女になる——一人の男として彼を見るようになった。


『百の恋の始まりだ』


 フェリネラが英才教育を望んだのは、そんな彼にふさわしい女を目指してのことだ。

 学業然り、武芸然り、礼儀作法に至るまで全て自分で選んできた。

 必要だと思ったことは何でもした。

 なりたい自分になるため、貪欲に頑張ったのだ。


 この気持ちの正体が何であれ、女は恋で成長する。子供でも大人でも普遍的なものなのだろう。



 恋が実ろうとも実るまいと、それが齎す実は大いなる宝だ。

 それはイルミナが言ったように、正しい過程を踏んでいるのだろう。踏みしめているのだろう、世の女の子はそうして次なる一歩を……いくつもの壁を乗り越えていくのだろう。

 自分とて例外ではないのかもしれない。


 それでもこの恋が本物であることは事実だ。

 それだけで十分過ぎる。

 それだけで努力する理由になる。

 それだけで生命を懸ける理由になる。


 これから待つ楽しいことも、この先待つ辛いことも……それらを受け止めるのはいつだって自分なのだ。

 だからこそ、精一杯前に進む。頽れてしまわないように、しっかりと両足で自分を支えるために。

 こんな壁で躓くわけにはいかない。無謀なことをやろうというわけじゃないのだから。

 望んで死にに行くわけじゃないのだから。

 この程度は苦難とも苦境とも言わない。


(だってアルスさんは、僅かでも魔法師の道を残してくれたじゃない)


 複雑怪奇な魔力経路を分離し、魔法を扱うために必要なその経路を遮断しなかった。常人では不可能なその細い糸を一本だけ垂らしてくれた。

 検査結果を心底不思議そうに眺めながら告げた医師も、魔法師への再起を不可能だとは断言しなかった。

 ならば、やってやれないことはない——魔物に屈する自分を想像できないのと同じように。


 無駄な恋がないように、無駄な想いもない。

 最後には結論が用意されていて、それに向かって全力で乙女であるだけなのだ。


 嫉妬する自分が好きで、小さなことで発作を起こすように飛び跳ねる心臓も愛おしい。

 毎朝、身嗜みを誰かのために整える自分が好きだ。

 健康に気を使いつつも、時には病に臥せって彼がお見舞いに来てくれることを期待してしまう自分が好きだ。

 淑女が板につきすぎて、本音を言い出しづらい自分が好きだ。

 ……恋する自分が何より好きだ。


 陳腐な恋が最上級の栄養剤であることを初めて知った。


 真っ暗な世界でも恐れることはない。今が暗くとも先に明かりが灯ることを知っているから。

 


 イルミナの言葉が蘇る。『アルス君だって別に魔法師に拘りはない』というあの言葉が。

 魔法師に拘りはないのかもしれないが、彼は以前に好みの女性は『役に立つ女』だとはっきり口にしている。

 実に彼らしい言葉だけに、思い出しただけで頬が緩んでしまう——クスリと笑みが溢れてしまう。


 これを〝好み〟だと言うアルスの真意は不明だ。打算的な考えで、彼はそう口にしたのだろう。今にして、父から聞かされた話通りの解答だったように思えた。

 好きになる、ということ自体が理解不能であると言っているようなものだ。

 役に立つ女が好みだからではなく、フェリネラ自身が必要と感じているから今、この場に立っている。複雑怪奇な恋心は蓋を開ければ至極単純なものなのだ。


 だからアルスの言った言葉を盲目的に受容するのではなく、己が必要であると感じ彼に認められる存在を目指す。

 一人前になることから始めなければならない。

 魔法師として育ってきた彼のこと……。

 そして右も左もわからない状態で学院に飛び込んできた彼のこと……。色々なことに目新しさを感じ、人と人との触れ合いに煩わしさ以外にも感じるものがあるはずだ。


 役に立つ……それは裏を返せば、好意だけで十分なのだ。肝心なのは役に立てるか。

 何で?

 多くの選択肢があるだろう。これはイルミナが正しい。

 役に立つ女、だなんてぶっきらぼうで不器用過ぎる言葉遊び、しかも曖昧な濁し方だ。

 あえてそれに答えるならば、フェリネラは魔法師を選ぶというだけの話だった。


 たまたま、偶然にも魔法師だっただけ……。

 とうに決まった心が、尚も強固に揺るがぬ芯として打ち立てられた気分だった。

 


(誰に取り憑いていると思ってるの? 恋する女の子は強いのよ)


 黒風の中で、パチリとフェリネラは目を見開く。

 こうして魔物が宿るというのは不思議な感覚だ。忌むべき存在のはずだが、その行動原理と呼べるものは至極単純だった。

 身体を乗っ取ろうとでもいうのか、体内の魔力比率に偏りがみられた。捕食や吸収とは違い、体内の魔力が自分と魔物、どちらかに偏るのだ。そしてきっと全ての魔力が魔物のそれに置き換わった時、そこにフェリネラという個は存在しなくなるのだろう。

 自分を定義する諸々が、上書きされていく。この解釈でほぼ間違いない。


 フェリネラは自分の中で起きていることを把握しつつあった。

 そして何をどうすれば良いのか、それは……。


(この風……話に聞いていた通り、そういう魔物なのね。纏うって感じなのかしら——!? 流石にこれ以上主導権を持っていかれると取り返しが付かなそうね)


 心臓や血管、魔力経路が拡張していくように痛みが身体中を駆け巡った。

 傷一つない白皙の肌に硬い血管が浮き上がっていた。

 思うままにさせれば、きっと人の身体は器として、やわ過ぎる代物だ。内側から破裂しそうな恐怖感はあれど、フェリネラはそれをコントロールしなければならない。


 体内の魔力を部分的にシャットダウンさせ、魔力経路を区別して自分を取り返していく。

 侵略の開始だ。

 要領を掴めば十分主導権を奪い返せることがわかった。


 フェリネラは一気に自分の身体を取り戻し、さっと腕を振って黒風を散らした。

 カーテンを引くように黒風は風に巻かれながら飛散する。たったそれだけの一動作、されどそこには一つの身体を奪い合う侵略戦争が確かにあった。


 程なくして、アナウンスで試験の終了を知らせる所長の声が響いた。


 「ふぅ、なるほどね。【黒衣のアズローラ】……随分と変わり者みたいね」


 自分の中にいる魔物に語りかけるようにして、フェリネラはそう一言に収めた。


「フェリッ!!」

「イルミナ、どうかしら? これならあなたも少しは安心できるんじゃない?」


 駆け寄ってくる親友へと安堵の笑みを向けたフェリネラだったが、とうのイルミナは血相を変えている。


「どこがよ!? それより血!」

「怪我はしていないわよ?」


 痛みと言えば、筋肉痛のように節々が張った感じの痛みはあるが。

 しかし、イルミナは自分の口の端に指を向けて場所を教えた。

 徐に指で口の端を押さえてみると、確かにそこには血がついていた。


「誰の?」

「あなたのよ!」

「変ね……」


 確かにおかしい。口の中を切ったわけでもないのに、指先では拭いきれない血が流れていたのだ。

 その直後、急激な悪寒に襲われ、全身の力が抜けていく。

 意識に膜がかかるかのように膝を折ったフェリネラを、すかさずイルミナが支える。


 薄れる視界の奥で担架が見え、大急ぎで職員達が集まってくるのが見えた。

 そこでフェリネラの意識はプツリと途絶えるのであった。




 フェリネラが治療室へと運ばれていく。

 それを不安に眺めながら、イルミナは踵を返した。一人の女性として彼女の強さは羨ましくすらある。

 自分の知る限り、フェリネラは強い女だ。自分とは比較にならないほど何事にも全力で向き合い、不条理に立ち向かえるだけの覚悟を持っている。


 それはやはりなあなあで魔法学院に通っている自分とは、決定的な違いである。

 魔法師の適性を持ち出せば、問答無用でフェリネラは合格なのだろう。素質や素養、覚悟すらも足元に及ばない。


 イルミナは真っ直ぐ病院を出ると、肌寒い風に目を細めた。

 今はフェリネラは知らなくていい。彼女にはその意志と目標に向かって余計な問題で煩わせるわけにはいかない。


(そう、貴族のゴタゴタなんてフェリはまだ知らなくていい)


 さて、とイルミナは返却してもらったライセンスから連絡先を指定し、コール音が鳴る前に耳につけた。


「忙しいところ悪いわね…………えぇ、いえ、我々の問題です。そうです、貴族の。それと銀翅シリーズ三作目の発表は控えてください。それと四作目ですが、これはちょっと待ってもらっていいですか。アルスさんに意見を聞きたいので……正直、目処は立っていません。大事にならなければスケジュール通りに……」


 イルミナは通話しながら、乱れぬ歩調を維持していたが、ふとその足が止まり、全ての意識が電話口の相手に向かう。

 無視できない報告が伝えられた——銀翅シリーズの大量発注である。


「それは本当? 数は」

『数は100程です。ただ発注元はバラバラで、個人での購入も含まれますが、複数の注文が目立ちますね。流石に量産体制の目処が立っただけでこの注文は困りました』


 報告を聞きながら、イルミナは歯噛みする。

 先手を打たれたと感じたのは直感的な感想だが、決して杞憂で済まない予感もある。


「納期を遅らせて、攻勢に巻き込まれてはダメ。ここでしくじれば大きな損害になるわ。風評被害を覚悟で、注文のキャンセルも視野に入れて」


『しかし』と難色を示す部下に、イルミナは説明口調で返した。


「顧客の選別は不可能よ。私達のAWRが誰の手に渡るか、今の段階では無闇に市場に流せない状況になったの。大丈夫。金銭的な損害ならいくらでも挽回できるから」


 通話相手から了承の声を引き出して、イルミナは電話を切った。

 大きな混乱の予感から口が開く。


「一波乱ありそうね」



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― 新着の感想 ―
[一言] 元から恋のために命をかけるってやってたのか。なりたい自分になるために外界に行く、なんてつまりそういうことじゃん…。そりゃ強いわ。こんなの今までの延長線上にしかなってないもん。 それはそうと…
[一言] あ、まだアルスを企業に所属させるの諦めてなかったんだ 協会所属だし正直鉱床の一件で(価値観の違いで)諦めたものかと思ってた ところで始まりの蒼風とかってもう読めなくなってます?
[良い点] フェリネラパート、良い…! [一言] 新刊買いましたー!
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