喪失の救い手
現在の——今で言うところの7カ国はまだ歴史も浅く、人類史の新たな1ページとして位置付けられている。
魔法が発展した新世界——強固な壁に覆われた鳥籠としての歩みである。
一般的な知識として、多くの祖先は魔物から逃げ今の7カ国へ移住してきたとされており、それ以前の文明は大雑把な知識の文献しかない。
無論、魔法に関しては生活魔法とごく小規模な程度に収まっており、その運用方法も限定的と言わざるを得ない。
だからこそ、この書物に書かれた内容は認識そのものを覆すにたるきっかけとなった。
いや、奇妙な違和感を植え付けたと言うべきなのだろう。
そう、 これはアルス自身に関する異能解明のヒントかもしれなかった。
(魔法や魔力といったものの成り立ちを知ることができれば……。いや、それもそうだが異能に関する情報があれば)
魔法に関する歴史はある程度の推測は立っている。研究者間でも頻繁に議論を繰り広げられるほどに。
しかし、こと異能に関して、その推測は想像の域を出はしない。魔力因子の突然変異とも言われているが、はっきりと解明できていないのだ。
魔力情報体の異常というのが大方の見識として定着しつつある。
他の本も探っていくも、これと同じ筆跡のものは一つとしてなかった。
医学書であったり、治癒魔法の概説書、はたまた魔力経路の図説、解剖学など真っ先に漁った棚にはそういった医学に関する書物が多かった。どれも古く、埃を灰色に積もらせている。
二つ目の棚には歴史書などが大半を占めていた。
7カ国建国時の基底条約や経過報告書の写しが何故かあったり、7カ国麾下の旧国籍欄など7カ国併合以前の資料を集めている節が見て取れた。
民俗学なんかはまさにそれだ。
何を、どんな知識を得ようとしているのか判然としないまでも、朧げながら目的が察せられる。
(おそらくこの本に関する日記の出所を探ろうとしていたか? それとも年代を?)
年代ならば紙を調べ上げれば大凡は分かりそうなものだが。
そもそもこの貴重な古文書が外界の、それも廃屋にあること自体何かしらのいわくがありそうだった。
(あの最後のメモ、帰ってきた娘の眼が、自分の娘の物ではない、と言うのが気になる。病気という節も捨てきれないし、眼球を移植したにしては当時の医学知識では難しいだろう。それこそ今のように治癒魔法があれば話は別だが)
治癒魔法の魔法体系は近年確立されたばかりだ。
その第一人者として聞き馴染みのある〝聖女〟の名前が出てくるわけだが、今は置いておこう。
まとめると、
「奇妙な噂の流布。伝承ではなく、事実として不吉なことが起こっていると仮定して、そんな噂が王都でも流行り出した。それから空白はあるものの筆者の娘が失踪。帰ってきたと思ったら眼が違うものに……。これは比喩的なことか? 目つきとか、そういう話なら当てが外れたことになるが、もし眼球的な、それも魔法的な要因で説明がつかないことの意味で『違う』といっているなら——極論、魔眼の線も浮上してくる」
当然のことながら、眼球の移植という当時の医療技術では極めて難しそうな試み——言わば人体実験だとすれば話は随分と明後日の方向に行ってしまう。ただの狂気的な事件の一つとして終わってしまうだろう。
メモの中には魔法に関する一文があった。が、魔眼など異能に関する発生時期は魔法以前とも言われている。
もう一点気になる文言がメモには残されている。
娘がいなくなったと思った筆者は、【使徒】様に拐かされたと書かれている。人攫いの隠喩としても不自然だ。
もっと未知の何かによる力だと思っている表現だ。それこそ目の前で突然人が消えたり、本来あり得ない状況下で起こった説明不能な現象なのではなかろうか。
そう、神隠しのような——。
当時の生活様式など、もう少し詳しく知ることができれば【使徒】が何を指しているのか分かりそうだった。
一先ず得られた収穫は——予想だが——【混じり者の見分け方】というタイトルだ。つまるところ、特異な人間、もしくは人々が魔法——魔力ではなく——を認知した辺りから、彼らと異なる存在を把握したということだろう。
そのきっかけが筆者の娘であるとするならば、話は繋がってくる。無論、その娘が連れ去られ、人体実験の被験者とかになっていたのなら、やはり話は変わってきてしまうのだが。
「クソッ、他にはないのか!」
現代では知り得ない古文書——7カ国併合以前——の手がかりは。
急かされるようにアルスは一通り本や紙の束を引っ張り出したが、最初の一冊を除いて新たな情報はなかった。
その直後、熱中していたアルスの頭に冷や水を浴びせるような声が屋外から聞こえてくる。
この場にいるはずもないアルス以外の男の声。
粗野な印象の太い声。
「おいおい、なんでこんなところにお嬢ちゃんがいるんだよ」
幾分その声には喫驚のニュアンスが混じり、下草を踏み締めるガサガサといった音が鳴る。
アルスはすぐには出ていかず、ドアの隙間から聞こえる声に耳を傾けた。
様子を探るつもりで静観しているが、相手が少しでも臨戦態勢に入れば即座に打って出るつもりだ。
正直、ロキが遅れをとる相手などそうそう相対しないだろう。
アルスとしては兎にも角にもまずはアリスの所在をはっきりさせておきたい。まず守らなければならないのは負傷しているアリスだ。
ドアの隙間から見える範囲ではロキしか確認できなかった。
「それはこちらの台詞です。私はアルファの魔法師です。そちらの身元が分かるまで動かないことを推奨します。まずは一人一人身元を証明するものを提示しなさい」
手早く【月華】を抜き、同時にライセンスを提示してみせる。
ロキの格好は外界に出るための装備を備えた魔法師のものだ。
(三人か。このイブサギで誰かと出会すなんてそうそうあることじゃない)
ロキが必要以上に声を張り上げたのは牽制のためだけではなく、アルスとアリスに非常事態を告げる意味も込められている。接敵の報告もあり、きっとアリスに無闇に出てこないための警告もあるのだろう。
だが——。
「おい、ちょっと待て、お前さんが魔法師……ッツ!? たまにいるんだよな。お嬢ちゃん運が良かったな。ここからなら安全に帰れるぜ」
男達は三人組。
先頭の男はもみあげから繋がる無精髭を伸ばし、見るからに厳しい顔は鎧を纏っているかのようだった。
背は高くないが、圧縮されているような強靭な身体。 体格はまるで岩のようだった。というのも男の腹はボールでも入っているのかと思うほどに張っていた。
恰幅が良いとは言えない屈強さが垣間見える。土気色の衣服は内地ではまず見かけられない質素なものだった。AWR技師が工房で槌を振るっている時の格好に近い。
粗忽そうな声音であり、男の腰には幅広の剣がこさえてある。
油断なく見据えるロキに男は軽快な調子で声を続けた。その間にジリジリと足先がロキとの距離を数センチばかり縮める。
刹那——雷の嘶きが弾ける。
男は驚いて片足を上げると、そのすぐ側をロキが放った雷撃が地面を穿っていた。
「おっかねぇな」
声はお調子者のそれだが、男の眼光は鋭くロキに向けられている。
「おやっさん、こりゃ身動きができんぜ?」
ボソリと囁かれた背後にいるもう一人の男が耳打ちする。
背後の男も同様に、レザー系の衣類を身に纏い、首にスカーフを巻いている。
すると我慢の限界だったのか、
「聞いてた話と違うじゃないか、私は簡単に済むと言われたからついてきたんだぞ。はぁ〜……失礼、これで良いかな魔法師のお嬢さん」
この男だけは身なりが二人とは違い、それこそ外界を知らぬ者の格好だった。ちょっとした遠出、山を登るような格好と頑丈そうなリュックサック。靴は機能重視のトレッキングシューズで、身嗜みからしてこの男だけは非魔法師であろう。
汗をかいていて、道中だけでも随分と疲れてきっている様子だった。
男はゴソゴソとロキの警告を無視してポケットから身分証を提示した。
「ニッケン・ロンブメーションだ。商人だ」
「おい、勝手なことはすんな! それに履き違えんな、てめぇがきてぇって言うから連れてきてやったんだろうが」
スカーフを巻いた男が背後でニッケンを怒鳴りながら距離を詰める。
微かに漂う緊迫した空気感は、もはやいつ戦闘が始まるともしれなかった。