連鎖の始まり
目次はなく、ページ番号も振られていない。まるで日記のような調子で書き出しからして取り留めがなかった。
『人間の中に《混じり者》がいる。いや、人間が混じりものだったのかもしれない。いつの日から人間は神から叡智を授かったのだろうか。あたかも初めからそうであったかのように、我々はその力をごく自然と使えた。因子として人類に組み込まれていたものか、それとも途中から組み替えられたものなのか……我々の身体に何かが混じっているのだろうか。これは神の力か、魔の力か』
頭の中で読み進め、それでも肝心なところで紙は崩れていたり、はたまた文字自体が変わっておりアルスにも解読ができなかった。
急かされるようにページを捲ると7カ国で使われている文字が見つかる。どうやら複数の言語で書き綴られているようだった。
目的や意味などまるでわからないが、そんなことなど無視して読める箇所を探していく。
『間違っていたのだ。個を全と捉えるべきではなかった。それを人類と呼ぶべきではなかったのだ……これは人類のバグと……だ。或いは進化の極点とでもいえよう。……欠失こそ……我々……にない完全の証…………だと思われ……』
ここから先は単語として人体に関する古い記述が虫食い状態で続いた。
現代の医学知識よりもはるかに古く、アルスでも違いを指摘できるものまである。
それでも現代の用語として置き換えることはできる。年代を考慮すれば当時では筆者は天才の部類だったに違いない。
(因子か……。魔力情報体が欠損することは事実だが、現代でいう情報欠損のことを指しているのか判断がつかないな)
それからパラパラと微細な埃が舞う中で、指に引っかかる残りページが僅かとなっていった。
そして最後の数ページに差し掛かったところで。
『捜さなければ……。
誰かがこれらを広めたのは疑いない……。生命エネルギーか空想エネルギーか、それらはそもそも我々には備わっていないはずのものなのだから。
誰かが広めたはずだ。実験でもしたのかもしれない。死を冒涜したのか……。それこそ神をも恐れぬ所業……。
交配によって遺伝するのか、それもまた今後の課題になってくるだろう。
因を辿らねば。
元を捜さねば。
我らは進化しているのか、それとも退化しているのか。いずれにせよ、正しく人類が生物として前進しているとは言い難い。恣意が感じられる。どうにかなってしまいそうだ。私はいったい何を見つけてしまったのだろうか』
中途半端なところでその殴り書きのような字体は終わっていた。
その後の数十ページが綺麗に抜き取られている。これではタイトルの内容がわからないままだ。最初の記述から考えると内容は長い年月を掛けて書かれていることがわかる。
まだ始まってすらいないのに、終わってしまった。
改めてよくみると字体もどこか癖がある。
最初からページを捲ると、読んだ箇所を複数の言語で翻訳しているかもしれないと思い至る。
意味が繋がるのではなく、別言語で繰り返しているのだろう。
言語ごとに見ると、全体的な文字数が妙に切りよく一致しているように見えた。
「……なんだこれは」
憮然としながらもアルスは仕方なく最後の裏面にあるカバーを見、そこに挟み込めるようなポケットがあるのを見つけた。
そこにはメモ帳のような何枚かの紙切れが挟まっていた。本に使われていた紙とは違い、やけに硬い紙であった。ずっと挟まれていたせいか、随分と綺麗な状態で残っている。
日記帳で書かれた内容は論文としての体すら成していないものの、それそのものには興味を通り越して驚愕に値する情報が記されていた。
信憑性の真偽はあるのだろうが、問題は事実以前にこうした内容物が存在していることだ。それだけでも一考の余地はあるのだろう。
そもそも7カ国併合以前の記録は少なく、人の記憶に頼った後記である。
一息ついて、アルスはそのメモに目を落とす。
『最近、各地で物騒な話が王都に広がっていた。吟遊詩人がそんな詩を歌い上げたらしい。いつの世も虞れは話題になる……最南端の集落が舞台の人外者の怪談だと聞いた』
『火打石や火打金とかほくちが売れなくなったらしい。自分で火を点けられるのだから誰が買うものか。三軒隣の息子が売りに来たが、私は忙しい…………娘に追い払ってもらった』
何だか日記にすらなっていない愚痴が記されていた。
そこから薄らとこれらが書かれた年代がわかりそうである。少なくとも今のように魔物が世界を跋扈しているとは思えない。
いや、寧ろ妙なのは、日常魔法として誰でも火種を作れる現代に火打石や火打金を使っていた時代があったということ。
これはアルスとしても意外である。当たり前のことだが、それはあくまでも当然の推測としてだ。
外界に長いこと出ていると確かに旧時代的な不便な生活を強いられるが、それでも内地へ一歩入るとそこは別世界へと発展しているのだと一目でわかる。空気も違う、景色も……ありとあらゆるものが文明の力と美麗なメッキに包まれているのだ。
だからこそ歴史認識と大きく懸け離れていたともいえるし、そうでないと体験できる。
何よりこのメモの内容には知識に酷い偏りがある。
メモの内容と本に記された内容、これが同時代に書かれたものとは思えなかった。同一人物であるかも怪しい。
文明的にも古いはずのこのメモ、そして本に関しても現代ほどではないが、さりとて想像もできないほど古いという印象は受けない。
考えうる限りでは、メモの方が古く、本に記したのはそれより随分後になってからのようだ。
それでも、これが事実であれば誰も知り得ない貴重な情報である。
そして指を滑らせて最後のメモへと目を落とした。
『娘がおかしくなってしまった。突然いなくなってしまった。近所の男の子に聞いても見ていないと言ったが、彼は本当のことを喋っていたようだ。
…………ずっといなくなったものと思っていたが四十回目の〝夜天〟様が笑う暗い中、急に娘が帰ってきた。
きっと【使徒】様に拐かされたのだろう。それでも帰ってきてくれた、いくらでも神に感謝を告げよう……。
娘は変わってしまった。何があったのか答えない。
ただその眼は娘のものではなかった…………愛しい我が娘……』
少しずつ読み取れる箇所を読み易いよう文脈を補填・変換してみて、どうにか読める内容であった。
このメモが小説や空想の類ならば、先が気になるところだ。
メモと本の内容を勘案すると時系列として、筆者の娘に何かが起こり、それがきっかけで筆者は筆を取ったと読むことができそうだ。知識量からしてメモから何年も後、何十年も後になってからかもしれないが。
何故かこの三枚のメモだけはアルスでも読める文字だけで書かれている。
これは7カ国の共通言語だ。
もっとも、複数の人種や民族が入り混じった現在の7カ国での共通言語がどこのものかは知らない。新たに言語を作ったのか、いやそんな面倒なことをあの滅亡を目前とした時期では難しいはずである。
であるならば、どこかの言語を共通語とした可能性は高い。
複数の言語は今でこそ聞き馴染みがないものだが、それを示唆する文献や風習は今も残っているのだ。
「さて、これは歴史的にみても重要な文化財なのだろうが……」
個人的にも大いに興味のある内容であった。それどころか生まれて初めての衝撃的な発見である。
これは外界の遠方に単独で足を伸ばした時に見つけた、魔眼の資料を見つけた時以上だろうか。
と、同時に不吉な空気を感じ取ることもできるものだ。
(他にも何か——)
この情報が正しいとするならば世界の成り立ちを、魔法に関する謎を解明しうるヒントが見つかるかもしれない。