戦闘欲
非常に不味い事態となった。
突き合わせた顔が何よりも現状を物語っている。
アリスが指摘するように、三人は【イブサギ】の中を大凡直進しているはずだ。誰もがわかっているのにそれぞれがバラバラの進行方向を指差す事態。
「流石に方向音痴が三人……じゃ説明がつかなそうだな」
ロキも一度冷静になりつつ、再度周囲の景色を見回した。そして一際大きく溜息を吐き出した。
「はぁ〜、誰も自分を疑っていないことが恐ろしいですね。この中では探知魔法をろくに使えません。さて、指揮権はアルに……」
部隊内での決定権は隊長にある。ましてやこうした違う意見が出れば、決定を下すのは隊長の責務だ。
水を向けられたアルスは、顎に手をやって考える素振りを見せた。
「俺もロキも外界は長い、方向音痴が帰還すらままならない。ということは自然発生的なものであるにせよ、それ以外であるにせよ結論は変わらない……迷子だな」
「だよね〜。一応木に目印をつけておこうか?」
「そうですね」
アリスの案を採用し、彼女は金槍の穂先でバッテン印を刻み込む。
「で、アル、根本的な解決にはなっていないわけですが」
「そう逸るな。一時的にでも遭難することはある」
「でも、これはそう単純な話ではありませんよね。失礼ですけど、アリスさんはともかく私もアルも方向を見失うなんて」
「あぁ、そうだな。そこが問題なわけだが」
通常ならばまず来た道がわからないということにはならない。何日も密林を彷徨っていたわけではあるまいし。
方向感覚を狂わされないよう、訓練も経験を積んでいる。初頭訓練で課される課題で、クリアできなければ外界にも出してもらえないだろう。
とはいえ、やはり外界への任務経験が長いほど遭難しないものなのだが。
というと、とアリスとロキは答えを急かすように顔を向ける。
「【イブサギ】が〝拐かし〟と呼ばれ、熟練者でさえ抜け出せない深林とまで呼ばれる所以だな。俺らの気づけない別の要因によって方向感覚が狂ったんだろう」
「メテオメタルが原因だと?」
二つ返事で返すよりも、アルスは代わりに肯定の言葉を選んだ。
「やる気が出てきたな」
この発言に対して同時に呆れた溜息が返ってくる。
三人が導き出した方針としてはそれぞれが示した方角の間——この場合アルスとロキ——に向かって進行を開始した。
エレイン女教諭からもらった地図にはいくつかの目印が振られており、そこを探して方角を確認する。期待薄ではあるが、頼れるものは頼っておくに限る。
とはいえ、アルスの教訓では遭難時に誰も信用しないことにしている。無論、自分も含まれる。なので、もしこの方角で間違っていたならば戻ってきて別のルートを模索するつもりであった。
戻れれば、だが。
変わらず先頭をアリスが歩くが、二人ほどアルスは悲観的ではなかった。
根拠なく楽観しているわけでもない。
いつもと変わらないだけのことだった。外界で任務に就く、そうした長年の経験からよくあることの一つでしかない。今回はそれが一人ではないだけで。
ある意味では探索続行。
アリスの訓練も続ける。ただし、先程のようにBレートを単独で倒すのは難しいだろう。
Dレートを魔力を付与した金槍で討伐できたところを見ると、低レートならば問題はなさそうだった。
今度はロキも援護に加わるので、特に心配はなかった。
ちょうど三体目の低レートを倒したところで、アリスの勇み足が目につくようになる。
「アリスさん、魔力量も気にしながら慎重に進みましょう」
「うん……でも、ほらなんかすごく調子が良いんだよ」
目線すら合わせず、アリスは先を急ぐ。
高揚感がこちらにも伝わってくるほどに彼女は浮かれていた。アリスが走り出すまで、彼女は一度も視線を巡らせず、取り憑かれたかのように前だけを見ていた。
汗さえも拭わない。
微かに伝播する不穏な気配をロキはアイコンタクトで伝えてくる。
「アリス、それ以上速度を上げるな。全員の位置を把握しろ」
「大丈夫だよ、アル」
「「——!!」」
この返答にアルスとロキはすっと目を細める。
「アル、キリングハイ」
端的に告げられた症状。殺人など一線を越え過ぎると理性が働かなくなり、思考が狭まる。脳内の過剰分泌が引き起こす高揚感に支配される。もちろんこれは魔物を倒す魔法師にも起こりうる症状だ。
症状自体はロキの指摘した通りだが……。
(それにしては予兆が短過ぎる。ある種、突発的だ)
当然新人魔法師に見られがちな症状である。過信から来ることが多い傾向にある。精神的な落差が引き金になると言われているが、アリスには当てはまらなかった。
こうして話している間にもアリスは独断専行を続ける。
そして、ロキの側面から不意に魔物の頭部が、幹の陰から見える。
即座に反応するロキ、そして臨戦態勢からの即殺へと移行。【フォース】を駆使しての先制は、魔物がこちらを認識すると同時に終えていた。ずるりと頭部が落ち、噴水のような血飛沫を撒いた。
が、ロキが一瞬離れた刹那。
今度はアリスの進行上に奇妙な魔物が現れる。
アルスは目を凝らしながらアリスへと警告を発した。
「気をつけろ」
それに対してアリスは速度を落とすことなく、寧ろさらに上げて魔物へと接近する。
(チッ、熱心な生徒だ)
舌打ちしながらもアルスはアリスの背中を速度を上げて追いかける。守るとは言ったが、ここまで聞く耳を持たない状態というのは予想していなかったことだ。
出遅れたが、アルスは先に魔物を倒すべく動き出す。
明確にその姿を捉えた刹那、アルスの中で倒すという選択肢が変わっていた。
魔物は宙に浮いていた。
それもゆっくりと上下に動き、一眼ではそれが魔物であるのか疑わしいほどである。
二メートル弱の風船が浮いていたのだ。それは肉団子のような様相で少し萎んでは膨らむを繰り返していた。その度に妙なガスを吐いている。
何より風船の下には管のようなものが垂れており、その先端に瀕死の魔物がついていた。管を通されている魔物は小型の【フライヘリゾル】という個体。体長は一メートルほどで平らで長い胴体の両端に頭が付いている。
双頭でも知られるルサールカに多く見られる種だ。
発色の良い緑と、腹部は赤黒いラインが入った体色になっている。
微かに生きているようだが、もはや虫の息だ。管によって宙吊りで漂っている。
アルスは一瞬【フライヘリゾル】を魔物として認識したが、本質的にはその上——風船の方こそ魔物であった。
(不味い!! あれは見たことがない!)
頬に伝った汗が、状況の悪化速度を物語っていた。
初見の魔物に無闇に突っ込んでいくアリスへと、全速力で距離を詰める。
四の五の言っていられない状態だ。足場の根が悲鳴を上げてメキッと鳴るや、アルスは【リアルトレース】で馴染みのある鎖を具現化し、それを木の枝に巻きつけた。
異様なことが被り過ぎる。アリスの異常な戦闘欲は、確かにキリングハイと呼べなくもない。が、それはあまりに唐突過ぎた。まるで別人になってしまったようだ。
アルスは腰に手を回し、いつでも保険を打てるようにアリスとの座標を測る。
だが、今のアルスには自前のAWRがない。空間掌握魔法を行使することがどうにも躊躇われてしまう。
AWRの補助なしで彼女との座標入れ替えに絶対の自信が持てなかった。ただの無系統魔法ならばいい、でも【空間座標移転】のような両者間への干渉は一歩間違えれば更に状況を悪化させかねない。
チッ、と無意識の舌打ちが漏れ出る。
アリスが金槍を振りかぶり、その先端が届く間合いに入ると同時、アルスも彼女の背中にピタリと張り付き、後ろからお腹に手を回す。
が、直後、風船が急激に萎み始め、内部のガスを一気に噴出した。
濃いガスに紛れて極小の粒子が飛散する。
「——え?」
アリスの状況が理解できないという声が聞こえ、アルスは鎖を急速に縮める。
噴出するガスが広がる中で、それに触れず二人はその拡散速度から一刻も早く逃れる必要があった。
引っ張る力は幸いにもガスの拡散に巻き込まれない速度で二人を引っ張った。
しかし、微かにアリスの指先がガスに飲み込まれるのをアルスは見ていた。
歯を食いしばりながら、アルスは遠ざかる魔物へと睨みを利かせる。
視線を下へ向け、一気に上方へと移す。
すると、地面から迫り上がる岩の壁が魔物との視線を切り、
「ロキッ!」
「はい」
阿吽の呼吸で応えるロキは、すでに魔法の構築を終え【大轟雷】で巨大な雷を落とす。
直後に大爆発が巻き起こり、岩の壁が魔物もろとも跡形もなく吹き飛んだ。
距離を取り抱えたアリスを降ろす。
そしてアルスは苦々しい顔でアリスを見下す。本人ではなく、ガスに触れた指先を。
「あ゛あああぁぁぁ……痛いよアル。すごく痛いぃぃぃい」
歯が砕けんばかりに食いしばって、ようやく口に出したアリス。
ガスが触れた指先は……。指先から爪を割って枝が生え出したのだ。
中指から血が流れ、枝が上へ上へとゆっくりと伸びていく。
それだけではない。根のような物がアリスの皮膚下へと入り、浮き出た血管のように腕へと登っていく。
アリスは全力で腕を握り込む。
痛みに堪え、目の端に涙が浮かぶ。彼女がこれまで経験したことのない激痛であろうことは想像に難くない。
「ロキ——」
「準備します」
ロキは靴裏の一部を摘み、ピアノ線のような糸を伸ばすと一瞬でアリスの腕の付け根を強く縛った。そのおかげで鬱血しつつもなんとか痛みにアリスは堪え出す。
「はぁはぁ、クッ……な、何するの?」
縋るような目は、涙で濡れ、恐怖に染まりつつあった。
「アリス気を失うなよ」
「待って待って、何? 怖い怖いよ」




