自由への切符
断末魔はなかった。
魔物であろうと、脅威に対しての危機感を持つ個体は少なくない。死を予期するというのは、それはそれで高度な知能を有するか、はたまた動物的本能を有するかによるのだろう。無論、小粒ほどの脳さえ持たない哀れな愚物もいるのであろうが。
いずれにせよ、まるで天の裁きに等しき一撃は確かに地上の塵を払った。
凄まじい暴風に見舞われ、アルスは思わず目の前を腕で遮る。
ロキも瞬時に幹の陰に隠れて、天災から逃れた。そうまさに天災——天上の裁き。
「通称【天撃】……」
アルスはこの魔法をアリスに授けたことを少しだけ後悔した。
光系統が一部から信奉さえされる特殊な系統である中には、単に〝光〟だからではなく、それが人類の敵である魔物に対して最も効果的であるが故だ。
加えて、その神聖性も無視できるものではないだろう。一概には言えないが、対照の〝闇〟系統が忌避されがちであるのもわからないでもなかった——善悪のように。
引き起こされた暴風が止むと、ぽかんと阿保っぽく口を開けたアリスが硬直していた。
可哀想なことに【地の嫌悪者】は塵一つ残すことなく、浄化されてしまった。
馬鹿げた威力で、超高度からの照射。
そして……。
「馬鹿げてる」
アルスの口から惨状の感想が漏れた。
これに似た魔法でアリスは【天空は灼厄】を扱える。こちらは熱線による照射であり、対象範囲は限定的、何より事象結果は燃焼だ。
しかし、【天照天撃】は少し違う。これは対象の魔力に反応し、崩壊を誘発する魔法。言い得て妙だが、これは〝浄化〟と言い換えられる。
光系統の性質である魔物に有効とされる要因は術者の魔力情報体にある。端的に言ってしまえば、魔物の有する魔力に対して優位性がある。これは魔法対魔法ではなく、光系統魔法を魔物が直接受けた場合の有効性だ。
魔物の自己修復を阻害する効果があるのも一つの特徴である。
(光系統だからというべきか。確かに他系統とは根本的な差異がある)
余波は暴風のみであり、魔物の消失は白煙で知らされるだけだった。
他への影響は限りなく少なく、魔物のみを標的に絞ったと言える。
「これはこれで聖女として祭り上げられるかもしれんな」
「凄い威力でしたね。アリスさんが石化からまだ解けてませんよ」
今日までの聖女は治癒魔法師が似つかわしくない称号を拝命している。のだが、魔物に対してのみ有効な手段を持ちうる光系統魔法を扱えるアリスもまた人類にとっての聖女と言えなくもない。
冗談はさておき……。
「アリス、まあ……単独討伐おめでと」
自分でも下手な称賛だとは思うが、一応魔法師の慣例に則ってみる。
アリスが我に返ったのは、ロキが目の前で手を振った少し後のことだった。
「あ、ああ、あああああアルうぅぅぅ。な、なんて魔法教えるの。ヤダよ私、できたけど、できちゃったけど、ここれってまずいじゃないかな?」
「なんで疑問形なんだ」
「普通に疑問形ですね。と言いますか、アリスさんはちゃんと練習してある程度はできてたんですよね。テスフィアさんじゃあるまいしぶっつけ本番なわけないですよね?」
「そう、それだよロキちゃん。練習の時はもっと細かったよ。だからそういう魔法だと思ってたのに」
「あぁ、魔力量ですね。無意識に調整していたってことですか……あぁ〜素晴らしいお遊戯会でしたね〜」
少し意地悪くロキが目を細める。加えて身体から離すようにパチパチと拍手を送った。
手放しの称賛を送りたいのは山々ではあるが、アリスがここまで魔法をあっさり修得してしまったのでは立つ瀬がない。
「あれ、ロキちゃんの反応正しくないよね? えーと、助けてくれてありがとう」
明るく振る舞うアリスの困惑っぷりにロキも息を吐いて切り替える。
「冗談ですよ。なんだかアルから随分良いプレゼントを貰ったみたいで、羨ましかっただけです…………とか言ってみたり」
ロキの視線は華麗にアルスへと移行し、同時に緊迫感が霧散する。
彼女も多少は嫉妬があるのだろう。これまでロキは追う立場と同時に追われる立場でもあった。それもアリスとテスフィアは随分とロキの後ろをのったら歩いていたはず。
そんな彼女達も今やロキの背中を捉えつつあった。
魔法師としての成長の全てが魔法で決まるわけではないが、それでも目覚ましい才能の開花は魅了よりも嫉妬を芽吹かせる。
「アリスはもともと【天空は灼厄】を修得していたからな。要領を掴めれば早いとは思ってたんだが」
「早過ぎる、ということですね」
「……そう言うことだな。アリスがどんなに優秀でも半年は掛かる見込みだった」
金槍の円環がアルスの予想を越えてかなり助けたとみて間違いない。円環の機能は増幅が主だ。系統特性の増幅も含まれたと考えれば【天撃】の早期修得も頷ける。
メテオメタルを使っているだけあり、生半可な性能ではなかった。
「……なんかゴメン」
「良いことなのになんで謝るんですか。それは良いとしてアリスさんはこれで【極致級】の魔法師ということで良いんですよね」
水を向けられたアルスはバツの悪さから目を逸らした。
「最上位級魔法のはずだったんだが、まずった」
というのも【天照天撃】はロストスペルの解読によって発見された魔法だからだ。これに関して言えば、魔法を作るというより、魔法そのものの解読に近い。
アルスが使える【不死鳥】も同類の経緯を辿っている。こちらに関してはアルスが解読したものだ。
だが、【天照天撃】はかなり前に解読された魔法であり、正式に魔法大典に【最上位級】として記録されている。
問題は修得者がいないこと。修得者を正確に把握することはできないが、少なくとも希少性の高い光系統で尚且つ高難易度の魔法。そうなれば扱える魔法師は0と言っても過言ではない。
「はえ、極致級……私が」
「アリスさん、落ち着いてください。威力の面でもそうですが、そもそも魔物に対しての有効性が桁違いです。ですよねアル」
「まあな。使用者がいなかったから正確な評価が為されなかったんだろうな。【最上位級】でも良いんだろうが、こと魔物に対してで考え、分類法を見直すなら【極致級】に並べられるかも。何より軍はこういう魔法なら尚の事、公表したいだろうな、極致級魔法として」
魔法は魔物に抵抗する手段として、プロパガンダにはもってこいの材料だ。
だからこそアリスが祭り上げられるかもしれないと予想できる。それを聖女と呼ぶかは別として。
ともかくだ。
アルスは意識を集中させるために、アリスの前に立つ。
「これでアリス、お前の魔力情報体の欠損に関する被検体になるかもしれない可能性はなくなった。お前は一応アルファ軍と国の管轄する魔法学院の生徒だ。御上に喧嘩を売る馬鹿じゃない限りは心配はないだろう」
「そっか、うん。そうだね。アルが以前言ったこと達成できた。思ったよりずっと早く」
アリスははにかみながらの笑顔を向ける。
軍に貴重戦力と認めさせれば、誰もアリスの道を阻む者はいなくなる。研究対象からは外れる。魔力情報体の欠損を隠す必要も、それに怯える必要もないだろう。
「ありがとう、アル」
「どう致しまして。鍛えがいのない生徒さん」
素気無い返事をするが、実際のところ【天照天撃】の分類は微妙なところだ。軍の意向が働けば【極致級】ではあるのだろうが、構成要件然り、現状アリスの【天照天撃】は【最上位級魔法】の域を出ない。無論、魔力調整など随分と出力調整が利くので今後次第なのだろう。
現状ではせいぜい【最上級魔法】と言える。
その辺りをしっかりと言い聞かせた後、アリスは目をパチパチと瞬かせ、足をもつれさせていた。
「魔力切れだな」
「みたい、でもちょっと計算違いかな。もう少し残るはずだったんだけど……ゴメン」
そういうとアリスは立っていられず、その場に座り込んでしまった。
道中、アルスが拾ってきた木の実を渡し、無言で噛めと伝えると、アリスは恐る恐る摘めるほどの赤い実を歯に挟む。
「んんんッ!?」
「いいから飲み込んどけ、きつけ薬みたいな物だ。微量ながら魔力を蓄えているから、マシにはなるだろ。後、スッキリする」
魔力の消耗が激しい場合など朦朧してきた際に口にする。アルスも助けられる場面が何度かあった貴重な実だ。
滞空する微小の魔力を蓄えているだけでもありがたい。
「休みがてら、少し歩くか」
「うん、それぐらいなら問題ないよ」
「では今度は私が先行しましょう」
アリスの実戦経験を積むという意味ではまずまずの成功だ。
そしてロキが、アリスが足先を進行方向へと向ける——別々に。
「あれ?」
「ん? アリスさん、こっちですよ」
「そうだったけ、おかしいなぁ。でもあの木が来た時に」
「……ちょっと待て」
二人を引き留めたアルスはさらに別の方角を指差す。
三人が三人とも別々の方角を示した。
それも熟練したアルスとロキが一致していないことが問題だ。
「アル、そちらは来た道ですけど」
「それを言うならロキは目的地から逸れるルートになるぞ?」
「? そんなはずはありません」
「ちょ、ちょっと待ってよ二人とも、進入口から大体直進してるはずなんだよ? だから……ん〜これ絶対不味いよねアル」
ここまで食い違ってくるともはや自分も自信がなくなってくる。
アルスは肩を落として早々に諦めた。
「あぁ、これは不味い」