頂きに触れた成長
アルスは目の前で繰り広げられている戦闘の光景に真剣な眼差しを注いでいた。凡そ、人間などでは太刀打ちできないであろう化け物を前に怯むどころか前進するアリスを。
これらの厳然たる事実——アリスがBレートを前に圧倒している状況——をつぶさに観察していた。
【地の嫌悪者】の攻撃は至極単調なものだった。言ってしまえば巨漢故の腕力に物を言わせているに等しい。
そもそも手足で幹を掴んでいるのだから、不安定この上ない。攻撃の手段である手数を自ら封じているという不自由さもあるだろう。
しかし、Bレート。その評価に異存を挟む余地はない。
とはいえ、今やアリスの戦闘能力はBレートに比肩するに留まらなかった。
(ちゃっかりしてるな——)
アリスは自分の得意分野、もとい手札の中から魔物に対しての有効手段を把握できている。
アルスは一瞬だけロキの方に視線を向ける。
器用に幹にナイフを突き刺して、しがみつきながら見下すロキは、少なくない衝撃に襲われていた。
それもそのはずだ。
【地の嫌悪者】の攻撃は魔力を纏ってはいるものの主に打撃と言っていい。
無論、その破壊力は段違いであろう。一撃でここらの巨木に跡を残せるほどには凶悪だ。生身の人間ならば生きていることを嘆きたい程全身が壊れてしまう。
速度はないが、次々とアリス目掛けて振り下ろされる拳。
しかし、アリスはその全てを鮮やかな燐光を引きながら、防ぐ——否、弾き返す。
「打撃戦ならアリスは無類の強さを発揮するな」
【反射】がこれほど応用が利き、尚且つ高レートの魔物に通用するのだから驚きだ。魔力操作の賜物でもあるのだろうが……。
(光系統はやはり魔物に対して優位性のある系統ではある。だが、【反射】をこれほど実戦的に運用した例はなかったはずだ)
実用的ではない?
いや、そうではない。思いつかなかったなどと馬鹿な予想は立てないが、それでもこの結果はアルスの予想の斜め上をいっていた。魔力消費もそうだが【反射】は実に繊細な魔法でもある。
反射するにせよ、タイミングは肝心。【反射】は影響を及ぼす時間がほんの僅かしかない。
アリスが【反射】を修得していることは、単純な難易度評価から疑問すら湧かなかった。
しかし、これは些か万能過ぎる。そして強過ぎる。
無論、最大の欠点を除けばだが。
【反射】の最大の欠点は消費魔力量に尽きる。魔法大典の記載事項でも挙げられている点だ。
数回の使用で残魔力量は三十パーセントを切ると予想されている。
(なるほどな。どういうわけか空間干渉魔法、いや、空間の干渉力が飛躍的に伸びているせいか。それのおかげで消費魔力が劇的に少なくて済んでいる。魔法の知識が深まったせい、じゃないな。……魔力操作の副産物か)
アリスのみの特性、欠損から生じる性質。
魔法における空間の干渉度合いがアリスの魔力情報体によって向上しているおかげだ。魔法における持続力は通常の魔法師に劣るが、一時的な魔法の発現効力では勝る。
【反射】はある意味で、アリスを形容するほどの魔法になるかもしれない。
そして、こんな戦いを見せられれば、ロキも手を貸す気が失せてしまうだろう。
もちろん気を抜けないが、危うさという意味では随分こちらの負担が減った気がする。
巨腕が振り下ろされ、アリスの【反射】を叩くと、まるで来た道を帰っていくように大きく跳ね返っていく。
それも拳から血飛沫を撒き散らしながら。
人の拳ならば、二度と握り拳を作れないほど骨が砕け散ったに違いない。
が、そこは魔物。瞬時に回復すると反動を利用してそのまま同じことを繰り返す。
アリスの歩みを止めるには至らない。幾度、何度矮小な人間を叩き潰そうと、潰されるのは魔物の拳の方だった。
間合いという物を把握するのは魔物としての本能か。
アリスの射程ということでもないが、まるで己のテリトリーに踏み込まれたためか、外皮に埋まる眼がぐるぐると蠢き出す。
両手を組んで振り上げるとその組んだ手の周囲を岩が覆っていく。巨大な礫を纏った拳が、隕石の如き勢いで振り下ろされる。
ロキの微かな初動を察知したアルスは、素早く手で制止を指示した。
障壁魔法であろうと、防壁魔法であろうと反射的に動き出したくなる、そんな岩石の槌が振り下ろされた。
大きな影はアリスの全身を薄暗く染めてあまりある大きさとなった。
次第に黒の陰は色濃く、アリスの顔を染めていった。
微かに視線を上げたアリスは、これといって驚きもなく。そよ風の如き優しい魔力を纏って金槍を鮮やかに取り回す。
物理と魔法の衝突。
強い輝きがアリスの頭上で瞬くと、岩は弾けるように粉砕し、中から出てきた両拳は原型を止めないほど爆ぜる。
一瞬——。
起こるべくして起きた完璧なカウンターである。
受けた威力を数倍にして返し、反射の過程で対象を分解。
ふぅ、と細い息を吐き出しながら、アリスは魔法の深奥に触れたように堂に入った面持ちで金槍の穂先を下げる。
「【乱反射】」
直後——跳ね返った衝撃が魔物の腕を駆け巡りその付け根までを一気に抜ける。腕を支える骨子を粉砕し、外皮を突き破って大量の血飛沫が舞う。
「——ッギギギギギャ」
昆虫の発する鳴き声をいくつも重ねるような多重音が響き渡った。絶叫と呼ぶに相応しい苦鳴が大気を震わせた。
完全に相手の力量を把握した、そんな風に思わせるほどに完封してのけたアリス。
初撃を迎え撃った時点で、アリスは【反射】に注ぐ魔力量を正確に把握できていた。
アルスの目からも【反射】が反射に失敗しないとわかっていた。彼女は探知魔法師並の魔力察知技術があるわけでも、知識があるわけでもない。が、一度目に魔力を過剰消費し、そこから少しずつ調整することで効率的な魔力運用に成功していた。
そうは言ってもBレートだ、アリスも慎重を期して確実に反射できるだけの魔力を注いでいる。
魔力消費の多い【反射】を最適に使うための魔力調整は喫緊の課題といったところだろう。
【地の嫌悪者】は両腕に損傷を負ったことで、今度は回復に時間を要しているようだった。この段階でようやく光系統の本領発揮である。魔物に対して最も効果的な系統、それが光系統だ。
「アリス気をつけろ!」
注意喚起は 【地の嫌悪者】の全ての目が涙を流していたためだった。白く濁った液体はポタポタと地面を濡らしていく。
すぐさま地面が水面のように揺れ、さながら波紋のようなうねりを一度。
直後、地面が大きな津波となってアリスの眼前に覆い被さるようにせり上がった。
「——あっ!?」
緊張の糸が切れたか細い声がアリスの喉から漏れ出す。【反射】で完封していたアリスだが、この魔法は反射できない。厳密には反射しても意味がない上、反射範囲を超過しているためリスクしかないのだ。
超重量の土の波を前に、アリスに対抗する術はない。
故に決断は早い。
バックステップの要領で、足に力を込め一足飛びに離脱。
その決断は正しかったのだが……。
「ウソッ」と発すると同時に自分の足元を見下すと、足首までぬかるみにはまって身動きが取れなくなっていた。足を抜こうにもぬかるんでいた地面は固まってアリスを強制的に留まらせていた。
土の波がアリスに真っ黒な陰を落とす。
が、そのまま土の波がアリスを飲み込むことはなく、刹那的に奇妙な唸りが雷を引き連れて土の波を逆に飲み込む。
至近距離で落雷したような轟音がアリスの鼓膜を弾いていく。
「あ、ありがとうロキちゃん」
しっかりと後衛として前衛のサポートをするロキは、白煙を上げる【月華】を鮮やかに振り抜いていた。
「アリスさん、一気に片付けますよ」
「あ、うん、オッケー」
焼けた土の壁が崩れると同時にアリスは金槍を真っ直ぐに突き立てる。足は土の波が崩れると同時に、あっさりと引き抜くことができた。
AWRを通して魔力が正しく光り輝く。魔力光ではなく、光系統と呼ばれるに足る美しい白光が魔法式を反応させる。
金槍の柄尻にある円環はすでになく、遥かなる上空で滞空させていた。
「せっかくですから、発表会の時間は稼いであげますよ。そのつもりだったのでしょ?」
アリスは口元に微笑を浮かべて頷く。
見透かされているようで気恥ずかしいが、確かにこれは発表会でもあった——それも大真面目の。
溢れ出す魔力がアリスを優しく包み込む。光を引き連れ、アリスの髪を戯れとばかりに舞わせる。
穏やかな顔でアリスは詠唱を始めた。
「地上に灯りを、導となる灯火を、不浄を恐れよ、汝、天を崇めよ——【天照天撃】」
【地の嫌悪者】の目が弾かれたように霧がかった空を見上げ、幹を掴んでいた手は恐怖からか、異様な力が込められいた。
魔物の頭上に展開されたのは魔法障壁である。それも一部の隙もない完璧な構成を辿った半円状の障壁であった。全ての目が視認することで空間座標の即時割り出し、いや、認識が瞬時に完了するため魔法発現までコンマ一秒も遅れはなかった。
しかし、天空から降り注がれた光の柱は真っ直ぐに、容赦なく地上を浄化する。
霧は一瞬にして光に包まれた。そして魔物が展開した障壁は消失して、その巨躯は極限の白に飲み込まれた。