目指した魔法師の関門
【デトネーション】で爆破した箇所から流れる水。地下から水分を急速に吸い上げているのだろうか。
いくら外界の異常な環境であろうとも、これは異常である。アルスでも見たことのない現象であった。
豊富に水分を吸収するだけならばどうということもなかっただろう。
しかし、木々が内包する魔力量は異常と言わざるを得ない。命ある物には須く魔力は宿る。命の有無に限らず、魔力は大気中にごく少量存在するのだ。
人間も体内で魔力を生成するが、それとはまた別種という括りになるのだろう。広義の意味では同質のエネルギー体ではあるのだが。
これらの魔力に魔物が容易に干渉できることこそ問題であった。
【地の嫌悪者】の魔法であろうとその座標への違和感はない。
(木々もだが、ここはあまりにも魔力が濃すぎる)
空気中の魔力に差はない——寧ろ少ないほどだろう。
一帯の魔力をイブサギの大自然が吸収しているかのようだ。残念なことにこれら、体外魔力の活用に関しては人間は不得手という他ない。体内魔力の運用をベースに今の魔法が考案されているのだからやむを得まい。
流石に一筋縄ではいかないらしい。
(まるで魔物のための主戦場だと言わんばかりだな)
改めてイブサギの異常を確認するとアルスは、跳躍し木肌にナイフを突き刺して態勢を保持しているロキと、真後ろへと必要以上に後退したアリスを視界に収める。
突発的な不意打ちにもアリスはしっかりと対処できている。
後退距離から危機管理も大丈夫なようだ。
「アリス、Bレート程度に遅れを取るなよ」
「うん!!」
抜いた金槍の刃先を後ろに引き、アリスは先陣を切って走り出す。
刃が彼女の魔力を受け、神々しい輝きを放つと、突貫の勢いのまま金槍を魔物目掛けて突き出した。
一直線に突き出された槍はその穂先を伸ばすように光撃の刺突を閃かせる。
魔力の凝縮率や、その魔法の系統を忌避したのか、穂先が魔物に向けられると同時、射線を遮るように異形の手に遮られる。
アリスの手札の中で最速の魔法が、霧の中へと一柱の穴を穿った。
【光神貫撃】は即時殲滅の意味でも、手傷を与える意味でも有効な一打となる。最上位級魔法ではあるが、下手に探りを入れるよりも必勝を選んだ彼女の選択は正しい。
二本の手が重なるように射線上に立ち塞がったが、白色の瞬きが瞬時に手を焼いて大穴を空けた。
いくら魔物であってもあの高速刺突を避けることも、一点突破の破壊力を防ぐこともできない。
アルスが考案した魔法の中でもかなり運用しやすい魔法である。
「アリスさん、まだですッ!」
「みたいだね、本体は無傷っぽいかも」
その懸念が当たっているかのように、霧の中からぬうっと煙を巻いて頭部が突き出される。昆虫のような複雑怪奇、はたまた珍妙な顔はやはり自然界から逸脱した形貌をしていた。太い触覚が口周りに生え、外骨格はなく頭足類に近い容態であった。
全身に整然と並ぶ丸い複眼の焦点がアリスを捉えた。
一拍の空白が訪れた刹那、左右に割れた口蓋の中から針が弾き出される。
穿刺は【光神貫撃】にも劣らず射出後最高速度でアリスへと向く。
針とはいえ、巨大な体躯から放たれたそれが文字通りの針なわけもなく、貫かれれば容易く頭が吹き飛び、身体ならばどこかしらが大きく欠けるほどであった。
「——!!」
「——フッ」
細い息と同時、穿刺はアリスに届く前に断たれて回転しながらどこかの木に突き刺さった。
対角線上を駆け抜けたロキは、その身に電撃を纏って【月華】を抜いた姿で振り返る。
アリスの生存確認のためだったが、ロキが失敗してもアルスが取りこぼすことはない。しっかりとアリスを守るための障壁が準備されていた。
「あ、ありがとう」
短く感謝を述べるアリスであったが、ロキからしてみれば少々世話を焼きすぎたのかもしれなかった。
(私もアルのことを言えませんね)
口元を綻ばせるのは、しっかりとアリスが対処すべく準備していたためだ。それがどんな策であったかまではわからないが、ロキが抱いた一抹の不安は解消できなかっただろう。
なぜなら彼女が失敗すれば、それすなわち死への直行便なのだから。いかにアルスといえど後出しで助けられるほど魔物は優しくない。
ロキは反省した。
一人の魔法師を育てるだけでも相当大変である。魔物と戦えるようにとは、つまるところ指導者が過保護でなければ務まらないのだろう。でなければ、本当にあっさりと生徒不在で指導が終わってしまう。
魔法師を一人育て上げることの労は計り知れず、その価値もまた同様に……。
ロキはよく今日まで己が生きていたものだとつくづく思う。がむしゃらに生きて、戦ってきたからなのかもしれないが。
絶対に死ねない、その一心でアルスに再会するまでの月日を全力で走ってきた。
ならば自分はいかほど死線を越えてきたのだろう。
そしてアリスはこれからどれほどの死線を越えていかなければならないのだろうか。
「アリスさん、行けますか!」
「もちだよ」
アリスもロキに倣って細い息を吐き、一際鋭い目つきで魔物を見据える。
槍を高速で取り回して集中力を引き上げていく。
その様子は一先ず、ロキとアルスに安心を与えた。程よい緊張感と程よく解れた筋肉が淀みない槍捌きに表れている。
アリスが穿った二本の手は内側から肉が盛り上がり傷口を塞いでいた。
【地の嫌悪者】は六腕二足を使って樹間を移動する。足とは言っても、幹を掴める器用さと鉤爪のような爪がしっかりと巨大な体躯を固定している。
「通常種とは違い、複数の眼があるぞ」
助言程度にアリスへと情報を共有する。
外界での戦闘は分析を欠かせない。こればかりは経験していくことでしか知識を積み重ねられないのが痛いところだ。だから、常に考えること。
全神経を張り詰めるのはその後でいい。死と隣り合わせのダンスは初心者には難しいだろう。
魔物の系統、戦闘パターン、手段をできうる限り思案し、致命傷となる〝予想外〟を避ける。
ここからアルスは一人で戦うよりも神経を擦り減らしながら、全方位を警戒しつつアリスのフォローに回らなければならない。
(アリスはこれで何度目かの実戦になるわけか……)
微かに口角が持ち上がる。
過保護と言われようが、生きてさえいれば次があるのだ。
そしてアルスの不謹慎な笑みに、同調する形で心臓が跳ね上がる。
一人前進するアリスは槍の射程範囲に関係なく、三人の中で突出して魔物に近づいていた。
その姿勢は真っ向から斬り伏せる意思さえ感じさせる。
余裕とは違う。アリスにはアリスなりの考えあってのことだった。
ふと気が緩みそうになると、途端に呼吸が乱れる。
間近で【地の嫌悪者】を見上げると、身が竦みそうになる。数少ない魔物を視界に収めた経験を合わせても、この魔物の姿形は受け入れ難いものがあった。
(でも、やるよ私!)
魔法師として訓練してきて、この力がどうにか立ち向かえるだけの支えとなってくれている。
(だから試さないわけにはいかないよね。いつまでも助けてもらう立場じゃダメだよね)
どこまで通用するのかわからない。だから試すのだ。
アルスはBレート程度と言うが、精神的にもアリスには実感が持てなかった。
だから真っ向から全力で学んできたことを実践する。
あの時、アルスと交わした約束は嘘をつかない。
『魔物と戦えるようにする』、アリスとテスフィアの二人が、文字通り魔物と戦えるように力だけでなく精神的にも、そして知識的にも指導してくれた。
それを信じているし、疑ったことなど一度もない。
最強の魔法師に応えるために、アリスは一歩も引くわけにはいかないのだ。
だから自分に言い聞かせるようにアリスは小さく呟いた。
「独り立ちじゃないけど、いつまでも子供じゃいられないんだよアリス」
少し先に本当の魔法師へと続く一歩をアリスは踏みしめる。
テスフィアはきっと土台からして、アリスの先を歩いている。少なくともアリスにはそう感じてならなかった。親友は感情的ではあるが、時にはそれが良い一面として働くことがある。
外界ではすでにテスフィアは、これからアリスが挑む第一関門をすでに突破している。
初めにあった課外授業で……。
その場にいなかったが、アイル・フォン・ウームリュイナとの【貴族の裁定】の後にあったという、アルスの豹変などを近くで見てきたのはテスフィアの方だ。
そうした苦難がテスフィアを精神的に成長させてきたのだろう。
常に一緒にいるからこそ、アリスには彼女の著しい成長が肌でわかる。
だから今度は……。
【地の嫌悪者】の巨大な拳が振り下ろされても、アリスの思考が途絶えることはなかった。
その拳は不気味な血飛沫を逆に上げ、凄まじい反動を受けて大きく跳ね返る。
アリスの頭上に展開されたのは、神々しい光系統のベールであった。【反射】は【地の嫌悪者】の一撃を容易く弾き返した。
振り下ろした威力を倍以上にして、跳ね返す光系統魔法。
陽だまりの中に包まれるアリスは、キッと鋭い視線を魔物へと向けていた。