外界の禁止区画
「さて、本題に入りましょうか」
「そうね。まずいくつか地質的に見ても地殻変動では説明がつかない現象が各地で起きているわね。そこの点と、そっち」
エレイン女教諭はメモを見ながら、指差していく。
「現在確認できているのはこの辺りね。メテオメタルが見つかった場所が、そこなのだけれど地質学的にもメテオメタルは周辺環境に影響を与えることがわかっているわ。もちろん全てじゃないけど、そうした性質も持っている。もしくは長い年月を経て環境に影響が出たのかもしれないわ」
ふむ、とアルスは半信半疑で唸る。外界の自然環境はすでに想像の埒外だ。これまでは人間がいなくなったことや、魔力濃度の影響が有力視されていた。とはいえだ、実のところ推測の域を出ず、かといって全く根拠がないわけでもない。
一先ずエレイン女教諭の話を前提に考えるとして。
彼女の説明に応じる形で、アルスは指で地図の端の方を示す。
「俺が見つけたのはこの辺りですね」
広大な広さをカバーしている地図ではあるが、アルスの示した場所はかなり端の方だった。
「さすがにそこまでのデータはないわ。何せ、そんな距離を移動した魔法師はいないもの」
驚きも少なに、エレイン女教諭は肩を竦めて言う。
外界に調査隊を送り込むのは今でこそ頻度は増えているが、当時はかなり限りある調査だったはずだ。
それらのデータを元に過去の地質を推測しているのだろう。
外界の異常な環境変化は動植物に限らず、地質にも大きな異常を与えているはずだ。そんな易々と推測できるような物でもないのだが……やはり彼女の言うように奥が深いのかもしれない。
専門分野ではないアルスだが、分からないことはかなり多かった。
「詳しく話を訊きたいところだけれど、それはまたの機会にしましょう。で、次に私が目星をつけた場所というのが……」
彼女はいくつか地図上にピンを立てていく。
アルファ方面に一箇所。他は各国の排他的統治領域を示している。そのどれもが他国の進行距離には届いていなさそうな場所であった。
他国も把握できていない場所にあったり、かと思えば調査されているであろう近距離にあったりと様々。
「アルファに刺さっているこの場所は、さすがにどこかの隊が通過しているのでは? それほど離れているわけでもありませんし」
疑問を投げるロキは、昔の地図を見ているからなのか、未だ気付いていない。
外界進行の多いアルファでも当然全てを網羅できているわけではないし、ある程度の安全ルートは確保している。いちいち綿密に調査する必要などないのだ。
「この場所だと、あそこか」
「アル、どの辺りなのでしょうか、この地図だと分かりづらくて」
「それは私も聞きたいところね。実際外界に出たことがないわけじゃないけど、データ取りのためだから数えるほどなのよ」
「魔法師の間では、イブサギ——〝拐かしの深森〟とも呼ばれていますね」
「ここが……」
魔法師間の呼び名なので、俗称みたいなものだ。
エレイン女教諭は小難しい顔で唸ってみせた。地図に穴でも空きそうな眼力である。
ロキも眉間に皺を寄せると、一旦思考を巻き戻しがてら、困惑しているアリスにもわかるよう説明し出す。
「アリスさん、ここに高レートの魔物はいないと言われていますが、普通魔法師はこの場所を避けて外界に進行します。もちろん、例外もあるにはあるのですが、回り道をしても通らないんです」
ずっと黙って三人の会話を聞いていたアリスは、ここでようやく口を開きかけて、躊躇いながら予想していた疑問を返した。
「え、と、それはナンデ?」
緊張しているのか、それ以外にも疑問があるのか、なんともニュアンスのおかしな言葉遣いであった。
真面目なのだろうが、おそらく彼女がいくつか疑問に思っていることが解消されていないのが原因である。
ともかく。
「ここはですね。地形と樹木が変、良い言い方ではないかもしれませんが、つまり奇形なんです。動物類もほとんど姿を見ないですしね。地面は波打つように凹凸が激しくて、木々も変な形の物ばかりで、進軍速度がかなり遅くなるんですよ」
「通るだけ無駄ってこと?」
これに答えたのはアルスだ。
「それもあるが、どういうわけか樹木に魔力が浸透しすぎているんだ。要の探知魔法師にとっては場所が悪すぎるし、何より、ヘタをするとルサールカの排他的統治領域を侵すことになる。上層部も推奨はしない。魔物を取り逃した時なんかは特に最悪な場所だな」
話から厄介な場所、ということぐらいはアリスにも伝わったらしい。強張ったままの頬が彼女の柔らかな雰囲気を消していた。
アリスがこの場に溶け込めないのは、知らない情報で溢れているからなのだろう。蚊帳の外で軍人の如き立ち姿に、申し訳なさを感じざるを得ない。
「まずはそれね」
「どういうことですか先生。アルの言ったように、確かに普段、魔法師はほとんど近寄らない場所ではありますが」
ロキの疑問符は大きい。何せ、外界の自然はもはや異質レベルに変容している部分が大きい。冬に花をつける植物もあれば、夏に枯れ出す木もある。その生態系は魔物以上に人智を超えているのかもしれない。
とりわけ、魔法師ならば珍しいことでないのも事実。その順応性は頭のネジが飛んで、もはや受け入れることしかできないのだろう。
「こうした変質など、局所的な場合の原因——メテオメタルの関係も考慮すべきなの。何よりここは、結構前から異常が見られている場所でもある」
エレイン女教諭は古い地図上を指差す。そこには薄らと印字された文字が読み取れる。
「これは専門用語みたいなものね。つまり原因不明の事象観測を示しているわ」
彼女の指示する通り、アルスたちは一旦【拐かしの深森】へと調査することが決まった。距離的にもアルファからさほど離れていないので、上手くことが運べば当日帰ってくることもできるだろう。
本来ならばその程度調査に値しないほどの根拠なのかもしれない。外界に出るのも手続きがいるのだ。
せめてもの救いはアリスやテスフィアの訓練になるということ。アルスからしてみればやり直したかったところだ。前回の時はまだアルスも経験不足——いや、それは言い訳だ。正確には彼女達以上に臆病になってしまっただけなのだ。
誰かを目の前で死なすことの恐怖を感じずにはいられない。特に学院に来てから知り合った二人には……。
だからこそもっと力をつけてもらいたいのだ。
故に外界での訓練は避けて通れない課題である。